エッコ チェンバー 地下

─ €cco ₵hamber ฿asement, Vaporwave / Đésir đupłication répétition ─

ワーグナー『ラインの黄金』 - 《オタクにやさしいギャル》は、実在し ないので

おなじみのリヒャルト・ワーグナーさん作、楽劇『ニーベルンクの指環』4部作。
この巨大なドラマは、《ラインの乙女たち》に始まって、そして彼女たちによって終わります。しかしそのことは、あまり注目されないポイントかも知れません。

ですが、ずっと前から私は、この……。まあ、たぶん妖精たちが、すごく気になっているんですよね。

この娘たち三人は、《乙女》というから乙女なのでしょう。ですがしかし、けがれないだけのむじゃきな存在だとは、少々考えにくい。
あえて思ったところを言うと、《ギャル》っぽさが感じられるのです。

ご存じのように、この美しい乙女らは、シリーズ第一話ラインの黄金の冒頭で、彼女らの守る聖域にまぎれこんだアルベリヒ──姿の醜いニーベルンク族の男が、色情に気をおかしくして誘惑してくる、これをさんざんに嘲弄し愚弄します。
かつ、そのやりように習熟ぶりが感じられるので、こういう現場には慣れているのかも知れません。つまり、《被ナンパ》の経験がすでに豊富、とも見られそう。

〈ヴォークリンデ〉 あたしたちと遊びたいですって?
〈ヴェルグンデ〉 冗談のつもりかしら?
〈アルベリヒ〉 ほのかに光るお前たちの姿は、なんとも美しい!
   そのすらりとした体を、どれか一つでも腕に抱きたいものだ。
   どうかこっちに降りてきてくれ!
〈フロスヒルデ〉 恐れることもないようね。あの男は恋をしているようだから!
〈ヴェルグンデ〉 いやらしい男!
〈ヴォークリンデ〉 あたしたちのことを、よく教えてあげなくちゃ!

(台本の訳文らはすべてオペラ対訳プロジェクトより,

で、ここから始まる愚弄劇が、実に恐ろしい残酷なもので……。

《キモーイ・ガールズ》
ああ、永遠の《キモーイ・ガールズ》

これについて、私はいつも、有名なミーム《キモーイ・ガールズ》を想い出してしまうのです。
そのあまりにもきびしすぎる嘲弄と、しかしそのあだな愛らしさ、そして彼女たちの奇妙にみずみずしい歓びの表情を。
というか私が、彼女らを好きすぎであるもよう。少し前にも同じようなことを書いていた、それをいま思い出しました()。キモーイ

が、しかし、まあ。作劇上の流れから考えると、ラインの乙女らによるアルベリヒへの愚弄・嘲弄・拒絶のジェスチャーは、ぞんぶんに徹底的、あるいはテッテ的なものでなければなりません。
もし、そうでなければ──。少しでもアルベリヒのもとに何らかの希望が残る感じであったなら、続く展開で彼が〈すべての愛を断念し〉、それと引き換えに世界の支配権を得よう──などというものすごい決意を、できるはずもありませんから。

ああ、つまり。ふられのあまりな苛酷さにヤケクソとなったアルベリヒが、ありえざることに、〈すべての愛を断念し〉……。
それを条件に、恐ろしい魔力を秘めたラインの黄金を奪い去り──これを守るのが乙女たちの使命だったのですが──、続く“すべて”の災厄と悲劇をスタートさせてしまうのです。

アーサー・ラッカムさん筆によるラインの乙女たち
アーサー・ラッカムさんによる『指環』の挿画、ラインの乙女たち

ここで、思うのですが。

いまの現代社会。非モテの男性たちが、インセルとかインピオとか呼ばれる存在に成りはて、そしてミソジニー女性嫌悪)や社会への憎しみをつのらせて、よからぬことらを何か大いにしでかしそう──、という懸念があるらしいです。
そしてワーグナーさんの創造したこのアルベリヒあたりが、そういう危険分子らの元祖、ということにでもなるのでしょうか?

かつ、ここが面白いと思うのですが。私たちのラインの乙女らは、そもそも《ラインの黄金》が悪用されたりする可能性があるとは、あまり考えていません。
なぜなら、〈すべての愛を断念〉などできる者が、いるわけはないと思うからです。それを確信しきっていたので彼女らは、黄金の秘めた魔力をアルベリヒへと、うっかり教えてしまいます。

だとすれば? とくに必要がないとも考えられるのに、《ラインの黄金》を彼女らは日々、守りつづけていたのでしょうか。
いや、そうではなく。せめて黄金の使いようのなさを人々に警告するため、その場に彼女らがいなければならかったのでしょうか。

さもなくば。《ビッチ》風でもありつつ、むじゃきでもあるような乙女らは、《愛》の尊さというものを、きわめて高く見つもっていますけれど……。
しかし彼女らに使命を与えたその父は、よりクールに、アルベリヒばりの人士らの登場を──常識や人倫らを踏みにじることでばく大な利潤を得ようとする《起業家》の台頭を──、多少くらいは見こしていたのでしょうか。

そして、その《ラインの黄金》とは、いったい《何》であるのでしょうか。
それは無条件に尊く、そして眺めるにはよいが、しかしその〈使用〉や〈消費〉は許されず災厄や罰らを招く──、そんな何ものかであるようですが。

ルドヴィッヒ・バーガーさん筆、黄金を奪うアルベリヒ
ルドヴィッヒ・バーガーさん筆、ラインの黄金を奪うアルベリヒ

まず、すなおな見方として。作者のワーグナーさんは、資本あるいは剰余価値という意味を、そこに込めていたと考えられます。

やがて故郷である地の底に還ったアルベリヒは、指環の魔力により、まず彼の属するニーベルンク族らを奴隷化し、そして強制労働へと駆り立てます。
そこでアルベリヒの弟のミーメは、そのせいで一族の、かつて愉しみでもあった自律的な《仕事》は、暴君の前に貴金属を積み上げるつらいだけの苦役に化した──と、訴えます。

……ですから、そういう見方でもいいでしょうけれど。しかしこの黄金のなぞめいた性格──マルクスさんの言った、価値だか貨幣だかの〈なぞ的性格〉に似てなくもおらず──が、私たちに、さまざまな想像を強いてくる感じです。

なのでその黄金を、〈ウラニウム原子力である〉と措定した楽劇の演出が、あったような話を聞きます。……なるほど。
ではもう少し、いまの視点で考えてみると。たとえばそれは、〈情報〉──IT的な何かの暴走でしょうか。さもなくば、〈生命〉そのもの──その断片である遺伝子か何か、または移植用とされる臓器ら、などでしょうか。

〈3人のラインの娘たち〉
ラインの黄金ラインの黄金!きよらかな黄金!
ああ。もう一度、けがれなき水底のおもちゃとして輝いて!
信頼と真心があるのは、ただこの水底ばかりで、
上のほうでは、虚偽と卑劣が我が世の栄華を誇っている!

ここで黄金を言い換えた、〈おもちゃ〉という訳語が目をひきます。これの原語は、“Tand”というドイツ語で、たぶん〈とるにたらぬもの〉というニュアンスがあるようです。
そのような、とるにたらない、ただキラキラと愛らしく光るだけのもの。ですけれど、いったんそれを……。

あ。ではここらから、委細を略して、その後の『指環』のお話の流れを追ってみますと。

アルベリヒが指環に加工した黄金は、最高神ヴォータンによって強奪され、続いて巨人族であり魔竜へと変化したファフナーへ渡り、そしてそれを退治した英雄ジークフリートへと、その持ち主を変えていきます。
アルベリヒが指環に込めた、自分以外の所有者に苦悩と死を与える呪いとともに、です。

──いや、そんな。最高神でさえ逃れえぬほどの強力な呪いをとっさにかけてくれるとは、実に陰キャの一念も大したもの!

そして、私たちのラインの乙女ら……。第二話『ワルキューレ』と第三話『ジークフリート』をスキップし、彼女らの久々の出番は、シリーズ最終話『神々のたそがれ』の第三幕です()。
たまたまの遭遇というわけでもない感じ、ジークフリートが狩りに興じているところを魔法的に川岸へと呼び寄せて、乙女らは彼に、指環というか黄金の返還を迫ります。

1928年のバイロイトにて、中央のルーデル教授は合唱指揮者です
1928年のバイロイトにて、中央でごきげん
なのは合唱指揮者のルーデル教授

そこでひじょうなる誠意をもって乙女らは、返還の理を説くのですが。しかし、そのことばが、ジークフリートには届きません。
何か娘らの言い方が気に喰わないようなことを言い、おろかにもジークくんは生存へのチャンスを自ら放棄し、乙女たちを呆れさせます。ですが、この不可解なかたくなさもまた、あるいは指環の呪いの一環なのかも知れません。

それから呪いのシステムに従って、ジークくんはあっさりと死し、そして黄金の指環は、その妻であったブリュンヒルデが継承します。
そして名高き彼女の〈自己犠牲〉によって、やっと呪いの循環は断ち切られたものかと、考えられます。
いや。あるいは呪いのさいごの犠牲者は、この最終話『神々のたそがれ』の黒幕である悪役、アルベリヒの子ハーゲンなのでしょうか。彼はブリュンヒルデの手から離れた指環を拾おうとして、ラインの流れに身を投じます。

そしてこのエンディングの大詰めで、ラインの乙女らのさいごの出番です。邪欲にかられたハーゲンを彼女らは溺死させ、そして黄金の指環の奪還に成功します。
まあ、このあたりのお芝居、じっさいの舞台できっちりと演じられることが多くはないようですが。ともあれハッピーエンドです! イェイッ

が、それにしても?

もしもラインの乙女らの側から、この一連のことたちを眺めてみると……。
この『指環』全編の中心みたいに考えられる、神々と人間たち──ブリュンヒルデやヴォータンらの苦悩。それがぜんぜん意味の分からないものであろうことに、ひどく驚かされるのです。

なぜならば。神と英雄と人間たちは、あれやこれやの〈所有〉ということをめぐって争い、そして苦しんでいます。
ですけどラインの乙女らは、何ひとつ所有することなく、ただ日々与えられる太陽と水の恵みを──そしてあるべきところにある黄金の、とるにたらない輝きを──愉しんでいるばかりです。この、どうしようもない違い!

初期の舞台装置、こうして乙女らが水中にあるかのように
初期の舞台装置、こうして乙女らが水中にある
かのように演出したもよう

ですから、逆に。ヴォータンの妻であり家庭と結婚の神であるフリッカが、みょうにラインの乙女らを憎んでいることにも、また理由があるでしょう。その彼女にしても強く〈所有〉に執着し、そして夫たちとともに滅んでいきます。

あわせて。ヴォータンの腹心であった火の神ローゲが、びみょうにはラインの乙女らに同情的だったことにも、また理由があるでしょう。
彼は本来は、神よりも精霊みたいなものなので、立場が少しはあの娘らに近いからです。それを神へと取り立ててくれたヴォータンへの義理は感じているものの、しかし一般の神々や人間らのような〈所有〉への執着心が、彼にはないようです。

にしても、こうしてお話をさいごまで追ってみると──途中の委細を略しすぎですが──。何も所有せずまた所有もされぬラインの乙女らを、〈わがものとしたい、誰かひとりでも!〉などと、愚劣な情欲に身をまかせたアルベリヒへの愚弄・嘲弄・そして拒絶は、とうぜんでしかないリアクションだったと考えられるでしょう。

〈キモーイ! キャハハー!〉

いや、かつまた。よくよく台本を眺めてみて、新たに感じたのですが。

ご紹介した『ラインの黄金』冒頭の、アルベリヒに対するラインの娘らの愚弄と嘲弄は、きわめて強烈です。ですけど、意外に底意地の悪さはなくて、ごあいさつがわりのジャブ連打、くらいな感じだったのかも知れません。
であるので、追って彼女らは、こんなことをも言ったりします。

〈3人のラインの娘たち〉
ヴァララー!ヴァラライアララー!
可愛らしい小びとさん!一緒に笑って騒がない?
黄金に照らされて、あなたも綺麗に輝いているわ!
おいでなさいよ、可愛い人!一緒に大笑いしましょうよ!

……と、皮肉が半分ではありましょうけれど、それにしても、害虫のような扱いしか受けていないのでは、ないようなのです。

«Who Is Who» bei Wagner – Rheintöchter - SRF.Ch
«Who Is Who» bei Wagner – Rheintöchter - SRF.Ch
ワーグナーヴェネツィアで自らの死を予感
したとき、最後にピアノで弾いたのがライン
の乙女らの楽曲だったと言われています〉

ところがこれを言われたとき、アルベリヒにはすでに、乙女らによる先制ジャブが効きすぎています。実にメンタルが、超よわよわです。
そして、その理性や分別を失ったパンチドランカー状態で、かってに思いつめて……〈すべての愛の断念〉! そして、黄金の強奪におよぶのです。

──こういうところが《ド陰キャの、きわめてダメなところだと、わがことのように私は思うんですよね! やっぱり怖いですね、インセルみたいな人は!
勝ちも負けもない無償の遊びを愉しむことができず、また、かけひきの愉しさも解さない朴念仁。それでいてスケベな欲望だけ性急にむき出し、しかも姿は醜さおかまいなし。これでモテますか?

ああ……。そういうことじゃないんですよね。
ただしこの件に限っては、何をどう努力しようと、アルベリヒの望むようなことにはならないでしょうけれど。

いや、そもそも。逆に陽キャでイケメンのきわみであるようなジークくんでさえ、この乙女らの心をつかむことはできなかったのです。
どうせ誰にも所有はされないにしろ、ましてへんな執着心のある者は、いっそう好かれない。陰とか陽とかだけの問題ではありません。

で、そうして、神らも英雄らも滅んだあと。とうとうと流れる大河だけが、私たち人間らとともに、悠久の歴史?……か何かを、刻みつづけるのでしょうか。
そしてその流れの中に、時おり私たちは、永遠に若く無垢であることを歓びつづけるあの乙女たちの姿を、幻視するのでしょうか。

──しかしまあ、そんな《予定調和》みたいなことは、ないんですけどね! いま、人の力によって念入りに護岸された荒川の流れを眺めながら、これも一種のしゃらくさいヴァルハラの築城かと私は思い、そしてその中に生きていることを思うのです。

赤い薔薇の花ことばは、「美」「情熱」そして「愛」…

【付記】 この記事に使用された『指環』シリーズ台本の和訳および音楽動画は、すべて《オペラ対訳プロジェクト》のご貢献によります()。多大なる尊敬と感謝です!
それとこの拙文の内容には、スラヴォイ・ジジェクさんの名著『オペラは二度死ぬ』(2003, 青土社)に影響されているところが、なくもないのは確かです。ですが、〈どこを、どう……〉ということが思い出せなくて、まずく引き写しているようなところがあったら、実にごめんなさい。

Savoy Brown: Ain't Done Yet (2020) - 少年老いやすく、ブルースは…

《Savoy Brown》──サヴォイ・ブラウンは、イギリス出身のブルースロック・バンドです()。1960年代なかばに始動、そして現在なお精力的に活動中です()。

あ、いや。すみませんけれど、このあたりから、おじさんの古ロックトークが始まってしまうんですが……。
しかし。私にしたところが、このバンドのことは、ほとんど忘れてたんですよね!

ところが、2019年。海外のレビューサイトで、もうサヴォイ・ブラウンの何十枚めになるのか不明なニューアルバム、“City Night”、それが話題になっていて。
〈おいおい、まだやってたのかよ……〉と思いながらも一聴したところ、初期の彼らとはぜんぜん違う、新しみと深みを感じたのでした。意外にも!

むかし、幼少時代にこういうのが好きでして。初期フリートウッド・マックあたりを頂点とする、60年代末の英ブルースロックのことですけれど。
そのころにサヴォイの初期盤らをも掘り出し、少し聞いていましたが。〈なんかカッコつけのふんいきが、濃いな……〉くらいの印象しか、持ちませんでした。

で、その私の感じたカッコつけの犯人が、サヴォイのリーダーであるキム・シモンズさんです。というか、最初期をのぞいてサヴォイ・ブラウンは、実質的にキムさんのソロ・プロジェクトだそうです。

しかしそのキムさんも、1947年生ということなので、いまは白髪のおじいさん。もはやカッコなどつけようがなくなったところで、スタイルにとらわれぬ《ブルース》の深みに、彼の手が届きはじめたのでしょうか。

そして『シティ・ナイツ』を追って2020年に出たのが、サヴォイのもっかの最新アルバム、“Ain't Done Yet”です。その冒頭のトラックが一時期のルー・リードさんみたいな粗暴なセンチメントをはらんだもので、〈あ、いや、これは〉、と私を焦らせました。

終わっていない、まだやりつくしてはいない……。その想いと生命の灯がつづく限り、私たちのキム・シモンズさんは、この暗く熱いブルースの──享楽と哀しみを、掘り下げつづけてくれるのかと信じます。

ところで? ここから余談になりますが。

いまにして思えば、〈ブルース〉にしても、かわいい白人の坊やたちの演奏するブルース・“ロック”なんてものを、むかしよくまあ聞いてたものだ……と、実にふしぎな気がするんですよね!
私なんかもいい年齢になって、やっとロバート・ジョンソンさん(以下、R・J)とかのすごみが、少し分かってきて()。すると往時のブルース・“ロック”なんてものは、ごっこ遊び〉の類だった、としか思えない感じです。

つまり、クリームさんによる“Crossroad”、またはローリング・ストーンズさんによる“Love in Vain”だとか……。いずれもR・Jの代表曲のカバーですけれど、そういったものたちが。

しかし。その〈ごっこ遊び〉である(であった)ところに、その薄っぺらさに──。逆に、それらのポピュラリティの可能性がある(あった)のでしょう。

だいたい《ブルース》というものは、ポップ音楽なのでしょうか。そうとも言いきれないところがありそう……と、思いますが。それをはっきりポップにしたのが、ブルース・“ロック”だったのでしょう。

ここでまた少し、お話が変わって……。まんがなんですが、平本アキラ先生による俺と悪魔のブルーズという、未完の長編作品があります(2004〜)。
これは、世に出る前の時期のR・Jを、多彩な空想を混じえつつ描こうとしているお話──であろうかと。

そして、その単行本らの解説の執筆者たちが、きわめて豪華なのです。永井“ホトケ”隆、鮎川誠、吾妻光良仲井戸麗市……という、ニホンのブルース・“ロック”系の大物であるような各氏らが、それぞれ熱筆をふるっています。とくに永井さんは、このまんが自体の監修をも兼任です。

で、その各氏らが解説の文中、R・Jに対し最大級の敬意を示そうとしているのは、とてもいいとしまして。
ただし、では、それならクリームさんやストーンズさんらは《何》であるのか?……というところに、ことばを濁し気味な感じを受けたんですよね。ひねくれ者の私としては。

生ギター1本だけをパートナーとして全米各地を地味に流し歩き、そして野たれ死に同然の奇妙な最期をとげたR・J──彼が示したものが《ブルース》の真髄だったならば、それをポップ化しビジネス化したブルース・“ロック”らは、何なのでしょう。戯画、と言いきっていいのでしょうか。

そうではなくて、何かの発展、なのでしょうか。それをはっきりと言いきれるのは、あのレッド・ツェッペリン“Lemon Song”(1970)くらいでしょうか。
これは、〈R・Jの楽曲ふたつを混ぜてみた!〉みたいなトラックですが、実に意図的な《アプロプリエーション》です。言うなれば、ポストモダン的です。ブルース・“ロック”ではありながら、その構えのレベルが、二段も三段も違います。

で、お話を戻しまして。

サヴォイ・ブラウンというバンドの全盛期は、遠く1968〜71年あたりと見込まれて。それから、すでに50年……! 地味に世界各地をずっと流し歩いてきた末に、いまキムさんの音楽に宿っている奇妙なすごみ、ということを私は感じたんですよね。

そしてさいご、少しは新しいことも書いておきますと。Bandcampから出ているブルースのオムニバス・アルバムの2019年版に、若手ブルース・ウーマンのサマンサ・フィッシュさんが、サヴォイとあわせて登場しているのが、興味深いところです()。この人、カッコいいですね。

ですが、だいたい実のところ私は現在、ブルースなんてそんなには聞きたくないんです(!)。テンションが下がるので。ここまで長々と、そういう話をしてきて何ですけれど。でも……。

ツイン・ピークスに捧げる Vaporwave 等 - 焦がれつづけよう、《世界一美しい死体》

《NO PROBLEMA TAPES》は、チリのヴェイパーウェイヴ関連のレーベルです。ラテンアメリカのヴェイパー系レーベルとしては、ここ数年もっともアクティブな部分だと見られるでしょう()。

そしてこのノー・プロブレマ・テープスを、昨2020年には、《ドリームパンク》のめざましい巨大な傑作オムニバスの出もととして、ご紹介しました()。あれ、よかったですね!

そして、こんどもオムニバスなのですが──。

〈ブラック・ロッジからのサウンドツイン・ピークスに捧げる〉──という、テーマ性は実に明快ですが、しかしタイトルが長く、記事的に収まりのよくないシリーズ。
これの第1弾が2019年に出ていて、その好評にこたえ、今2021年5月に第2弾がリリース。これら2作をまとめて、強く賞賛したいです。

たびたび私は述べている気がしますが、《デヴィッド・リンチ系》のサウンドが大好物ですからっ!(

……ですが、さて? このオムニバスのシリーズがまた、なかなか巨大なものでして……。
まずその第1弾は、全25曲・約104分を収録。さらに第2弾は、全42曲・約3時間という、とても聞きごたえがすばらしいものになっています!

かつその内容が、ヴェイパーウェイヴ一色というわけでもありません。たぶんヴェイパーは半分と少しくらいで、それ以外に、インダストリアル/サウンドコラージュ/IDM──である感じの楽曲らが、含有されています。

それで。前のこのレーベルの、ドリ・パン大会のときも思いましたが。ここまでも内容にバラエティのある巨大なものを、ひとことでこうだとは、とても言えません。
もちろん、あのリンチさん世界の、エロス・享楽・バイオレンス、そしてそれらの神秘……。その方面へ寄せていこうという意図は、そこに遍在していそうなのですが。

では。まず、私たちの心の一部が永遠に、あのツイン・ピークスにとどまりつづけていることを確認しつつ……。
そして、とくに〈これは!〉と、私の印象に残った楽曲らをご紹介します。

まず第1集からは、21曲めの、“River of Crows”。全体がふわふわとした快いトーンで、さいしょ沈うつ気味なメロディに始まり、しかしそこから〈憧れ〉の上行音形に発展します。ストレートにすばらしい音楽です!

だが、この楽曲は、もともとのサントラにあったものなのだろうか──? そうも考えて私は、『〜最期の7日間』(1992)までのオリジナルらを調べてみました。しかし、分かりませんでした! いかがでしたか

あ、さて。このトラックを演奏している《Hollowlove》は、カナダのエレクトロポップのバンドです()。強く興味を持ちましたが、しかし現在まで、この曲が最新作となっているもよう。彼らの再起が、切に望まれます!

そして第2集からは、その28曲め、“oblɒW Ꮈo ʜƚɒɘᗡ ɘʜT”。演奏するのは、もはやヴェイパー界のちょっとした顔である《My Sister's Fugazi Shirt》さんです()。
前にもちらり、このフガジ・シャツさんを、ご紹介しましたよね()。

これは超おなじみのテーマ曲のカバーですが、しかしイントロからして恐ろしく気の抜けたサウンドで、逆にびっくりさせられます。センセーショナル!
しかも何なのでしょう、カートゥーン的なサウンドや、アニメ声の〈あら〜っ?〉というニホン語めいたサンプルまで入って、脱力は深まるばかり……。

で、ほんとうにバカみたいですが、でもそれがいいんですよね。こういうウィットある音楽(?)を、常に支持します、ヴェイパー的な立場から。

なお、タイトル中の《ウォルド》は、劇中に登場する九官鳥くんの名前です(シーズン1・第6話)。かわいそうに悪ものに撃たれて死んでしまう、その彼の生前の〈キィーッ、キィーッ〉という鳴き声もまた、このトラックに挿入されている感じ。

鳥のまさに死なんとする、その鳴くや、哀し。

という、古代中国のことわざもあるようです。まあそれはともかく。

それともうひとつ私から、〈いいかげんにしま賞〉を、授けたいトラックがあります。
それは第2集の21曲め、「ピーク間」。演奏するのは、近ごろ私の中で注目株となっているヴェイパーの人、《絡み合った運命》さんです()。

……ですがこの、6分50秒のトラック、「ピーク間」。タイトル以外は、あまりテーマに関係がない感じなんですよね!
何か分かりませんが、古いJポップの楽曲をまる使いした、《スラッシュウェイヴ》です()。というか、歌詞をたよりにいま調べたら、その素材を知ることはできましたが……()。

で、これが、原曲の失恋ソング──その哀切さを《ヴェイパー加工》によって、さらに増幅しているトラックです。心にひびくものは、そうとうに深くあるのですけれど。

だからといって、ツイン・ピークスと関係ねーじゃねーかよえーっ、という気はするんですよね!
苦しまぎれに言えば、1993年という原曲の出たタイミングが、まあ時代的にシンクロしているのでしょうか。

と、何かふに落ちないところもありますが、しかしエモーショナルに押しきられてしまったので、私の負けです。ふにふに
まじめに言ったらその次の22曲め、「黒と白のロッジ迷路」、明晰夢のキャッチャー》さんによるドローン風アンビエント・ヴェイパー──何らかの原曲を超きょくたんに引き延ばした7分間──なんかもいいのですけど()。

そういうことですから、私たちはきょうもまた眠りの中で……。美しいローラと再会し、そしてブラック・ロッジか《赤いカーテンの部屋》を再訪したらよいでしょう。
そしてこのオムニバス2作、インダスめいた部位以外は、そっくり愉しめますので。リンチ界をしたうあなたは、ぜひご一聴を、と!

[шrαρ-υρ in ԑngłiꙅℏ]
NO PROBLEMA TAPES, a Chilean label related to Vaporwave. And introducing the collections of tracks dedicated to Twin Peaks released by them.
Following the first collection in 2019, the second was released in this 2021. Together, it's a fairly large collection of works.
First of all, the first collection contains a total of 25 songs and about 104 minutes. Furthermore, the second is a very volumey one with 42 songs in total and about 3 hours!

And the contents are not limited to Vaporwave. Include Industrial, Sound Collage, and tracks like IDM, et al.
And it can be said that it is a selection that can be enjoyed a lot except for Industrial.

Among them, I would like to mention some of the tracks that moved me.

First, from the first collection, "River of Crows".
The song, in which starting with the melancholic melody and then goes up to the height of longing and craving, is really wonderful. In addition, the overall sound quality, which is extremely soft, further enhances the mood.
The creator of this track, Hollowlove, is a Canadian Electro-Pop band. I was very interested in it, but to date, this song seems to be their latest work.

Then from the second collection, "oblɒW Ꮈo ʜƚɒɘᗡɘʜT". The performer is My Sister's Fugazi Shirt, who is already a hot person in the Vapor world.

And this is a cover of the famous Twin Peaks theme, but the sound is horribly weak from the intro. So, on the contrary, it is surprising, sensational!
Moreover, it includes cartoon-like sounds and a sample of the anime voice "Ah?". Weakness just deepens ...
So, it looks foolish, ridiculous, but it's good. I always support this kind of wit music, from a Vaporist standpoint.

Finally, from the second, 「ピーク間」 (Between Peaks). The performer is 絡み合った運命 (Intertwined Fate), a Vapor person who has become a hot stock in me these days.
And this 6 minutes 50 seconds song 「ピーク間」, other than the title, it doesn't seem to have much to do with Twin Peaks! It’s a Slushwave track made entirely from an old J-pop song.
However, I was so impressed by the sadness of the tone. So there is no choice but to surrender! Yeah.

《ネットリンチ》とは何?── というか、〈バズり〉は等価です。

東京オリンピック2020公式サイトへ
こいつらのお名前は知りません

逆張り芸人〉と呼ばれる方々が、インターネットの言論空間めいたところには、大いに栄えているらしい──。というお話も、例により、知と真実しかない空間と呼ばれる《タフスレ》で知ったことなのです()。

そして。そういうことばを憶えてから、〈自分にもできないかなあ?〉……と、心のすみで、ずっと考えつづけているんですよね!
何しろ私は少年のころから、ひねくれ者であまのじゃく、ようは変わり者だとの、定評を誇っている人物です。その《個性》を大いに活用し、ちょっとは名を挙げたい──みたいなことは、少し考えないでもありません。

ところが意外に、これだと思える逆張り案件〉が、見つかってこないんですよね!

むしろヴェイパーウェイヴその他、まったくもって珍奇さとアンダーグラウンドさがきわまった音楽(もどき)などをご紹介しつづけていることが、すでに〈逆張り〉のきわまりッ!?
……そこに、“すべて”がつきている……のような気さえも、してきます。

ともあれそんな、〈逆張り芸人〉のスピリットからすれば──。
先日ご紹介した、ニッポンを代表するJポップの音楽業者《O山田・K-Go》さんのことにしても()、以下の感じに言うべきだったのでしょうか。

この人物を、東京五輪2020の音楽担当から、降ろしてはならない!
いじめ大国/人権意識が中世レベルのニッポン国──その揚々たる国威を、全世界に知らしめるために!
そしてこの、恥辱にまみれた汚いオリンピックのシンボルとでもせよ!!

……まったくいやはや、耐えられんねェ、です。意外に私は、〈逆張り芸人〉の素質に欠けているのかも知れません。
ちなみに、試行された〈逆張り〉の内容は……。2006年サッカーW杯ドイツ大会におけるジネディーヌ・ジダン氏の劣悪な愚行を、ちょっと擁護してないでもない感じのボードリヤールさんのテクストを、やや参考にしました()。うまくないにしても。

ところで、《O山田・K-Go》さんのことに戻ると──いや、何度も戻りたくなるような面白いお話では、まったくないんですが──。
彼がどうであれ、事情がどうあれ、〈ネットリンチはよくないゾ〉、などと、述べている方もいるようです()。この方もまた、そうした〈逆張り芸人〉たちの、はえある一員なのでしょうか?

しかし、私は。その高みからの目線で《現象》らをくくったネットリンチなる用語の使用に、きわめて大きな違和感を覚えたのです。
かつまた。ことによったら、私の書いた記事なども、その〈ネットリンチ〉の一環であるくらいに、少し言われた気もしないではなくて。

いや、そもそもの話、ネットリンチ〉とは何なのでしょう? ちゃんとした定義ができている、その上でのご発言なのでしょうか?

そうして私は、〈下から〉でしか──、具体性ある個物たちからでしか、ものを見られず、考えられない人間です。
そういえば関連する記事で、某三流大の社会学科にいたことがあるなどと、つまらぬ自供をしましたが。しかも《社会学》とは何なのか、ほとんど分からぬまま卒業してしまったことをも、ついでに白状します。

大学なんかに入ろうとしていたころの自分は、《社会》というものが実在し、かつそれを操作できる可能性がある……といった厨二くさい想念にとらわれていたのでしょう。きっと。

追ってそれから、《精神分析》──私が興味を感じつづけています。これは心理学の一種ではぜんぜんないし、まして哲学でもないです。人間操作のマニュアルでもなく、抽象的で高尚なトークでもありません。
まず、目の前のクライアントたち──ジャック・ラカンさんに由来する学派では、その方たちを《分析主体》と呼びます──その個々が苦しんでいることに対し、何ができるか、何をなすべきか? 分析はそこに始まり、そこに終わるもののようです。
ですがそのさい、やみくもの場当たりだけで対応するのも不誠実。ゆえに、《理論》みたいなものが練られないことはありません。

そうして、話を戻しますと、〈ネットリンチ〉とは何なのでしょうか? 〈上から目線〉の抽象的なおしゃべりをにがてとする私は、まず個々人らの行動に着目することからしか、話を始められません。

……まず、前提として。基本的人権とやらを認められている国家の成員らには、〈思想・言論・表現の自由〉のような権利が、あると考えられます。
そして私たちが、ネットの掲示板やSNSなどに何やらを書き込むことも、そういう権利の行使だと言えそうです。

ですが、そのいっぽう。以下はニッポン国の話ですが、言論について、完全に無制限の権利や自由があるのではありません。
法律上の罪として罰せられる可能性がある──、そういう種類の発言があるということを、私たちは憶えておかなければなりません。
そこらの詳しい説明は、法の専門家たちにゆずりますが。ひとまず、発言に対して与えられうる刑事罰として、名誉毀損罪/侮辱罪/信用毀損罪〉が、あるとされます()。

であるので、そうした罪をなす発言たちを、なさないべき。そのいっぽうで、それをなす個々人らが、取り締まられたらよいわけです。
どうであれ個々人の発言は、個々人らによる個々の発言です。その中に非合法や不適切なものがないかどうかは、個々についてしか判断できません。そして個々人に、その責任を求めたらよいでしょう。

実に明快と、いちおう思えます。〈ネットリンチ〉なる抽象的であいまいさをきわめた聞いたふうで粗雑な用語、その登場する必要性が、どこにあるのでしょう?

であるので、問題は何もない──とまで考えているのでは、ないのですが!

たとえばの話。〈死ね!〉との発言があったなら、それは侮辱罪を構成するらしいですが。しかしそれを婉曲化し、〈あなたのような人が生きていることに、やや疑問が感じられなくはありません〉とでも、言ったなら?
しかもそうした陰険なメッセージが、ほぼ毎日のように送りつけられるとしたら?

じっさい世の中にはそういういうこともあり、そういう人もいて、そのことをネットは過剰に可視化する──。そういうものだと、考えるしかないでしょう。避けるとすれば、まず身を慎み、そして発言を慎むべきでしょう。避けようとするならば!
いっぽうメカニカルな対処として、SNSならコメントやリプライを不可能とする、それも一策です。とはいえ、5ちゃんねるや〈ヤフコメ〉あたりでの〈炎上〉は、阻止できません。ですが、ダイレクトでなければ、やや心理的にましかも?

……ここで、どういうわけか、梶原一騎先生の名作たちが思い出されます。
あまり意識されていないようですが一騎先生は、メディアが代弁する私たち大衆──あるいは“やじうま”──、その視線のきびしさと冷たさを、繰り返しその名作たちに、描き込んでいます。

すなわち。飛雄馬くんやジョーくんたちが、多大な努力のかいあって競技での勝利を重ね、スターダムに乗る。するとスポーツ紙らのメディアは、実にいい調子で彼らを賞賛します。
ですけど彼らに、つまづきが生じたら、とうぜん手のひらをくるりです!

そして昨日のヒーローたちが、いま〈結果を出す〉ということができていない理由は、無数に考えられます。慢心、怠惰、そもそもの才能のなさ、人格のいたらなさ!
それらをメディアは豊かに想像し、そして面白おかしく書きたてます。いっぽう、不振のかげで私たちのヒーローたちが、どういう大きな努力や苦悩をしていたとしても、それが何なのでしょう?

ですが、そういうものであるしか、ありません。
そうして飛雄馬くんにしろジョーくんにしろ、物語の終盤では、一種のニヒリズムめいた心境にいたっている──その描写の重さ。

しかし現在のスポーツ紙的なメディアは、また違います。〈ネットではもっぱら、かくかくの悪評が……〉と、責任の生じない形式でどういう苦労もなしに、墜ちた英雄らをディスって私たちを悦ばすことが、大いに可能です。
まさに、〈ネットは万能〉の時代が到来してしまったのでしょう。

というか、テクノロジーが変わっても《人間》なるものは、古典文学の時代から、まったく変わっておりません。私たち現代の大衆は、ギリシア悲劇らに登場する、おセンチで無責任な《コロス》です。

……インターネットの登場と普及は、人が一夜にしてスターになれる可能性を、まあ、拓きました。
たとえば。名もなき少女らしかった人が、SoundCloudに自作曲をポストしたことから、すみやかに彼女は《ビリー・アイリッシュになった──、のように。まあこのサクセス・ストーリーも、思っていたほどシンプルではないのかもですが。

そして、2021年6月。そのビリーさんが中学生のじぶんに撮影されたらしい〈アジア人差別動画〉なるものが世に出て、彼女のSNSが一時、〈炎上〉しました()。
さいわい対処がまずくなかったようで、現在は鎮火しているかと思いますけれど……。

このように。世に出ることも、そして名誉を失うことも、同じシステムの産物なのです。プラスであろうとマイナスであろうと、〈バズり〉は等価です

そのことを、前提として。《心理学》でも研究すれば、私たち大衆を巧みに操作し、せめてマイナスのバズりのきわまりを避けることが、可能となるやも知れません。
いや。はっきり言うなら、《心理学》は蔑視していますが。しかし最低限のそれさえ知らないことが〈炎上〉を招き、さらにはそれを大火災としているのでしょう。

そうして私はきょうもまた、何かぐっとくるような〈逆張り案件〉を、まあ、心のすみにおいて探しつづけるのですが……。

shampoo: Live at PURE LIVE II (2021) - We are Shampoo! …とは少し違い

《PURE LIVE II》──この2021年7月、日本時間の18&19日に開催された、ドリームパンク系のオンライン・フェスティバルです。
それについて、私からもいろいろ、お知らせしたりお伝えしたりをしてきましたが──()。

で、いまは音楽面のお話です。
フェスの第2夜で、もっとも私に強い印象を与えてくれたのが、《shampoo》によるパフォーマンスでした。このシャンプーさんについて、少し。

そもそも私はシャンプーさんを、まったく知らなかったんですよね!
というかこのバンド名は、いいのでしょうか? ……“Trouble”のたねに、これがならなければいいのですが()。

ですけれど、このフェスでの、約34分間のライブに圧倒されて……! 思わず、すっかり〈We are Shampoo〉という気に!
それでいま、あらためてそのライブを聞きなおしながら、少し分析的なことなどを述べたいのです。

µ-Ziq: Phi​*​1700​[​u​/​v] (1994) - Bandcamp
µ-Ziq: Phi​*​1700​[​u​/​v] (1994) - Bandcamp
ヴィニール盤に比しこのデジタルは音が
きれいすぎることに違和感もあります

シャンプーさんの音楽のスタイルは、ドラムンベースをドリームパンク的に崩したもの、とも言えそうです。むかしに言われた《アンビエント・ジャングル》に、少しくらいは近いところがある。
また、私の知る中で、これにいちばん近いと思える音楽は、 《µ-Ziq》さんの大ヒット1994年のシングル曲、“Phi​*​1700​[​u​/​v]”です。ただしコンストラクションのところが似ているのみで、ムードはまったく違います。

シャンプーさんのサウンドに戻ると、まずそこには、あまりドラムンに詳しくない私が、〈これはドラムン系なのかな?〉と、思うようなビートがあります。そのトーンは、きわめてラフで凶暴猛悪です。
そしてたまに鳴るベース音の入り方は、きっぱりとドラムン風。テンポはそれほど速くなく、130 BPMくらいでしょう。
ですがダウンビートのあり方や拍節感が明快でなく、それがこんとんとした感じを招致する。そしてその上に、きれいな上ものが浮遊的に、そこはかと乗っています。

そして。そのこんとんのサウンドを、むりにでも分析すれば、〈内部的には3〜4の層が常にあり、そしてそのそれぞれが、ほとんど無関係に進行している感じ〉、くらいに言えるでしょうか。

ただし各パートらの間に、関係がぜんぜんないのではありません。その《関係》の構築を、私たちが求められる。《音楽》として、それを受けとめようとするでしょう。
しかしその作業は、必ず、遅れます。楽曲の進行に追いつきません。

それで私たちの脳裡には、フラグメントの音楽めいた印象のかけらたちが、残るでしょうか。

ですけれどショーの終盤には、それらの多の層らの《統合》が、かいま見られるような展開が現れます。ここでムードが頂点に達します。
どういうムードかを言うならば、荒涼のディストピアに……まれには一輪の花が開くとか、何か崇高なものがわき上がるとか……そういう? 俗なイメージしか浮かんでこないことに、私のいらだちが現在、高まっています!

そうしてシャンプーさんのショーに圧倒されてしまったので翌日、彼について調べてみました。
……〈学歴は? 家族は? 年収は?〉 いや、そんなことは別に知りたくないですけれど!

調べたところシャンプーさんは、英リーズで活動する、新進のドリームパンク系アーティストでありそうです。アルバムと呼べるようなリリースは、いまだ出ていません()。

ですが、PURE LIVEフェスを主催する《PURE LIFE》レーベルのオムニバスなどに、少し彼のプレゼンスがあります。
それらの中でも注目されるのが、“The MAGI System”(2021)に収録された一曲、「緊張関係」です。
これは、このたびの《PURE LIVE II》のショーの内容に近いトラックです。とてもいい!

ただしスタジオバージョンの「緊張関係」は、ライブに比したらずいぶんきれいなまとまった音で、鳴っています。気持ちのよすぎるサウンドで、あのへんな意味の分からなさ──しかしそこに強くひかれる──は、ありません。
で、さて、いずれシャンプーさんのまとまったアルバムが、出てくれることを信じて待望しますが。その内容は、この「緊張関係」のようなトーンになるのか、それともライブで聞かせてくれた荒々しさで、押してくるのでしょうか? とても楽しみです!

[шrαρ-υρ in ԑngłiꙅℏ]
shampoo is an up-and-coming Dreampunk artist and is reportedly based in Leeds, England.
In fact, I didn't know him at all until recently. After all, this shampoo seems to be a newcomer who hasn't released a certain album yet.

However, I was fascinated by listening to his live show at the PURE LIVE II Festival in July 2021.
The music that shampoo played there seems to be a Dreampunk twist of Drum'n'bass. Lyrical and beautiful melodies are played on an extremely rough beats. However, the whole sound is chaotic and the relevance of each part is not clear.
And that chaos impresses us as fragments of Music.

But towards the end of the show, a sequence of chaos and division appeared as if it were heading for integration. Here, there was the highest rise in the mood of the show: lyricism in the desolation, and a desire for sublime!

shampoo is undeniably a brilliant talent. He may give dignity to the emerging genre of Dreampunk, alongside DROIDROY and others. Notable!