エッコ チェンバー 地下

─ €cco ₵hamber ฿asement, Vaporwave / Đésir đupłication répétition ─

ポスト・インターネット時代の《好き》をさがして──(2)情勢論2023

Sun Ra Arkestra: Nothing is... Completed & Revisited (1970/2010) - Bandcamp
Sun Ra Arkestra: Nothing is... Completed & Revisited (1970/2010) - Bandcamp
〈その時代〉的ジャズを並べてみましょう

植草甚一さん(1908〜79)──この著述家は、〈音楽レビュワー〉みたいな方々の中で、私がもっとも尊敬する人のひとりです。

いや、ああ、その……。何かとすいきょうなことをやりがちな私は、雑誌『美術手帖』──通称・ビテチョー──の1960〜70年代のバックナンバーを、古書店らで買いもとめることが、過去の一時期の趣味で。
そしてそこによく植草さんが、その時代のジャズやロックについて、ご執筆されていたのですが……。

それで。たぶん1970年代初頭の、〈ジャズLPのアルバムアート特集〉みたいな記事に、こういうことを書かれていたんですよね。

おそらくは1960年代・前半くらいのことが、回想されます。
……音楽のよさもさることながら、おジャズの輸入LPのジャケットがまたカッコよくて植草さんは、しびれまくっておられました。

そこで、そういうものを……。確か銀座の《日本楽器》──通称・ニチガク──でなければ《山野楽器》のレコード・コーナー等で、買いもとめるのですが。
しかし当時のプライスで、1枚が3千円近くの高価さを誇ったお買い物。大卒サラリーマンの初任給が、3万円以下だった時代です。そのころの植草さんのご収入でも、1ヶ月に1枚の購入がやっとのことだったとか。

それで買い物からご帰宅されて、その貴重なお皿を廻し、クールなジャケットを眺め、そして最先端のジャズのサウンドを浴びながらも。
しかしわれらの兄である植草さんは、音楽の歓びのいっぽうで、〈ああ、こういうのがもっと欲しい……早く次のレコードを購入したい〉……との想いが、その脳裡をよぎりまくるのでした。

いかが思われますか?

すみません。むかしの蔵書らがほとんど散逸してしまったからって、うろ憶えでエピソードご紹介するのも、実によくないですけれど。

ですが、それにしても。
1ヶ月に1枚のアルバムしかライブラリーに追加されないのだとすれば、それを3年間くらい熱心に続けたとしても、ぜんぜん〈ジャズ通〉になれないような気がするんですよね!

では、どうしましょう? おそらく当時は〈ジャズ喫茶〉というところに通って、どうにかしたのかな……とも思いますが。
あるいは、週にいちどくらいラジオ放送されるジャズ番組をチェックするとか、さもなくば友人同士でLPらを貸し借りするとか……。
そういう多くの手段をもって、より多くの音楽を体験していたのでしょうか?

が、ともあれ。
ここで私が申したいのは、20世紀の熱心な音楽ファンたちは、だいたいそういうご苦労をしていたということです。私ごときにでさえ、多少はそういうのがあります。

それがまあ。いつも言いますけれど、21世紀の〈いま〉はどうでしょう?

〈人が聞くような音楽〉の“すべて”が現在は、SpotifyAppleなどのサブスク・サービスにアーカイブされている、くらいに言ってよい感じです。
が、それらは基本が有料らしいとしても。しかしだいたい同じものがYouTubeにもあるので、広告などをガマンすれば無料視聴が可能です。

まあ、要するに。ネット回線と端末さえあれば、古今東西の〈人が聞くような音楽〉の“すべて”を、聞くには聞くことができそうな、そんな現在があります。

で、それを私は、悪いことだとは思わないんですよね。

われらの植草さんが例としてあるような、むかし的な音楽体験の尊さや深みは、ことさらに申しあげるまでもないでしょう。
そしてそれを知っておくのはいいことです、がしかし。

だからといって〈いま〉の方々が、似たようなことをすべきとも思いません。

かつまた、興味深いのは……。
そうしたネットのプラットフォームらの、利用可能なアーカイブだかライブラリーだかにおいては、モンク/ロリンズ/マイルス/ドルフィー/オーネット……といった神話的存在めいたあれらと、近時のチンピラ駆け出しミュージシャンさんらによるこしらえものたちが、さしたる区別もなく並列に棚ざらしされている──その傾向がある。

と、それにしたって、悪いだけのことではないようにも思えます。ただし、〈そういうことがある〉と意識した上で。

──20世紀の熱心な音楽ファンたちが、それぞれにご苦労なさりながら夢にみたような、全世界の無数の名曲やメイ曲たちを、ごくイージーに──。端末らを数回クリックするだけで、即・聞くことができる環境。
これは否定できないというか、否定しては愚かでしょう。

さらに、まあ……。“こっちのこと”を、少し申しあげますと。

かつて音楽をパッケージングしていたところの〈フィジカル〉から解放されたことを、私はけっこう悦んでいるふしがあります。
それにより、毎週ヴィニールを仕入れにシブヤへ行く手間がなくなり。かつ、それらを収納するスペースの創出に苦しむこともなくなったですから。

そしていちじは毎月3万円くらいをレコード購入に使っていましたが──しかも1枚100円の中古盤とかが多かったので場所とりがすごい!──しかし、いまは、それもまた。

ただしです。〈いま〉の音楽ファンである方々が、ヴィニール/CD/カセットなどのフィジカルをもとめようとすることを、ネガティブには考えません。
人生の一時期、そういうことを追求してみるのもいいことでしょう。
そして、〈電子のファイルもむなしくはかないが、しかしフィジカルもまた〉……ということを知るでしょう。

で、問題は、それほどのすばらしい利便性を前提として、各自が《何》をするか──ではないでしょうか?

ですが、あれ……っ?
いったい《何》をしたら、私たちはよいのでしょうか?

──ああ、いや別に、珍しい曲やむずかしげな音楽らを多量に聞いたところで、かつ、それらを〈分かった〉ような気にもなったところで──。
何ひとつ偉くなんかないですね、ちょっと考えてみたら! しまった!

Miles Davis Quintet: Cookin' with (1956) - Bandcamp
Miles Davis Quintet: Cookin' with (1956) - Bandcamp
マイファニーバレンタインの絶名演!

けれども──。音楽ファンのうちわの話としては、もしエリントンをすばらしいと感じたら、次には《ビ・バップ》とかを聞きたくなるでしょう。
それはそういうもので、探求の“沼”は、はてしなく深く広いですが……。

そして、そこに〈探求〉などというカッコいい語を言って許されるなら。その探求の深く広いものが、うちわにおいては多少ほど、尊敬されるのでしょうが……。

ですが。そもそもの話、〈音楽ごとき〉を、聞かなくとも分からなくても、人は偉人になることができる──とは、すでに私が立証しているところです()。

📻 📢 🙉

ですが。ここで私は、ふつう語られないことを述べます。

聞こうと音楽を《意識》してはおらずとも、しかしあれこれの音楽めいたサウンドたちを、私たちはいやでも強制で、耳に流しこまれ続けているのです。
それはもちろん《ミューザック》のはんらんを、まず言っており。そして、何かしらの動画や放送たちのBGMやらイメージ音楽などエトセトラ、等々々。

あまり音楽に趣味のない人間であったとしても、しかしある種類の音楽らに反応し、なかば《無意識》に情緒的な〈操作〉を受ける──と、いうことはあるようです。
この性質を利用して、〈操作〉のために音楽が、さまざまな局面で利用されているのです。

野ばなしにして、これはよいことでしょうか?

そういえば。いまは違っているかも知れませんが、上野の東京都美術館──通称・トビ──のカフェ・レストランはBGMなどが流れておらず、その静けさを、私は好きだったんですよね。
騒音もなければむだな音楽もない、静寂……。それが希少であって、提示の仕方によれば値段がつくという状況は、いまどきに始まったことではないですが。

それで、私の考えによりますれば──。

そのような、〈“操作”のための音楽〉というものがたれ流されている状況に、無意識で屈従せず、多少でも抵抗していくには、そういう音楽めいたサウンドらに対して(も、)意識的であらねばなりません。

つまりは別に、何かハイクラス/ハイセンスめかされた音楽らについて、知識や認識らを深めよう──などというご相談ではないのです。
このような言い方が好まれるかどうか分かりませんが、これもまた、ひとつのイデオロギー闘争》です。
そもそもの話、ショッピングセンターの店内放送のミューザックみたいなもの自体が、“あちら側”からのイデオロギー的な働きかけに他ならないのです。

であるので、ミューザックはおろか。
イクラスくさいものであろうが通俗ポップであろうが、音楽の背後の《イデオロギー》を私たちは透視しようと、少なくとも心の一端で、かからなければなりません。

かつまた。プラットフォームであるSpotifyやらYouTubeやらが、ひそやかあるいは露骨なやり方で、あなた方に押しつけようとしている“もの”があります。何でしょうか?

であるので、まずは、〈スーパーマーケットのBGMを、意識的に聞く〉──。すなわちわれらのヴェイパーウェイヴこそが、いま現在のもっとも倫理的な音楽ムーブメントであるのです。

〈スーパーのBGMを耳に流しこまれること〉──その大いなる、この上なき悦びを、無意識から意識へと、移さなければなりません。〈意識されないものは、“反復”される〉という、フロイトさんの正しきテーゼに学びながら。


You and Music and… MUZAK!!

[sum-up in ԑngłiꙅh]
You don't have to like music or not, and you don't have to listen to it or not.
However, we must be conscious of the fact that there is music-like sounds that we are forced to hear even if we do not want to.

That is, of course, what "Muzak" is all about. And then there are background music, film (video) scores, image music, etc., etc., etc.

Even people who are not interested in music can be emotionally "manipulated" in response to a certain type of music, somewhat "unconsciously" it seems.
This is the reason why music is used in various aspects to "manipulate" people.

Is it a good thing to let it go unchecked?

And if we want to resist this situation, even a little, we must be conscious of this kind of music.

I don't know if you like these saying, but this is also an "ideological struggle".
To begin with, something like Muzak of a shopping center's in-store broadcast is itself an ideological effort from "the other side".

Therefore, we must consciously hear the BGM in the supermarket. In other words, our Vaporwave is the most ethical music movement of our time.
The great and incomparable enjoyment of "being fed BGM of the supermarket to our ears", we have to move it from the unconscious to the conscious. While we learn from Freud's correct thesis, "what is not conscious will be repeated".