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Diana Hollidays: Luxury Shopping (2021) - 《ミューザック》レポート! 2021

Diana Hollidays: Luxury Shopping (2021) - YouTube
Diana Hollidays: Luxury Shopping (2021) - YouTube
これもそうですが、ミューザック作品らの
すてきなカバー写真はストック画像です

これからご紹介いたします音楽は、一種の《ラウンジ》かと、私は思います。
ですけどそこに、あまり多くのラウンジーさを期待することは、おすすめしません。

……いつから……ということをはっきり言えないのですが、あるいは3〜4年ほど前から、ストリーミング媒体向けの、安っぽさをきわめた《Muzak, ミューザック》が、音楽マーケットにはんらんしています。

とくに話題になったものはないようですが、しかしとにかく、〈量がすごい!〉という感触で、私に強い印象を与えています。
かつまたこれだけの量がマーケットに流通し続けている以上は、それがビジネスとしてどうやら成り立っている、とも考えられます。

さて《ミューザック》というものはもともとそうですが、作品性や作家性が薄く、強い主張がなくて、深い傾聴などを求めていない。ただ、なんとなく人がいい気分になるようなサウンドを、安易にでっち上げているだけ()。──まずはそれらを、前提としまして。

それにあわせて、ただいま私が感じている21世紀的な《ミューザック》の目だった特徴は、まず用途のきょくたんな細分化です。
だいたいそれらは、〈***のための音楽〉というタイトルを、あからさまに──または潜在的に──、持っているものです。
そしてその〈***〉の部分には、人の生活シーンのほとんどの、“すべて”が入ります。

すなわち、〈朝食のための音楽〉に始まって、ランチとディナー。そして喫茶と飲酒、あるいはバーベキュー。
そして、労働、学習、フィットネス(ワークアウト)、性行為。そして、マッサージ、入浴、瞑想、リラクゼーション。しめくくりには、就寝と起床。

つまりは人間らのなすような行為、そのほぼ“すべて”について、適切(?)めいたBGMがふんだんに供給されている──、という現在があるわけです。とはいえ、〈トイレのための音楽〉というものだけは、めったに見かけませんが!

かつ、それとやや別のタイプのものは、薄っぺらに人々から好まれそうなジャンル名らを表題にかかげています。そうして利用されるジャンル名らの代表は、なんといっても《ジャズ》《ボサノバ》、ついでにチルアウトやアンビエントです。
そしてそうしたジャンル名らが適当に修飾されて、〈あなたの静穏なアフタヌーンのためのボサノバ集〉、〈ロマンチックな冬の夜のジャズ〉、〈爽やかな朝の瞑想のためのアンビエント〉、のようなアルバムタイトルらができ上がっています。

ただしそれぞれについて、各ジャンルのコアなものなどを期待してはいけません。あくまでも、そのふんいきをなぞっただけのイージーリスニングです。しかも、作りが、きわめて、お安い。

かつまた、あまりにも無記名性がはなはだしいような芸名のもとに発表されていることが、現在の21世紀的なミューザックの特徴です。
すなわち、〈カフェ・ジャズ・アンサンブル〉だとか〈エロチック・BGM・エキスパーツ〉だとか、形容詞やキーワードらのられつにすぎないようなバンド名らが、使われては棄てられ続けているようです。
そしてとうぜんのことながら、曲名らも同様にいい加減。さらには、どうせ聞いて憶えるほどの楽曲ではないので、同じトラックが作者名とタイトルを変えて別に配給されている、ということさえもありそう。

Smooth Jazz 24H: Smooth Jazz Spa Lounge (2021) - YouTube
Smooth Jazz 24H: Smooth Jazz Spa Lounge (2021) - YouTube
カバー写真はどぎついが内容は、
たんなるお安いスムースジャズです!

そんなものらがあるにしたって、とくに〈多い〉と言うほどなの? と、お疑いの方々は、ご利用のストリーミングサービス──SpotifyApple Music、YouTubeAmazonなど──で、軽くお調べになってみてはいかがでしょう。
〈かなりある〉、ということまでは、容易に確認できるはずです。
ただしこのてのミューザックの、生産と消費の数量的データの推移のようなことまでは、私には分かりません。いやもう、ばかばかしくて、調べようという気にもならない(!)。

そして。このての《音楽》めいたサウンドが、そのはんらんが、どれだけ私をいらだたせているか。その気持ちは、オーディナリーでオーソドックスな音楽ファンの方々には、とうていご理解いただけないだろうと思います。ここからしばし、《お気持ちの表明》です。

……近代から20世紀末までの《音楽》というものは、〈個人の個性の表現〉みたいなものと受けとめられながら、大きなマーケットを獲得してきました。
はっきり言うなら、それは英雄崇拝の時代でした。そしてその英雄たちは、古い例らを言えば、ベートーヴェンショパン、またはカラヤンポリーニ、あるいはサッチモコルトレーン、そしてビートルズボブ・ディラン──といった、はっきりした名前(商標)らをそなえていました。

そしてそういう《英雄》たちの、きらめく個性や思想やアチチュード、また卓越した技量やスペシャルな才能──そういったものらを拝聴するために、コンサートホールやリスニングルームらの椅子に腰かけ、じっと耳をすます。そういう鑑賞の態度が、あったと思います。

ですがそのいっぽう、無記名の音楽、特定用途のための音楽、傾聴を求めない音楽──そういうものもまた、つねに存在していました。
ただしそういうものは、それほどのポピュラリティを得られず、記憶にも記録にも残りにくい。かつまた、大金を得るための手段にもならない。それが、1970年代までの状況であったでしょう。

その状況を少し変えたのは、まず70年代末のブライアン・イーノさんによる、《ミューザック》を否定的媒介として止揚するものとしての、アンビエントの創始です()。
そして次には、80年代の末、アシッドハウスの圧倒的なブームが導いたクラブミュージックの隆盛、そのインパクトです。

ついでに言うなら60年代のガレージ/サイケ/サーフ系ロック、またそれらを継承した感じの《パンクロック》あたりも、そういう流れの一要素と見られうるでしょう。しかし文脈上のつごう等により、いまは検討の対象にいたしません。

つまりそのふたつのムーブメントは、申しました〈無記名の音楽、特定用途のための音楽、傾聴を求めない音楽〉、そういうものらの水準を大きく引き上げた、と言えます。
そして英雄崇拝の時代を終わらせて、人間らの音楽活動の主体を、ミュージシャンではなくリスナーらの側に置き換える。かつまた、生産者サイドが主導していたマーケットを、愛好家らが主導する《シーン》へと、再編成する。そういうことへの、歩みだったとも言えるでしょう。

そして私の立場としては──、アシッドハウスが作った“私”として、いまヴェイパーウェイヴを推しているだけに──だんことして、そういうことです。

つまり《音楽》などというものは、聞いている自分らが気持ちよくなれば──〈使える〉ものなら、それでいい。ただし、《質》みたいな要素を、度外視しているのでもない。またその《質》を称揚するからといって、その生産者らを《英雄》にもしない。

──といった態度が、あってもいいだろうと考えているのですが。

しかし。

さきほどから説明いたしている、21世紀的な《ミューザック》は、そういう態度の裏をかいています。イーノさんによるアンビエント、そしてクラブシーンから生まれた《ラウンジ》というジャンル、それらのコンセプトや方法らを乱用、またはほとんど〈悪用〉しているみたいなところがあります。

すなわち。どうでもよさと安直さをきわめすぎて、申しました〈無記名の音楽、特定用途のための音楽、傾聴を求めない音楽〉らの水準を、再び引き下げてしまっているのではないだろうか──。スタイルや手法らだけを横取りしつつ、ミューザックからの脱皮を図ってきた努力らを無に帰そうとしていないだろうか──。と、そのように聞こえるものが多すぎる、と思われます。

ただし、そのいっぽう。〈本来、このくらいものだろう?〉、と感じられるところもあったりすることが、私をいらだたせているのです。
それというのも私が生来、〈スーパーのBGM、すなわちミューザックを、ことさらに聞く〉、という変わった人間ですので。ゆえにかなりレベルの低い音楽をも、それなりにはアプリシエートできてしまうからでしょうか。

──どこまでの水準の切り下げに、私たちは適応ができる、もしくは適応をしなければならないのでしょうか?

そもそも。超お安いミューザックの乱作乱売みたいな現状は、音楽マーケットの中心がストリーミングに移行した、という現況の反映でもあると考えられます。
すなわち、わざわざCDにまでプレスする気にならないような安い音源らも、リスクの少ないストリーミングメディアで、少しのお金をほそぼそと稼いでくれればいい。成り立つ、やるべき!
もともと、いにしえのミューザックにしても、レコード等にプレスされたものなどは、ごく少数だったようです。あれらは《チューブ》を介して、契約先に送り出されもの、などと風聞します。

……で、話はここからみたいなところもあるのですが。
しかし、時間的なつごうなどもあり、大論文を書くわけにもいかないので。

ではここから、しめくくりを意図しつつ、この記事の表題に出ている作品らについて、少しご説明します。

まずは、ダイアナ・ホリディズによるとされる、『ラグジャリー・ショッピング』
このアルバムの、テーマが、まずすばらしいですよね! 〈私は買う、ゆえにわれあり〉という消費文明への讃歌なのでしょうか。
全25曲・約28分を収録しています。各トラックのタイトルたちが、「自由のためのお金」、「自分の中の魔と闘う」、「貧者たちの王」、などと、また何か意味ありげです。

そしてどういう音楽なのかというと、ピアノ一台の演奏による、一種のイージーリスニングです。明快な〈楽曲〉らしさに乏しく、構成がよく分からないが、しかしばくぜんときれいげな響きが続き、そしていちおうはカーム(calm)なフィーリングが演出されていると言えます。
そして──。この《音楽》について、〈聞くにたえないとまではひどくない〉くらいに、言ってすませたい気持ちは起こるのですが。

ですけれど、とにかくいい加減な点が目だっています! よく世に言われる、〈ツッコミどころ満載〉というところです!!

まずそもそも、このショッパーズ対応をうたうアルバムについて、カームでスロウなサウンドというものが適切かどうか、疑問です。〈ショップのための音楽〉というタイトルのついたミューザックがさまざま流通していますが、そのほとんどは、もっとお調子のいいラウンジ系です。

ですが、そのことはまだいいとして。さきに見た、〈全25曲・約28分〉という特徴は、いったい何ごとでしょう。各楽曲が、あまりにも短すぎるようですが?
これは別の言い方をすると、すべてのトラックが、67秒という尺にぴたりと区切られているのです。
そして個別のトラックに着目すると、途中から始まって途中で終わるような感じが目だっています。

そこから、私の想像するところでは。まず多少の技量をそなえたピアニストが、ほとんど即興に近い感じで、とにかくも30分あまりの演奏をします。続いてその録音が、ただメカニカルに切り刻まれて、この25曲というトラックになっているのだと思います(!)。

さらにその録音も、チープであることは許すにしろ、仕上げに配慮がほとんど感じられません。あまりにも音量レベルが低すぎ、ボリュームを上げてもまったく聞こえない、と言いたいところがあります。確認のために波形を表示させてみたところ、困惑せざるをえない絵図でした。

かつまた今アルバムには、《ダイアナ・ホリディズ》──という人間めいた作者の名前が、かかげられていますが……。
しかし、そんな名前の女性ピアニストがいるのか、とすなおに受けとることはできません。このアルバムの作者の、実に近いお名前は、《Vincenzo Vangi》といわれるようです。イタリア風な響きですが、そちらのお方なのでしょうか。
ですが、いや、もう。まずは伝説のセレブを指し示す〈ダイアナ〉の名をかかげ、そこから〈ホリディ - ラグジャリー - ショッピング〉という連想ゲームみたいなものを強いてくる、その意図的かどうかは不明なことば遊びが、また悪質だと感じられます!

さらに。このヴィンチェンツォ・ヴァンギさんの名前で検索したりすると、別の名義での作品らが、あれこれ引っかかってくるのですが──。その中のひとつ、《たなか Tanaka》というバンド名がけっさくです()。
わざとか否か、ちょっとヴェイパーウェイヴ的なセンスなのでしょうか?

しかし名前は変えていても、作品の内容は、まさに同工異曲です。気ままなピアノの即興めいたソロ演奏が、ローファイではなくロークオリティな音質で収録され、そして67秒ごとのトラックに切り刻まれているばかりです!

とまあ。このショッピング音楽が、あまりにも驚かせてくれるものなので。お口直しに、少し近いけれどまだましか、とも思えるものを、ひとつご紹介。
それが、ビジネス・BGM・コンソートによる『ミュージック・フォー・ワーキング』です。

これが同じくピアノ一台による、メディテイティヴなイージーリスニングです。それはよいとして。

しかし、例によってバンド名が非人称を通り越したものであり。また各トラックらのタイトルがいい加減であり──すなわち、「ワーク・ミュージック」があって「ワーキング・ミュージック」が続き、さらに「ミュージック・フォー・ワーク」がある、しかもどうせ内容に即していない、といった投げやりな曲名ら──。
そして全般、ビジネス向けとしてはムードがカームにすぎて眠たくなる。といったおかしさが、なくはありませんが。

ですけれど、まだしも各トラックらに、《楽曲》らしさがあります。たんに機械的に切り刻まれたものらでないだけ、印象がいい。また、重くならないていどに短調へ行って戻る、という構成がへんな上手さを感じさせます。
かつ、これにしろ、もとの録音がよいとは言えませんが。しかし、聞こえるだけの音量レベルがしっかり確保されている、というその美点は見逃せません。もうちょっとほめてしまうと、環境のチープさゆえかも知れないアンビエンスの存在が、逆にいい感じです。

とは、いやはや……。まるで、安いだけとも見られるインスタントでコンビニエンスな食品らにしても、比べたら多少は味の差がないでもない、みたいなお話です。その差がじっさい、“ある”ので、当惑しているのですが。
B級グルメ》ということばがありますけれど、いつしか私は、B級C級の音楽グルメにでもなっていたのでしょうか?

そして、短い人生と長くはない余暇の時間──、ということを考えたら、こんな安いだけのような音楽らを聞いているひまなどは、とうていないでしょう。聞くにしたって、所定の用途に使ったらすぐ忘れる、くらいのつきあい方がよさそうです。
にもかかわらず、こんな音楽らに関わって、少なくもない時間を費やしている自分は? それは、スターや天才や《英雄》らを必要としない音楽のユートピア、それを求める心のふとしたオーバーラン、みたいなことなのでしょうか……!

赤い薔薇の花ことばは、「美」「情熱」そして「愛」…

それと、さいごの余談に、もうひとつ。

『ミュージック・フォー・ワーキング』というアルバム、その正規のタイトルは、実に長々しくて、

“Music For Working: Music For Studying, Focus, Concentration, Study Music, Reading, Office Music and Background Music For Relaxation”

と、いいます。すなわち、潜在的なカスタマーたちが検索で引っかかりそうなキーワードらを、ありったけ思いつく限り並べてくさるのです。
そうしてそれは、こんにちのミューザック商品らのタイトルに、よく見られるスタイルです。方向性(用途)が少し異なるものでは、たとえば、

スムースジャズ系】 “Smooth Jazz Café del Mar Coffee Lounge Sax Vibes Chillout Evening Atmospheric Moods”
【ベッドルーム用BGM】 “Music for Sex, Tantric Massage, Full Body Energy Orgasm, Spiritual Meditation & Sensual Sounds”

と、いったタイトルになったりします。
……長い!
このように深刻なる浅はかさから、ちょっと想い出されることは……。

ニッポンで現在、《なろう系》などと呼ばれるフィクションの類が、

異世界転生で何とかいう無敵チート能力を手に入れた陰キャ童貞コミュ障のオレがモンスター軍団とかを相手に無双したらヒューマンとエルフの姫たち童顔巨乳に惚れられ板ばさみでヒーヒー言ってます! 各自わからせて、グッヘヘのヘ』

といった、もはや〈あらすじ〉でさえもあるようなタイトル──、だらだらと長くも説明的なそれらを付されがちで、“私たち”をうんざりさせていますけれども。
しかし、これにもそれなりの理由があり、ようはそうしたほうが、潜在的なカスタマーたちをキャッチしやすいらしいのです。ネット時代のジャンク的マーケティングでは、こういった厚かましく横柄な冗長さが勝利するもののようです。イェイッ