ポ  サ  研

─ Post-Truth Sound Lab, Vaporwave / Désir Duplication Répétition ─

y o u r d i s c o v e r y: M E T R O - 3 (2021) - 光輝くルナパークへまで、地下鉄で

《y o u r d i s c o v e r y》──ヨア・ディスカヴァリーさんは、米ミシガン州に在住を主張するヴェイパーウェイヴのアーティストです。
略してここでは、《ヨア・カヴァ》さんと呼ばせていただきましょう()。

詳しくは後述しますが、彼の音楽はきわめてユニークです! 聞いた感じ、〈ヴェイパーウェイヴには違いあるまい〉とまでは思うのですが、しかし似たような作品が、他にはめったになさそうなのです。

で、さて。このヨア・カヴァさんの、Bandcampにおいてのリリース歴は、2019年の後半から。コラボレーション作を含めると現在までに、5作のアルバムを発表しています。

そしてその中の最新作が、2021年10月・発の、“M E T R O - 3”です。全9曲・約47分を収録しています。
そして今作が、ヨア・カヴァさんの独自のサウンドの、現在までのきわまりなのです。彼による“すべて”が、一聴以上の価値を持つ愉しい音楽なのですが、とくにこれが。

豪シドニー市のルナパークの夜景です
シドニー市のルナパークの夜景です

いや、まず。何しろタイトルがメトロというので、地下鉄っぽい音楽なのかと思いましたけれど、意外にぜんぜんそうではありません。
むしろきわめて華やかでにぎやかで、心の浮きたちをあおるようなサウンドなのです。

そうです。このアルバムはまるで、《ルナパーク》──人工のきらびやかな光たちに包まれ、そしてアーケードからさまざまな愉しみの音楽らが流れる──その中をそぞろ歩くような、そんな体験を与えます。
そして、その私たちの歩みにつれてパークの景観が変わるように、今アルバムの音楽もまた、流れにそって、少しずつそのトーンを変えていきます。よどみなく、華やかに、変化しつづけるのです。

あさはかきわまるデジタルシンセの、きらきらと軽はずみな響きがもう、すごいのです!

実にすばらしい、〈至福感/blissful〉ということばがよく似合う──そういう傑作の誕生に、私たちは立ちあってしまったのではないでしょうか。

その至福めいたムードについては、先行している作品らで言うと、《MindSpring Memories》さんの《スラッシュウェイヴ》の傑作たちが、やや近いでしょう()。
けれどもヨア・カヴァさんのサウンドは、〈ばくぜんと聞いている限り、まったく構成感がつかめない!〉──言わば、ルナパークのびっくりハウスのように迷宮的──そこが、きわめて独自です。

いや、まずマインドスプリングさんの音楽は、その手法面においては、わりに正統的なスラッシュだと考えられます()。つまり、サンプリングがあって、そうはひねった操作をしていないかな、という意味です。
そのいっぽうのヨア・カヴァさんのサウンドは、もっと複雑な操作や構成らをしていそうな印象。ですが、聞いた感じはきわめてスムースなんですよね! そこに私は、深く感じ入っています。

また、手の込んだ操作とカーニバル的なふんいきということで今作には、かのDDSWによる歴史的傑作“SEAWRLDハートブレーク”(2014)を、思わせるところもあります()。
とはいえ、突発的で爆発的なエモさにおいては“SEAWRLD”が、永遠の優勝ですが。しかし流れのスムースさあたりにおいては『メトロ - 3』がまさるか、とも。

ならば……。ということで、ヘッドホンなども使ってこの『メトロ - 3』を、少しその構成の《分析》を意識しながら、再びリスニングしてみましょう。

そうすると印象的なのは、《モールソフト》でしばしば鳴っているような、人混みの熱気を思わせるばくぜんとした何かの音が、一貫したアンビエンスとして、分厚く仕込まれている、ということです()。
これがまず、アルバム全体のふんいきを作っています。

そしてこの、もやもやとした歓びのふんいきの上で──。きらきらと華やかなトーンを持つ音楽的要素らが、これまた分厚いリバーブ音のもすそを引きずりながら、メドレー的につながっているのです。

そのつなぎ方のあまりなスムースさが、実に心にくいばかりです。〈今アルバムは全9曲〉とは言いましたが、別に全部で1曲と考えてもさしつかえない感じです。
かつまた。ときには音らがグリッチ的に操作されているところもあるのですが、しかしその響きは常に、やさしくやわらかで気持ちがいい。

……まいりましたね、脱帽でしょう!

だいたいの話、ここで鳴っている〈音楽的要素ら〉のソースについて、まったく私には見当がつきません。ざらにあるような《ウェザー・ミュージック》の流用とは、また違うような気がします。

その点のヒント。このヨア・カヴァさんは、《h º r ¡ z º n щ ¡ r e l e s s》という別の名義で、少し傾向の違うヴェイパーを発表しているのですが……そちらもまたいいのですが……()。
そして、ご本人のツイッター・アカウントの自己紹介によると、ヨア・カヴァでは〈オリジナル・ミュージック〉、ホライズン・ワイヤレスでは〈サンプリング中心〉、と使い分けているのだそうです()。

……というお話を信じれば、傑作『メトロ - 3』は、とくに流用や略奪されたようなソースらもなく、まるごと創作されたものなのでしょうか? 否定する材料がないならば、そのように信じておきましょうか?

そうしてさいごに、付け足しの余談です。

このアルバム『メトロ - 3』の随所にて、スクリューされたへんな声が何ごとかを語っているのですが、しかし私にはまったく内容が聞きとれません。〈英語なのかな?〉くらいしか、分かりません。

いっぽうそれが分かる人々におかれては、また全体の印象が、違うものになるのかも知れません。とはいえ、タイトルがなぞの要素になってしまっている、〈メトロ〉──地下鉄の案内みたいなことを言っているのでは、ないような気がするのですが……!

[шrαρ-υρ in ԑngłiꙅℏ]
y o u r d i s c o v e r y is a Vaporwave artist who claims to live in Michigan, USA.
And his music is extremely unique! I think it's Vaporwave, but it's unlikely that there's anything else similar.

Now. This Mr. Y-D's release history at Bandcamp is from 2019. And to date, five albums have been released, including collaborative works.

And the latest work among them is "M E T R O - 3" announced in October 2021. Contains 9 songs and about 47 minutes.
And this is the ultimate of Y-D's original sound to date. "Everything" by him is fun music that is worth more than a listen, especially this one.

No, first. The title is Metro, so I thought it was subway-like music, but surprisingly it's not at all.
Rather, it's a very gorgeous, lively, and inspiring sound.

That's right. This album gives us the experience of walking through "Luna Park" that is enclosed in artificial glittering lights and playing various fun music from the arcade.
And just as the landscape of the park changes as we walk, the music on the album will gradually change its tone along with the flow. It keeps changing brilliantly without stagnation.
The sparkling and garish sound of the frivolous digital synths, is so amazing!

Perhaps we have witnessed the birth of a truly wonderful masterpiece that suits the word "bliss".

Also, the feature of this album is that you can't grasp the construction at all if you listen to it. It's like a labyrinth, as a mad house in Luna Park.
So, let's listen to the album again with headphones, etc., while being aware of "Analysis".

Then, what is striking about it is that the sound of something that is reminiscent of the heat of the crowd, which is often heard in "Mallsoft", is thickly planted as a consistent ambience. First of all, this makes the whole album atmosphere.
And on this haze of joy ──. Musical elements with glittering and gorgeous tones are connected like a medley, dragging the hem of the thick reverb sound.

And the smoothness of the connection is really wonderful. I said the album has 9 songs in total, but it's okay to think of it as one song.
And sometimes the sounds are glitch-like, but is always gentle, soft and pleasant.

...... Hats off to Mr. Y-D! Excellent!

Hong Kong Express: Lucid To It (2021) - ボクハ、ヒトリ…イツモ、ヒトリ…

もはや皆さまもよくご存じの、《HKE/Hong Kong Express/ホンコン・エクスプレス》こと、デヴィッド・ルッソさん……()。

彼はきわめてすぐれたアーティストであり、また、ヴェイパーウェイブから生まれてきた新しいらしきジャンル──《ドリームパンク》の提唱者でもあります()。

それと。彼の主宰してきたレーベルが、こちらもおなじみのドリーム・カタログなのですが()。
何かいろいろあって、もとの幹部の除名的な騒ぎもあったりした末に、現在は《Dream Catalogue EVO》という新レーベルが興されています。今後はそちらが、彼の活動の中心になるのやも知れません()。

そして。

そして、そのドリームパンク、〈ドリ・パンとは何?〉というお話が、あまりにもつきないので──。
いや、それは私のせいばかりでもなく、ご当人のルッソさんが、常にあれこれの話題をまきすぎなのですが──。

ともあれ、現在の私が自分に課したタスク。彼のホンコン・エクスプレスとしての最新アルバムを、ご紹介します。2021年9月・発の、“Lucid To It”。全12曲・約44分を収録しています。
なおタイトル中の英語“Lucid”は、明瞭〔めいりょう〕だとか明晰〔めいせき〕だとか、そのくらいの意味でしょう。かつ、近ごろルッソさんが用いている偽名のひとつでもあります。

で、さっそくサウンドのほうを聞いてみますと、例の陰気なムードはいつもどおりですが。
しかしびっくりなことに、楽曲らのほとんどが唄ものです(!)。

また、それらの中には、ニホン語で唄われている曲がふたつあります。これはニッポンの女性アーティスト、《Eulalie/ユーラリ》さんのボーカルによるもののよう。
いやそれで、必要以上に歌詞の内容がよく分かってしまい──。〈ボクハ ヒトリ……イツモ ヒトリ……〉というその陰気さが、ストレートに伝わってきてしまいます。

ボーカルといえば。おそらくルッソさんによるらしい唄声が、ボーカルというより陰気な呪文や呪詛であるかのようですが、誰かに似ている──少なくともニュアンス的に──と、思ったら。
何とあの、スロッビング・グリッスルジェネシスさんに似てるんですよね!() これは大きなプラスのポイントです!

そして全般、通常のエレクトロ・インダス・ポップに近いような曲構成です。ダークウェイヴ的、とも言えそう。かつ、エレキギターがギャンギャン鳴っているパートなどもあり、それ自体は印象が、あまりよくないですが──。
しかしまあ、へんにテクニカルな演奏だったりはしないので、よしとしましょう。

そして全体的に、プロダクションのレベルの高さが指摘できます。やや保守的な構成だといえばそうなのですが、各楽曲らがよくできており、すきがありません。

〈だとしても、こういう個人的な音楽はどうかな……〉という感想も、まあ、ありはするのですが。かつ娯楽性が低く《表現的》であり、ユーザ側にとって使いやすい音楽ではないようですが。
ともあれ作りの水準の高さから、一般的な採点法で5点中の4は、ゆうに与えられる作品でしょう。ご一聴をおすすめします

ところでここから、問題の〈ドリ・パンとは?〉というお話に、ちょっと触れますと。

いまこの2021年11月、ルッソさんと彼の軍団の方面から、ドリ・パン系のカルチャー雑誌が創刊されました。題して、“EVOLVE Magazine”
ブラウザによる電子版の閲覧は無料ですので、ぜひ皆さまもご覧ください()。とにかくグラフィック面がカッコよくて、私はしびれました!

で、そこに掲載された、ルッソさんの〈ドリームパンク宣言〉のような記事を拝読したところが……。

いつもルッソさんが語るドリ・パン論は、音楽自体の話題には乏しいのが特徴です。それではない、アチチュード的なお話や、〈お気持ちの表明〉か何か。でなければ、私たちのヴェイパーウェイヴの悪口です。
そしてヴェイパーへの悪口が、みょうにもって廻っていたり、逆にストレートすぎたりする──〈みすぼらしくみじめなヴェイパーヲタク!!〉──、そのかげんで、彼のメンタルの状態を推しはかることが可能のように思えます。

どうなんでしょうか、私のこの、《ルッソさんマニア》に他ならぬありさま! 要らないことらを、知りすぎた気もします!

ともあれいまは、ひとつのことを指摘しましょう。
いや、自分がぜんぜん分かっていなくて、われながら呆れているのですが……。マニアとしての献身の不足が、早くも明るみに出ていますが……。

どういうことかというと。
ルッソさん提唱の《ドリームパンク》なるスローガン、その前半の〈ドリーム〉である部分は、いったいどういう意味なのでしょう?……というポイントです。

それを私はついつい、ルッソさんの盟友だった《t e l e p a t h テレパシー能力者》さんが、いつも表明していた感じの厭世観──現実がどうにもならないので夢や空想に生きます、的な──そういうニュアンスかなと、ずっと思っていたのです。
さもなくば。ルッソさんも〈シュルレアル〉ということばをしばしば使っていますので、そういう《無意識》のあらわれみたいなものとしての〈ドリーム〉なのかな、などと。

ところが。このたび見たエヴォルヴ・マガジン誌上の〈ドリ・パン宣言〉によると、そのどちらでもないようなのです。現在は、少なくとも。
それは、夢想や空想のたぐいでもなく、また、眠っているときにみるような夢でもなく……。

すなわち。〈ドリーム・カムズ・トゥルー〉というクリシェで言われるような、あるいは野球マンガの名作『Dreams』(1996-2017, by 七三太朗川三番地)に描かれてもいるような、そういう〈ドリーム〉であるようなのです。ドリ・パンのドリは。
それをむざんに言いかえてしまうと、〈改善への、意思とプラン〉という感じでしょうか?

──しかし。

口先ではそうやって大いに前向きめいたことを言われ、そして私どもヴェイパーヲタクらの持病であるニヒリズムシニシズム──そのあたりを、さかんに〈口撃〉なさいますが。
ですけれど。そのいっぽうでルッソさんによる音楽が──ドリ・パンに転じる以前は別として──、ほとんど常に深くメランコリックであり、かつ孤独とペシミズムを強く匂わせ、こんどのアルバムでもまた〈ボクハ ヒトリ……イツモ ヒトリ……〉、ああっ……! ときているのは、いったいどういうわけなのでしょうか?

──ここらで、ちょっとらんぼうなことを申すようですが。
ミュージシャン諸氏がことばで表明なさることなんか、ほぼ、どうでもいいんですよね。音楽ファンである私としては。

いろいろなことをいくらでも言えますが──私にだって少しは言えるくらいで──しかし。人の心を少しは動かせるレベルの音楽があるとしたら、そちらのほうに何か〈真実〉があるような気が、私はしています。
みすぼらしくもニヒルでシニカルなヴェイパーゴミヲタク野郎にさえも、ちょっとくらいは信じている《もの》がある、というわけです。響きの中に、そのちょっとした真実らがあるだろうと。

[шrαρ-υρ in ԑngłiꙅℏ]
You all know David Russo as an outstanding artist and a proponent of a genre Dreampunk that insists on newness.
In this article, I would like to introduce his latest album as Hong Kong Express, “Lucid To It”. This album was released in September 2021, and contains 12 songs, about 44 mins.

As soon as you listen to the music, you'll hear the same high-level sound and gloomy mood, as usual.
Surprisingly, however, most of the tracks are sung.

There are two songs that are sung in Japanese. They seem to be sung by a female Japanese artist named Eulalie.
This is why, I as a Japapnese could understand the lyrics better than I should have. The gloominess of the lyrics, “Boku wa hitori … Itsu mo hitori … (I'm alone … I'm always alone …)”, came too much straight to me.

Speaking of vocals. The voice that seems to come from Mr. Russo seems to be more of a gloomy incantation or curse than a vocal, but I thought it sounded like someone else - at least in terms of nuance.
Eventually I realized. That voice sounds like that Mr. Genesis from Throbbing Gristle! That's a big plus point!

And in general, structure of the songs is similar to normal Darkwave. It's a bit conservative, but overall, I can point out the high level of production. Each song is well crafted and has no flaws.

Although there is a feeling that “Even so, this kind of personal music is not … or … maybe”. It's also not very entertaining, and “expressive”, so it doesn't seem to be very user-friendly music.
Anyway, due to the high-level of production, I would give this work a 4 out of 5 in the general scoring system. I highly recommend you give it a listen!

Vaporwave的な記事たち - 《ビッグ・スリー》の誕生、リミナルスペース、そして幽霊学

全国一千万ヴェイパーウェイヴ・ファンの皆さま、お待たせいたしました!
ヴェイパーウェイヴに関連し、私がすてきだと感じた記事たち3本を、以下にご紹介します。まいりましょう!

  • みしんさん: Vaporwave史 2008-2011年(仮) - note(

ヴェイパーウェイヴの前史ということになる2008年から、ジャンルとしてヴェイパーがほぼ確立された11年まで、その主な流れがコンパクトに紹介されています。

すなわち。2009年に動画集『メモリー・ヴァーグ』、そして10年にアルバム『チャック・パースンのエコージャムズ 第1集』という、ダニエル・ロパティンさん(Oneohtrix Point Never)の先駆的で決定的な作品らがあり……()。
続いて2011年、ジェームズ・フェラーロさんの『ファーサイド・バーチャル』が、ユートピアン系ヴェイパーの元祖として登場し……()。

そして同年末、ラモーナ・ゼイヴィアさんのマッキントッシュ・プラス『フローラル・ショップ』が、いま誰もが知る《ヴェイパーウェイヴ》のサウンドとイメージ──その原型を、世界に提示しました。そこまでのお話です。イェイッ

なお、このあとにご紹介するイール_フェイスさんのエッセイは、『エコージャムズ 第1集』、『ファーサイド・バーチャル』、『フローラル・ショップ』らをまとめ、初期ヴェイパーの三大名作、“The Big Three”と呼んでいます。

さらにこれから続編、2012年以降のヴェイパー史が書かれる予定であるようなので、私は楽しみにしています!

  • アシャータさん: 街中でmallsoft体験を探したらLiminalSpaceを引き当ててしまった話し。 - note(

《リミナルスペース》──ということばが、近ごろ少し流行り気味です。いや、日かげの世界ばかりを見ている私ども、その中だけのことかも知れませんが()。

そういえば。ミハイル・バフチンさんがドストエフスキー作品のことを、《踊り場の文学》と、形容していた気がしますけれど──つまり、通常は移行の過程でしかないような場所や時間らに、なぜか重要なイベントらが起こりがちという意味で──。
しかし、ただいま確認できないことが、実に遺憾です。

【追記】 〈ドストエフスキー作品における「敷居」「階段」「踊り場」などの重要性に着目して、これらを「カーニバル的空間」と名づけたのはバフチンである〉……だそうなので、それほどひどいうそは言っていなかったように思います()。

ともあれ。そんなお話を読んでも読まなくても、そんな階段の踊り場、ろうかのつき当たり、また空き部屋や空き地のたぐい……。そうした《意味の空白》をなし気味のゾーンらを、いつも少し気にしながら、生きてきました。

385North: ショッピング at Yokohama Mall (2019) - Bandcamp
385North: ショッピング at Yokohama Mall (2019) - Bandcamp
これも私が好きなモールソフトです

さてご紹介する記事の著者・アシャータさんは、私どものフェイヴァリットなサウンドである《モールソフト》)──、それ的な空間を実世界に求めて、廃墟化しつつある〈船の科学館〉、およびオフの日の〈東京ビッグサイト〉らを、ご訪問されました。
ところがそこにあったのは、むしろ《リミナルスペース》のド濃いしろもの。よく言われる、その〈不気味さ〉と恐ろしさが、あまりにも高じていたもの……。

……であった……という、冒険の記録です。各スペースたちの凄絶な不気味さを伝える貴重な動画も掲載された、賞賛すべき記事です!

いやさて、私なんかのイメージしているモールソフトは、まさに《スーパーのBGM》にすぎなくて。だからスーパー的な施設に足を踏みいれるたびに、耳をちょっとすませ、そのあさはかな選曲を愉しむのですが。

いっぽうアシャータさんの場合、その旺盛な行動力があだになって、過剰な恐怖を味わってしまったのでしょうか。いや、〈そうではない〉と言いきれるよう、この冒険をぜひ皆さんも共有してください!

  • Eel_Faceさん: “ヴェイパーウェイヴ:悪魔ばらい” - Agora Road's (

イール_フェイスさんは、どこか英語圏の大学生。そして彼によるエッセイ『ヴェイパーウェイヴ:悪魔ばらい』は、〈カルチュラル・スタディーズ〉科目のレポートとして、大学に提出されたものであるそうです。
そしてそれが、ヴェイパー仲間の集まるフォーラム《Agora Road's Macintosh Cafe》にポストされ、私にも拝読する機会が得られました()。

これはもう学術論文のようなものなので、読みこなすのが、ややたいへん。というか、〈ヴェイパーもすでに学術の対象かよ〉ということで、私どもも少し鼻が高い。あ、いや。

文中のキーワードのひとつが、“hauntology”なのですが。〈幽霊学とは何じゃ〜?〉と思いましたけれど、これは《憑在論》と訳されている、デリダさんの用語であるようです。
〈たとえ死者であろうと、作り話や空想であろうと、それらを私たちが意識する限りは、完全にないものとも言えない〉、くらいの哲学論かのようですが。

──20世紀の末あたりに夢みられた《ポストモダン的な未来》みたいなものが、逆に現在は、いまの私たちを眺めかえしている。
この《幽霊》からのまなざしの存在に気がついたとき、ついつい思わず私たちのヴェイパーウェイヴが、始まってしまう。
──おそらくは、そのくらいなお話なのかな、と独り合点しました。

Vaporwaveは「エクソシスト」として理解されており、過去と未来の亡霊を説得すると同時に、これらの亡霊を生み出している状況を批判している。
そうすることで、Vaporwaveは、同時代性や、「ノスタルジア」を構成するものや構成すべきものに関する一般的な概念を批判する、より大きな文化的能力を促進します。

……というイントロはきわめて調子が高いですけれど──イェイッ──、しかし結語のところは、もう少しトーンが懐疑的な感じです。
ではあるとしたところで、しかしヴェイパーウェイヴよりもいいものなんて現在は存在しないので、私たちはこれでいいと思います!

……いや。そんな〈お次のもの〉が存在するとしたら、それこそ《幽霊》として、ですから。そういう《幽霊》からのまなざしを意識しておく必要も、絶無だとは言えないのでしょうか。
そうしてハムレットのように私たちは、《幽霊》によって導かれ、そしてどこへと進みましょう。

[шrαρ-υρ in ԑngłiꙅℏ]
“Vaporwave: Exorcist”, Introducing the essay by Eel_Face ()

Mr. Eel_Face is an university student from some English-speaking country. And his essay, “Vaporwave: Exorcist” was submitted to his university as a report for a Cultural Studies course.
And the essay was posted on Agora Road's Macintosh Cafe, a forum where vaporheads gather, and I had a chance to read it ().

It's like an academic paper, so it's a bit difficult to read and understand. Or rather, we are a little proud of ourselves, because "Vapor is already an academic subject?" Oh yes, no!

One of the keywords in the text is "hauntology," and I thought, "What is it?". It seems to be a Derrida's term.
And it seems to be a philosophical theory that says, "Even if it is the dead, a fiction, or a fantasy, as long as we are aware of them, we cannot say that they are completely absent".

......The "postmodern future" that was dreamed up around the end of the 20th century is now, on the contrary, looking against at us.
When we notice the existence of this gaze from "ghosts", we involuntarily start our vaporwave.
......I thought this may be a story like that perhaps.

Vaporwave is understood as an ‘exorcist’ in that it both convokes the ghosts of past and future whilst being critical of the conditions that produce these ghosts. In doing so, Vaporwave facilitates a greater cultural capacity to critique contemporaneity and popular notions of what can and should constitute ‘nostalgia’.

The intro of the text is very high pitched ─ yeah! ─ but the conclusion is a bit more skeptical in tone.
But we're okay with that, because there's nothing better than Vaporwave right now!

No. If such a "next thing" does exist, it must be a "ghost". And I think it is necessary to be aware of the gaze of such "ghosts".
Then, like Hamlet, we will be guided by the ghosts, and where will we go?

Chichilcitlalli: Magic Island Resort (2018) - 想像しうるすべての(性的)ファンタジー

《Chichilcitlalli》──を名のる、ヴェイパーウェイヴのプロデューサーであるような人。そのプロフィール等はまったく不明であり、また、このステージネームの読み方も分かりません。
この人を仮に《チチルシットラッリ》、略してチチルさんと、この場では呼んでおきます。このチチルさんは、2018年から現在までBandcampに、12作ほどのアルバム/EPらを発表しています()。

そして、このチチルさんと自分がどうやって出くわしてしまったのか、それもはっきりとは想い出せません。たぶん何らかの別のBandcampページの、下のほうのサゼッションにでも出ていたのでは?

でまあ、その見つけてしまったアルバムが、ご紹介する“Magic Island Resort”です。チチルさんの作品として、もっとも初期のものです。
そして〈アルバム〉とは言いましたが、その内容は全5曲・約13分と、EPくらいのスケールです。このチチルさんのアルバムは、こうしたコンパクトなものが多い。

そしてこの作品『マジック・アイランド・リゾート』のコンセプトは、作者によってあからさまに記述されています。

隠れ家的なリゾート地で行われた週末のセックス・パーティーで起きた様々な出来事が語られている。
そこには、想像しうるあらゆる種類のファンタジーがある。
セクシーでホットなバスルームでの出会い。ウェイターとお客さんの関係、ビーチで楽しむ若いカップル。友達同士の4人組が夕日を見ながら踊る姿まで。
セクシーで、ゆっくりとした、視覚的な至福の冒険。

……イラッとしますね! しませんか?

あたりまえですけれど、こんな13分ぽっちのささやかなアルバムで、〈想像しうるあらゆる種類のファンタジー〉を描写できるでしょうか? もちろんできないし、実現されていません。

では、これがどういうものかというと。

まず、私たちにはおなじみの《ウェザー・ミュージック》──まったくどうでもいいような軽ぅ〜いフュージョンイージーリスニング──たちが、ルーズにたれ流され。そしてその上に、英語のアナウンスや会話らが乗っかっています。

そしてそのおしゃべりたちが、その言われたひみつのリゾート地でのセックス・パーティに関連するものなのでしょう。別に完全には聞きとれませんけれど、たぶんキスをしているらしい音なども響いて、スケベなムードだけはしっかりと伝わってきます。

ですが、〈こんなものを聞いていて何になるのか?〉、とは思うんですよね。

いやらしいムードは確かに出ているんですが、かといって、ポルノとして機能するようなものでもないし。
がしかし、このチン妙なサウンドに、ひかれる気持ちがぜんぜんない、と言ったらうそになります。

いや、これはちょっと、思うんですけれど……。〈想像しうるあらゆる種類のファンタジー〉に満たされた〈至福の冒険〉を、求めつづけて常に失望させられてきた《私》……。その《外傷》の、治りきってはいない古い傷あとを、弱く強く撫でられているような、独特の痛痒さ……。
そういうへんな愉しみが、このアルバム『マジック・アイランド・リゾート』から、得られているのかも知れません。

さて。チチルさんのその後のアルバムでは、2019年の“VAPR0N”が、この『マジック〜』にやや近いスケベ作品です。こちらのテーマはポルノビデオであるみたいで、やはり全5曲・約12分半というコンパクトなものです()。
しかし『マジック〜』のむき出しのストレートさに比べたら、何か多少の洗練が、感じられなくはありません。素材である楽曲らも、やや趣味のいいジャズ系のラウンジとなっています。

なお。チチル関係で私がもっともいいなと思ったアルバムは、その別名ユニットであるらしい《火星情緒》、そのセルフタイトル作です。
これは題名そのまま、スペイシーなムードのぼんやりしたチルアウトです。19曲・約40分を収録。か細い鳴りの断片的なサウンドたちが、うすら寂しいアトモスフィアを形成しています。

──そういうことでチチルさんは、エロ系ヴェイパーしかできないというわけではない、多才さ、有能さ、それは分かってきたのですが。
が、だからといって、どこへ向かっているのでしょうか? そして、私たちもまた。

[шrαρ-υρ in ԑngłiꙅℏ]
A person who is a producer of Vaporwave, who is named Chichilcitlalli. Hits profile etc. are completely unknown. Anyway, Chichil has released about 12 albums / EPs on Bandcamp from 2018 to the present.

And I would like to introduce “Magic Island Resort”, which is the earliest album by Mr. Chichiru. All 5 songs, about 13 minutes are recorded, just an EP scale. Many of Chichiru's albums are compact like this.

And the concept of this album is blatantly described by the artist.

This is the narration of different events that occurred during a sex party weekend at the seclusive resort. There is every kind of fantasy imaginable (…)

As a matter of fact, here's what it is. First of all, we have the familiar “Weather Music” playing loosely, and then we have English announcements and conversations on top of that. The words are like a live broadcast of a sex party.

This is enough to convey the obscene feeling. However, these sounds do not function as pornography itself.
It only causes an itchy and sore sensation, but I feel like it's good. There is something about this that I find very appealing.

音楽を愛さなかった偉人たち - The greats who didn't love music

モーリス・ブランショさん(1907〜2003)という著述家の書いていらっしゃることは、いつも実に難解……というか、あまり正直よく分かりませんが。
しかし何かすごいような気がして、ついつい大いに尊敬してしまいます。

そのブランショさんの著述でも、きわめて印象的なのが、彼の特有のカフカ論です。
そしてその中に、こういう一節があったような気がしているのです。

カフカの文学は、音楽というものを分からず愛さないものであってしか、書けないようなそれである。

どうも私の記憶によりますと、音楽を分からず愛さないものにしかできないような、自分の追いつめ方があって。その産物のひとつがカフカ文学である──のようなことをブランショさんが、つづっていたような気がします。

そこで私は、何かふに落ちたんですよね。
からきし自分に文才がないことの理由は、音楽めいたサウンドを──別に〈分かって〉聞いてはいないですが──愛しすぎているからか、と!

……いや、ところで、いきなりなのですが。ブラさんの描いた〈音楽を愛さざるカフカ〉というイメージには反対意見がすでに、なくはありません。

ヴィルヘルム・エムリッヒさんによる研究書『カフカ論』(1958)──名著であるとも言われるが近年あまり参照されない感じ──には、その正反対に、〈音楽を愛するカフカ〉というイメージが描かれています。
その例証として、たとえば『変身』のヒーローは、へんな毒虫に変身してしまったあとも、彼の妹の弾くヴァイオリンの音を聞きたがり()。また短編『ある犬の探究』には、なぞめいた音楽をにぎやかに響かせるふしぎな犬が登場する──などなど。

というエムリッヒさんのお説に、ぜんぜん分がないとも思わないのですが。しかし私がみょうに感じ入ってしまったので、とりあえずいまはブラ説を採用しておきましょう。

そしてそこから考えたのは、カフカさんの同類がきっと何人かいるはずだ、と!
音楽を愛さないことと引き換えにすばらしい創造をなしえたものが、人類史にカフカさん独りだけだったとしたら、せっかくのブラさんの卓説も、やや迫力不足というものでしょう。

そういうところから、私の捜査網(ザ・ドラグネット)に引っかかってしまった方々を、以下にご紹介したいと思います。

まずは、私たちの崇拝してやまないフロイトさん、なのですが。
この方は文学や美術にはきわめて明るく、語ることも多かったが──その趣味はきわめて古典志向だったにしろ──、しかし音楽についてはあまり、という疑惑がいだかれています。

この告発については、現在までに反証が何もない、と言えそうです。〈実は私は、音楽というものを、あまりよく分からなくて〉……ということを白状なされないまま、私たちの師は遠くへと旅立たれたのでしょうか。

ですがいっぽう、師の編みだした《分析療法》は、〈聞く〉ということのひたすらな追求である側面を持ちます。クライアントらのおしゃべりを〈聞く〉ことに注力しすぎたあまり、師の耳は、それ以外の時間に休息を求めたのでしょうか?

シュルレアリスムの提唱者、詩人であり小説家であったブルトンさん。むろんの話、強くフロイト師からの影響をこうむっていたお人でもあります。
そして少々意外なのですが、この方は何番めだかの『シュルレアリスム宣言』か何かにおいて、かなり強力な《音楽無用論》を提示していたとか。

……まあ、シュール独自の立場からなのかも知れませんが。文学・演劇・美術らに比べたら、音楽なんかどうでもいい、要りもせぬしろものであると、力説されていたもよう。

そういうわけなのでシュルレアリスム運動の圏内に、音楽および音楽家らの姿は、あまりというかほとんど見あたりません。
そして、そのことと引き換えに彼らがなしえたことが……まあ、何かあるのだと思われます。

クトゥルー神話》体系の創造者──などというバカげたウソは書きませんけれど、なぜか近年になってその文名を高めつづけている、ラヴクラフトさん。イェイッ
この方の邦訳全集のエッセイ編を読んでいたら、その自己紹介的なテクストで、〈実は私は音楽をほとんど分からない〉と、自白しておられました。

まあ、そのテクストが……。彼のぼう大な読書の量をこっそりと誇りくるっている感じの、私ども《陰キャ》の代表的な所産でもあるような、けっこう痛々しいものだった気がしますが……。
とくにその中で、〈フロイト本人の著作は難解で分かりにくいので、《精神分析》を知るには以下の、(いまは知られない当時の英語の通俗解説書)をすすめる〉──などとあるには、思わず失笑もしましたが……。

が、そんなテクストの中にあるだけに、その〈音楽分からない宣言〉には、一種のシンセリティ(sincerity)みたいなものが感じられました。ラヴさんいわく、〈自分にも分かるような音楽といえば、せいぜい、(いまは知られない当時の通俗音楽)くらいなものです〉──、とのこと。

けれどもラヴさんの作品らには、彼の創造したおぞましくも禍々しく忌むべき混とんの奇怪かつ邪悪にして暗黒の冒とく的な、《魔》の領域──それを特徴づけるサウンドのことが、しばしば記述されています。
その代表は、フルートの最低音域の〈ンボォ〜〉みたいな響きです。たとえば中編『未知なるカダスを夢に求めて』では、〈呪われたフルートのかぼそき単調な音色〉と、それが形容されています。誰が奏でるとも知れないそういう音が、かのおぞましき《魔》の領域にては、のべつたれ流されているようです。

ちなみにラブさんの描いた世界では、《魔》の領域を特徴づける色彩というものも、また定まっているもよう。
それは、ドロっとした彩度の低いダークグリーンです。あまり考えたくもないですが、コケでなければアオカビや緑膿菌らがむだに繁茂しているような、そのような?

そして……。いまであったら〈フルートの最低音域でンボォ〜〉みたいな奇妙な音楽を、見つけることもできますが。
しかしラヴさんの時代には、そういうものがなかったでしょう。ですので彼は、自分の鼓膜の奥にやむことなく響きつづけるその鳴りに、たえず耳を傾けつづけていたのでしょうか。

ちょっとさいごには、特別ゲスト的な人物がご登場です。分かるとか愛するとか、それとは違う音楽へのアプローチをしたお人です。

かの、プラトンさん……彼がその主著のひとつ『国家』にて、《詩人追放論》なるものを提唱したことは、広く知られていましょうが。
……が、それはいま、ひとまず聞き流すとして(!)。その書で彼が、音楽についても一種の規制論をつづっていたことが、私にはきわめて印象的なのです。あまり注目されてはいないようですが。

われらの崇高なる《哲人国家》においては、音楽についても、その性質や内容らがきびしく吟味されねばならぬ。
すなわち、へんにおセンチだったりエモかったりするような音楽は、人の情緒をむだに刺激するので国家に対して有害であり、禁じられるべきである。
いっぽう、その存在を許される音楽は、次の二種類であろう。
まずは、労働や軍務らへの意欲をかき立てる勇壮な、(特定の古代ギリシア旋法=当時的にはそれ自体が音楽の一個のジャンル)である。
次には、人々の夕べのいこいと安らぎのときを演出する、(別の古代ギリシア旋法)である。

……と、だいたいそのような記述が『国家』には、あったような気がしているのですが。
これを私が拝読したとき、こういうことかと思ったんですよね。

つまりクラブミュージックみたいな領域で音楽は、二種類しかない──もしくはそれしか要らない──とも考えられる。それは人々の身体を激しく動かすための《ダンストラック》らと、そしてその逆の機能が期待される《チルアウト》らである、と。
そしてプラトンさんがお許しの音楽ジャンル二種類が、そういうダンス系とチル系に、(美しく?)重なりあっているかな──、という気がしたのです。

まあ、じっさい私なども。いちばん深くクラブミュージックに耽溺していたころには、〈無イミに個人的な情動などを押しつけてくる音楽ごときは、耳クソのもとにしかならねェ〉、くらいに考えていましたけれど!

かつプラトンさんの議論は、音楽のクオリティなどをとりあえずは問題にせず、その《機能》だけに注目しています。これはもう、一種の《ミューザック》の発想がここにあり、その発祥がここにしている、という気もします()。

音楽というものを、へんな芸術論やアーティスト論らでは語らずに、それらの《機能》の面から考える。……この考え方が、ちょっとは新しいわけですが。
しかしそこから、《機能》しかないようなミューザックを興してしまうのか、それとも予想外で想定外の《機能》を果たす、何かとんでもないものを何かしてしまうのか。

そうして私たちの現在の、音楽にかかわる実践やアチチュードらを、プラトンさんはどこかで見守り吟味しつづけてくれているのかも知れません。