本邦とも呼ばれるニッポン国が、全銀河系に誇る、バイオレンス劇画の第一人者──。もちろんそれは、われらが猿渡哲也先生です。イェイッ。
その猿渡先生の現在、絶賛・執筆中でおられるシリーズが、『TOUGH 龍を継ぐ男』(単行本は、27巻まで既刊)。
少しでもマンガや劇画に興味をお持ちの皆さまにおかれては、もれなく愛読し拝読なされていることと、せつにお悦び申しあげます!
で、さて。このシリーズの、単行本では21巻の巻末から22巻に、少し気になる人物が登場なさいます。
その《彼》は、ニコライと名のるフリーランサーのギャングでアウトローです。ベラルーシ出身を自称、その東側のほうで身につけた〈システマ〉等の格闘術を自己流に改変し、悪用しています。
そのニコライさんが雇われて、われらの側の、おなじみ《灘神影流》の宮沢一族に、ケンカを売ってくるのですが……。
で、さて、宮沢鬼龍の娘である優希さんの誘拐を、ロシアン・マフィアである黒幕から依頼された、ニコライさん(251話)。
そして、タブレット端末に送られてきた優希さんの写真。その美しいのを見てかニコさんは、いきなり彼女をレイプしたいような、とんでもないことを言いだします。
俺はジェンダーレスだぜ
男も女も平等に陵辱してやるのよ
……まったくもって困った人が、出てきたものです。
そうして彼はいったんは優希さんの誘拐に成功してしまい、そこから、灘一族とのバトルに及ぶのです。
それで、このニコさんが〈ジェンダーレス〉を自称しながらご登場なされたわけですが……。
が、はたしてそれは彼を形容するに、適切なことばなのでしょうか?
いや何かへんな気がするっスねえ……ということはすでに有志らが研究しておれらるので、ぜひその考察をご覧ください(☆)。
ただ。お話の流れとはまた別に、用法の正否とは別に、ここへ〈ジェンダーレス〉という……。何と言いますか、カッコいい現代のことばが出ていること。
そのことに、何か隆起の出っぱりを感じた方も、少なくはなかったでしょう。
さらには。
ここまでに私はニコさんを何度か、《彼》という代名詞で呼びましたけれど。
じっさいのところ、生物学的には男性でおられるようですが──凶器に等しい〈イチモツ〉をお持ちだと、ご自慢してもおられ──。
がしかし、ご本人が〈ジェンダーレス〉を自称しているならば、《彼》とは呼ばないべきなのでしょうか?
また。じっさいのところニコさんは、へりくつ詭弁とさえも言えないずさんさで、彼のアナーキーな性欲の無法な発散を正当化しているだけ──かとも、思えますが。
しかしその口実として、その〈ジェンダーレス〉……というちょっと目や耳をひくことばの出ていることが、アップ・トゥ・デート! 現代グローバル世界の最新の諸スケープをごく正確に描破してなさる、猿渡先生のリアリズム劇画の骨頂のひとつです!
──ところで。
私なんかもむかしは勉強に少しだけ熱心だったもので、イヴァン・イリイチ先生のご名著ら──『シャドウ・ワーク』(1981)や『ジェンダー』(1982)なども、ちょっとは拝読いたしました。
そこにおいて、〈セックス〉とは違う〈ジェンダー〉という見方……切り口のあることに、そういう当時はやたら感心をいたしたものです。
それでその部分だけは、どうにか忘れず、いまだ心に残っているのです。
そしていま、猿渡先生と私たちが生きている現在の、21世紀──。
世にはワールドワイドに、〈ジェンダー〉という語を用いた議論とか言論とかのようなものが、どうやらお盛んのようですが。
ですが。その用例らを拝見しつつ、この語を初めて社会や思想の用語として用いた(とおぼしい)イリイチさんの用法と、同じように言われているのかな?……ということが、いつも疑問です。
これを最大限にかん違いしたところに、〈バイセクシュアル〉または〈パンセクシュアル〉であると言えば済むものを、〈ジェンダーレスだぜ〉と言いはっている、ニコさんがおられると思われます。
ただしその言い方のほうが、カッコが多少はつく感じ──ということを否定できないんですよね!……これが、トレンドです。
──ところで。
つまりは、《性別》のお話になるのですが。人間界には《性別》が、あるとか、または、なければならないものだ、といたしましょう。いかがでしょう?
そしてことばがそれを、規定している、という側面があることは見逃せないでしょう。
つまり英語ならば、〈man〉といえば〈男, 人〉であり、〈woman〉といったら〈女〉です。ことば上の非対称が、男-女の間に存在します。
そしてこの構造は、主なヨーロッパ語らに共通であるようです。
いやこれが、何だかおかしいと私は長年、考えておりました。ご存じのようにニホン語においては、男が人を代表するという言い方や見方がないもので……。ことば上では!
ですけれどおかしくないと、スラヴォイ・ジジェクさんが書かれていたんですよね。すなわち女性は、人類の中の、特殊な項であるということです。
まず人類という大きな集合を考えて、その中のやや小さな集合をなすのが、女性らだというわけです。
主なヨーロッパ語らの構造として、そうなっており。そしてその構造が、人々が何かを考え言うさいの、前提や土台になっているのです。
で、ああ、さて。
ここで少し方向を変え、現在よく言われる、ジェンダーおよび〈トランスジェンダー〉関連のお話を、やや見てみますと。
たとえばトランスジェンダーとして、現在は女性であるとされる方々が、女性専用とされる領域に進出していかれることが、問題であるかのようにも言われています。
具体的には、女性用のお手洗いや共同浴場のご使用、または女子スポーツの世界への参入などについて、言われているようですが……。
👧 ⚧️ 👨
ここで少し、考えてみましょう。
そういった〈女性専用の領域〉は、いったい誰のためにあるのでしょうか?
私もいちおう男ですから、ここで言わせていただきますが。そうした〈女性専用の領域〉は、男らの役に立つものではありません。
トイレにしたって競技にしたって、男女混合の無差別システムとして、いっこうに損をする気がいたしません。
ですからそうした〈女性専用の領域〉たちは、女性らのためにあるものです。
そしてそれはいい──と、私は思うのです。
ジジェクさんのお示しになった図式どおり、人類世界の中に、囲いこまれた女性らの領域があってもいいだろう、と。
と、そのいっぽう。状況しだいで女性らは、男性用のトイレを使用なされてもいいし──混雑している施設の中などでは、珍しくないことで──。
また実力に大きな遜色がないならば、男子と同じスポーツ競技に参加することも、許されるでしょう。
かつ西洋めいた文化の浸透した社会で、男性がスカートをはくことは奨励されていませんが、いっぽう女性によるパンツの着用はふつうです。
──このように、ユニバーサルな人類の世界があって、その内側に、女性らの特殊な世界があるのです。
そして女性らはユニバーサルな人類の一員ですが、しかし男性は、女性ではないでしょう。
ですが、さて……? ここから少し、またびみょうなお話になりますが。
この人類世界の中に、囲いこまれた女性らのテリトリーがあるということは、その内側に対して過剰な想像力を、働かす者たちが発生する……ということに、一部では帰結してしまうでしょう。
外部から想像した感じ、その秘められた内側は、さぞやすばらしいところであるに違いない──と!
むかしのマンガの『ラブやん』で、こじらせきったオタクかおたくであるヒーローくんが、魔法の変身能力を得たときに、どういうためらいもなく〈女の子になるっ!〉というご決断を、なさっていました。
彼のいわく、〈女の子が大好きなので、女の子になりたいと思うのは、ごく自然の発想!〉──だとかいうことでしたが……。
ですがしかし、このようなやからに紛れこんでこられることは、女性たちにとっての大めいわく──というじゃっかん正気めいたことが、続いて描かれていた気がいたしますが……。
また、そういえば。
すでに十年以上も継続している《流行》ですが、マンガの世界に〈百合もの〉──ソフトおよびハードのレズビアンを題材とする──の流行、ということがあるようです。
その読者層の男女比が、あまりはっきりもしていないにしろ、少なくとも半分くらいは男性であるもようです。
そういう嗜好もこれがまた、〈囲いこまれた女性らのテリトリーの内側〉という至高で至上がきわまった至福のユートピアへの、果てしなき悠久の目くるめく思慕と憧憬の表れ──で、あるのでしょうか?
TOUGH: The Dragon's Heir and More - "I'm genderless, I'm equal for men and women..."
[sum-up in ԑngłiꙅh]
In Tetsuya Saruwatari's classic manga series “TOUGH: The Man Who Would Inherit the Dragon”, there is a villain who calls himself “I'm genderless"!
And it is not so hard to say that this is an article praising the coolness of such terms as “genderless” and “transgender”!