ポ  サ  研

─ Post-Truth Sound Lab, Vaporwave et compagnie, Désir Duplication Répétition ─

横山智佐&帝国歌劇団: 檄!帝国華撃団 (1996) - 正義の終わり と 自警団ワンダーランド

何をどうまちがったのかとうとつに、むかぁ〜しのビデオゲームサクラ大戦(1996, セガ・エンタープライゼス)のテーマソングのお話なのですっ。

とはいえかなり有名なタイトルだし、かつ現役のシリーズでもあるし(その続編めいた新作ゲームが、2019年に登場)。そこで、どういうものかという概要は皆さまもご存じだろうとして、自分の感じ方だけ書いてしまうと。

実はこの檄!帝国華撃団という楽曲を、《音楽》として意識したのは、自分的にはごくさいきんのことなんだよね。
きっかけは確かタフスレに、何だか分からぬ替え唄っぽいフレーズを書いたマネモブがいたんだと思う。〈これは何?〉って調べてみたら、もと唄がこの曲だった。彼岸島のスレだったかも知れないが、それはまあどっちでもよさそう。

(なお、タフスレとかマネモブとかいったチン語らは、猿渡哲也先生による傑作バイオレンス劇画『TOUGH─タフ─』シリーズに関連するネット用語である)

で、なぜかちょっと気を入れながら、これをつべとかで聞いてみて、〈かなりええやんケ〉と思ったんだよね。
あまりゲームとかをやってない自分にしても、たぶんあの時代のテレビのCMとかで聞いている唄ではあるんだが。けれど、映像なんかと切り離して体験を純粋にしてみると、聞こえてくるものが、また違ってくる。

で、この楽曲が、歌詞にしろメロディにしろ、意図的にアナクロでレトロな感じに作られたものだとは、おのずと分かることで。うちらの側の例だと、ゲルニカおよび戸川の純さんみたいな方向性にも、やや近く。

そしてとくにイイと自分が感じたのは、イントロで鳴っているストリングスやトランペットらが、みょうにモコり気味なヌケてない音質になっているところ。
この1990年代中盤のゲーム機ら(サターンやプレイステーション)の音質が全般的にそんな感じだった、そのことと関係あるのだろうか。あるいは、その後に出てくる横山智佐さまの声を映えさせるため、意図的に鳴りを抑えたのか。いずれにしろ気持ちのいい音なんだ。

……一般の音楽レビューは楽曲や演奏がどうこうみたいなことを語っているのに、いっぽうのオレは〈音質のモコり加減がイイ〉、などとヘンでしかないことを言う。まあこれもヴェイパーウェイヴとかいうアレの悪影響で、いたし方なし。

ところで。ここからやっと本題みたいな話なんだけど。

言いにくいんだがこの楽曲について、自分にはみょうに泣けるところがある。それは、必要以上に年齢イッちゃったヤツ特有の涙もろさ──と言えばそうだが、それにしても自分は何を悲しんでいるのだろうか?

心まで 鋼鉄に 武装する乙女
悪を蹴散らして 正義をしめすのだ

走れ 光速の 帝国華撃団
唸れ 衝撃の 帝国華撃団

 

私たち正義のために戦います
たとえそれが命をかける戦いであっても
わたしたちは 一歩も引きません!
それが帝国華撃団なのです!

檄!帝国華撃団」, 作詞:広井王子

……と、その乙女たちが命かけて盲信するような、明らかにしてあからさまな《正義》。そんなものが実在しはしないことを知ってしまっている、そのことを悲しんでいるのか。または、その存在を同じく盲信していた、過去の幼かった自分を憐れんでいるのだろうか。

とくにこの1990年代はユーゴ戦争という、善悪白黒のまったく見えないような争いと殺し合いが、ずっとやられていた時期で。その真っ最中に世に出ることになった、このゲームとその主題歌だが。
じゃあちょうどいいって感じで、この勇ましき乙女たちが、《国際協力》か何かの名目でボスニアあたりに送り込まれていたら? いったい彼女たちは、どの《悪》をどうけちらすことができたのだろうか。

そしてまた。どうせこの《帝国華撃団》なんてものも、実のところ憲兵特高警察のお先棒にすぎず、そしてテキトーにお役が済んだなら、かの乙女たちもゲイシャかオイランとして売り飛ばされるような憂きめを見そう……などと考えるのも、“薄い本”的な想像力ってヤツだろうか。さもなくば戸川純さん的なワールドで、これとそれとは裏オモテの表現であるっぽい。

ユーゴ戦争の話にちょっと戻ってみると──つまりここらは余談・雑話の類で──、それは《アルカン》という通り名で知られる、ひとりの英雄を生み出した()。構成員が数万という規模のセルビア人私兵団を組織してボスニアに殴り込み、略奪・レイプ・虐殺をほしいままにしたド外道の生き腐れ野郎、という見方もあるようだが。

けれどもそれが、セルビア右派にとってはまぎれもない《英雄》、そして正義の味方でもあったもよう。

そして、猿渡哲也先生による『ドッグソルジャー』(1987-92)という傑作劇画が、またあって。その主人公のジョン・K・飛葉が、まいどほぼ単身で敵地に乗り込み、アルカンに類するド外道らを始末していくようなお話なんだけど。
だが一匹のクソ野郎を地獄に送っても、また次のクソ野郎が出てくるでしかないことを、われらが《猿先生》の冷徹なペンは、描き出してしまっている。いくら飛葉ちゃんが強くても、そのド外道もしくは《英雄》らを生み出す母集団、それを皆殺しにすることはできない。

けっきょくのところ言われているような《正義》とは、単なるごつごうかさもなくば、自我の心理的な支えにすぎないのだろうか。ネット自警団や《自粛警察》である方々が、日々それで英雄気分を、誇らしくゆかいにエンジョイしているような()。
が、そんなもんじゃない正義がどこかにはある、あって欲しいとは、オレも思うワケだけど。しかしおそらくそれは、ひじょうに苦いツラい味わいのものだろう。しかも、きわめて地味で。

まんがっぽい世界のヒーローたちは、まんがっぽい世界にしか生息しない──。いや、むしろまんがであるような『ドッグソルジャー』の主人公にしてから、英雄視されるでもなく報われることなく、ただ闘って傷つき続け、そして苦い思いと貧しさの中に生きることしかできない。

で、こうした苦いお話の〆くくりに、またまた苦いお話で大恐縮なんスけどっ。

いちばんさいしょにちょっと言及した、シリーズの新作『新サクラ大戦(2019, セガゲームス)。これの主題歌檄!帝国華撃団〈新章〉」は、オリジナル主題歌のリメイク&リアレンジ・バージョンみたいなものと考えられるが……。
しかし、とうていオレなんかには受け容れられないしろものだということを、申さなければならない。ニッポンと呼ばれるローカル音楽市場のダメさをきわめた《いま》のサウンド、そのまたの典型ですなァ、と。

すなわちさっき自分が指摘した、オリジナル版の伴奏の鳴り方の奥ゆかしさ。まずそのあたりから、ムダにロコツな響きになり果てて。

ただ、テレビのスポットCMの15秒とか30秒とかの刺激をヘンに追求していくと、しまいにはこういう音が出てくる、ということはよく《理解》している。──ゆえに30秒間も聞けば、もうマジ十分である。
とはいえ、音楽じゃないが、この新作のカバーアートに出ているヒロインちゃんの、ふかしぎなアルカイックスマイル──。これは何となく好きだけどね!