いまこの場では、仮に《カゴシマ・タンジェリン》と呼ばせていただくが。しかしこのヴェイパーウェイヴ・クリエイターの、正規っぽいステージネーム表記は、絵文字のミカン(タンジェリン)なんだ(☆)。
けれど、ちょっとそういう絵文字とかを、この場には書きたくなくて……。
いや、そんな絵文字ごときを読もうとしてTo Loveるようなブラウザなんか、いまはもうないだろうとは思うんだけど。しかし自分の気が小さいので、ここはふつうの文字で代替してひとつ。
さてこの(仮称)カゴシマ・タンジェリンさん、お名前の通り、ニッポンの鹿児島に在住を主張。そして2014年から活動しておられるもよう。
ただ失礼だけど、ワリにさいきんまで、あまり目だっている存在でもなく、通のみぞ知る人だったような? と、そんなことを言う自分にしても、既報の《ドリームパンク》系オムニバスで初めて、彼のサウンドに触れたんだ(★)。
で、そこから興味をもって、他のいろいろのタンジェリン作品らを聞こうとしているんだけど。が、また少しめんどうなことに……。
現在までのタンさんによるアルバムら、そのタイトルたちがまたまた絵文字、通常のキャラクタでない(!)。じゃあもう、それらもふつうの文字に言い換えてしまうよ?
すると。まずセルフタイトルの初アルバム『タンジェリン』の発表が、2014年。続いて、『キウィ』と『スイカ』が16年。そして『レモン』、『チェリー』、『グレープ』らが17年──というリリース歴が、あるっぽい。さわやかフルーティなラインナップなのです!
だが、その2017年をもって、タンさんの活動はいったんとぎれていた感じ。しかしそれが今20年に、再起か何か。
そして前記ドリームパンク大会などのコンピレーションらに参加、さらに久々のアルバム『月見』をリリース! それでか、その名を拝見する機会も増えた気がするし、ここへきてブレイクの予感っ!?
そしてそのタンジェリン氏の音楽性、もしくは方法論みたいなものは、初期からほぼ一貫。だいたいのところ《ミューザック》と言えそうなイージーリスニングらの素材に、ここで自分が主張している《ヴェイパー処理》をカマし、もうひたすらに眠たぁ〜い響きを作っている(★)。
ただし素材らの選び方には、時期につれて多少の変化がなくもない感じ。
まずいちばん初期には、ブラス系の楽器らをスロー化した〈ブフォ〜〉という響きの厚みが印象的だった。それが17年ごろには、ストリングスの響きが支配的だった風。
そして最新アルバム『月見』では、収録・全4曲のタイトルらが「ピアノ 一〜四」である通り、ピアノがメイン。ここらは、わざとつけている変化なのだろうか。
また、タンさんのアルバムらをばくぜんと聞いていると──この音楽を聞くにあたり、〈ばくぜん〉以外の態度はありえないと思うけど──、たまに1960年代ごろのヒット曲らのメロディが聞きとれる。そのタイトルたちを、はっきり書いたりはしないが。
けれどそれまた、素材になっているのは原曲らではなく、《ミューザック》化されたバージョンでしかない。ここは、意図的にしている感じ。
で? このようなタンジェリン式《音楽》の、印象はというと?
そのユルさダルさのきわめつくしはまるで、デパートやショッピングモールらの、閉店時間のお知らせ放送をずぅ〜っと聞いてるみたいなのだった。
(音楽:「ほたるの光」 or ドヴォルザーク「家路」)
……まもなく……当店は、閉店のお時間でございます……
そんな放送の流れている時間の倦怠のふんいきが、はてしなく続くんだ。
ここでついまた、いつも言うようなことを言うと。オレら人類のここまでの《文明》の流れ、それがすでに店じまいの時間を迎えつつあるが、しかしそこからがむやみと長い──。実に長々しい終末のときを、《現在》として延々と消化しつづけている、そんな時間帯のためのBGMなのだろうかコレは──、っていう気がしてきちゃうね!
ってまあ、そんなチープな悲観論はともかくとして。
こうしてタンジェリン作品らをいろいろ聞いて、自分がいちばんひき込まれたのは、『レモン』。
これは何と、梶井基次郎の1925年の掌編小説「檸檬」(れもん)にインスパイアされたアルバムみたいなんだ。よって各トラックのタイトルが、〈えたいの知れない不吉な塊が私の心を〉……うんぬんという、あの小説「檸檬」冒頭からの引用文になっている。
ただし音楽はいつもとあまり変わりなく、いつも通りの夕暮れ倦怠ムードをだるぅ〜んと叙述しているばかり。小説「檸檬」の結末の《レモン爆弾》みたいな爽快感なんて皆無だが、まあそれもいいのでは。
そして。この駄文の参考にしようかと、ひさびさ小説「檸檬」を読み返したら(☆)──ごく短いので手間はなかったが──、するとこのお話やべェな!
本屋さんの重たい画集の棚をゴチャゴチャに引っかき廻し、さらにナマモノであるレモンを置いて去るなんて、タチの悪い営業妨害もいいところ(!?)。これが現在のことだったら、作者のSNS等が大炎上していることに疑いなしっ!
作り話だとしても、バカな人が読んでマネしたらどうするんですか? 作者さんの常識を疑います! 文学者の社会的責任を自覚してください!!
で、調べてみたら往時には、厨二病を患った文学青年たちがほんとうに、作中に実名が出ている書店《丸善》の書棚に、ひんぴんとレモン爆弾を投下してたそうなんだが──。
──しかしそういうことが、シャレとかではすまない、この息苦しい現代社会。まあこういうのも、ひとつの《文明》の末期の症候なんでしょうかねえ……と、おチープに世相を批評しながら終わるっ。
[sum-up in ԑngłiꙅℏ]
The Vaporwave creator, who we call Kagoshima Tangerine here, claims to live in Kagoshima, Japan. It's up to you to believe it.
He made his debut in 2014 and released 6 albums by '17, but it didn't seem to be much talked about. Then he resumed his activities this year in this 2020, and released his 7th album 「月見」 in a long time. In this way, it seems that it is getting more and more attention now.
And Kagoshima Tangerine's music is to slow down the playback speed of easy listening songs such as Muzak to create a sleepy and slow sound.
And those impressions are like listening to the announcement broadcast of the closing time of department stores and shopping malls. In Japan, songs such as the folk song “Auld Lang Syne” and Dvorak's “Goin'Home” are used for such broadcasts. Such a feeling continues endlessly.
This makes me feel as if our civilization itself is approaching the time of store closure, but the extended end-time continues on and on, as the present, is it BGM for that time?