ポ  サ  研

─ Post-Truth Sound Lab, Vaporwave / Désir Duplication Répétition ─

ワーグナー『ラインの黄金』 - 《オタクにやさしいギャル》は、実在し ないので

おなじみのリヒャルト・ワーグナーさん作、楽劇『ニーベルンクの指環』4部作。
この巨大なドラマは、《ラインの乙女たち》に始まって、そして彼女たちによって終わります。しかしそのことは、あまり注目されないポイントかも知れません。

ですが、ずっと前から私は、この……。まあ、たぶん妖精たちが、すごく気になっているんですよね。

この娘たち三人は、《乙女》というから乙女なのでしょう。ですがしかし、けがれないだけのむじゃきな存在だとは、少々考えにくい。
あえて思ったところを言うと、《ギャル》っぽさが感じられるのです。

ご存じのように、この美しい乙女らは、シリーズ第一話ラインの黄金の冒頭で、彼女らの守る聖域にまぎれこんだアルベリヒ──姿の醜いニーベルンク族の男が、色情に気をおかしくして誘惑してくる、これをさんざんに嘲弄し愚弄します。
かつ、そのやりように習熟ぶりが感じられるので、こういう現場には慣れているのかも知れません。つまり、《被ナンパ》の経験がすでに豊富、とも見られそう。

〈ヴォークリンデ〉 あたしたちと遊びたいですって?
〈ヴェルグンデ〉 冗談のつもりかしら?
〈アルベリヒ〉 ほのかに光るお前たちの姿は、なんとも美しい!
   そのすらりとした体を、どれか一つでも腕に抱きたいものだ。
   どうかこっちに降りてきてくれ!
〈フロスヒルデ〉 恐れることもないようね。あの男は恋をしているようだから!
〈ヴェルグンデ〉 いやらしい男!
〈ヴォークリンデ〉 あたしたちのことを、よく教えてあげなくちゃ!

(台本の訳文らはすべてオペラ対訳プロジェクトより,

で、ここから始まる愚弄劇が、実に恐ろしい残酷なもので……。

《キモーイ・ガールズ》
ああ、永遠の《キモーイ・ガールズ》

これについて、私はいつも、有名なミーム《キモーイ・ガールズ》を想い出してしまうのです。
そのあまりにもきびしすぎる嘲弄と、しかしそのあだな愛らしさ、そして彼女たちの奇妙にみずみずしい歓びの表情を。
というか私が、彼女らを好きすぎであるもよう。少し前にも同じようなことを書いていた、それをいま思い出しました()。キモーイ

が、しかし、まあ。作劇上の流れから考えると、ラインの乙女らによるアルベリヒへの愚弄・嘲弄・拒絶のジェスチャーは、ぞんぶんに徹底的、あるいはテッテ的なものでなければなりません。
もし、そうでなければ──。少しでもアルベリヒのもとに何らかの希望が残る感じであったなら、続く展開で彼が〈すべての愛を断念し〉、それと引き換えに世界の支配権を得よう──などというものすごい決意を、できるはずもありませんから。

ああ、つまり。ふられのあまりな苛酷さにヤケクソとなったアルベリヒが、ありえざることに、〈すべての愛を断念し〉……。
それを条件に、恐ろしい魔力を秘めたラインの黄金を奪い去り──これを守るのが乙女たちの使命だったのですが──、続く“すべて”の災厄と悲劇をスタートさせてしまうのです。

アーサー・ラッカムさん筆によるラインの乙女たち
アーサー・ラッカムさんによる『指環』の挿画、ラインの乙女たち

ここで、思うのですが。

いまの現代社会。非モテの男性たちが、インセルとかインピオとか呼ばれる存在に成りはて、そしてミソジニー女性嫌悪)や社会への憎しみをつのらせて、よからぬことらを何か大いにしでかしそう──、という懸念があるらしいです。
そしてワーグナーさんの創造したこのアルベリヒあたりが、そういう危険分子らの元祖、ということにでもなるのでしょうか?

かつ、ここが面白いと思うのですが。私たちのラインの乙女らは、そもそも《ラインの黄金》が悪用されたりする可能性があるとは、あまり考えていません。
なぜなら、〈すべての愛を断念〉などできる者が、いるわけはないと思うからです。それを確信しきっていたので彼女らは、黄金の秘めた魔力をアルベリヒへと、うっかり教えてしまいます。

だとすれば? とくに必要がないとも考えられるのに、《ラインの黄金》を彼女らは日々、守りつづけていたのでしょうか。
いや、そうではなく。せめて黄金の使いようのなさを人々に警告するため、その場に彼女らがいなければならかったのでしょうか。

さもなくば。《ビッチ》風でもありつつ、むじゃきでもあるような乙女らは、《愛》の尊さというものを、きわめて高く見つもっていますけれど……。
しかし彼女らに使命を与えたその父は、よりクールに、アルベリヒばりの人士らの登場を──常識や人倫らを踏みにじることでばく大な利潤を得ようとする《起業家》の台頭を──、多少くらいは見こしていたのでしょうか。

そして、その《ラインの黄金》とは、いったい《何》であるのでしょうか。
それは無条件に尊く、そして眺めるにはよいが、しかしその〈使用〉や〈消費〉は許されず災厄や罰らを招く──、そんな何ものかであるようですが。

ルドヴィッヒ・バーガーさん筆、黄金を奪うアルベリヒ
ルドヴィッヒ・バーガーさん筆、ラインの黄金を奪うアルベリヒ

まず、すなおな見方として。作者のワーグナーさんは、資本あるいは剰余価値という意味を、そこに込めていたと考えられます。

やがて故郷である地の底に還ったアルベリヒは、指環の魔力により、まず彼の属するニーベルンク族らを奴隷化し、そして強制労働へと駆り立てます。
そこでアルベリヒの弟のミーメは、そのせいで一族の、かつて愉しみでもあった自律的な《仕事》は、暴君の前に貴金属を積み上げるつらいだけの苦役に化した──と、訴えます。

……ですから、そういう見方でもいいでしょうけれど。しかしこの黄金のなぞめいた性格──マルクスさんの言った、価値だか貨幣だかの〈なぞ的性格〉に似てなくもおらず──が、私たちに、さまざまな想像を強いてくる感じです。

なのでその黄金を、〈ウラニウム原子力である〉と措定した楽劇の演出が、あったような話を聞きます。……なるほど。
ではもう少し、いまの視点で考えてみると。たとえばそれは、〈情報〉──IT的な何かの暴走でしょうか。さもなくば、〈生命〉そのもの──その断片である遺伝子か何か、または移植用とされる臓器ら、などでしょうか。

〈3人のラインの娘たち〉
ラインの黄金ラインの黄金!きよらかな黄金!
ああ。もう一度、けがれなき水底のおもちゃとして輝いて!
信頼と真心があるのは、ただこの水底ばかりで、
上のほうでは、虚偽と卑劣が我が世の栄華を誇っている!

ここで黄金を言い換えた、〈おもちゃ〉という訳語が目をひきます。これの原語は、“Tand”というドイツ語で、たぶん〈とるにたらぬもの〉というニュアンスがあるようです。
そのような、とるにたらない、ただキラキラと愛らしく光るだけのもの。ですけれど、いったんそれを……。

あ。ではここらから、委細を略して、その後の『指環』のお話の流れを追ってみますと。

アルベリヒが指環に加工した黄金は、最高神ヴォータンによって強奪され、続いて巨人族であり魔竜へと変化したファフナーへ渡り、そしてそれを退治した英雄ジークフリートへと、その持ち主を変えていきます。
アルベリヒが指環に込めた、自分以外の所有者に苦悩と死を与える呪いとともに、です。

──いや、そんな。最高神でさえ逃れえぬほどの強力な呪いをとっさにかけてくれるとは、実に陰キャの一念も大したもの!

そして、私たちのラインの乙女ら……。第二話『ワルキューレ』と第三話『ジークフリート』をスキップし、彼女らの久々の出番は、シリーズ最終話『神々のたそがれ』の第三幕です()。
たまたまの遭遇というわけでもない感じ、ジークフリートが狩りに興じているところを魔法的に川岸へと呼び寄せて、乙女らは彼に、指環というか黄金の返還を迫ります。

1928年のバイロイトにて、中央のルーデル教授は合唱指揮者です
1928年のバイロイトにて、中央でごきげん
なのは合唱指揮者のルーデル教授

そこでひじょうなる誠意をもって乙女らは、返還の理を説くのですが。しかし、そのことばが、ジークフリートには届きません。
何か娘らの言い方が気に喰わないようなことを言い、おろかにもジークくんは生存へのチャンスを自ら放棄し、乙女たちを呆れさせます。ですが、この不可解なかたくなさもまた、あるいは指環の呪いの一環なのかも知れません。

それから呪いのシステムに従って、ジークくんはあっさりと死し、そして黄金の指環は、その妻であったブリュンヒルデが継承します。
そして名高き彼女の〈自己犠牲〉によって、やっと呪いの循環は断ち切られたものかと、考えられます。
いや。あるいは呪いのさいごの犠牲者は、この最終話『神々のたそがれ』の黒幕である悪役、アルベリヒの子ハーゲンなのでしょうか。彼はブリュンヒルデの手から離れた指環を拾おうとして、ラインの流れに身を投じます。

そしてこのエンディングの大詰めで、ラインの乙女らのさいごの出番です。邪欲にかられたハーゲンを彼女らは溺死させ、そして黄金の指環の奪還に成功します。
まあ、このあたりのお芝居、じっさいの舞台できっちりと演じられることが多くはないようですが。ともあれハッピーエンドです! イェイッ

が、それにしても?

もしもラインの乙女らの側から、この一連のことたちを眺めてみると……。
この『指環』全編の中心みたいに考えられる、神々と人間たち──ブリュンヒルデやヴォータンらの苦悩。それがぜんぜん意味の分からないものであろうことに、ひどく驚かされるのです。

なぜならば。神と英雄と人間たちは、あれやこれやの〈所有〉ということをめぐって争い、そして苦しんでいます。
ですけどラインの乙女らは、何ひとつ所有することなく、ただ日々与えられる太陽と水の恵みを──そしてあるべきところにある黄金の、とるにたらない輝きを──愉しんでいるばかりです。この、どうしようもない違い!

初期の舞台装置、こうして乙女らが水中にあるかのように
初期の舞台装置、こうして乙女らが水中にある
かのように演出したもよう

ですから、逆に。ヴォータンの妻であり家庭と結婚の神であるフリッカが、みょうにラインの乙女らを憎んでいることにも、また理由があるでしょう。その彼女にしても強く〈所有〉に執着し、そして夫たちとともに滅んでいきます。

あわせて。ヴォータンの腹心であった火の神ローゲが、びみょうにはラインの乙女らに同情的だったことにも、また理由があるでしょう。
彼は本来は、神よりも精霊みたいなものなので、立場が少しはあの娘らに近いからです。それを神へと取り立ててくれたヴォータンへの義理は感じているものの、しかし一般の神々や人間らのような〈所有〉への執着心が、彼にはないようです。

にしても、こうしてお話をさいごまで追ってみると──途中の委細を略しすぎですが──。何も所有せずまた所有もされぬラインの乙女らを、〈わがものとしたい、誰かひとりでも!〉などと、愚劣な情欲に身をまかせたアルベリヒへの愚弄・嘲弄・そして拒絶は、とうぜんでしかないリアクションだったと考えられるでしょう。

〈キモーイ! キャハハー!〉

いや、かつまた。よくよく台本を眺めてみて、新たに感じたのですが。

ご紹介した『ラインの黄金』冒頭の、アルベリヒに対するラインの娘らの愚弄と嘲弄は、きわめて強烈です。ですけど、意外に底意地の悪さはなくて、ごあいさつがわりのジャブ連打、くらいな感じだったのかも知れません。
であるので、追って彼女らは、こんなことをも言ったりします。

〈3人のラインの娘たち〉
ヴァララー!ヴァラライアララー!
可愛らしい小びとさん!一緒に笑って騒がない?
黄金に照らされて、あなたも綺麗に輝いているわ!
おいでなさいよ、可愛い人!一緒に大笑いしましょうよ!

……と、皮肉が半分ではありましょうけれど、それにしても、害虫のような扱いしか受けていないのでは、ないようなのです。

«Who Is Who» bei Wagner – Rheintöchter - SRF.Ch
«Who Is Who» bei Wagner – Rheintöchter - SRF.Ch
ワーグナーヴェネツィアで自らの死を予感
したとき、最後にピアノで弾いたのがライン
の乙女らの楽曲だったと言われています〉

ところがこれを言われたとき、アルベリヒにはすでに、乙女らによる先制ジャブが効きすぎています。実にメンタルが、超よわよわです。
そして、その理性や分別を失ったパンチドランカー状態で、かってに思いつめて……〈すべての愛の断念〉! そして、黄金の強奪におよぶのです。

──こういうところが《ド陰キャの、きわめてダメなところだと、わがことのように私は思うんですよね! やっぱり怖いですね、インセルみたいな人は!
勝ちも負けもない無償の遊びを愉しむことができず、また、かけひきの愉しさも解さない朴念仁。それでいてスケベな欲望だけ性急にむき出し、しかも姿は醜さおかまいなし。これでモテますか?

ああ……。そういうことじゃないんですよね。
ただしこの件に限っては、何をどう努力しようと、アルベリヒの望むようなことにはならないでしょうけれど。

いや、そもそも。逆に陽キャでイケメンのきわみであるようなジークくんでさえ、この乙女らの心をつかむことはできなかったのです。
どうせ誰にも所有はされないにしろ、ましてへんな執着心のある者は、いっそう好かれない。陰とか陽とかだけの問題ではありません。

で、そうして、神らも英雄らも滅んだあと。とうとうと流れる大河だけが、私たち人間らとともに、悠久の歴史?……か何かを、刻みつづけるのでしょうか。
そしてその流れの中に、時おり私たちは、永遠に若く無垢であることを歓びつづけるあの乙女たちの姿を、幻視するのでしょうか。

──しかしまあ、そんな《予定調和》みたいなことは、ないんですけどね! いま、人の力によって念入りに護岸された荒川の流れを眺めながら、これも一種のしゃらくさいヴァルハラの築城かと私は思い、そしてその中に生きていることを思うのです。

赤い薔薇の花ことばは、「美」「情熱」そして「愛」…

【付記】 この記事に使用された『指環』シリーズ台本の和訳および音楽動画は、すべて《オペラ対訳プロジェクト》のご貢献によります()。多大なる尊敬と感謝です!
それとこの拙文の内容には、スラヴォイ・ジジェクさんの名著『オペラは二度死ぬ』(2003, 青土社)に影響されているところが、なくもないのは確かです。ですが、〈どこを、どう……〉ということが思い出せなくて、まずく引き写しているようなところがあったら、実にごめんなさい。