ポ  サ  研

─ Post-Truth Sound Lab, Vaporwave / Désir Duplication Répétition ─

ながいけん「第三世界の長井」 - 考察・“シリアス” と “ギャグ”とのはざまで眠る

予告していた感じの話題、第三世界の長井の感想文。できますれば、前の記事からご閲覧いただきたいのですっ!(

さてその前記事にて自分は、こんなことを述べた。「長井」というまんがの属するジャンルは不詳、SFっぽくもありギャグっぽくもある、と。
そしてその〈ジャンルが不詳〉、もしくはどっちつかずであるという性格は、ただ単にそうであるのではなくて、むしろこの作品の構造そのものなのでは……という気がしてきたんだよね。

《ギャグまんが》というものを特別に尊んでいる自分の立場から、ギャグじゃないようなまんがを粗雑に総称して、《シリアスまんが》とでも呼ばせていただこう。
そしてこの「長井」というまんがの中では、シリアスまんがとギャグまんがとの争い、イキオイの奪い合いが描かれている、と見れるのではないだろうか。

なぜそう思うのか。語ればけっこう長くなってしまいそうだが……。
まず前提として「長井」は、おおむねこんなお話だと、考えられなくないのでは。

ながいけん第三世界の長井」の独断的な要約》

1. 作品のヒーローである少年《I・O(アイ・オー)》と、ヒロインであるような少女《音那(ねな)》。この2人は、一種の超能力者である。さらに進んでI・Oは、自分は《神》である(であった)とか述べており、そこには検討の余地があるが、ともあれすごい力を持っていることは確か。

2. しかし彼らはその力を、私利私欲の追求、または逆に世界や社会の改善、といった目的のために使おうとはしない。その力を行使するとすれば、何らかの形而上的めいた原因による《世界の崩壊》を防止するため、くらいに考えていそう。

3. というこの2人は、政府につながる何らかの機関によって、保護もしくは管理されている。たぶんその、世界の崩壊の防止、という目的のためかと考えられるが。

4. そして作品本編の始まる半年ほど前、何か大変なことが起こったもよう。推測すると、その目的のため音那の行った荒療治、それにI・Oはまったく同意できなくて、きっぱり彼女とたもとを分かった。このため《機関》も分裂し、主流派の音那グループと、I・Oを擁するおそらく非公式の少数グループに。

5. それから作品のスタート地点、〈神であることをやめた〉みたいなI・Oを音那は呼び出して、作中の物語の主人公である《長井》に引き合わせる。これが、ご存じのように、とんでもなくヘンな人だった。

6. そしてこの長井というスーパーヒーローの誕生に始まる一連のチン事は、おそらく音那の演出であるっぽい。長井と《博士》が、侵略宇宙人らに対抗してズッコケバトルを展開すること──、それがいま危機にある世界を、かろうじてなぜだか救うはず。何かそんなことを、音那は考えていそうな気配。が、それをストレートには言わない。

7. そしてそんな音那のプランを、I・Oはまったく理解できない。ナンセンスでありかつ逆に危険だとしか思えないが、しかしあれこれのしがらみにより、かつ持ち前の人のよさにより、事態を放置することもできず、また音那のプランの阻止や妨害をはかることもできない。よって、おかしな連中の演じる情けなくも危険なドタバタ劇に、延々と巻き込まれ続ける。

──たぶん「長井」は、そんなようなお話だろうと見た上で。ではI・Oが、存続すべきと考える《世界》とは、いったいどういう世界なのか。
それは突飛なことが何もない、いたって《ふつう》の世界であるようだ。因果律とか物理法則とかが、きちんと保たれているような。

ところが。音那のプロデュースしてくる(らしき)奇人と怪人たちは、やすやすとへいきで、その因果律や物理法則らを踏み越え、じゅうりんしてしまう。
そしてその影響で世界の全体が、〈因果崩壊〉という惨事に見舞われることを、I・Oは恐れている。で、こんなことらを言う。

いずれ 因果律は 完全崩壊する。
因果性を失った 現実なんて ただの夢だ…
こんな形で 世界が終わる なんてな…(2巻, p.51)

このままじゃ この世界 本当に…
丸ごと バカの世界に なっちまう。(2巻, p.63)

このままじゃ 因果の破れが 全現実を 覆っちゃう。
1+1が 6だったり 猫だったり…
現実はデタラメな 夢になって 人類は終わりだ。(3巻, p.41)

──という、これらのことを見て、自分は思ったんだけど。

I・Oの言う〈丸ごと バカの世界〉、また〈1+1が 6だったり 猫だったり〉してしまう世界とは、われわれの考える《ギャグまんが》の世界なのでは。この「長井」の作中では、ギャグの非-論理が《シリアス》っぽい世界へと、侵入してきているのではないだろうか。
そしてそのような、シリアスとギャグとが作品の内部でせめぎあうという構造ゆえに、今作はジャンルがどっちつかずでしかありえなかったのか、と。

端的な例ではお話の中盤過ぎ、《キャプテン・トーマス》と《ファーザー》が、この作品にチン入してくる。すなわち、作者ながいけん氏による過去のシリーズ、ギャグまんが史上に輝く名作神聖モテモテ王国(以下「神モテ」)の名物キャラクターたちが、“場違いに”登場してしまう。
彼らの存在は“場違い”だと、少なくともI・Oが、考えているんだよね。そんなギャグでしかないような連中は、〈因果崩壊の異物〉だと(4巻, p.65)。その出現は、危険な因子に他ならない、と。

さて、まんがにおける、ギャグとシリアスとの違いは何だろう。いろいろあるけどまずひとつ、ギャグにおいては、われわれの《現実》を支配している因果律や物理法則、それらの無視ないし超越が許容される、ということがありそう。

すなわち──。爆発オチで環境がメチャクチャになっても、しかし次のエピソードでは、いつも通りの状況でお話がリスタートする。
腕をグニュ〜と長く伸ばして、月面の石を拾う。あっちへ向かったはずの人が、なぜかこっちから戻ってくる。
また、人が大ケガを負うと、瞬時にグルグルとホータイが巻かれた姿になり、そしてシーンが変わればもう治っている(!)。──このような。

とすれば、音那の語られざるプランの意図は、因果の律するシリアスな世界を維持することが不可能ならば、《ギャグ》であるものとしてでも、この世界を存続させようということなのか。〈何もしなければ単に全滅〉という見通しを前提に、それよりは多少マシな展開として。

が、そのいっぽう。現に音那が実行していることが、ちゃんと本人の意思によるものなのかということを、I・Oは疑っている。あるいは超能力の副作用で、誰か他者たちの意思が彼女の中に流れ込み、それをうっかり実現してしまっているのでは、と(2巻, p.7)。そしてその指摘を、音那は否定はしていない。

その、他者たちの意思とは?

I・Oのもとへとひんぴんと届く奇妙な《手紙》、それらに書かれたシリ滅裂な長井関係の〈設定〉たちが、その意思のテキスト化されたものなのか。《ギャグ》へと仕向けるナゾの他者ら、その意思が、この世界に影響してしまっているのか。

そんな風に考えて見ていると、「長井」単行本4巻のカバー画が、意味深だよね。どこかの街の駅前ロータリーみたいな場所を、音那が手前へと歩いているが……。
そして彼女が先導している一団は、長井やファーザーを筆頭とする、作中の《ギャグ》系の人物ら。現実的ではないヤカラ。
こうして〈ギャグを推進する音那〉と考えてみると、彼女のお決まりのアイドルめいた奇矯ないでたちも、ギャグではないけど意図的な、非日常性の演出なのか──と、思えてくるんだ。

しかしこの画面の左端、I・Oらしき少年は、奇人と怪人らに背を向けて、あちら側へと歩み去ろうとしている。その背中を、音那(と長井)が目で追っているけれども。

それとまた、ギャグにともなう《笑い》の要素。

前の記事でご紹介した未刊行チャプター〈新約〉の中盤、音那側の機関に属する医師《山地》が、仮死状態から蘇生したI・Oにキッチリとスーツを着込ませ、その七五三の礼装めいた姿を見て、なぜか過剰に大悦び。
その悦びの過剰さをI・Oから指摘されると山地は、〈笑いは救いですから〉と、みょうに気になることを言いくさる。
それの以前に山地は、彼がナースに仕掛けたささいなイタズラが成功したのを知ったときにも、異様に悦んで高笑い。
ことによったらこの過剰さは、音那側の機関がすでに《ギャグ肯定》──、そして笑いによる救済へ、という方向性に固まっていることを、表しているのだろうか。

このようにして、だんぜん《ギャグ》へと向かっていく世界の中、ギャグの世界を拒みたいI・Oには、何ができる──できた──のだろうか?
そもそもI・Oが超能力で何かをやらかすと、因果の崩壊が加速へ向かってしまうとは、本人も自覚していたこと。だとすれば、そんなよけいな力を持っている彼もまた、実はギャグ側の人物であるのかも?

では? このさいだからI・Oくんが《ギャグ》を受け容れて、何かあるたび〈ズッヒョー!〉とか言ってズッコケたり、または自覚的にツッコミ役をがんばったりすれば、このお話はハッピーエンドになれていたのだろうか?

【追記】 この記事を書いてから「神モテ」を読み返してみると、それが「長井」の世界の片すみのエピソード群だとしか思えなくなった。《ギャグ》によって侵食されつつある世界なので、ありえない連中がナンセンスな言語を語り、かつ不条理なドタバタを演じまくり──と、あの物語が合理化されうる。
だとすると、「神モテ」作中で《ブタッキー》もしくはマーくんが理不尽にモテまくっている理由も、たぶんそれ。〈そういう 設定が 創られたから〉と、考えられる。

そういえば。《ギャグ》ということで思うんだけど、この「長井」作中でヘンなものをヘンだと感じることは、一部の人物らだけの持つ特殊能力みたいな感じ。
つまり長井(ら)は一見して明らかにヘンなギャグ系の人物であり〈異物〉だが、しかし作中の一般人たちは、彼(ら)をヘンだとは思っていないらしい。そのヘンさを感じとっているのは、まずもちろんI・Oと音那、そしておそらく《うるる》

たぶん音那のエージェントたるべく人格を書き換えられて、ワリに重要な《キャスト》となった少女、うるる。博士とは別のアプローチで長井をサポートしようとするが、しかしときどき長井の言動のチン妙さに耐えかねて、口を抑えながら〈ブフッ〉と噴き出している。
ギャグの世界へと傾きつつある作品「長井」を、人々に先んじて彼女はエンジョイし、こっそりと大いにアプリシエートしていやがるのだろうか。

そうして、前の記事でご紹介した「長井」最終話にて。目の前のドタバタに対応してうるるが、〈ちゃん ちゃん〉と、コントのオチ的な効果音とポーズを提示し、作品の全編は終わる。その振る舞いがまた、〈ギャグだということを分かっている〉という、彼女の立場のアピールなのか。

……等々と? 長々しく書いてきてしまったが、《ギャグまんが》というものをムリに尊く見ている自分のような読者には、こういう風にも「長井」が読めるぜ、という風説の流布なのだった。
いや、この見方では説明のつかないデテールが多すぎる、それはもちろん自覚しているんだよね。がしかし、いかなる解釈をもってしても部位らのハミ出しがつきないようなので、ならこれを申すのもアリか、と思い。

また、ここで考え直すと、このお話またはこの世界が、「神聖モテモテ王国」くらいのギャグまんがに生まれ変わってほのぼのと終わる、ということもありえた気がしない。そうなるにしては、重めの描写やイベントらが多すぎているよね。
そもそも「神モテ」にしたところが、《ギャグまんが》としての安定感が破綻のスレスレで、かろうじて成り立っていた作品だったと考えられる。そしてそのギャグの展開の安定を、その土台が支えきれなくなっていくような流れの果てに、創作自体が中断され、未完の傑作として終わった。

そして、今作こと「第三世界の長井」もまた……。

で、文章のさいごには、なるべく前向きなことを書いて終わりたいけれど。しかしこのまんが作品「長井」とその周辺に、今後どういう前向きなことがありうるのか。
このあと「長井」がリスタートして、“ちゃんと”終わり直すようなことはあるのだろうか? 仮にそれがなかったとしても、ともあれ他にかけがえなき才能であるながいけん先生、そのいっそうのご健筆だけは切に願いつつ。

赤い薔薇の花ことばは、「美」「情熱」そして「愛」…

【補足など】 文中で〈X巻, p.YY〉のように言われるのは、ゲッサン少年サンデーコミックススペシャル版の「長井」単行本による。
また以下に示す、オレなんかよりはるかにアツく深く「長井」を読み込んでおられる方々のウェブページらを参考にさせていただきました。感謝・尊敬。

【追記】 2020年7月24日、「長井」関係に少し前向きな動きがあったことをご報告()。