ポ  サ  研

─ Post-Truth Sound Lab, Vaporwave / Désir Duplication Répétition ─

エキゾチカ/モンド/ラウンジ - 《陰》の流れ 〜 ネタ系音楽の源流・現状・展望ら、1 of 3・エキゾチカ

ヴェイパーウェイヴをコアとする、当節のチン妙でハレンチな音楽たちを、いとしいあなたにご紹介! という想いでココに、いろいろと書いちゃってございますが──。

そして、そのヴェイパーへと流れ込んでいる要素──あるいは発想、さもなくばアチチュード。そういうものとして《エキゾチカ/モンド/ラウンジ》らの系統は、かなり強め。チン妙さの原点だよねっ。
そんなワケで、それらの流れをチョコっと軽く追ってみるよ〜! 全3回のシリーズ予定。

そしてまず、とっぱなの今回は《エキゾチカ》! それは、オレたちの求めるエロチックで無責任な世界──なんだっ!!

1. デューク・エリントンの組織する、スケベなジャングル音楽隊っ!

「エキゾチック(異国的)な音楽」というくくりだけで言うならば、モーツァルトトルコ行進曲」(1783年頃)あたりでさえも、りっぱなソレだ。もっと古い例だって多数あり、《十字軍》とか《レコンキスタ》とかいったキーワードらとともに語られる。
そんな時代から20世紀の初頭まで、小アジア、ジプシー系、アフリカ、そして東西アジアの音楽らが、西欧という“中央”の音楽シーンに、もろもろの影響を与え続けてきたんだよね。

さていま〈西欧という“中央”〉と申したように、この文脈での《異国的》とは、西欧の視点からの言いぐさでしかない。だがそこを、“ひとまず”呑んでいただいて。

そうしてあまりにも古い話らはともかく、現在のわれわれの、こんにち的なエキゾチック音楽。そのルーツは、1920年代末ごろの、デューク・エリントン楽団による《ザ・ジャングル・サウンドだと、オレは考える。
その傾向の代表曲らは、“The Mooche”、“Creole Love Call”、“Black and Tan Fantasy”、“Echoes of the Jungle”、といったあたり。つべ等にもいっぱい出てるので、ぜひぜひ聞いといてくんちゃい。

中でもきわめつけは「ザ・ムーチ」なんだが、エキゾチックであると同時に、その《扇情性》が、あまりにもすさまじい。子宮とか精巣あたりに強力な揺さぶりをかけてくる、そういうサウンドだと考えられる。
そういえば、〈おジャズなんて音楽は風紀を乱すのでけしからぬザマス!〉といった意見を、いまどきは聞かないが。しかしむかしは強く言われ、かつ難じられたおジャズの《官能性》、その原点でありかつ頂点が、コレなのだ。イエイッ

Duke Ellington: The Duke At Fargo 1940 (2020) - Bandcamp
Duke Ellington: The Duke At Fargo 1940 (2020) - Bandcamp
ライブセットの2曲めにいきなり、あの
悩まし〜い「ザ・ムーチ」がっ……!

それもそのはず、イヤらしいのも道理。もとはといえば、エリントンのジャングルサウンドは、エキゾ風味の演出によるストリップショーの一要素として開発されたもの(!!)。
いや、マジ卍。《ジャズの歴史を作った5人の巨人》みたいな話では必ずノミネートされる、ちょー偉大なるエリントンさん(1899-1974)──。その壮麗なるサウンドは、ギャングと娼婦とセレブたちでごったがえす、放埒で淫びなナイトクラブにて育まれたのだった。

とまあ、エリントンさんの偉大さを語ればキリがないのだが。しかしうちらにとっての要点は、ここでひとつの方向性が、はっきりとひそやかにデキてしまったこと。
すなわち、それは。《エキゾチック》とはエロチックで無責任な世界である、という無意識の定義。

つまり。洋上の孤島らや未開のジャングルにおいては、おおらかでワイルドな性愛が横行している。いっぽうアジアのタイクーンやパシャたちは、ハーレムや後宮で毎日あんなことをエンジョイしている。かつまたお江戸のヨシワラにては、うんぬん。そういった無責任でスケベな思い込みらが、それの前提になる。
そういうのとはまったく無関係な音楽に、《エキゾチック》というレッテルを貼ったら、もはや失礼でしかない。だからこそ、シリアスな非西欧音楽みたいなものに対しては、《ワールドミュージック》とかいう別の呼称がデキている。

ただし。人間はすべてがスケベな生き物だから、異邦人らのスケベさを語るのも、まったくのウソでは“ない”。そこが逆にタチの悪いところだが、しかしスケベ談義はほどほどにして。

2. インターリュード:わ・た・し、は、女豹っ! ゥワァ〜ォワオワォ〜

このあとの1948年、笠置シヅ子の歌唱による「ジャングル・ブギー」(作詞:黒沢明, 作曲:服部良一)という楽曲が、わがニッポンから登場。スケベで無責任なエリントン式ジャングルサウンドのすなおな継承型だが、なぜなのかあまりにもデキがいい〜っ! ただし、孤立した傑作として終わる。

これあたりを至高のものとして、メイド・イン・ジャパンの異国的音楽は、戦前のチャイナ風とジャズ風、そして戦後のラテンやハワイアンやサーフィン風……等々と出ており、いずれもけっこう愛きょうはある。がしかし、全世界のエキゾ愛好層に親しまれるほどのブツは、ちょっといま思い出せない。

それとは逆に(?)、坂本九「スキヤキ」(邦題:上を向いて歩こう, 1961)が、エキゾ的ならぬエキゾそのものとして、なぜか欧米で超ウケてしまった。ニッポン自体が《中央》からは、エキゾ視の対象とされる側の地域であり文化圏なのだった。いまでも、なのかな?

赤い薔薇の花ことばは、「美」「情熱」そして「愛」…

追記。笠置「ジャングル・ブギー」をもう少し分析すると、エリントンにプラス、その同僚的なジャズ歌手キャブ・キャロウェイのスケベで無責任な楽曲「ミニー・ザ・ムーチャー」(1931)あたりに近い感じもある。《コール&レスポンス》の構造が入っているところなど。
それと失礼なんですけど、笠置曲の様式は《ブギー》じゃないですよね……? がしかしまぁ、淡谷のり子先生の「別れのブルース」(1937)にしても《ブルース》じゃないんで、別にいいのかな。

3. 《静かな村》から、全世界を制す! レス・バクスター登場!

で、初期のエリントンに続いたエキゾチックの巨星、それはレス・バクスター(1922-96)。その1951年のアルバム“Le sacré du sauvage”(Ritual of the Savage, 野蛮人の祭典)という、まったくありえない画期的マスターピース
それがもう実に、もう。アルバムの全編が無責任なエキゾ大会……そしてエキゾ系の永遠のテーマ曲である“Quiet Village”が、ここにて全人類へと向けてご披露される。なんて神々しいんだ、ひざまづくしかない……。

さて、そこにいたる過程。1922年テキサス州に生まれたバクスターさんは、ハタチ過ぎ時分からプロのジャズメンに。ピアノ、サックス、ボーカル等々、多方面にてご活躍。
それから彼はアレンジャー&指揮者に転向、その最初期の傑作が、“Music Out of Moon”(1947)。これがすでに、月世界のスペーシィなラヴ・アフェアを描くような(!?)、きわめて異色のムード音楽だった()。

そうしてわれらが「野蛮人の祭典」()は、タイトルからしストラヴィンスキー春の祭典(1913)にあやかったもの()。
そしてその奔放さをきわめたリズムの激流、変拍子の多用、チン妙で新奇なサウンドメイク、そしてエロスと残虐性の交錯するムード……! こういった要素らは、バクさんが尊敬してやまなかったストヴィンのソレで(も)あると、現在は知られている。

ただしっ? バクさんのバイオをジィーッと見てみても、「なぜ彼がジャングルを熱愛するにいたったのか」、という問いへの答は見つからない。そのライフヒストリーに、ジャングルや魔境らとの接点は、とくにないっぽい。
だがしかし。ストヴィンにおいては古代の未開ロシアだったインスピレーションの源泉が、バクさんにおいてはジャングルだった。で、それはなぜ──という説明は、必須なのか?

〈ンじゃさ、なぜオマエは、エキゾ系を好むどころか、暑苦しく語っちゃうほどのアレなのよ?〉、とでも問われたら自分は、「たぶんガキのころに視た特撮SF映画モスラとかの影響っスかねえ()」、とでも答える予定。
だがしかし。モスラっぽい映画を視た人の数はとんでもなく多いだろうが、けれどその中で、エキゾ系への傾倒に陥った者が、どれほどいるのか?

するとモスラキングコングなどは単なるきっかけで、それ以前に個々人の側に、エキゾ要素らの受容部が、あったりなかったりするのか。で、バクスターさんやオレとかは、それが少々キツかったのか。

と、たったいまキングコング(1933)という映画のタイトルが、つい出ちゃったけれど。
巨匠っ!マックス・スタイナー(1888-1971)によるそのサントラがすでに、特撮SF映画の劇伴はこういったもの、というイメージ&様式を、ほぼ完ぺきに完成しつくしている。そしてその中には、エロ&野蛮の無責任なエキゾ要素らも、すでに存在しちゃっている。
で、ことによったらバクさんも幼少時、そんなンを視て……という無責任でかってな想像は、許されることなのかどうなのか。かつ、どうであれバクさんもまた、やがてスタイナーのあとを追い、映画スコアの方面でも大家になっていくんだよね。

4. インターリュード:太陽神の乙女(を自称)、イーマ・スーマク

それと、補足しとくべき。ペルー出身のイーマ・スーマク(Yma Sumac, 1922-2008)という、かなりユニークな歌手について()。
バクスターさんが彼女をスカウトし、そのデビューアルバム“Voice of the Xtabay”の制作を、全面的にバックアップ。これが1950年と、「野蛮人の祭典」よりも先に出たエキゾチック作品であるもよう。そしてわれらが戸川の純さんも、イーマのボーカルスタイルを少しは意識していそう。

けれどもそんなに注目してみたくないのは、オレ個人がちょっとイーマさんの音楽を、実はあまり。純さんは好きなんだが……。

まあ、とにかくも。イーマさんの音楽はバクさんの系列で、このあとに誕生した《エキゾチカ》とは性格がやや違う、そこだけ押さえておきたい。そしてその価値は、各人が聞いて決めていただきたい()。

5. マーチン・デニー! 《エキゾチカ》の完成と、その大幅コストダウン

そうして時代(とき)は、ついに運命(さだめ)の1956年。われらがエキゾチカの神であるマーチン・デニーさま(1911-2005)、およびその人類史的名盤「エキゾチカ」が、とうとう世に広く出ちゃうハメに。

Martin Denny: Exotica (1956) - Bandcamp
Martin Denny: Exotica (1956) - Bandcamp
デニー「エキゾチカ」はモノ盤とステレオ盤で演奏自体が異なりモノのほうがグ〜、これはモノ

さてデニーさんというお人のほうが、バクスターさんよりは、そのストーリーを描くことがたやすい。まずその若き日、NY生まれでLA育ち、あまり売れないジャズピアニストだったデニーさんは、ドサ廻り的に南米とか、世界のあちこちを遍歴。その過程で、各地のエキゾチックな音楽や楽器らへの興味と嗜好を強めていった。

そして1954年、巡業先として訪れたハワイに、彼は自分の楽園を見出した。
その結果すみやかに、ハワイアンとラテンとジャズらのイイ加減でテキトーなアマルガム──それを基本としたマーチン・デニーのエキゾチック・サウンドが、ついついうかつにも完成されてしまった。

ちなみに、《エキゾチカ》ということば自体はむかしから存在したようだが、でもそれを音楽のジャンル名のように用いたのは、やはりデニーが初であるもよう。なワケでわれらのデニーさんが、《エキゾチカの父》であると言える。

さてだ。バクスター式のエキゾチックと、続いたデニーのエキゾチカ。その間には連続性も大いにありながら、しかし飛躍もある、との感じ方が多い気がする。それではいったい、何が変わったと考えられるのだろうか。
その違いはやはり、いまなお全世界をシビれさせ続ける超アンセム「静かな村」──、そのオリジナルのバクスター版と、カバーであるデニー版、両者の聞き比べで明らかになりそう。

あたりまえだが楽曲は同じ、そしてデニーは構成をそんなに変えてもいない。ただものすごく違うのは、デニー版は安い〉、ここにオレは注目してしまうんだ。

〈安い〉と言うのは、もちレコードの価格ではない。バク版がどう聞いても15人以上の大楽団によって演奏されている風なのに対し、デニー版はたった5人のコンボでそれを演っている。すると、たんじゅん&粗雑な計算で、人件費がわずか3分の1。
その安さでだいたい同じ、あるいはバク版以上のダイナミックな表現がなされている。楽曲のすばらしさは同じだが、しかしデニー版アレンジの輝かしさと力強さ──そしてチン妙さのマシマシ感

The Gene Rains Group: Rains In The Tropics (1962) - Bandcamp
The Gene Rains Group: Rains In The Tropics (1962) - Bandcamp
デニーバンドのマネしっ子だが、しかし独自の
ソフトなサウンドの美を誇るジーン・レインズ

このおみごとなコストダウン、《ローバジェット》への転換。それがデニーさんの大成功のエッセンス、だとオレは申すんだよね。

そうとなると。この曲に限らず、バクスターさんのアレンジには、よくも悪くもゼイタクさが感じられてくる。のちの、安い美味いなエキゾチカを聞いちゃった耳には。
またバク式については、映画のスコアっぽさが強い、とも言える。よき時代のハリウッドの放漫財政、そのヘンな影響がこんなところに──いやそれはたぶん関係ないと思うが。とにかくバクスター流アレンジは、そうなんだ。

大楽団によるエキゾチックから、小コンボのエキゾチカへ。別に大したことないようだが、でもこれによって《エキゾチカ》は、その持続の可能性を高めたかも知れない。ちょうど本場のおジャズでも、マネーのショートからビッグバンドがすたれに転じ、コンボ全盛の時代になっていたのとシンクロして、ね。

かつ、小人数で演れるというお手本を鮮やかに示したことは、のちのちのポップバンドらへの影響でも効いてきたはず。NYタイムズ紙の2005年3月、デニーさん追悼記事によれば──()。

彼の音楽は、60年代のロックンロールの普及とともに人気が衰えましたが、レコードコレクターやフリンジ(周縁的)ミュージシャンにアンダーグラウンドの聴衆を見つけ、その後数十年後にキッチュとして本格的なルネッサンスを楽しんだ。
先駆的なイギリスの産業音楽グループThrobbing Gristleは、デニー氏に「グレイテストヒッツ」アルバムを捧げ、StereolabAir、Combustible Edison、Stereo Totalなど(1990年代の)の芸術的なバンドを通じて、エキゾチカ時代を掘り起こしました。

Google翻訳システムの出力, ()カッコ内は補足)

本場の見方は、そういうことだが。でもニッポン人の見方では、かの細野晴臣さまに影響を及ぼしたデニーさんの功績が、あまりにも超ビッグ。さらにそれへと続いた例は、たぶん皆さまもご存じのことかと。

Monster Rally: EP (2010) - Bandcamp
Monster Rally: EP (2010) - Bandcamp
チン妙にもほどがあるエキゾ系のパクリ&
ツギハギループトラック集、モン・ラリの
デビュー作にして一番デキがいい感じ

それと、だ。エロさと凄惨味を売りにしてきた、それまでのエキゾ系らに対し。続いたデニー式エキゾチカは、エロ表現がかなり婉曲になり、そして《野蛮》は《素朴》くらいにやんわり置き換えられている。
そうなった理由は、デニーさんの趣味や人柄もあろうし、また《楽園》ハワイ発のものゆえ、ということもありげ。で、この点がまた、その大人気のひみつのひとつかなと。かつ、無責任なムードは《逸楽》として変わらずにキープするっ。

等々々と、そういうことで──。

さらにデニーさん以後の《エキゾチカ》についても、語りたかったことらはあるんだが。しかしもう、これがあまりに長ぁ〜い記事になっちゃってるよね。
だからスマンけれど、そこらは皆さまが、スロッビング・グリッスルステレオラブ)、またはYMO等々を、自主的に愉しんでアレしてちょんまげ。それとBandcampのエキゾチカ紹介コラム()、そこにもいい情報が書かれていそう、たぶん。

で、そこいらからさらに、われらの現在のヴェイパーウェイヴとかやらの邪悪で陰険なポップへと、つながっているものが何かある、はずである……と、信じるんだよね。NYタイムズの指摘したキッチュということ、おそらくその周辺に。

それではさいごに、シリーズ次回の予告。エキゾの次には、「《モンド》 - 音楽残酷物語」をお届けしたい感じ。じゃ〜またねぇ〜っ!