ポ  サ  研

─ Post-Truth Sound Lab, Vaporwave / Désir Duplication Répétition ─

エキゾチカ/モンド/ラウンジ - 《陰》の流れ 〜 ネタ系音楽の源流・現状・展望ら、2 of 3, モンド

現在のわれらのヴェイパーウェイヴへと続いているかも知れない、チン奇な音楽の流れをたどるシリーズ記事。前回の第1話、《エキゾチカ》から続く()。
そしていまわれわれは、《モンドミュージック》について一定の知見を得ようとしてるんだけど、しかしその前にひとこと。

この《Mondo Music》なる語は、ニホン以外の国と地域では、そんなに言われていないのでは? 和製ジャンルなのか? そんな気がしてきたんだ、いろいろ調べているうちに。
というのも、まず英語のウィキペディアに、その項目が“ない”。またBandcamp、Discogs、Allmusicらを調べても、バシッとしたカタマリが見つからず、手応えがほとんど“ない”

とはいえ自分もニッポン人であるせいか、何となく、モンドミュージックと呼んでいいような領域が、なくはないような気がする。そしてその領域を、まあ自分なりのかってな感じで、以下に略述してみるんだよね。

1. 《モンド》の誕生、または「音楽残酷物語」

英ウィキペに“Mondo Music”の項目はないが、しかし“Mondo film, モンド映画の項目は存在する。そして1962年のイタリア映画、ヤコペッティ世界残酷物語」の大ヒット、そのインパクト、それがこの案件の発端なんだ。

Piero Umiliani: Svezia Inferno e Paradiso OST (1968) - Bandcamp
Piero Umiliani: Svezia Inferno e Paradiso OST (1968) - Bandcamp
これぞモンド映画の一典型、その邦題は
「フリーセックス地帯を行く〜天国か地獄か」

この世界残酷物語なる映画は、まさに世界の残酷な奇習・風習・蛮行らをご紹介という趣旨の、しかしかなりの部分をフェイクで作った擬似ドキュメンタリーだった。
その原題“Mondo Cane”は、直訳すれば「犬の世界」。ただしイタ語の“cane, カーネ”は、どうしようもなくヒドい、くらいの俗語として言われているもよう。

そしてこの「犬の世界」のワールドワイドな大ヒットを受け、それと似たような、扇情的でフェイク満載の擬似ドキュメンタリーらが、各国から続々と登場。
そしてそれらが「モンド・カーネ」にちなみ、《モンド映画》と呼ばれるジャンルを形成してしまう。その流れは1970年代まで、細ぼそとだが続いた。

さらにそこから派生したものが、《モンドミュージック》だと考えられる。悪趣味、チン奇、興味本位、毒々しさ、フェイク上等、そういう志向らを犬から継承した音楽なのか、と。
なお、この《モンドミュージック》は、いま現在言われるマジメな《ワールドミュージック》とは、ほぼ関係がない。モンドとワールド、「世界」と訳せることばが重なっているのみ。ただしワールドミュージックの一部には、モンド的感覚を漂わすものが実在するにしろ。

また、そのいっぽうで。モンド映画にくっついた音楽たちそのものは、実はそんなに悪趣味でも、チン妙でも、“ない”。ここが何か、複雑で面白いところで。
すなわち、ニホン語のウィキペにいわく──()。

モンド映画の音楽》
モンド映画には、『世界残酷物語』のリズ・オルトラーニによるテーマソング「モア」の大ヒット以降、これを真似して、衝撃的な映像にもかかわらず、流麗で叙情的な音楽、あるいは能天気かつ瀟洒で明るい伴奏(ラウンジ・ミュージックなど)が数多く添えられた。
Jukka Eskola Soul Trio: Jukka Eskola Soul Trio II (2017) - Bandcamp
Jukka Eskola Soul Trio: Jukka Eskola Soul Trio II (2017) - Bandcamp
フィンランドのラウンジーなジャズバンド
のEP、4曲めが「モア」のナイスカバー

これは、けっこう言い得ている感じ。ただし犬の音楽は、オルトラーニとニーノ・オリヴェイロの合作なんだが。
また、「モア, More」というタイトルと歌詞らは後づけで、サントラ本来はインスト。そして正式な曲名がはっきりしないので、「モア」または「世界残酷物語のテーマ」、どっちかで呼んでおけばよさげ()。

これがどのレベルの名曲かというと、およそ文明世界の住人で、この楽曲をぜんぜん聞いたことがない人間は存在しない、と断言できそう。有名なアーティストではシナトラやエリントンらに始まり、そして“すべて”のポップス系オーケストラたちが、これをカバーし続けている。
かつまたそれらのサウンドが、全世界のショッピングセンターでも演奏されまくり。ゆえにこれは、うちらの言う《モールソフト》の元祖的な名曲、でもあるっぽい。

ただし「モア」のように〈流麗で叙情的な音楽〉と、ニッポンで言われる《モンドミュージック》とは、あまり結びつかない。むしろ、何か関係があるのだろうか、と疑問。
だがしかし、それはそれとして。〈衝撃的な映像〉らに対し、美しい──またはコジャレた音楽をくっつけていく、そんな志向は、モンド映画に続いた《ジャッロ》映画の中で、さらに発展していくのだ。

2. 《ジャッロ(黄色)》の王たち、血みどろ残虐と快音の博覧会
Ennio Morricone: Crime And Dissonance (2005) - Bandcamp
Ennio Morricone: Crime And Dissonance (2005) - Bandcamp
E.モリコーネさまによるラウンジ系
サイケっぽい楽曲らのセレクション!

《ジャッロ, Giallo》とはイタリア語で、本来はただ単に、「黄色」という意味。けれどもこの語が、二流三流のスリラーやホラーの小説と映画を総称するのに使われた()。

その用法の起源は古く、1929年。イタリアの出版社モンダドーリが、「黄色シリーズ」みたいな叢書として、安手のスリラーを売りだしたことに始まったとか。名称の通り、カバーの地色のまっ黄色がトレードマークだった。
まあニホンでも、江戸時代の黄表紙、第二次大戦直後の赤本、といったことばらがあったので、それに類する言い方なのかと。

そして、この《ジャッロ》──エログロバイオレンスを最大の売りものにするB級C級のスリラーやホラー──、これがイタリア映画の世界で一大ムーブメントをなしたのは、1963年から80年代の初頭あたりまで。
けれど、ニホンでもヒットした映画はそんなにないんだが、とりあえずダリオ・アルジェントの一連の作品らは、ジャッロ(的)だと言える。ジャッロへの愛が深すぎてアルジェントさんは、ズバリそのタイトルの映画(邦題「ジャーロ」, 2010)を撮っているほど。

そしてこの、モンド映画に続いてブームとなったジャッロ映画。そこにおいてもストーリーや映像に反するような、美しく流麗な、またはオサレげな音楽の多用、という奇妙な傾向があったわけ。きれいなメロディのフィーチャーに加え、ライトなジャズファンクボサノヴァ調のアレンジらが目立っていた。
そのことを受け、イギリスの映画評論家アンヌ・ビルソンは、こう述べている()。

Giallo Soundは、典型的にはグルーヴィーなラウンジミュージック、神経を揺さぶる不和、そして実際にスローモーションの断頭を伴うという事実を裏付ける一種の心地よい叙情性の夢中にさせるミックスです。

Google翻訳システムの出力)

V.A.: best of italian film -9% + φ vol 1 (2020) - Bandcamp
V.A.: best of italian film -9% + φ vol 1 (2020) - Bandcamp
あやしげ感のきわめて濃ぅいジャッロ系音楽
オムニバス、たぶんモノは確かなんだが…

続いてアンヌさんが「たとえば……」と提示している例が、エンニオ・モリコーネ作曲による、アルジェント「4匹の蝿, Four Flies on Grey Velvet」(1971)のテーマか何か()。映画自体はまたその血みどろでグロいスリラーのようだが、しかしなぜだか音楽が、何やら軽妙でシャレオツっぽいジャズファンク
このヘンな〈神経を揺さぶる不和〉、またその〈心地よい叙情性の夢中にさせるミックス〉。それが、ジャッロの音楽的な特徴なのだ。モンド映画の音楽のふしぎなオモシロ性が、なぜなのかそこへと継承されて。

かつまた。こうして“誰も”が、モンドやジャッロの映画音楽について、《ラウンジ》的だと述べているけれど。いやじっさいに、いま現在はそう聞こえるけれど。
だがしかし、それは後づけの感想だ、ということに注意する必要あり。そんな見方が出てきたのは、1990年代の《ラウンジ》ムーブメント以降の話だと、しか考えられない。名づけようの困難な音楽たちに名を与えた、そのムーブメントのインパクトは、こうやってポップ音楽の歴史を書き換えつつあるのだ。すごくない?

そうしてこんにち、《ラウンジ》の文脈で注目されている、ジャッロ系のスコア作曲家たち──。ここまでに名の出たオルトラーニ、オリヴェイロ、モリコーネらに並んで、次のような方々が、よく知られている。

アルマンド・トロバヨーリ(Armando Trovajoli)
ブルーノ・ニコライ(Bruno Nicolai)
カルロ・サヴィーナ(Carlo Savina)
グイド&マウリツィオ・アンジェリス(Guido e Maurizio de Angelis)
ニコ・フィデンコ(Nico Fidenco)
ピエロ・ピッチオーニ(Piero Piccioni)
ピエロ・ウミリアーニ(Piero Umiliani)
ピノ・ドナッジョ(Pino Donaggio)
ステルヴィオ・チプリアーニ(Stelvio Cipriani)

かつまたこの名簿は、1960年代から80年代前半あたりまで、B級C級イタリア映画のスコアを乱作していた連中──その中の上ずみ、マシなほうの面々(!)、とも言い換えられる。

何と言ってもお手本は、かの偉大さをきわめたモリコーネ師だ。この20世紀最大のスコア作曲家には、「仕事を選ぶ」などというオツな考えが、存在していたふしが“ない”
つまり、数ヶ国の合作による超大作もヤるし、また三流レベルの見せ物映画もヤる。態度の違いが、ほぼ見受けられない。さすがっ! モリさまの英名よ、永遠(とわ)に!

3. そして《モンド》は、犬の世界へと還る?

と、ここまでを書いてきて、自分は思う。「これではまるで、《ラウンジ》の前史の一部を説明しただけじゃないか? そのいっぽうの《モンドミュージック》とは何なのか、ほとんど言えていない!」──。

V.A.: The Rebellious Jukebox Plays Eclectic Exotica (2015) - Bandcamp
V.A.: The Rebellious Jukebox Plays Eclectic Exotica (2015) - Bandcamp
L.バクスター、M.デニーらを筆頭に「秘教」
的なエキゾ系を全100曲も集めたオトク品

たとえば《エキゾチカ》という音楽には、いちおうの実体があり、コアがある
何せマーチン・デニーさまの人類史的傑作アルバムのスリーブに、デカデカその文字が書かれている。とにかくコレがまず《エキゾチカ》なのだ、そう考えて、誤りようがない。

それに対し、《モンド》と《ラウンジ》には、そういう実体がない。
ようは切り口、それぞれが、ひとつの趣味や見方であるにすぎない。それも1950-60年代あたりの古ネタたちを、事後的かつ恣意的に言っているだけ、みたいなもの。

では、《モンドミュージック》とは、どういう趣味嗜好なのだろうか。大まかに言えば、こういうことにもなるだろうか。

〈ポップ音楽の歴史のすみっこに埋もれた、黙殺無視されがちな古いジャンク音声らの中から、あえてムリにでもトレジャーを見出そうとする。〉

だとして次に、《モンド》っぽさの感じられる音楽たちを、思いつくまま列挙してみよう。

  • ワールドミュージックから派生とかそういうポップ
  • いにしえR&Bの中のチン物ら、スケベだったりエキゾ風だったり
  • サーフィン/ホットロッド系ギターインスト、ファズギターがブリバリのおサイケ、ロカビリー(サイコビリー)、等々々の時代性が強く刻印されたジャンル
  • 何かとチン奇なサントラ、企画もの、それら全般
  • モーグでアープなアナログ時代のシンセサイザー音楽
  • 《ライブラリーミュージック》、音効さんが使う用の音楽
  • 何でもいいのでSFホラーでカルトっぽいサウンドレトロフューチャー
  • ノヴェルティソング、コミックやトゥーン系のサウンド
  • レイモンド・スコット、むかしのアメリカのテレビCM音楽を大量に書いた人(
  • 動物の鳴き声などの、本来まったく音楽用でない音をフィーチャー
  • アメリカの変質的なニューウェイヴ系バンド、《ザ・レジデンツ》(
  • 《ボンデージの女王》ことベティ・ペイジさまの関連、ビザール系
V.A.: Katanga! Ahbe Casabe: Exotic Blues & Rhythm Vol. 1 & 2 (2016) - Bandcamp
V.A.: Katanga! Ahbe Casabe: Exotic Blues & Rhythm Vol. 1 & 2 (2016) - Bandcamp
たぶん1950年代あたりの、エキゾっぽく
そして気品のないR&Bのチン品オムニバス

そうだとすると、ベティ・ペイジ、レイスコ、SFホラー映画のサントラあたりは、いい。と、オレは思うとして、でもそれ以外は、「うん、まあ……」という気もしてしまう。うん、まあ。
ただ、これには少しカラクリがあって。まずエキゾチカ、次には《ラウンジ》と称しうる多少はシャレオツな部類、それらを抜いたら《モンド》に残るのはこういうものか、というリストアップ。

そもそもニホンでしか言われてないジャンルみたいだし、もういいのかな、という気もしてくるよね。ベティさんやレイスコやSFサントラ等、いいものはラウンジ系で引き取る、ってことでよくない?

なお、ここでやや新しめの《モンド》っぽいのをご紹介しておくと。《メッサー・チャップス》というロシアのバンドは、むかし《ザ・クランプス》がサイコビリーでやっていたことを現在、サーフィン系ギターインストで演っている。
つまりホラーでSFなムード、コスプレ的演出、そしてもちろん“すべて”がレトロ風。しかも女性ベーシストの《ゾンビレラ》さんがベティ・ペイジ風のお美人なので、まったく申し分ない──ようにも思えるんだが。

が、しかし。ハロウィンパーティ向けにはいいような気もするけれど、かつ存在自体がキュートではあるけれど。
でも《音楽》的には、以前にご紹介のクランビン(Khruangbin)に比べて、ちょっと……()。ここらにおいて《モンド》とラウンジ、それぞれの趣味や美学の深み、その差が出ちゃっている気がしなくもない。

まあ実のところ、自分が《モンド》をそんなに分かってないんで、それでつい見方が懐疑的になっているのかも──。と、論調を弱めておくけれど。

あと、以前にもこの言い訳をしたんだが。1995年刊行の和書「モンド・ミュージック」()、この本はたぶん参考になりそう、そして近所の図書館に収蔵されているけれど、しかし見れないんだよね。
なぜって“新型肺炎”流行のせいで、図書館がガッツリと閉鎖されちゃって。このことは、痛い──それを見ていればきっと、もう少しはいいことが書けたに違いない、そりゃもう。

で、まあ。かくのごとき《モンド》的流れからも、われらの現在のヴェイパーウェイヴとかいう劣悪で陰湿なポップへと、つながっているものが、何かないとも限らない。少なくともまず、趣味のよくなさは共通しちゃっているし。

それではさいごに、シリーズ次回の予告。モンドの次には最終話、「《ラウンジ》 - セカイから遠く離れた休憩所」をお届けしたい気配。では〜またねぇ〜っ!