エッコ チェンバー 地下

─ €cco ₵hamber ฿asement, Vaporwave / Đésir đupłication répétition ─

ボードリヤール「なぜ、すべてがすでに消滅しなかったのか」(2009) - 感想文その3, ジダンの頭突きが

《ジダンの頭突き》の懐しいAA!
ジダンの頭突き》の、懐しいAA!

さてこの、ボードリヤール「なぜ、すべてがすでに消滅しなかったのか」というご本の感想文も、すでに第3弾。そしておそらく、これが最終回。
なぜ終わりなのかって、図書館の本なので、そろそろ返さないといけないから。第1回()と、第2回()も、よろしくご覧あさっせ〜!

そして、この最終回は──。ご本のほぼ巻末でボードリさんが、2006年ワールドカップ決勝ジダン頭突き事件》の犯人を、けっこう奇妙なりくつで賞賛しておられる、そのお話を取り上げるんだよね。
まあボードリさんのご本といえば、たいがい〈奇妙なりくつ〉しか書いてない。それも、(おそらく)そうだけどね!

で、仮に万が一、ジダンの蛮行をムリに肯定しくさるヤカラがいやがったとしても。でもまさか、ボードリちゃまの言われるような奇妙なりくつから、ではありえなそう。

サッカーのパフォーマンスの頂点から、反パフォーマンスの頂点へと移行し、最高度の輝きを放つ善(ワールドカップ)を挫折させることで、彼が一気に暴露したのは、グローバリゼーションの中心に潜む虚無の存在だった。
それも、反逆行為などではまったくない。単純な行為によって、ジダンの頭突きは、あらゆる個人的理由とは別に、彼の外部からもたらされたといってもよい──システム全体を動揺させると同時に嘲笑する主役が彼に回ってきたのだ(中略)。
それは、すべての人びとにワールドカップを失わせかねない一撃だったが、グローバリゼーション自体を勝利させるよりはよかったといえないだろうか。

(本書 p.109, 改行を追加)

つまりW杯なんてものはグローバリゼーションの偽善の祭典でしかないので、それをブチ壊しにしたジダンが一種のヒーロー、みたいなこと?
しかし、自分が多少のサッカーファンであるせいか、そんなには承服しきれないんだよね。

そもそもボードリつぁんの、サッカーそのものに対するスタンスはどうなのか。おフランスはランス(Reims)市のご出身だけに、地元クラブの《スタッド・ランス》のファンだったりはしなかったのか。
けど、そういう話はどこにも見つからず、ちょっと調べがつかなかったんだ。

で、オレの思いますに──。

ちょっと異なった切り口かも知れないが、今21世紀のサッカー界が、《グローバル資本主義》の一部分でありすぎること、それはそう。まさしく、あまりにも
が、だからといって、サッカーそのものをブチ壊しにすることがさわやかな解決、とは思えないんだよね。まるで、〈カレー味のウンコのほうが美味〉、とでも言われた感じ。

しかも? 暴行犯であるジダンというその人物は、わずかな罰金とごく短い謹慎期間を経ただけで、きわめてへいきにサッカー界の頂点あたりへと復帰。そして、グローバル資本主義の体制が大衆に下げわたす《パンとサーカス》、その後者をご担当。で、この体制の繁栄を、別に〈嘲笑〉しはせず、いや大いに謳歌してくさる。

そしてこの事件が遺したものは、勝ちゃ何でもいい、バレなきゃ何してもいい、というドブ汚いゲス根性と、そしてそのクソ野郎どもをメカニカルに監視するテクノロジー《V.A.R.》だけだ。
──世界の《すべて》を監視する壮大なシステムがまさに構築されつつある、どこでも“パノプティコ〜ン”──、そんな現況とサッカー界とが、きれいに対応してね!

ってワケで、よかったことが何ひとつあるようには思えないんだ。サカーのファンとしても、別にそうじゃないとしても。
しかしまあ。たぶんボードリたんの言説らの内部的な文脈では、〈こういうこと言いそう〉っての、あるんだろうけど!

で、さいごに。もう少しだけ念を入れて、ボードリさまのサカー観を調べたら、こんな名言をも遺しておられるらしかった()。

「権力は、大衆を困惑させるためにサッカーに悪魔のような責任を負わせて喜んでいるだけです」ジャン・ボードリヤール
 
ハイパースペースにボールを投げ込むことで、ジーン(=ジャン)はどんな反対も混乱させることができる。

(グーグル翻訳システムの出力)

ハイパースペースに〜〉うんぬんのセンテンスは、編集者からのコメントだと思う。ちょっとウマいこと言いやがるなァと、ついつい自分は感心してしまった……ッ!!