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─ €cco ₵hamber ฿asement, Vaporwave / Đésir đupłication répétition ─

《PURE LIVE II》 - ドリームパンク系のオンライン・フェス(18 & 19, 7月, 2021)追記

ヴェイパーウェイヴの関係の、オンライン・フェスティバルのお知らせです。
いま現在は7月18日、まずその第1夜が成功裡に終わったところです。
そして第2夜を前に、情報を最新のものに修正します。

【名称】 《PURE LIVE II》
【概要】 英マンチェスターのドリームパンク系のレーベル、《PURE LIFE》)。その主催するオンライン・フェスの、昨年5月の初開催に続いた第2弾
【出演者】 アーティスト約30組が出演、図を参照(
【開催日時】 日本時間(JST)2021年7月18日(午前1時-10時) / 19日(午前0時-8時)
【放映URL】 Vapor Memory() / PURE LIFE(

第1夜は予定通り、午前1時に放映がスタートしました。しかし第2夜は変わって、日本時間0時に始まると、追ってアナウンスされています()。
けれど、ニホンのファン的には実のところ、繰り上がってくれたほうがありがたいですよね! 早朝を通りこした真っ昼間の放映になってしまうよりも。
そして終了の時間は、わりとなりゆきみたいです! 第1夜のタイムテーブルは、たぶん最終的に、40〜50分くらいの遅延をきたしたように思います。

そのせいで、ひとつのお目あてであった《DROIDROY》さんのショーが()、思わぬ時刻に始まって……。さいしょのあたりをしっかりと、視聴することができていたのかどうか?

では、ついでにここで、第1夜の感想を述べますと。
そのドロイさんと、その次に出た《輕描淡寫》さん。この両者のショーが、圧倒的な印象を残してくれました!

スタイル的にはいずれも、しっかりと構築されたアンビエント系です。あわせて輕描淡寫さんのサウンドは──アイスランドの女性アーティストであるらしいですが──、オリエンタルな風味のつけ方が濃い()。
そこをあんまり好きじゃないように、実は思っていました。ですけれど、この夜のショーでは、なんというか快く押し切られたんですよね!

これにより、私が《ドリームパンク》について思うところも、少し変わってきそうです()。なおチャット欄にては、主催者《PURE LIFE》のボスが、〈うちはヴェイパーウェイヴは扱わない〉と、はっきり述べていました。ああ、やっぱり。

と、それやこれや、いろいろなことがありましたが……。
ともあれ〈今夜〉、《PURE LIVE II》の第2夜で、ご一緒いたしましょう!

赤い薔薇の花ことばは、「美」「情熱」そして「愛」…

(この記事は、下が遠い過去で上が近い過去と、積み上がっています)……ただいま7月16日、追加された情報らを追記しています。約24時間前の初稿を書いていた時点では、スタート時刻も出演者も発表されていませんでした。
そのあたりをむりに、整合性ある感じに書きなおすのも、めんどう……あ、いや、うそになるような気がするので、以下はその初稿そのままです。

赤い薔薇の花ことばは、「美」「情熱」そして「愛」…

ですけれど、出演者たちの顔ぶれや、そもそもスタートの時刻が、いまだアナウンスされず。後者についてはシリアスな問題と思うので、もっか問い合わせています。

──と、このことを私が書いている現在は、7月15日の午前中です。つまり本番まであとたったの2日間だが、しかしいまだ詳細が明らかでない、ということです(!)。

ここらで想うところは少し、なくはないですが。
しかし本番そのものは、いいものになってくれそうな気がします。このフェスは昨年にその第1弾を、ぶじに開催できている実績もあり。

CMD094: PURE LIVE FESTIVAL (2020) - YouTube
CMD094: PURE LIVE FESTIVAL (2020) - YouTube
なぜか映像がずぅ〜っとガソダΔWです!

その第1弾である、2020年5月の《PURE LIVE》フェスの動画が、ヴェイパーメモリーさんのチャンネルで公開されています()。
視てみると、このときは26組のアーティストらが参加していたもよう。顔ぶれはHKEさんを筆頭に、《Kagami Smile》、《Kuroi Ame》《w u s o 命》、そしてニッポンの人であるらしい《DROIDROY》さん、等々々。

たぶんこんどの第2弾も、同じような顔ぶれになりそう。ゆえにジャンルとしては、《ドリームパンク》──言い換えれば、陰気くさいチルアウト/IDMアンビエントもどき──が中心になるのでしょう。

追って詳細が分かりしだい、この記事に追記されるでしょう。

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用語説明《Dreampunk, ドリームパンク》(

オリンピックの顔と顔、ソ〜レソレ♪ - O山田・K-Goさんへの、友情ある提言

ニューズウィークだったかCNNだったか、それは忘れましたが……。
ひところそのようなサイトを見に行くと、〈トップビュー〉的なランキングに、《いまは廃墟と化した北京オリンピック会場の跡地!》のような記事が、ずぅ〜っと長きにわたり上位に居すわっていたのが、印象的でした。

さらに。その北京の大会は2008年開催ですが、2016年のリオ五輪などは、大会の閉幕からわずか半年で会場らが廃墟化、というみごとな仕事の早さを魅せつけたようです()。

そしていま、リオに続こうとしている東京五輪2020は──。

開催なんかされない前から、すでに廃墟化している……という、空前のすばらしい匠の技を、広く全世界へと誇示しているのでしょうか?

だいたい、私としては──。これでサッカーの少しファンですから、聖地・霞ヶ丘競技場をぶっ壊したあとに、ブタ小屋にもならないようなスタジアムもどきを建ててくれたあたりから、かなり頭にきているのですが。

で、この現在。その廃墟フェスタの開催まで、あとわずか一週間くらいというところで、またまた腐ったニュースが、世をにぎわせています。
それがまあ、ここでは名を伏せますが、Jポップのミュージシャン《O山田・K-Go》さんのことなのですけれど()。

え〜っと? 確か、前にもいくつか似たような……? 低劣すぎる話題らであるせいか、もうほとんど忘れていましたが……。

……あとさらに、エンブレムの意匠の盗用問題とかもあったのでしたっけ!

で、そうしたチン事らに続いてO山田さんが、また全世界へと、ニッポンなる国のある一面を、にぎやかにアナウンスしてくれているようです。
私の愛読書であるハトのおよめさん(by ハグキ先生)に登場する、ウサギのお母さん──彼女のことばを借りなくとも、〈国辱だわ!〉と、言いたいような気もします。

そして。O山田さんについて、何か擁護を言うご意見もあるようですが。しかし大かたの議論は、ここにつきているでしょう()。

ところで。私は例により、かの知性と良識と情報らの宝石箱──《タフスレ》によって、初めてそういうニュースを知ったのですが……()。
そこでまた紹介されていた、こういうツイートが印象的でした()。

「謝ればいいってものじゃない」って怒るひとは、どうせ謝らなくても怒るひとなので、結果的に「謝らないで無視する」が最適解になってしまう。
個人的には謝罪や許しよりも、忘れることが大事だと思っている。忘却がないと、断絶は広がるばかりだよ。社会も、愛情も、友情もね。

古市憲寿さん, 改行は引用者)

これを述べた方は社会学者であるそうですが──いや実は私も負けずに、某三流私大の社会学科にいたことがある感じですが──しかしそのご文は、ポエムですね!

すなわち。〈忘れる〉という述語の主語をぼかすことにより、そのあとのとうとつきわまるラヴ&ピースの登場を、強引に導いています。というか全体が飛躍まみれで、論理性というものがあまりにもなさすぎるようです。
この華麗にして優美なるレトリックに、説得力を感じた方がいるのでしょうか?

あっと、しかも。よく気をつけたら、〈O山田さんのことだが〉……という、話の前提までもが、きっちりとぼかされてポエティックです。にもかかわらず、このツイートにぶら下がったリプライたちは、すべてそういうお話として、これを受けとっているようですけれど。

しかしながら。

ここに、ひとつは、いいことが言われている──と、思います。
それは、〈忘れることが大事〉というフレーズです。
それを私は、やり場のない怒りや哀しみに苦しむ方々の側から、思うのです。

どうしようもない怒りや哀しみなどを、ひと通り味わってしまったら、なるべくすみやかに忘れ去ったほうがいい。具体的には、もろもろの愉しみらを生活の中に導き入れることで、その《有益な忘却》を少し促進できるでしょう。
──そのように、考えています。ですから、彼らの近くで気づかう人がいたならば、どうにかうまく、その愉しみらの導入を心がけて……と。

かつ、その反対のアプローチで。怒りや哀しみの源泉らを、少しでも彼らから遠ざけることもまた、その《有益な忘却》を促進するでしょう。
そういえば。さきにご紹介した、辞任済みの五輪関係者さま方の醜行らを、すでに私がほとんど忘れていた、という事実もありました。
引くべきときに引くことは、やはりかしこい身の処し方であるようです。

「東京五輪音頭 -2020-」制作発表会 - YouTube
「東京五輪音頭 -2020-」制作発表会 - YouTube
“五輪の音楽”、これだけあれば十分っショ!

だとすれば……? もはや《O山田・K-Go》という名前自体が、少なくはない人々の、怒りや哀しみの源泉になっているようですから……。
では、この社会とその歴史から、《O山田・K-Go》という名前を完全に抹消することが、傷ついている方々への最大の、償いと恩恵になるのでしょうか?

何しろ〈被害者〉であるような方々にとっては、〈加害者〉のプレゼンスそのものが、すでにひとつの攻撃です。それは、《有益な忘却》の進行を妨害します。

──と、そこまでは考えたのですが。しかしそれも、あまりなようです。
どういうお人であろうとも、彼には《人権》というものがあるのです。

では、ここから逆に、O山田さんの今後のうまい身の振り方を、考えてあげようと思います。《人権》をそなえた人間存在、その“すべて”への、友情の証しとして。

そもそも。問題が明るみになったとき、O山田さんには、〈事実無根のねつ造記事であると強弁〉、〈もう時効だからと開き直り〉、そのような対応の選択肢らも、なくはなかったでしょう。
がしかし、ご本人から謝罪文が出たことで、そういう態度はありえなくなりました()。

しかもその謝罪文が、人々をぜんぜんなっとくさせていないようです。それはそのはず、中途はんぱでびみょうな頭の下げ方でしかなければ、何の効果をもなさないと思うんですよね!

そんな風に、この場だけをかわしきったところで、なりません。
それでは今後、死ぬまで彼は、《いじめシンガー》、《ザ・ウ×コ・バックドロップ》、《公開全裸オ十二ー》、などの汚名らを生きるでしょう。いや、そんな後半生を、O山田さんは意図的に選択しているのかも知れませんが!

では、どうすれば? ……ということを考えれば、道はふたつでしょう。

まずひとつは、さっきも述べたようなことですが、《O山田・K-Go》という名前を棄てることです。ぜんぜん違う名前のミュージシャンとして、素性を隠して再デビューすれば、そのいまわしい汚辱の過去から逃れ、のびのびと活躍できるでしょう!

そうでなければ、もっと徹底的な反省と、具体性のある償い──、それらのジェスチャーを示すことです。

さいしょのステップ、五輪関係のギャラのすべてを、障がい児の教育関係あたりに寄付する──、まずそのあたりからでしょう。続いて、今後の芸能活動の“すべて”を、障がい者の支援と〈いじめ〉の根絶に、捧げるでしょう。
そこまですれば、4〜5年ほどのち、〈あのO山田さんも、りっぱに更生したな!〉と、人々のおぼえもめでたくなると思います。イェイッ

ちなみに、後者のアイデアは──。元アイドル歌手の《S井N子》さんが、覚せい剤の使用で訴追され、執行猶予の判決を受けたあとの、実にインプレッシヴな第一声からヒントを得ています。

芸能記者:これからS井さんは、どうなさるおつもりで?
N子さん:今後はぜひとも、反・覚せい剤の啓もう活動やキャンペーンで、〈お仕事〉をいただきたいと思っています!

……いや、しかしまあ。O山田さんの音楽をそんなには知りませんが、にしてもそのベースの姿勢は、スノビズムシニシズムであるかと考えています。
それがどういった《福祉系ミュージシャン》になれるのでしょうか、私にだって想像がつきません。

なので私のおすすめは、どちらかといえば、前者のバックレです

それにしても、ああ、東京五輪2020……! どうしても開催されるなら、もうこれ以上の害悪や不幸や醜悪さがなく過ぎてくれることを、心から望んでやみません!

Unclesand: Club Vaag and FG Xtra … (2020) - 走れ! 地獄の行進曲だッ!?

《Unclesand》──アンクルサンドは、ベルギーの2人組。ハードテクノ系のDJ/プロデューサーです。
メンバーそれぞれの音楽キャリアはすでに20年におよび、〈そしていま最終形態として〉、このデュオで活動しているそうです()。

……で、いや何か、こう。ただのイメージですが。
イケメンおふたりそろっての写真のふんいきが、DAFとかニッツァー・エブとかの《ボディ系》、すなわちEBMみたいで、いいですよね!

それと言うまでもなくベルギーは、1990年代初頭からのハードテクノの本場です。T99、アナステイージア! ジェームズ・ブラウン・イズ・デェーッド!
そしてそれもまた、もともとEBMがベルギーでは盛んだったので、そちらからテクノへと流れた人材が多かった──とも、伝えられています。

ただしそんなことたちは、いまの私には、どうでもよい感じで……(!?)。

前にご紹介したような事情により()、〈何ンかこう、強迫的で脚が止まらないようなハードテクノのMIXが欲しい〉、と思い。そして探し当てた中のひとつが、このアンクルさんたちによるものだったのです。
似たようなものはいっぱいある──とも言えそうですが、拡がり感とゴシック風味を出しているのがいいですね。これは20世紀のハードテクノにはなかった感じで、あるいはトランスの影響などがあるのかも。

ですけれど。もう現在は基準テンポが、だだ下がりの人になっている私が、いまさらハードテクノを聞きたがるなんて……とは、思ったりします。

……以下はしばし、私個人の反省文です。

1994〜2001年のあたり、《テクノ》にハマりきっていた──誇張でもなくひところは、寝てる最中にまでもテクノのことを考えていた──私は、当時の仲間らと、ちょっとそのミニコミみたいなものを発行していたのですが()。
そしてそこで、当時の流行りのハードミニマルを推しすぎていたのでは、と、ずっと後悔しているんですよね!

Le Car: Auto​-​Reverse (2018) - Bandcamp
Le Car: Auto​-​Reverse (2018) - Bandcamp
Late 1990's エレクトロを代表するバンドの
ひとつ、《ル・カー》のベストアルバム

ただし、100%のあやまちだったとも自覚していません。確か1998年くらいまでは、何しろそのハードミニマルと、またその母体だったハードアシッド、それが当時の最良の《テクノ》だったでしょう。
しかし1999年くらいから、二番どころか三〜四番煎じの、うるさくて単調なだけのミニマルらがあふれすぎ、〈もはや、“音楽”って感じがしねェし……いいかげんにしろ……〉くらいに感じていました。

ではありながら、ハードミニマル一色に染まりきったシーンの中で、それを言い出す勇気と空気の読めなさが、不足していたように思います。
その晩期には、少しでも向きを変えようとして、〈マイク・インク等のケルン派の、ハードではない“ソフトミニマル”が、よくない?〉とか、〈むしろエレクトロ・ファンク系、ブレイキンなヤツがクるッ!〉──などと、書いていた気もするのですが。

ちなみに後者は、追って海外のメディアが《エレクトロ・クラッシュ》と名づけたムーブメントです。音楽的にはすぐれたものがその中にあったと、いまも思います。
がしかし、フロア用ツールとしての弱さ──むりにでも身体を動かしてくる強迫性の、相対的な乏しさ──が、けっきょくは払拭できなかったもよう。よって、流れを変えることができませんでした。

そんなテクノ晩期のできごとで印象が強いのは、DJ Rush──DJラッシュというシカゴの人のスピンする現場に出かけ、そして30分もいられずに帰ってしまったことです。
そのヴェニューが青山の《マニアックラブ》だったのは確かで、時はたぶん2000年あたりでした。

このラッシュさん、確かトラックメイキングのほうでは、比較的いいような印象があったんですが……。
しかしその晩のMIXショーは、述べたようなうるっさくて単調なだけのハードミニマルの、超クソっ速いやつを並べたしろもので……。
しかも! ことさらにミキサー卓で音を歪ませ、クソやかましさを増強しているもよう──とまできては、ちょっとがまんのしようがない、と感じたんですよね。

〈まるで、まっしぐら地獄への行進曲じゃねェか! 耐えられんねェ!!〉

──というのが想い出話ですが、しかし私も現在は、なかなか慎重な男です。〈いま聞いたら、実は意外にいいと思うんじゃないかな?〉かとも考え、その事案に近い時期のラッシュさんのMIXを探してみたりしたところ……()。

ダメですね。これは否定しなくてはならない。過去の私の判断は、それ自体は、まったくまちがっていませんでした。
ですけれど、〈こんなクソを拒否しなければ、オレたちは滅ぶ!〉という正論を、人々に伝える勇気がなかった。それが実に悔やまれもしますが、しかしそれを人に告げていたところで、何ひとつ変わりはしなかったでしょう。

──と、そんなことらがあって、私の《テクノ》は死につづけていますが。しかし世の中のテクノ全般は、たぶんそれからも大いなる進歩と発展と前進を、なしつつあるのかも。
そして、ちょうどそうした時代から活動しつづけている、アンクルサンドさん(等々々……)。また当時とは違うハードさを追求している感じなので、私はそれを愉しみます。

板垣巴留『BEASTARS(ビースターズ)』 - レインボーなないろ/無彩のグレー

BEASTARSビースターズ)』は、板垣巴留(いたがき・ぱる)先生による動物学園まんがです。掲載誌は週刊少年チャンピオン、掲載時期は2016〜20年。
その単行本は全22巻、それが累計500万部以上を売り上げているヒット作です。かつ、講談社漫画賞の少年部門(2018年)などの、受賞も多数。
さらにはこれを原作としたテレビアニメも、かなり好評であるらしいです。

そういう成功作ですから、どなたもタイトルくらいはご存じと思います。

とはいえ。私自身がこの作品を大好き、愛読者、というわけでもないんですよね! まあだいたいのところ、掲載誌で眺めていたのみ、と言えます。

にもかかわらず、《ここ》でそれをご紹介するような運びになっているのは?

いや、事情は実につまらないんですが。ツイッターのRTのRTみたいなもので、この『ビースターズ』を批評(?)している感じの記事のアドレスが、流れてきて……()。
それを一読しようかとしたら、あまりなものだったので、げんなりさせられました。ぴえん

それで深くため息をつきながら、ふと思い出したのは……。前に自分が《タフスレ》に、この『ビースターズ』の感想を四行ばかり書いていたことでした。
ネットの知性と良識の、頂点であるとまでも言われている、タフスレ()。ここにむやみな長文をポストすると、やさしくもきびしい先パイたちによってたしなめられてしまいますので、四行は実にギリギリです。

ではまずその投稿を、意味を変えず、しかしことばを少し上品にして、再掲します。

名無しさん(****-****):2021/02/21(日)
動物らを擬人化して社会風刺を表現するのは、古代のイソップや中世の『狐物語』、そしてニッポンの『鳥獣戯画』や手塚先生の『ジャングル大帝』などなど、《物語》の基本みたいなものかと思います。

そしていまの社会にも、〔『ビースターズ』の世界と同様、〕「肉食系/草食系」みたいな人がいると言われてるので、その相互の交流や友情はどこまで可能なのか──という意識にもとづいて、描かれた作品なのではないでしょうか。

たとえば私たち、体格の劣るニッポン人らが、身長200cm/体重130kgの黒人さんあたりと、どこまで親密になれるのでしょうか?──のように。

と、そこまでは分かった気もしましたが、しかしお話の途中から、〈どういう種族の間でも混血の繁殖がOK〉という設定が後づけされてからは、まったくわけが分からなくなりましたブヘヘヘヘ。

……私による『ビースターズ』の感想と評価は、以上の四行に、ほぼつきています。
上記を見て、〈きさまの言いたそうなことはいちおう受けとった!〉くらいに感じられた方は、ここで読むことをお止めになって、何らさしつかえありません。

ですが以下、私の悪いくせで。〈少し〉……を意図しながら、少し補足いたします。

ビースターズ』のヒーローである《レゴシ》くんは、ハイイロオオカミの若いオスです。人間としたら、まあ身長190cm/体重90kgくらいな大男なのでしょう。
しかし草食獣らのつごうに合わせたものか、肉食が表向きは堅く禁じられている社会の中、潜在的な危険分子とみなされながら、なるたけ姿勢を小さくして学園生活を送っています。

その彼が、学園の上級生であるウサギのメス、《ハル》さんと出遭ってしまいます。この少女がお話のヒロインになるのですが、その造形がなかなかユニークです。

小柄なウサギであるハルさんは、草食獣らの中でもほぼ最弱です。だからか彼女は、肉食犯罪の犠牲として〈エサになる〉ということを、望んではいないが半ば受け容れている──、のようなふしがあります。
そのいっぽうで彼女は、望まれるままに多くの動物のオスたちと、奔放な性関係を持っています。これはまあ、〈エサになる〉ということの予行演習みたいな気味もあり(!)。しかし学園の中で、《ビッチ》であるとの悪評を呼んでいます。

と、すると。肉食獣のレゴシくんは態度が《草食系》、草食獣のハルさんは態度が《肉食系》とも見られ、組み合わせが面白くなっています。

ですがそのハルさんの《肉食系》めいたところにしても、半分くらいは自分を〈投げ出している〉、そこがそのように見えているのでしょう。
喰われても、抱かれても、何となく受け容れる。それは最弱の草食獣として、ハルさんがひとまず選びとった態度なのです。

いっぽうレゴシくんは、彼の社会のルールに従って、おとなしく生きようとは考えていますが。しかし自分が肉食獣であることを、ときとして強烈に自覚させられます。
肉を喰らってケンカをしたい、何ものかをじゅうりんし服従させたい──。そうした気持ちが自分の中にあることを、彼は否定できません。
そしてそれは、私の知っている《男》なる生き物の姿、でもあります。

〈抱きてェ女は無理にでも抱くし、気に喰わねェ野郎らはブン殴るッッ!!〉

──こういった想念を心の奥底に抱いていない男性は、実に皆無なのではないかと思われます。いたとしたら《男》ではありませんが、しかし現今の情勢下にては、逆にいいことかも知れません。

そのあたりをきょくたんに具現化した《超・男(シュルメイル)》が、皆さんもご存じの範馬勇次郎さん。巴留先生のお父上である板垣恵介先生の生み出した、グラップラー刃牙シリーズ作中のアンチヒーローです。
彼みたいなのが《男》のきわまりであり、いっぽう私ども《準・男》ごときは弱いので、内心はともあれ、勇次郎さんのようには振る舞えない。──と、かなり痛いところを恵介先生は、描いています。

あと、そういえば。ジャック・ラカンさんがよく引いている、ヘーゲルさんの考案《主人と奴隷の弁証法、というお話があります。
あまり正確にはご紹介できませんが、これは社会の形成に関わる一種の《神話》です。

雑にまとめてしまえば……人間らは、二種類。生命を賭して闘って、多くの“すべて”を得ようとするもの。それに対し、死のリスクを恐れ、闘おうとはしないもの。
やがて前者のうち勝った者が《主人》となり、いっぽうの後者が《奴隷》たちとなって、人間らの原初の社会が形成された──、というお話なのです。

そして、いま私たちが生きている社会でも。リスクを恐れず起業家になろうとするような人々と、いっぽう平穏につつましく暮らせるならヒラ社員でもフリーターでもけっこうという人々──、その種族間の違いは、なくもないのでは?
そして前者に、主人・狩猟者・肉食のような性格を、後者には奴隷・農耕者・草食のような性格を、それぞれ認められそうです。比喩ですが。

板垣恵介『範馬刃牙』第32巻 - 秋田書店
板垣恵介『範馬刃牙』第32巻
- 秋田書店

赤鬼と化した勇次郎さん! 怖いッ!!

ところでヘーゲルさんの《弁証法》ですから、お話はそこで終わりではありません。けれども主人らを《主人》としているのは、逆に多くの奴隷たちの存在があるゆえ──と、逆にも展開します。しかしいまは、そこを深くは追いません。

かつまた、違う一面で──セクシュアリティ的なところで──。男性らにはどうにも《肉食》っぽい性格を否めず、まあ勇次郎さんが腐ったような感じ。そこでいっぽう、相対的には女性らは《草食》的なのか、と思えるところがあります。

……それやこれやによって。草食獣と肉食獣らが混在し、とりあえず共存しつつもあちこちで摩擦が生じている、そういう社会を描いた『ビースターズ』は、社会風刺の寓話として──比喩として──、かなりうまく構成されているな、とも考えていたのです。
比喩がたんじゅんでなく、深みを感じさせます。農耕派と狩猟派、そして女性と男性、それらの複雑な対比が、この構成によって描き込まれています。

で、さて、話題を戻し……。そうしたレゴシくんとハルさんは、さいしょはまったくお互いの“すべて”が理解できないのですが、やがて惹かれ合っていきます。
こうした社会において生きにくさを感じている、そういう者らの連帯なのでしょうか。

ですけれど。種の違いによりふたりの結婚などは難しく、また交尾はできても繁殖が不可能かも知れない。《不毛》とまでも言われそうな関係だが、しかし、いつくしみあうこと自体に《意味》はある、というお話であろうか──と、途中まで私は見ていました。

ですけれど。作品の半ばあたりで、〈種族間の交雑は無条件に可能〉──そもそもレゴシくんにはハ虫類の血が混じっている!──という、超・後出しくさいハイパーな《設定》が出てきちゃったことにより、私の読みは破たんしました。

〈異なるけれども、共存を求める〉──というお話が、そこから《差異》を否定する方向に流れてしまったのでは……と感じるのは、私だけでしょうか。

ではここで、もうひとつ言わせていただきます。

いまの人間社会のことですが、同性愛に対する差別の撤廃と、その一定の権利を求める運動──それはよいことだとします。
何しろ私も『トーマ』やら『風木』(かぜき)やら読んできていますから、《少年愛》みたいなことなら大いに理解がありますブヘヘヘヘ。

あ、いや。
で、そして、そういう流れが《LGBT…》何とかと呼ばれ、そのシンボルが、虹の七色です。それは、〈多様性〉ということを表しているのだと思います。

ですが、これらの運動の先端に、つまるところは性別の《排除》、ということを感じさせられます。人間らは女性か男性のどちらかである、という事実からの逃避を。
そうして性別を《排除》した先に、どういう社会ができるのでしょうか。虹の七色ではなくて、ただの無彩の灰色に、なり下がってしまわないでしょうか。どんよりと。

そしてそのいっぽうの、『ビースターズ』に描かれた社会もまた──。やがては交雑がどんどん進み、何であるとも言いがたい灰色の奇妙な生物たちによって、構成されていくのでしょうか。エントロピーの極大化へと、向かいながら。

そういうことで、『ビースターズ』の後半の部位には、あまり共感ができないのです。むしろだめな意味で、現今の人間社会の戯画になってしまっているかのようで。

等々々々……くらいの想いを私は、さきに引用、タフスレに投下された四行にこめました。

そして。
意見への賛否はともかく、〈何を言ってるのか分からん!〉などと言われたりしなかったのは、猛者しかいないタフスレのパイセンたちの、さすがのリテラシーの高さゆえか──とばかり、私は思い込んでいるのです。

Jorja Chalmers: Midnight Train (2021) - 赤いカーテンの彼方に、永遠(とわ)に…

《Jorja Chalmers》──ジョルジャ・チャルマーズさんは、英ロンドンを拠点に活動している女性歌手、そしてサックス等のマルチ演奏家です()。

そしてご紹介する『ミッドナイト・トレイン』は、この方のセカンドアルバムです。2021年5月に発表、全13曲・約41分を収録。

──そしてその内容がもう、私が言っているデヴィッド・リンチ系》そのものなんですよね!
すなわち、メランコリックでスローでエロティック、催眠的でノスタルジック。ここに絶妙にブレンドされた、甘みと苦さ……。酔いしれます!

よって。かのジュリー・クルーズさん()に始まり、そしてクリスタ・ベルさん()らが続いた、《リンチ系歌姫》の称号を、大悦びで私たちは、このジョルジャ・チャルマーズさんにも捧げることができるでしょう()。

ジョルジャさんのデビュー作で、これも評価が高かったという“Human Again”(2019)とあわせて、強くご一聴をおすすめします! もしもあなたが、人をあやしい眠みへといざなうセイレーンたちの、蠱惑〔こわく〕の唄声に興味があった場合には。

で、さて。このお話は、以上で終わってもいいのですが、何となくもう少し……。

さいしょ何の予備知識もなく、『ミッドナイト・トレイン』の第1曲を聞いた時点で私は、〈ワシのこよなく好んでやまぬ《リンチ系歌姫》やんケ!〉とばかり、思い込んでしまったんですよね。
そもそもアルバムのタイトルからして、クリスタ&リンチさんによる『ジス・トレイン』(2011)に──悦びをもってしか想い出せない、あのすばらしいアルバムに()──、まあ近いですしね!

とはいえ。当のジョルジャさんが、そんな《リンチ系》なんてことを意識してるのかどうか……とも思って調べ直したら、まあ自供してるみたいな感じでした()。確定です

けれども。《リンチ系歌姫》らの中でジョルジャさんの少し違うところは、サウンドに電子の味がやや濃いところでしょうか。ポストロック風であるよりは、サックスをフィーチャーしたエレクトロポップみたいなのですね。作りが。

それと。何の予備知識もなかった私は、ジョルジャさんについて、〈やや珍しげなお名前からすると、東欧あたりのお人だろうか?〉、とばかり思い込んだのです。ひとまず。

しかしさっき調べたらそれが、ぜんぜん違っていて!

Bryan Ferry: At Sydney - March 1 2019 - Youtube
Bryan Ferry: At Sydney - March 1 2019 - Youtube
フェリー・バンドで演奏するジョルジャさん
出生地シドニーへの凱旋ライブです!

私たちのジョルジャ・チャルマーズさんは、1982年・豪シドニーの生まれ。まずはサックス奏者として音楽キャリアを始め、やがてロンドンに移住()。

その時期のめざましい実績は、ブライアン・フェリーさんのツアーバンドへの参加です。
彼のロキシーミュージック》が〈ロックンロールの殿堂〉に入ったさいのスピーチで、フェリーさんがジョルジャさんの貢献について語っています()。
まさにジョルジャさんが、あのロキシー『サイレン』(1975)──、セイレーンでもあるのでしょうか。

というわけで。東欧の辺地からポッと出てきたエキセントリックな才能ではなくて、やや意外にも、ポップ音楽のメインストリーム的なところから出てこられたようです、ジョルジャさんが。
にしてもフェリーさんが、また私の崇拝しつづけているスーパーアイドルですから。やはり何か、必然性があったのでしょうか? 《私たち》の、出遭い(そこね)について。

というわけで、おそらくあなたをも含んでいる《私たち》は……。

あのリンチさんのツイン・ピークスが映していた赤いカーテン、その向こう側──。《享楽》と不安、陶酔と恐怖らに満ちていると想定された領域──。
そこにどうしようもなく惹かれつづけ、空気を揺らす音楽めいた挙動らによってかろうじて、その永遠(とわ)のあこがれに形を与えつづけるのです。