ポ  サ  研

─ Post-Truth Sound Lab, Vaporwave / Désir Duplication Répétition ─

板垣巴留『BEASTARS(ビースターズ)』 - レインボーなないろ/無彩のグレー

BEASTARSビースターズ)』は、板垣巴留(いたがき・ぱる)先生による動物学園まんがです。掲載誌は週刊少年チャンピオン、掲載時期は2016〜20年。
その単行本は全22巻、それが累計500万部以上を売り上げているヒット作です。かつ、講談社漫画賞の少年部門(2018年)などの、受賞も多数。
さらにはこれを原作としたテレビアニメも、かなり好評であるらしいです。

そういう成功作ですから、どなたもタイトルくらいはご存じと思います。

とはいえ。私自身がこの作品を大好き、愛読者、というわけでもないんですよね! まあだいたいのところ、掲載誌で眺めていたのみ、と言えます。

にもかかわらず、《ここ》でそれをご紹介するような運びになっているのは?

いや、事情は実につまらないんですが。ツイッターのRTのRTみたいなもので、この『ビースターズ』を批評(?)している感じの記事のアドレスが、流れてきて……()。
それを一読しようかとしたら、あまりなものだったので、げんなりさせられました。ぴえん

それで深くため息をつきながら、ふと思い出したのは……。前に自分が《タフスレ》に、この『ビースターズ』の感想を四行ばかり書いていたことでした。
ネットの知性と良識の、頂点であるとまでも言われている、タフスレ()。ここにむやみな長文をポストすると、やさしくもきびしい先パイたちによってたしなめられてしまいますので、四行は実にギリギリです。

ではまずその投稿を、意味を変えず、しかしことばを少し上品にして、再掲します。

名無しさん(****-****):2021/02/21(日)
動物らを擬人化して社会風刺を表現するのは、古代のイソップや中世の『狐物語』、そしてニッポンの『鳥獣戯画』や手塚先生の『ジャングル大帝』などなど、《物語》の基本みたいなものかと思います。

そしていまの社会にも、〔『ビースターズ』の世界と同様、〕「肉食系/草食系」みたいな人がいると言われてるので、その相互の交流や友情はどこまで可能なのか──という意識にもとづいて、描かれた作品なのではないでしょうか。

たとえば私たち、体格の劣るニッポン人らが、身長200cm/体重130kgの黒人さんあたりと、どこまで親密になれるのでしょうか?──のように。

と、そこまでは分かった気もしましたが、しかしお話の途中から、〈どういう種族の間でも混血の繁殖がOK〉という設定が後づけされてからは、まったくわけが分からなくなりましたブヘヘヘヘ。

……私による『ビースターズ』の感想と評価は、以上の四行に、ほぼつきています。
上記を見て、〈きさまの言いたそうなことはいちおう受けとった!〉くらいに感じられた方は、ここで読むことをお止めになって、何らさしつかえありません。

ですが以下、私の悪いくせで。〈少し〉……を意図しながら、少し補足いたします。

ビースターズ』のヒーローである《レゴシ》くんは、ハイイロオオカミの若いオスです。人間としたら、まあ身長190cm/体重90kgくらいな大男なのでしょう。
しかし草食獣らのつごうに合わせたものか、肉食が表向きは堅く禁じられている社会の中、潜在的な危険分子とみなされながら、なるたけ姿勢を小さくして学園生活を送っています。

その彼が、学園の上級生であるウサギのメス、《ハル》さんと出遭ってしまいます。この少女がお話のヒロインになるのですが、その造形がなかなかユニークです。

小柄なウサギであるハルさんは、草食獣らの中でもほぼ最弱です。だからか彼女は、肉食犯罪の犠牲として〈エサになる〉ということを、望んではいないが半ば受け容れている──、のようなふしがあります。
そのいっぽうで彼女は、望まれるままに多くの動物のオスたちと、奔放な性関係を持っています。これはまあ、〈エサになる〉ということの予行演習みたいな気味もあり(!)。しかし学園の中で、《ビッチ》であるとの悪評を呼んでいます。

と、すると。肉食獣のレゴシくんは態度が《草食系》、草食獣のハルさんは態度が《肉食系》とも見られ、組み合わせが面白くなっています。

ですがそのハルさんの《肉食系》めいたところにしても、半分くらいは自分を〈投げ出している〉、そこがそのように見えているのでしょう。
喰われても、抱かれても、何となく受け容れる。それは最弱の草食獣として、ハルさんがひとまず選びとった態度なのです。

いっぽうレゴシくんは、彼の社会のルールに従って、おとなしく生きようとは考えていますが。しかし自分が肉食獣であることを、ときとして強烈に自覚させられます。
肉を喰らってケンカをしたい、何ものかをじゅうりんし服従させたい──。そうした気持ちが自分の中にあることを、彼は否定できません。
そしてそれは、私の知っている《男》なる生き物の姿、でもあります。

〈抱きてェ女は無理にでも抱くし、気に喰わねェ野郎らはブン殴るッッ!!〉

──こういった想念を心の奥底に抱いていない男性は、実に皆無なのではないかと思われます。いたとしたら《男》ではありませんが、しかし現今の情勢下にては、逆にいいことかも知れません。

そのあたりをきょくたんに具現化した《超・男(シュルメイル)》が、皆さんもご存じの範馬勇次郎さん。巴留先生のお父上である板垣恵介先生の生み出した、グラップラー刃牙シリーズ作中のアンチヒーローです。
彼みたいなのが《男》のきわまりであり、いっぽう私ども《準・男》ごときは弱いので、内心はともあれ、勇次郎さんのようには振る舞えない。──と、かなり痛いところを恵介先生は、描いています。

あと、そういえば。ジャック・ラカンさんがよく引いている、ヘーゲルさんの考案《主人と奴隷の弁証法、というお話があります。
あまり正確にはご紹介できませんが、これは社会の形成に関わる一種の《神話》です。

雑にまとめてしまえば……人間らは、二種類。生命を賭して闘って、多くの“すべて”を得ようとするもの。それに対し、死のリスクを恐れ、闘おうとはしないもの。
やがて前者のうち勝った者が《主人》となり、いっぽうの後者が《奴隷》たちとなって、人間らの原初の社会が形成された──、というお話なのです。

そして、いま私たちが生きている社会でも。リスクを恐れず起業家になろうとするような人々と、いっぽう平穏につつましく暮らせるならヒラ社員でもフリーターでもけっこうという人々──、その種族間の違いは、なくもないのでは?
そして前者に、主人・狩猟者・肉食のような性格を、後者には奴隷・農耕者・草食のような性格を、それぞれ認められそうです。比喩ですが。

板垣恵介『範馬刃牙』第32巻 - 秋田書店
板垣恵介『範馬刃牙』第32巻
- 秋田書店

赤鬼と化した勇次郎さん! 怖いッ!!

ところでヘーゲルさんの《弁証法》ですから、お話はそこで終わりではありません。けれども主人らを《主人》としているのは、逆に多くの奴隷たちの存在があるゆえ──と、逆にも展開します。しかしいまは、そこを深くは追いません。

かつまた、違う一面で──セクシュアリティ的なところで──。男性らにはどうにも《肉食》っぽい性格を否めず、まあ勇次郎さんが腐ったような感じ。そこでいっぽう、相対的には女性らは《草食》的なのか、と思えるところがあります。

……それやこれやによって。草食獣と肉食獣らが混在し、とりあえず共存しつつもあちこちで摩擦が生じている、そういう社会を描いた『ビースターズ』は、社会風刺の寓話として──比喩として──、かなりうまく構成されているな、とも考えていたのです。
比喩がたんじゅんでなく、深みを感じさせます。農耕派と狩猟派、そして女性と男性、それらの複雑な対比が、この構成によって描き込まれています。

で、さて、話題を戻し……。そうしたレゴシくんとハルさんは、さいしょはまったくお互いの“すべて”が理解できないのですが、やがて惹かれ合っていきます。
こうした社会において生きにくさを感じている、そういう者らの連帯なのでしょうか。

ですけれど。種の違いによりふたりの結婚などは難しく、また交尾はできても繁殖が不可能かも知れない。《不毛》とまでも言われそうな関係だが、しかし、いつくしみあうこと自体に《意味》はある、というお話であろうか──と、途中まで私は見ていました。

ですけれど。作品の半ばあたりで、〈種族間の交雑は無条件に可能〉──そもそもレゴシくんにはハ虫類の血が混じっている!──という、超・後出しくさいハイパーな《設定》が出てきちゃったことにより、私の読みは破たんしました。

〈異なるけれども、共存を求める〉──というお話が、そこから《差異》を否定する方向に流れてしまったのでは……と感じるのは、私だけでしょうか。

ではここで、もうひとつ言わせていただきます。

いまの人間社会のことですが、同性愛に対する差別の撤廃と、その一定の権利を求める運動──それはよいことだとします。
何しろ私も『トーマ』やら『風木』(かぜき)やら読んできていますから、《少年愛》みたいなことなら大いに理解がありますブヘヘヘヘ。

あ、いや。
で、そして、そういう流れが《LGBT…》何とかと呼ばれ、そのシンボルが、虹の七色です。それは、〈多様性〉ということを表しているのだと思います。

ですが、これらの運動の先端に、つまるところは性別の《排除》、ということを感じさせられます。人間らは女性か男性のどちらかである、という事実からの逃避を。
そうして性別を《排除》した先に、どういう社会ができるのでしょうか。虹の七色ではなくて、ただの無彩の灰色に、なり下がってしまわないでしょうか。どんよりと。

そしてそのいっぽうの、『ビースターズ』に描かれた社会もまた──。やがては交雑がどんどん進み、何であるとも言いがたい灰色の奇妙な生物たちによって、構成されていくのでしょうか。エントロピーの極大化へと、向かいながら。

そういうことで、『ビースターズ』の後半の部位には、あまり共感ができないのです。むしろだめな意味で、現今の人間社会の戯画になってしまっているかのようで。

等々々々……くらいの想いを私は、さきに引用、タフスレに投下された四行にこめました。

そして。
意見への賛否はともかく、〈何を言ってるのか分からん!〉などと言われたりしなかったのは、猛者しかいないタフスレのパイセンたちの、さすがのリテラシーの高さゆえか──とばかり、私は思い込んでいるのです。