ここにある数百万人の生命
きれいな戦争/きたない平和。
いわゆる〈究極の選択〉みたいですが、しかしどうしてもなら、どちらを選択したらよいのでしょう?
私の答は、きっぱりと決まっています。
今2022年をもって77年間も続いている欺まんと偽善の平和、その中でぬくぬくと生きてきたニッポン人のひとりとして、異なることは言いようがありません。
まず。仮に〈きれいな戦争〉というものがありうるとして、そのどこがどう、きれいでありうるのでしょうか?
ことによったら、《正義》のための戦争だから、でしょうか?
では。そんなにも正義が大切なものだったら、いますぐ第三次世界大戦を始めたらよいのではないでしょうか?
たとえば。こちらニッポンから見て、旧ソビエトであり現ロシアである国が、〈北方領土〉を占領しつづけていることは、かなりな不正義です。それはそう。ニホンの共産党さんもそう言っているくらいで。
しかもさっきの数字からすると、すでに77年間もそのように……。
ならばこの不正義をただすため、いますぐ戦争を始めたらよくないですか?
もしもやったら、負けてニッポンが滅びそう──しかし、いいじゃないですか? 正義より尊いものが何もないとすれば、それの追求を貫徹して滅びても。
ですがしかし、どういう極右のアンポンタンさま方も、いますぐの対露戦争などは提唱していないでしょう。なぜですか?
国家の誇りの発揚、国際正義の実現のため、生命ごときはポイッと棄てたらよくないですか? もち、とりあえずはご自分のを。
──つまりは、“誰も”が、《正義にまさる価値》の存在を認めている、ということです。違いますでしょうか?
〈正義!正義!〉を言いはる方々にしても──たぶんいい年齢をされながら、お脳の中身が厨二アニメ──口先の勇ましさをエンジョイしているだけ。ご自分の生命を投げ出すような愚行などは、けっしてなさいません。安全地帯でゆったりと娯しむ、ゆかいなことば遊びです。
そのいっぽう。私なんかには、なぜか一種の〈社会福祉的な発想〉というものがあるんですよね。
すなわち、目的は《QOL/Quality of Life、その向上》、ということです。国家や社会は、広く一般的なQOLの向上の実現をめざすべきである、と。
ですから北方領土の問題にしろ──、勇ましくカッコいい戦争による奪回の試みと、めんどうくさいが何とか平和的な交渉で返還を求めつづけること、いずれが一般ニッポン人らの利益になるか?──QOLを上げないまでも下げずに済むか──そのあたりを、考えたらいいと思います。
さてここまでを申しあげたら、話の流れは、ほぼお分かりのことと思いますが。
いま行われている、ロシアとウクライナとの戦争です。
正義とか善悪とかの観点からすれば、およそ八割がたロシア側の政権が悪い、不正義!──それは、私も思いますけれど。
しかし、あえて言います。ウクライナの側が──実に気の毒ですが──、どうにか受忍できるところまでを譲歩して、まずとにかく戦火を止めるのがよい、と。
が、それでウクライナがまる損では、あんまりですので……。いまそれを支援するポーズを示している諸国が、何か多くのものを埋め合わせしてあげればいいのではないでしょうか。
ミサイルか何かの供与みたいな話が聞こえていますが、そんな一発が数千万円のものらを気前よく出せるくらいなら?
もしもそうしなければ、いずれウクライナは、第二のアフガニスタンになってしまうのではないでしょうか。
かつてそちらの戦争において、イスラムの聖戦士みたいな方々は生命を惜しまず勇かんに闘ったのでしょうが、しかしそれで、いったいどうなりましたか?
のんびりとテレビを視ている全世界のお茶の間の人々に、〈ギャハハハー! 露スケどもが苦戦してやがるぜェ、ざまァ!〉みたいなエンターテインメントを提供しただけではないですか?
私はもちろん人命を第一に惜しむのですが、それにしても、アフガン戦乱のせいで貴重な遺跡や文化財らが破壊され……ということにも、また深く心が痛みます。
そして、現在。こちらも貴重きわまる文化の集積の地である、キエフ──現地の方々はキーウと呼ぶらしい、ウクライナの首都であり古都──、そこに爆弾の雨が大量に降るなんて悲惨なことは、想像するだけでも吐き気がしてきます!
手段を選ばず、そんなことは阻止せねばならないのでは?
現代の戦争なんてものは、一般の人々のQOLを向上させることは、けっしてありません。ありますか?
それの恩恵を受けるのは、死の商人の武器屋、それと結託している汚職政治屋、ゴロツキヤクザ同然の傭兵ら、そして彼らにカネを出すハイエナ投機屋、そうしたやからのみですよね?
いやはや、《正義》の無上のすばらしさを語り騙るおもしろエンターテインメントなどは、厨二アニメと少年ジャンプの中にだけあれば、もうたくさんです。
優先すべきは、広く一般の人々のQOL低下を防ぐことです。きれいな戦争で命をパーッと華やかに散らすより、きたない平和の欺まんと偽善の苦さをかみしめながらでも。
【付記】 この記事のタイトル、〈きれいな戦争/きたない平和〉。同じようなフレーズがすでに使われているかもと調べたら、次の記事が見つかりました。
2004年に書かれたもののようで、その当時のイラク戦争などを念頭に置きながら、政治学者である藤原さんのご主張らが検討されています。