エッコ チェンバー 地下

─ €cco ₵hamber ฿asement, Vaporwave / Đésir đupłication répétition ─

Julee Cruise: Three Demos (2018), Chrysta Bell: This Train (2011) - D.リンチが魔法をかけた歌姫たち

一部というにもいいところだが、われわれの一部は永遠に、ツイン・ピークス(1990)の世界から逃れることはできない。身はどこに置いていても、心の一部を、あの田舎町に残したままだったりしているもよう。
そしてその仮想の風景の中を、流れる音楽はもちろんあのテーマ曲()、もしくはジュリー・クルーズさま歌唱の“Falling”。……というしだいで。

と、そんなことを言っておいて、何ンなんだけど。実は自分、映画とかテレビドラマとか、あまり視ない人なんだ。ツイン・ピークスにしても、ドラマのさいしょ3話くらいしか、視てないと思う。
ただその作者であるデヴィッド・リンチ、その人のサウンド的センスには、ほんとうに感服しきっているんだよね。と、いうことでこの記事は、リンチさん関係の女性歌手らのアルバム2点をご紹介。

まずはジュリー・クルーズのEP“Three Demos”、これはそうとうに古い発掘ものの音源であるもよう。ジュリーさんの1989年のデビューアルバム、“Floating into the Night”のためのデモ。
で、あの“Falling”を含む3曲を収録。完成度は正式バージョンのほうが高いだろうけど、独特のナマっぽさがあってゾクッとしちゃうよね。

次に、クリスタ・ベルの“This Train”(2011)。これはリンチさんがプロデュース、作詞、一部の演奏、そしてカバー写真の撮影までを担当した、リンチ色ベットリの甘ぁ〜い暗黒ワールド、その一個の実現である。
とくに印象的なタイトル曲、〈愛を背後に置き去りにして、暗黒の空間を列車は走る、輝かしいものを行く先に信じて〉。そしてスローテンポのこの曲を、ドラムとかのドンチャカしたビートなど入れず、ただただ浮遊する感じに仕上げた、このセンスがすごい。

もうちょっと分析すると、まず曲のイントロに、「ブォーッ、シュッシュッシュッ……」というSLの走行音らしきものが鳴る。これも一種のビートのように聞くことが可能で、そのテンポは速い。
それに続くメインのパートは、一転してスロー。ところが楽曲の終盤、ごくごく低い音量で、冒頭のSL音が戻ってくる。ちょっとギクシャクした感じもあるが、そこでふたつのリズムが重なって、アンビバレントな感じを出しているのがニクいぜこの。

ところで思うんだけど、ツイン・ピークス《赤いカーテンの部屋》ってあるでしょ。カーテンの向こうは、いったいどうなっているのか? そこには何があるのか?
それを想像させることが、リンチさんの一貫した《仕事》の本質的な部分なのかな、という気がするんだよね。

向こう側にあるものは何なのか。総括的に言ってしまえばそれは、われわれが子ども時代に想像していた、《大人だけの愉しみ》の世界なんだと思う。
それを具体化してしまうと、どうせセックスとかドラッグとかいうことになって、ややフラットな感じもあるが。
しかしそれが邪悪でグロテスクで醜いと同時に、甘美かつ魅惑的でもあり。しかも何か必死な感じ、一種の崇高味をもそなえたもので、あるかも“知れない”。

そうした想像の無限の拡がりを、“Falling”等のリンチ節の甘美さをきわめたメロディが、永遠に後押しし続けている。ゆえにわれわれは、そこを立ち去ることができない。あの赤いカーテンの向こう側に、心の一部分を置いたまま……。