ポ  サ  研

─ Post-Truth Sound Lab, Vaporwave / Désir Duplication Répétition ─

Hal Willner: Amarcord Nino Rota by V.A. (1981) - マンマ・ミーアのぬくもりへと還る《道》

ニーノ・ロータの映画音楽には、うちら人間のいちばん弱いところをワシづかみにしてくるような性格がある、ような気がする。
その弱いところって何なのかって、いま急に考えれば、根源的には《マンマ・ミーア》の温かみ、その暗示、ということは確かっぽい。あまり公言もしづらい話だけれど。

いっぽうすべての《母》たちは、何かわれわれの知らない秘密を隠している。われわれ誰もが《母》を愛してやまないわけだけど、しかしその母の、“すべて”を知っているものはいないはず。

そしてその《母》たちの抱えた秘密とは、何らかの《享楽》につながっているもの。委細を略して、ロータの音楽のおぼろげな──かつ確かに存在する官能性、みたいな要素もそこに根拠がありそう。

そんなわけで? ロータと言ったらフェリーニというわけだが、以前にオレは自分の母が、〈「道」って映画をむかし視たけど、すごくよくて……〉と述べるのを聞いたんだ。
だがしかし、いつどこでどう視たのか、その詳細な感想、そんなところへ話を拡げる気になれず、〈へえ〉とだけ言って済ませてしまった。──《母の秘密》に、あわや触れてしまいそうな予感がしたから。

《母の秘密》をわれわれは知らないし、また知るべきでもない。それは、ロータやフェリーニらを筆頭とする最高の芸術家たちが、その表現らの中で、おぼろげに暗示して済ますべきものなんだ。

……と、そんなマエセツもありつつ。

さて。ご紹介する「アマルコルド・ニーノ・ロータは、ジャズ系プレイヤーたちによるロータの名曲カバー集。その美しいカバーアートが、いきなりの完全勝利を宣言してるレベルの品。

タイトルに出ている「アマルコルド」だけでなく、「甘い生活」、「道」、「サテリコン」、等々からも選曲。とくにイイのが、カーラ・ブレイによる「8 1/2」、ビル・フリゼールによる「魂のジュリエッタ」、そのあたりだろうか。
実はカーラ姉さんの演奏って、あまりイイと思ったことがなかったが、でもこれはヘンなひねりがなくてよい。もと曲のメロディのすばらしさはすなおに活かしながら、細かいところでちょっとヤリたいことを演っている気配。

そこでカーラ姉に対抗し、こっちもやや細かいことを書くと。今アルバムのプロデューサーであるハル・ウィルナー氏が、なかなか興味深い人なんだ()。惜しくもこの方、今2020年の4月、Covid-19関連の疾患により没しているんだが……(追悼)。

放送関係か何かの地味な仕事をしていたウィルナーを、1981年、名プロデューサーとして一躍ブレイクさせたのが、このロータ名曲集なのだった。
続いて彼は似たような企画盤の、セロニアス・モンク名曲集(1984)、クルト・ワイル名曲集(1985)、チャーリー・ミンガス名曲集(1992)、等々々をプロデュース。そのいずれもが、高い評価を得る。

自分なんかも、ワイル名曲集だけは、ずいぶん前に聞いていた。なぜかというと、そこに収録された「セプテンバー・ソング」を唄っていたルー・リード、そのかなりアレな崇拝者だったから。
そしてそれが、ものスゴすばらしい名演・名唱だった。そこはよかったはずだ。

しかし? そんなファナティックならではの偏見ヒイキ目もあるだろうけど、〈このワイル名曲集……お祭りムードはけっこうだが、しかし冷静に聞いたら、ルーちゃん以外はゴミ寸前じゃね?〉と、やがて感じるにいたったことは否定できないんだよね。

つまり。あまり言いたくもないことだがウィルナーは、追って1990年代くらいからの、ゴミっぽく安っぽい《トリビュート盤》らの乱発──おチープな企画盤の新趣向──、そんなブームに先鞭をつけてしまったところもあるっぽい。

まあそんなことは関係なく(?)、追ってウィルナーはふつうのアルバムのプロデュースにも精を出し。とくにワイルから縁ができたルー・リード、その晩年のアルバムらの制作は、ひときわ目立った仕事。

そうして話を、ロータ大会に戻すと。このアルバムは出てすぐ廃盤か品切れとなり、ずいぶんの長年にわたって、幻の名盤扱いされていたもののよう。
けどそれが、Bandcampとそこに拠る人々のおかげで、全世界へと解放されて。そしてわれわれはこのすばらしい楽曲らを通じて、ロータを惜しみ、ウィルナーを悼むことが可能となっている。