エッコ チェンバー 地下

─ €cco ₵hamber ฿asement, Vaporwave / Đésir đupłication répétition ─

ビーノ『宇宙とかと比べたらちっぽけな問題ですが』 - “僕らの音楽”、そのゆくえは?

2017年よりコミックNewtypeに掲載中のまんが、『宇宙とかと比べたらちっぽけな問題ですが』
これは東京郊外の日野市に住む三姉妹と、その周囲の人々の、ささやかな《気づき》たちを描く、ショート形式のコメディシリーズです。

その作者であるビーノ先生は、別のシリーズ『女子高生の無駄づかい』によって、より多くの名声を得ているかも知れません()。同一の媒体に、そちらのお作も大好評掲載中です。

で、さて。ここから少し、私からのお話になるのですが。

タイトルを略して『宇宙問題』と呼ばれるこのシリーズ作の、おおよそ33〜35番めくらいのエピソードは、僕らの音楽と名づけられています。
ヒロインである三姉妹の長女の隣人である大学生のゆーじくんが、ベーシストとして、アニメソング(以下・アニソン)をコピーするバンドに参加しようとします。ですが、自分以外のメンバーたちが全員くせものぞろいでとまどってしまう──、といったお話です。

これは何しろわずか4ページのコンパクトな物語であり、描かれていることはきわめて明快です。
けれどもさいきんこれを読み返してみて、私はひとつのことに引っかかりました。

すなわち。お話の結末近く、いよいよバンドのリハーサルが始まったとき、私たちのゆーじくんは、ひとつのささいな、しかし小さくもない難事に気がつきます。それは、このバンドのリーダー格であるドラマー氏の演奏について……。

走りすぎっ
BPM190の曲が 200以上になってるよ

そして、このドラマー氏のニックネームが《イニシャルD》である原因は、そういう〈走り屋〉であるからかと内心で思う……という、おギャグです。これはみごとに成り立っています。秋名峠のファイターなのでしょうか?

──ですけれど、それはそうと。

このエピソードをさいしょ見たときに私が気づかなかったのは、〈BPM190の曲が 200以上〉という、その具体的な数値のアブノーマリティ! それなのです。

アニメソングというお話だったのに彼たちは、なぜかハードコアパンクの演奏でも始めてしまったのでしょうか? そのジャンルで私が深く愛する、あの《G.B.H.》による荘厳さをきわめた至高の楽曲、“Sick Boy”(1982)。──あれが、だいたい190ほどのテンポであるようですが()。

いや、そもそも。本来190のBPMが、200にまで〈走って〉しまったところで、人はそのことに気がつけるものでしょうか?
これがもし、100BPMであるべきテンポが110にまで上がったとしたら、そのことによる違和感は、実に多大なものでしょうけれど!

とはいえ、じっさいに演奏している人々には、分かることなのかも知れません。というか、その200BPMという壮絶なテンポに、ともかくもついていっているこのプレイヤーたちは、意外とけっこうな達人(マエストロ)たちなのでしょうか。

ひっくるめて、私個人の認識で言いますと。190BPM以上ものテンポなんてものは、〈何とかコア〉とでも呼ばれるような、一般的なオーディエンスの鑑賞にはたええないエクストリームな音楽ジャンルにおいてしか、ありえないものです。もしくは、“でした”
ゆえに、この。〈本来のテンポが190BPMである〉というところから、すでに一種のギャグなのだろうか──などとも、一時は考えかけましたが……。

ですけれど、しかし。この〈本来のテンポが190BPMである〉という記述が、別にギャグでもタイポ(誤植)でもないらしいことに、現在の私はコンシャスです。

というのは……。

このエピソード「僕らの音楽」の第2のページには、こんなことが小さく書き込まれています。作中のボーカル担当のお嬢さんの自己紹介文として、〈(私は)Risaっ子です〉、と。
という記述が、先日までの私には、まったく意味がワカランチ会長でした。しかし、近ごろ少々《勉強いたしている》ので、大方の見当はついてしまいます。

つまりサブジェクトがアニソンなのですから、その道のビッグなシンガーであられる《LiSA》氏に関係のある記述でございましょう、と。
何しろ名高い方でおわしますので、そのLiSA氏についての説明はご割愛です。そしてそちらの熱心なファンの方々が、《LiSAっ子》を名のっているもよう。そのあたりをもじっていますね!

で、さて。私の感じていたところでは、そのLiSA氏による楽曲には、速い曲と超速い曲、その2種類しかありません。いや、それはもちろん少しの誇張ですが!
では、その超速い楽曲たちは、どれほど速いのでしょう? ざっと調べたところ、たとえば「マコトシヤカ」と題されたその楽曲は、190BPMに少し満たないテンポであるようです。

おや、まあっ!? ああ、いや、そういうわけのようなのです。

そして。そのようなブルシットに速い楽曲たちは、アニメやゲームやアイドルやボーカロイドのようなニッポンの特殊カルチャー──はっきり申しますれば、“おたく”的領域──においてこそ、受容可能性があるようなものなのだろうか、とも一時は、考えかけました。

たとえば。ご存じの方も多いでしょうが、こちらも名高いfripSideというニッポンのバンドが存在し、主にその特殊なるリージョンでご活躍されているようです。
わりにトランスっぽいバンドかと見ていますが、そしてその楽曲らがまた、全般的いちようにブルシっ速い、など。

けれども。調べを続けておりますと、それほどには〈特殊=“おたく”用〉でもないようなJポップやJロックらにおいてさえ、テンポが180〜200BPMにも及ぶような楽曲たちは、すごく多いとも言えないがまれでもない、ということが分かってきます。
そもそもLiSA氏の楽曲らあたりは、もはやコアなアニメファンだけが聞いているものではないでしょう。ニホン国の一般的ポピュラー音楽ファンの多くをひきつけてこその、ああした大ヒットたちである、と考えられます。

ですが私としては、そのことが〈特殊である〉、と感じているのです。そうしたウルトラに速さをきわめたテンポ設定は、特殊ニッポン的なポップのスタイル、特徴、徴候なのではないだろうかと。

──と、そんなことを言いうるために私は、この約2年間くらいのワールドワイドの、《バイラルヒット(viral hits)》と呼ばれるようなポピュラーソングらを、ざっとですが100曲くらい聞いてみました。〈TikTokで百万回再生!〉みたいな楽曲たちを()。
そうすると、あたりまえですが(!!)、テンポが180BPMにもおよぶような楽曲などは、その中にいっこも存在しません。まれにボーカルトランスやユーロビート系、あとメロコアやトラップみたいな曲らがやや速いですが、しかしそれらにしたって150は超えません。

また。そのハイパーな速さにあわせ、Jポップのような音楽の特殊性として、超盛りだくさんの壮大で長大さをきわめた楽曲らが目だつ、とも言えるでしょう。
つまりニッポンで使われる楽曲構成の用語で申しますと、イントロ・Aメロ・Bメロ・前サビ・ブリッジ・本サビ……その各セクションらの反復また反復……それらのあいまに自己マン臭ふんぷんたるギターソロ等のご間奏・そしてやっとアウトロ……。といった、きわまったるマニフィックな長大さの存在が指摘されます。

これに対し、いまの世界的マーケットのヒット曲たちは、そのほとんどがヴァースとコーラスだけで構成されているようなものです。ゆえに長くもなく、レングスが3分間に満たない楽曲がそれらの半分ほどを占める、と申せます。

そもそも単なるポップソングたちに、16どころか24小節にさえもおよぶ雄大なるイントロが必要なのか、ということをニホン製のそれらについて、考えさせられます。私はアニソンらの《TVバージョン》と呼ばれるエディット──90秒間くらいにうまくまとめたもの──を愛していますが、その原因は述べるまでもないでしょう!

なお。そうしたJポップ特有のエクストリームな長大さについては、〈1980年代の先端的ポップの特徴のなごり〉として、ひとつの説明がつかないでもありません。

たとえば、80年代初頭の《ニューロマンティック》ムーブメントをリードしたバンドであった、デュラン・デュラン。その代表曲であるすばらしい「ザ・リフレックス」(1983)は、さきに述べたものにやや近い、盛りだくさんで壮大な構成によっています。
とはいえ、4分間と少しでまとまっていますから、〈すごく長大〉ではありません。何しろ、そこにバカみたいなソロパートなどの存在しないことがグレートです。

そして構成のいかんを問わず、その時代には《ダンサブル》を主張するポップ曲が好まれたので、そこからフロアで有用な〈ロングバージョン・12インチMIX〉あたりへの志向が全般によしとされていた、と思われます。
かつ、そうした傾きがあればこそ逆に、もとの曲を短くした〈レイディオ・エディット〉というものが現れてきたのです。

ただし? いつからとは明言できませんが、そんな長大さが愛された時代は、ポップの先進地域らにおいて、とうに終わっています。とりあえず、徴候的なところだけ見ておくと……。
たとえば80年代の大ディーヴァでおわしますマドンナさんから、追って現れたマライア・キャリーさんやブリトニー・スピアーズさん、そしていま現在のドゥア・リパさんあたりへと、その楽曲らがだんだんとコンパクトになっていく傾向。それは、はっきりとご確認なされうることでしょう。

で、述べましたJポップらの、80年代のなごり的な大きすぎる構成と、そしてエピックなまでの超ハイテンポへの志向。
あと、ついでに申し添えますと。〈ボカロ曲〉らの傾向が薄く広まったような、メカニカルでインヒューマンなメロディライン。それと、申すまでもない、ローエンドの鳴りへの関心の低さ。そして、しゃくし定規なリズムのこわばり。
……等々とは、いささか失敬な申しようかも知れません。がしかし〈R&Bこそ“すべて”の基本〉であるような音楽ファンには、そうも感じられる、といったお話です。

と、何かJポップのそういう部分らを、ついついガラパゴス的〉とでも、呼んでみたい気はいたします。そういうポップは、いまの世界でニッポンの文化圏にしか存在していないもの──、かのようにも思えます。
そして。そういう特殊なポップであるものを、洋楽かぶれの自分としては、〈きわめてローカル、もう実にドメスティックですねェ〉などと、言い棄てて終わってもよい──のでしょうか?

  いや

別に、ニッポン人だから思うだけでもない感じですが。何かそういう特殊さに、ある種の前向きなところがないでもないとか。または、そういう傾向のアレンジがどうしたっておかしいとしても、しかし地の楽曲にいいものがあるとか。
……と、何かそれらにいいところを見つけようと思ってやまない、まるでポリアンナのような私なのでした。

たとえば、一見では短所かと思えるところが実は長所であるような、『ジョジョの奇妙な冒険』的な気づきを得たい、と希望しています。その手ごたえが、皆無ではありません。
ここにて思えば、現在は全世界で評価の高い《シティポップ》にしましても、そのプロダクションの全盛時には、〈ニッポン独特の奇妙でドメスなポップ〉の一部くらいにも見られていたでしょう。そのあたりからの大逆転も、ありえないことではありません。

むしろ世界標準のポップの制作に、まっこうから挑んだりしても、逆に惨敗が予見されます。その偉業にKポップの一部の上層は、なぜか成功しておりますけれど……なぜか。

赤い薔薇の花ことばは、「美」「情熱」そして「愛」…

ということで。『宇宙問題』というまんがのお話から始まったものが、ふしぎと奇妙な音楽のお話へと展開してしまいました。
そして、私たちのゆーじくんらのゆかいなアニソンバンドが、今後どうなっていくのかも、実に深く興味の持たれるポイントですが。

ともあれ、ここまでのご高覧、まことにありがとうございました。多大なる感謝にたえません!