エッコ チェンバー 地下

─ €cco ₵hamber ฿asement, Vaporwave / Đésir đupłication répétition ─

V.A.: Kompakt Total 20, GAS: Zeit (2020) - サバンナからコンサートホール、そして地下室へ

《テクノ》に対して一時はアツかったオレらにとって、年に一度の風物詩。それが、コンパクト・レーベルの年次オムニバス、“Total”シリーズ()。
これはともかく必聴だと、言わざるをえない。ともかくもここいらにテクノミュージックの先端があると想定し、ともかくいっぺん耳を貸してみるべき。

で、そうして──。〈まあ、そんなにとくべつなことはなかったな……〉と確認し、またもテクノの一年間が終わるんだ。
そんなことを続けながら、すでに『トータル』シリーズも第20弾。というこの、時間の流れの早さにビックリさせられちゃうねっ。

いや、そうだとはしても、毎年思うんだが。やっぱりこのコンパクトの『トータル』は、趣味がいいというか、またレベルが高いというか。
安易だったり過剰すぎだったりするようなトラックが、ほぼぜったいに入ってないし。かつミニマル方面に偏りきらず、メロディ志向の楽曲らもしっかりとピックアップ。さらに、エレクトロポップ的な唄モノもありで。

という、質の高さと幅の広さを両立させたセレクション。それを毎年実現していることには感心させられる、すなおに。
……でもね。

さてこの、ヘンな風に言うなら、落日の状態のまま栄華と洗練をきわめているテクノ界のビザンチン帝国、コンパクト。それの創始者と呼べる《Wolfgang Voigt》、ヴォルフガング・フォクトという人が、また実にスゴいんだけど()。
このフォクト氏については、すでにもうさんざんな量の情報が出ているが、オレ的にまとめれば、こういう人だと言える。

まず1990年代中盤、全世界を炎上させたアシッド・リバイバルからハードミニマルまでの一大ムーブメントに乗っかり彼は、ドイツのケルン・グループのリーダー格として大いに名を挙げた。
続いた90年代末、ハードミニマルの停滞&質的衰退という危機に際し、言わば《ソフトミニマル》みたいな方向性を打ち出して、ブーム的なテクノという泥船から脱出。その90年代末的な彼(ら)の生産物らは、コンパクトおよび《Profan》といったレーベルらのカタログとして集積されている。

そして、21世紀の現在へ。今世紀のここまで20年間、ともかくもダレずに質を落とさずに《テクノ》っぽいことらを実践し続けている、そこはもうほんとうにド尊敬だが。

とはいえ? このフォクト氏の生産によるトラックとレコードら、ほんとうに恐るべき量がドバドバと世に出ておりながら。
しかしそれらの中に、いま自分が聞きたいものは、彼が《GAS》名義で出しているダブテクノっぽいシリーズ作、これしかない()。
で、それらが、至高で至上の作だと申し上げたいんだよね。

このあたりを説明すると、ややディスっぽくなりそうなんだけど。ハードアシッド全盛期からのフォクトつぁんの生産物ら、常にうまいことまとめているが、しかし別に独自性は感じさせない。
シーンの流れに乗って、そのときその場で機能するようなトラックたちを、彼は量産してきたもよう。それは、それでいい。
だがしかし、そのフォクトっちによる、まったく独自な他では聞けないような作品群が、この《GAS》シリーズなんだ。

では、そのGASはどういう音楽なのかというと。

まずその主要パートは、ハウスっぽさを剥奪されたかのような《バスドラ4つ打ち》の単調なビートの上で、クラシックのオーケストラみたいな重厚なサウンドが、モヤモヤとローファイにボカされながら反復される。
それと対照をなす別のパートは、それまたちょっとクラシックから採ったようなサウンドで、しかしビートレスのスロー。このパートらを、《アンビエント》っぽいと言えば言えるんだが、しかしそうではない()。

GASのトラックらにおける《急-と-緩》の組み合わせは、クラシック音楽組曲の構成システムみたいなものだと考えられる。GASのアルバムとEPらの“すべて”に、そういう組曲めいた構成が感じられる。
かつ、サンプリング素材の選び方──ワーグナーシェーンベルクから採られたりしているそうだが()──からして、クラシックを指向し気味なワケで。

しかしそのクラシック的な要素らが、原始時代のオレらが地面をボコスカと叩いて悦んでたみたいな、単調かつ強迫的なビート──それにあわせ、バカみたくエレクトロニックでメカニカルに反復されている。
このことにより何か、人類の歴史的な音楽文化のほとんど全体が、ここに積分されているかのような、そんな幻想をかき立てられてしまう。それらの“すべて”が、モヤのただよう薄暗い密室へまとめて押し込められ、その中でウズウズと蠢いているかのような。

で、そういうGASサウンドのさいしょのきわまりが、1998年の“Königsforst”だと考えている。このアルバムの中核をなすらしい5番めのトラックは、〈ミィ〜・ドォ〜・ソォォォ〜〉みたいな3つの音によるフレーズをバカみたいに反復しておりつつ、なぜなのかそれによる、当方のエキサイトがきわまりない。
そこでオレらは、原始から文明へ上行しようとしているのか。それとも文明の衣装を脱ぎ棄てて、原始へ逆戻りしようとしているのだろうか。

だいたいの話、〈ミ・ド・ソ〉っていう力強くもベーシックすぎな《動機》のしつけェ反復が、ヘンに言うけど逆に何か失礼な感じ。まるで、西洋音楽のエッセンスなんぞはコレにつきとるでェ、ブヘヘヘヘ〉、とでも言わんばかりなんスけどっ?

それで。1995年のEP“Modern”から、2000年の第4アルバム“Pop”まで、当時ハヤってたような《テクノ》──それを言う自分もそのころはハヤリを追っていた気もしつつ──、とはぜんぜん違う世界を探求していたGAS。だがその2000年から、活動を休止。
けれども2017年の第5アルバム、“Narkopop”にて大ふっかつ! そして、今2020年の6月にはシングル曲、“Zeit”をリリース。

1曲だけのシングルっていうのは従来になかった形式なので、ちょっと自分をとまどわせるところがある。〈組曲的な構成原理〉ということでGAS作品を理解していた、そんな思い込みを崩されて。
がしかし、1曲のみで独立しているだけにこの「ツァイト」は、楽曲内部での構成が、折り重なって、より複雑化している。ゆえに、インテグレートされ、かつアップグレードされたものとも聞こえる。

ちなみに。2017年からのふっかつGASについて、GASだけどいまいちGASっぽくないような気がしてたのが、オレなんだよね。あれらは模索の痕跡だったのだろうか?
それらに続いたこんどの「ツァイト」は、ちゃんとGASっぽい暗く押し殺したようなテンションの高まりを感じさせながら、かつ、新しい構成感をも提示している。これはいい。
いや振り返ると、ふっかつ当初の作品らにも、〈構成感を変えていくぜっ〉という意図みたいのは出てたようなんだが。

で、こうなると来年の初頭くらいまでに、これをふくらませたアルバム版『ツァイト』の出ることを、ついつい期待しちまぁね。そこでまた、アルバムとしての構成感が、どうなってくるのか楽しみなんだよね!