この現代ニッポン──、そのサブカルっぽい分野でヘンに横行しくさっている、《伏せ字》という形式の自主検閲。
それを気にしている、さらには問題視している、そんな人はあまり多くないと見えて、調べたんだが、ほとんど何も分からなかったんだよね。……いったいいつから、こんなザマになっているのか。また、どこの誰が始めやがったことなのか。
そのように《歴史》というものが視えないので、とりま目についている実例を、まず提示。
そしてその告発の対象が、谷川ニコ氏による「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」(2011-)、というまんがになるんだけど。
しかしこの通称「わたモテ」が、とくにそのヒドい例なのかどうか、それは知らない。ただ、ふだんからワリに見てるまんがなので、つい目についた、というだけ。
その誇る自主検閲(らしき所業)の華々しい例として、こういうものがある。「喪129 モテないし教えてあげる」というエピソードで、われらのヒロインである《黒木智子》は、〈声優という職に就けばエロゲーへの出演は必然〉、みたいなことを主張。そしてその傍証として、言う。
〈クレ●ンし●ちゃん とか一家全員で やってるよ〉
これを通訳すると、〈アニメ「クレヨンしんちゃん」の主人公一家を演じる声優たちは、その全員がエロゲーの声をも当てている〉、という主張だと考えられる。
このように、このせりふは、Web媒体への初出時、すでに伏せ字処理がなされていた。さらにそれが、単行本「わたモテ」13巻に収録されたさい、なぜなのか、より強く表現がボカされるハメに。
〈あの有名アニメも 一家全員で やってるよ〉
……何がいったい、〈あの有名アニメ〉なんだろうか? そして、ここまで表現をボカしてしまうと、作中のドラマが不成立になってしまうのでは?
というのは、智子が語っている相手の《茜》は、ふだんアニメも見ないし声優の仕事のこともてんで知らない──、つまり《オタっ気》が、ぜんぜんない少女であるもよう。まあオレもそのタイプなんだけどね。
だが、そうだとしても、「クレしん」くらいは常識として知っていそう、とは考えられる。ゆえに、このお話が成り立っていた。
ところが。〈あの有名アニメ〉とまで発言がボカされてしまっては、彼女らの会話が成り立ちそうな感じが、まったくしない。
そんなボカされつくした言表の《意味》を、非オタの茜が受けとめられるワケがない。読者の自分にしたところが、あらかじめWeb版を見ていなかったとしたら、とてもじゃない。
けれど、そんな通じるワケのない発言が、なぜか作中では通用してしまっているとする。その様相をオレたちは、言うところの《メタいギャグ》として愉しむしかない、のだろうか?
ということを書くために「わたモテ」13巻をチェキしたので、その流れから、続く14巻を見てみると。そこにおいては、次のような伏せ字ワードらの数々が、怒とうのごとく現出しているのだった。
〈ペ●ソナ〉、〈魔法少女サ●ト〉、〈Ki●dle, キ●ドル〉、〈メ●カリ〉、〈ク●スティアーノ ロ●ウド〉、〈孤独のグ●メ〉、〈ペ●ス〉、〈ち●ちん〉、〈け●のフレンズ〉、〈フリース●イル ダンジョン〉、〈か●んちゃん〉、〈サー●ルちゃん〉、〈呂●カルマ〉、〈R-●定〉、〈ク●ニ〉
──ってク●ッタレ、大量すぎるからちく●ょう!! コンコ●ンチキのスカポ●ンタン!
ま〜さかこんな大量に伏せているとまでは思わなかったので、うっかり“すべて”を書き抜いちまったぜェ。じゃあもうハッキリ、自分の感じを述べてしまうと。
このテの《伏せ字》なんてものは、すぐ分かるものなら、伏せている意味がない。法律的には、ほぼない。たとえばの話、〈わ●モテの作者の谷●ニコの母親は淫●のク●女!〉といったボカシ表現であっても、名誉毀損等がりっぱに成り立つ。
いっぽう分からないような伏せ字をかってに放り出されたら、本気で分からなくてアタマにクる。〈フリース●イル ダンジョン〉とか何とかを自分はまったく知らず、ついついネットで調べちまったが。しかし根本的に興味がない和製ラップのことだったので、とんだ時間と手先のムダを強いられた気味だッッ。
このように、安易な伏せ字の乱用が──安易では“ない”というなら、その根拠を聞きたい──、読者に対して小さくもないムダな思考の負担を強いていること。それについて、作者および版元らは、これッぽっちも自覚的ではないのだろうか?
そういえば……たまにオレが読み返す、20世紀中盤の唯物論関係の著述家、《戸坂潤》(1900-45, ☆)。この人が、だいたいこういうことを書いていた。
彼が『改造』誌に寄稿した時事評論が、ものスゴい伏せ字だらけで印刷された。ウロ憶えだが、確か《天皇制》、《関東軍》、《満州国》、といった文字列らが全消しにされたとか。
それであまりにも意味の取りえない文章になり下がったので、思わず潤さんは編集者にクレーム。すると相手は、こんなことを言ったそう。
確かにヒドくてサーセンが、でもマジあの状態で、超ギリギリっス。もとの文章をそのまま印刷していたら、『改造』は即・発禁、そしてボクら二人とも、いまは牢屋の中っス!
けれど、それこれの防御策も奏功しきらず……。追って潤さんは特高警察か何かによる弾圧をこうむり、そして非業の死を強いられたのだった。
そうして、いま。この現在にいたっては、ゲームやアニメの題名ら、キンドルやメルカリのような周知の商標と商号ら、そしてラッパーらの芸名──、なんていう実にどうでもいいよォな名詞らが、かつて規制された、《天皇制》・《関東軍》・《満州国》等々に代わる、禁断のワードへと成り上がっている、とでもいうのか。
とはいえ、そのいっぽう。「わ●モ●」14巻の例の中で、〈ペ●ス〉(=ペニス)等々の下半身ワード、それらを伏せていくことは、社会的な配慮とかにより、ありうると考えられる。
たとえば英語のラップ曲のタイトル表記なんかでも、“Fxxk”、“Sh-t”、“C*nt”、などなど、4文字ワードらの一部を伏せている例があるし。まあ、そういう。
と、いま英語の話が出たんで思うんだけど。あっちサイドのサブカルっぽい表現で、ニホンのまんが等で乱用されている伏せ字規制に近いものって、存在するんだろうか?
……まず4文字ワード(的な要素)らを伏せるってことは、とうぜん考えられる。かつ、ポリコレ的な配慮で使えないことばもあるのだろう。
だがしかし、ただの商標や作品名や人名ら、そんなのまでをヘンにボカしていくことは、めったにないのではなかろうか。違うだろうか。
さて。もういちど言うんだけど、ここまでの題材となった「わ●●テ」が、ヘンな伏せ字の乱用の、とくべつにヒドい例なのか──、それは知らない。ただ、ワリに自分がよく見てるまんがなので、事例として採用の憂き目を見た。
犬も歩けばどうこう、みたいな話なんだ。だがそれにしても、14巻における伏せ字の頻出は、やっぱりトゥーマッチじゃないかと思うんだけど。
では次に、逆の例のまんがを採り上げよう。つまんねェ伏せ字で大切な《作品》を汚していない、そんなくだらねェクイズもどきで読者によけいな負担を課してはいない、という見上げた例を。
ただしっ? 〈つまんねェ伏せ字なんかで作品を汚さない〉ってのは、本来あたりまえのこと。だがそのアタリマエが、いまでは貴重な例みたくなっちまってるのが、異常な事態なのだ。
そういうわけで採り上げるのは、犬も歩けば──というわけで、奥浩哉による「いぬやしき」(2014-17, イブニング誌掲載)。その単行本の2巻までをざっと見て、仮に「●た●テ」だったなら伏せられていそうなワードらが隠されずモロに出てる、その例は以下の通り。
〈ツイッター〉、〈TDL〉(=東京ディズニーランド)、〈2ちゃん〉、〈(週刊少年)ジャンプ〉、〈GANTZ〉、〈ヤンジャン〉、〈アマゾン〉、〈スパイダーマン〉、〈ワンピ(ース)〉、〈進撃の巨人〉、「鉄腕アトム」アニメ主題歌の歌詞
けれど、また言うが、モロに出てるのがアタリマエなんだ。だってのに、あたりまえのことが、アタリマエには見えない現実。
そしてあたりまえのことをしているだけなのに、われらの奥浩哉先生が、《まんが》という表現の尊厳を雄々しく守っている、闘っておられる──かのように見えてしまう現実。そんな腐ったこの現実が、あたりまえでなく異常なんだ。
かつまたっ? 〈仮に「わ●●●」だったなら伏せられていそうなワード〉と、ついいま自分は書いたけれど。
だがしかし、なぜそんな実在しもしないガイドラインが、自分のアタマにじっさい入っちゃってるのか? どういう基準で伏せているのか、何となく分かってしまっていることが、実にクッソ腹立たしい。
オレら人間は社会の中でしか生きられぬゆえ、そこにおいて、〈すべきでないこと、言ってはならんこと〉、それらを識って、なければならない。これを《規範の内面化》と呼ぶと、社会学とかの講義でむかし聞いた。
──それはまあ一定、必要だとしても。
だがしかし、ヘンなメディア等がふんわりと、さしたる根拠もなくばくぜんと定めた感じのクソ規範、そんなものらをうかつに《内面化》してしまい、オレらの思考や言動がどんどん不自由になっている──、現在そんなことが、“ない”と言えるのだろうか?
ところでさいごに、ちょっと話を変えて。この「いぬやしき」作中から、激しく自分の印象に残ったエピソードを、ひとつご紹介。
まず、おおかたはご存じのことと思うけど、SF劇画「いぬやしき」は、ほぼこういうお話として始まる──。
──宇宙人らのフとした手違いにより、二人の地球人が、万能無敵のサイボーグへと改造されてしまう。そのひとりは、サエない初老の紳士である主人公の《犬屋敷》氏。もうひとりは、男子高校生の《ヒロ》くん。
そして自分らのハイパー能力を自覚したとき、善良な犬屋敷氏は、それを世のため人のために行使しようと決意する。ところがいっぽうのヒロくんは、衝動のままにロクでもねェことを、次々にしでかす。
とりわけヒドくて印象的なのが、単行本2巻の序盤に収録されたエピソードなんだ。何となく気分でヒロくんは、知らん人の家にズカズカ上がり込み、まずその一家の父母と息子を虐殺する。そしてそうとは知らず帰宅してきた高校生らしい娘が、その惨状を見つけて嘆く。
その哀れな娘にヒロくんは、サイボーグ化によって必殺の凶器と化した彼の指先を突きつけ……。そしてビックリ、彼女に対し、〈どんな 漫画 読む?〉と、その場にまったくそぐわない問答を、とうとつにふっかけるのだった(第12話 “懇願”)。
それで仕方なく、哀れな少女は泣きながら、その問いに応じようとする。
〈ワンピ……とか… し…進撃の 巨人………とか……〉
〈ワンピ!! ウッソ まじ!?〉(と言い、ヒロくんは歓びの表情を顔に浮かべる)
かくてこの二人には、「ONE PIECE」を愛読という共通の趣味のあることが、確認されたもよう。ならばそのよしみにより、冷血めいたヒロくんも、この哀れな少女に対し、少しは情けでもかけようって気になったのだろうか?
ところがぜんっぜん、そうはなっていない(!!)。──というのが、このお話の実に恐ろしいところなんだ。
ンで。実はオレちゃん、「ワンピ」単行本のさいしょ3巻くらいまでは見たけれど。でもその《意味》が、サパーリ分からんかった、という実績を誇る。
ただしこの〈ワンピ分からん病〉に罹患してるのは、オレ独りではない気配。あるスジからの情報によると、平松伸二・猿渡哲也・高橋陽一という各偉大な先生ら、および元ジャンプ編集のマシリト鳥嶋氏、この方々も、〈ワンピ分からん!〉と述懐されているそうだが。
けれども世間の説だとそれは、仲間とか連帯とかのすばらしさを伝えてくれる、超あっぱれな名作であるらしい。
と、そんなスバラしい(らしき)まんがを愛読していても、ヒロくんの情操──あえて言えば“人間らしさ”の涵養──に寄与するところは、何もなかった、というのか。
だとすると。《まんが》というものにくみしてるつもりみたいなオレらにとって、寒気のするようなニヒリズムが、ここには描かれているのだろうか。
そこのところは正直、いまだ考え中。ただ……。ただこの、ニホンのまんが史上いちばんのベストセラー作品であるらしい「ONE PIECE」、それをディスってんだかそうでもないのか、かなりきわどくも思われるエピソード……。
そんなヤバめのお話を、小ずるくボカした表現に逃げることなく、くっきりハッキリと描きぬいた、われらが奥浩哉先生のペンの力強さ。それに対する敬意が失われることは、自分が死ぬまでないだろう。そのことだけを述べて、いまはこれを終わるんだよね!