エッコ チェンバー 地下

─ €cco ₵hamber ฿asement, Vaporwave / Đésir đupłication répétition ─

The Midnight: Monsters (2020) - 《美学》をじゅうりんする美学を求めながら

ロサンゼルスを拠点に活動中のエレクトロポップのデュオチーム、《The Midnight》。シンスウェイヴ(synthwave)というムーブメントを代表するバンドのひとつ、と言っていいくらいの人気を誇っているもよう()。

そしてご紹介する“Monsters”は、彼らのフルアルバムの第3弾。今2020年7月に出たばかりのピッカピカ最新作で、そして早くも大好評がきわまっているらしんだけど。

……ただし。ココんちはヴェイパーウェイヴとかいう陰獣邪道の巣窟であり魔境であるので、ヴェイパー側からのかってな感想文を、以下ちょっと書かせていただくんだよね。

まずは、サウンド以前のこと。《ザ・ミッナイ》作品のアートワークらは、2014年のデビュー作から一貫し、オレらの言っている《美学》(aesthetics)のカタマリである。ふつうの意味での美学ではなくて、《21世紀のネット美学》という意味の()。
そしてそうした《美学》の参照がきわまっているのが、この「モンスターズ」のカバーのグラフィックだと考えられる。

これは1990年代中盤のスクールボーイの居室だろうか、時計は夜の12時を示している。光っているので目立つのは、テレビ&パソコンのブラウン管の2コ。で、つながった初代プレイステーションが機能していないせいか、テレビの画面はノスタルジックな《砂嵐》
そして部屋の奥、透過式のアクリル板みたいなものが輝きながら、ビル街にUFO出現という絵画、および、このバンドの名前とアルバムタイトルを映し出している。
──その他、あれこれのレトロな美学アイテムらが描かれているが、とくにオレらの気になるのは、右上方の壁に貼られたポスター。イルカの画面に、ECCOという重要キーワードが書かれたもの。

そしてよくよく見てみると、ベッドの下の暗闇の中で、何かの生き物がその両目を光らせている。たぶんこの存在が、アルバムタイトルに言われた《モンスター》なのだろう。
ただし、それがどういう化け物なのかといった考察は、もっとストレートなアルバムレビューにお任せしたい。ヨロシク!

で、これらを見てきてフと思うんだけど。《美学》なんてものはヴェイパーウェイヴの一部分──くらいにふだん考えているが、実はそうでもないのかな、と。むしろ美学のほうが大きなムーブメントであり、ヴェイパーはその中の一分野、くらいの見方もありそうだ。

そして、やっとサウンドの話になるんだが。このアルバム「モンスターズ」はズバリ、《ヴェイパーウェイヴ風味の流用》をコンセプトとしたしろものだと断言できる。スマンが〈こっち〉のサイドからは、そういう風にしか聞こえないんだよね。

まずアルバム冒頭の“1991 (intro)”と、それに続くトラック“America Online”により、それはもうあからさま。さいしょにガチャッとパソコンの電源スイッチの音がして、するとハードディスクがギュイ〜ンと廻り出す。やがておもむろに鳴り響くのは、ウインドウズの起動音(!)らしきもの。
それからタイピングの音に続き、56kとかのモデムが〈ピュロロォ〜ズガァ〜〉。そうしてログインができたらしいところで、ヴェイパーでよく聞かれるモヤッとくすんだシンセ音の、哀愁味あるファンファーレ。

補足。述べたような1990年代的コンピューティングのデテールらは、ヴェイパーウェイヴの粘着するフェティッシュのひとつ。それと、さっき出た《ECCO》とはエコめかした不逞の《盗用音楽》(plunderphonics)──つまりヴェイパーそのもののスローガンであり、そしてイルカはその偽善のエージェント。

いきなりのこの所業に始まり、今アルバムでは随所で、ヴェイパーウェイヴの《風味》が流用されている。ただし、風味やフレイヴァにすぎぬではないか、とも言える。

この感想文の参考にと、ザ・ミッナイのアルバム第1弾(2016)&第2弾(2018)らをも、いちおう聞いてみたが。でもそれらは〈ふつう〉のシンスウェイヴで、ヴェイパーの風味はほとんどないっぽい。するとこの味つけは、バンドにとっては画期的なものなのかも。
そしてザ・ミッナイの方向性ははっきりと一貫していて、根本がまっとうなポップソングである楽曲らを、レトロ志向のエレクトロポップへと、〈アレンジ〉。アレンジしだいでどうにでもなりそうなものを、とりあえず、シンスウェイヴにしている風もある。

Timecop1983: Night Drive (2018) - Bandcamp
Timecop1983: Night Drive (2018) - Bandcamp
ザ・ミッナイと仲よしで同路線のバンド、
《タイムコップ1983》。その最新アルバム

そしてそういう《アレンジ》のスタイルの一種として、オレらのヴェイパーウェイヴが、いま一般ポップの世界に浸透し消化されていく──、そのザマをオレらは眺めているのだろうか。

とはいえ、別にザ・ミッナイにケチをつけるつもりはなく、これはこれでいい。楽曲ら自体のデキがまずよくて、そりゃ人気も出るだろうと。
また「モンスターズ」6曲めのインスト曲、“The Search for Ecco”。タイトルからしてモロにヴェイパーよりの楽曲なのだが、これなんか、こっち側にそのまま持ってきても通用しそう。
〈ノーマル気味だが、なかなかイイんじゃないっスか〉、という感想で受けとめてしまいそうなんだ。さらに第10曲の“Helvetica”、これも同傾向のサウンドで愉しめる。

と、そのように、ザ・ミッナイのことは別にいいんだが。

けれどもオレは、どうしても消化しきれない《異物》としての、アタマがおかしくデタラメでいい加減な、世間を挑発し嘲弄し続ける、テクノロジーの廃物らを積み上げたバベルの塔、クソくだらないバズワードらの偏執的でイヤがらせ的な反復──、そんなものとしてのヴェイパーウェイヴが、あり続けてくれないとたまらない。
そしてそのようにあり続けるために、ヴェイパーの《美学》みたいなものも、ヘンに確立されてしまってはいけない。もっともっとのおかしさを、さらにオレらがきわめていく必要性、それが感じられてやまないのだった。