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うすた京介「セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん」 - ヒゲ長き小学生は無敵

うすた京介セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさんは、週刊少年ジャンプ掲載のギャグまんが。掲載時期は1995-97年。
単行本は、ジャンプ・コミックスとして全7巻。それが累計700万部以上を売り上げた大ベストセラーだということは、市民的常識の一部であるやも。

このまんがの性格について、まず自分の見方を言うと──
吉田戦車伝染るんです。」によって代表される《不条理4コマ》まんが、それが1990年前後という時期に開拓した方向性を、10数ページと尺のある形式に応用して大成功した作品〉
──くらいになるが、それがどういう方向性かということは、またあとで少し説明。

さて名作であることは明らかにしても、なぜいま、「マサルさん」の話なのか。
おとといくらい、ちょっとアレな掲示板を見ていたら、こんなお話が出てたんだよね。

《漫画の理不尽な点を強引に解釈するスレ 96》

245名無しんぼ@お腹いっぱい2020/04/15(水) 22:13:31.67ID:2RyGwUC10
セクシーコマンドー部の略称がヒゲ部というのが理不尽です。

246名無しんぼ@お腹いっぱい2020/04/15(水) 23:34:31.12ID:grvaMZez0
それは理不尽な人がおかしなことを言うギャグです

補足すると、「マサルさん」作中で主人公が操るナゾ深き伝説の格闘技、それが《セクシーコマンドー》。それをたしなむ高校のクラブの略称が、《ヒゲ部》。なぜなのだろうか。

それは引用中にあるように、ギャグまんがのギャグだから、という答でもいいんだが。
しかし自分はちょっと違うことを考えていたので、それをここに書いておくんだよね。

何しろこのまんが「マサルさん」、《ヒゲ》に対するこだわりに、きわめて異様かつ尋常でないものがある。まず、そこを見ておきたい。

そもそもシリーズの第1話、そのサブタイトルが、マサルとヒゲ」
そして転校生で常人である語り手《フーミン》が、マサルの机を見るとその天板に、鼻ヒゲをたくわえたマッチョな〈ジェントルメン〉の落書き。
続いて授業中、フーミンの教科書の人物画に描き足されたヒゲの落書きを発見し、マサルは内心、〈君も「ヒゲマニア」だったのかー!!〉と叫ぶ。以後、フーミンへの親愛の情をネッチリと丸出しに。
続いて彼らは不良らにケンカを売られ、しかし必殺のセクシーコマンドーで瞬時に相手をKOしたマサル。〈ヒゲ長き 小学生に 勝る者なし〉と、強さのひみつを語る。
そして失神中の不良らの顔に、油性マジックでヒゲを描き、〈フゥー いいヒゲ かいた!〉とつぶやいて、マサルさん大マン足の笑み。ここで第1話・完。

ここまでしつように執着されている、《ヒゲ》という記号か何か。その粘着の延長で、部活の通称が《ヒゲ部》になってしまっても、もはや理不尽な感じがしないのでは?
だとしても、その《ヒゲ》という記号(か何か)は、いったいどういう意味を指しているものなのだろうか。オレ式の答を申し上げてみると。

《ヒゲ》は、アダルトであることの象徴。ゆえにアダルトオンリーなお愉しみのあれこれを指し示している、隠喩(メタファー)なのである。
ついでに言うと、《セクシーコマンドー》そのものが、禁断のエロス的世界の現前を匂わせるジェスチュアのあれこれである。ゆえに、もろもろスジが通っている。

……分かりきったことを説明しちゃってる、むしろ〈言わぬが花〉なのに。そんな気がしないではないね!

こういうまんがの、《不条理ギャグ》の類。それは表面的には意味不明だが、しかし読者たちの《無意識》は、それらの意味を正しく受けとめている。
けれどもそれらが受け容れがたい《意味》なので、《意識》はその認識を拒む。この葛藤のエネルギーが、笑いという肉体の運動によって消費される。
この間の緊張、そしてその緩和というプロセスが、読者には《享楽》をもたらす。かくのごとく、“《意味》のあるナンセンス”だからこそ、作品であり商品であるものとして成り立つ。

かつこの「マサルさん」について、極論すると、そこに描かれた記号らのベールを剥がしてしまえば、はっきりした方向性を持たない不気味なスケベエネルギーのルツボ、そんなものがうっすら見えてこないでない。
それは、私が彼であり、そしてあなたが私であるような世界。恐ろしくも魅惑的で狂おしく、また直視もできず直接の描写も不可能。
だからせいぜい《記号, シニフィアン》らの力を借りて間接的に、ギャグやホラーのような形式でしか表現されえない。そして、そうまでして隠びに追求され続ける、何か根源的なものであるらしい。

──といったりくつを、ずぅーっと考え込んでいた時期があるんだが、しかしこういうお説はウケないんだよね。誰も歓んでくれない。
ギャグまんがなんてものは、笑えるから面白い。確かに、それでもう十分なんだよね。

かつまた、〈受け容れがたい《意味》なので、《意識》はその認識を拒む〉と、自分でも言ってる通りなんだ。受け容れがたい《意味》をわざわざ言うって行為は、一般の人に好まれるような所業じゃないんだよね。はぁ〜。

まあオレの駄文が何をどう書いてもあまりウケない、それはしょうがないが。
しかしこれを見て、「マサルさん」のすばらしさを再認識、または新たに知る、そういうことがあってくれたらハッピーハッピーなんだよね。イエイッ