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西馬ごめゆき「性欲がやばすぎる女博士と性欲がやばすぎるロボット」 - 男の性欲/マシーンの性欲

〈性欲がやばすぎる〉というタイトル自体がヤバすぎるようにも思える、少年ジャンプ+掲載の読みきりギャグまんが、「性欲がやばすぎる女博士と性欲がやばすぎるロボット」(8月11日付)。
公開直後に一読し、そしていま再チェックしてみたら、その10時間の間に《はてブ》が170件オーバー。これはちょっと、ささやかにもバズってる部類かも……?

で、この作品が。〈オレは面白いと思った〉ということは、まず確かなんだけど。

もうひとつちょっと思ったのは、《男の性欲》というものが、いまはストレートに描かれにくいのかな、と。ニホンのまんがの流れの中で。
だから《こまわりくん》のようなヒーローが、描かれるとしても、たとえば人間ではなく悪魔という生き物として──。そういうことを、自分はもう2年も前、久保保久「よんでますよ、アザゼルさん。」の感想文として書いていた()。

そしてこの現在の「性欲女博士性欲ロボ」においても、性欲のすごいオス側の存在は、あいきょうあるレトロフューチャーな姿のロボットになってしまっている。

ネタバレ注意!:今作のラストシーンには、もっとヒトに近い姿のオスロボらが登場するけれど。しかしその彼たちは、性欲をあけっぴろげに表出してはいない。そこに、《抵抗》の存在が感じられる。

それに対し、ニホンのまんがの流れの中でいま、《女性の性欲》を描くことは、ワリに抵抗なく受け容れられているもよう。ていうかそれが、お盛ん。まずこの「性欲女博士性欲ロボ」にしても、それをおおっぴらにノビノビと描いているし。

また、当節ハヤリの《百合まんが》っていうのも要はそれで。エロコメっぽいお話が描かれるにしても、《攻め》の側がオトコだったりすると、何となく落ち着かない。それを女性同士のお話にすると、なぜか抵抗なく愉しめる。──そういう読者心理が、あると考えられる。
つまり自分はその《百合まんが》の大部分が、ピュアに同性愛を描いてるワケじゃなく、男女のお話から逃げて遠廻ぁ〜しに何かそういうことを描くもの、と考えている。忌憚なき意見ってヤツっス。

で、さらにはヘテロのラヴコメ/エロコメにおいてさえ、より性的に積極的に振る舞うのが女性の側である場合が多い、とはどういうことだろうか。
《高木さん系》などとネットでは呼ばれる、まんがの一種の系列が、ちょっと栄えている気味なんだけど()。つまりはヒロインらがヒーローへ、ウザめに絡んでくるラヴコメの類で。
この系列の代名詞となっている傑作「からかい上手の高木さん」、それ自体はあまりエロくないと思うが、しかしそのエロ度を高めれば……つまりそういうことだ。

そして《高木さん系》のヒーローたちの中には、女性らの性欲の強さにヘキエキしてるようなヤカラさえ、いてやがる。そういう彼らのギセイを避けるため、ロボで代替しようという、今作に描かれた《性欲女博士》の開発コンセプトは、適切でありかつきわめて道義的──、であるのかも?