エッコ チェンバー 地下

─ €cco ₵hamber ฿asement, Vaporwave / Đésir đupłication répétition ─

Mogwai: ZEROZEROZERO (2020) - モグ モグ モグ、モグっ モグぅ〜

モグワイというバンド、スコットランド出身で1996年デビュー()。そして翌97年の1stアルバム“Mogwai Young Team”ですでに、《ポストロック》みたいな世界の頂点に立ったと言える、結果論で。

いっぽう自分が東洋の片すみで、このバンドの存在を初めて知ったのが、こりゃまた遅くも2005年くらい。だがそれも、主観的には仕方のなかったこと。
なぜ仕方なかったのかって、1990年代からこの時期までの自分は、音楽といえば《テクノミュージック》! ──あと、それにちょっとは近縁のもの。それ“だけ”にしか関心がなかったんだよね、いやほんと。

そして、そんなテクノへの夢想や熱狂も醒めてしまった2005年ごろ。そこまでのモグによる初期名作ら、「ヤング・チーム」、「カモン・ダイ・ヤング」(1999)、「EP + 6」(2001)などを聞いたオレの感想は……。

ドゥルッティ・コラムのトランキル(静か、穏やか)なサウンドが、リフレッシュされた現代バージョン……、いや、ちょっと違うのか?〉

きれいなメロディとその余韻らをフィーチャーした静かなパートらは、多少くらい似てるかな、としても。しかしそうじゃない部分が、モグにはある。
つまりその楽曲の中盤や後半で、ズガガガ〜ッ!と轟音がさく裂しちゃうパートが、モグ的にはありがち。それは皆さまも、よくご存知のことで。

──実はそういう、モグっぽい起伏の激しさを、自分の中では受け容れきっていないんだよね。
テクノ的発想がいまだ抜けてない、というより、生まれつきの《ミニマル》志向のせいで、自分は“同じこと”をずぅ〜っとしてるような音楽が好きなんだ。

とはいえモグっちの音楽、その質の高さは、がぜんとしてれきぜん。なので、これはこういうものか、くらいに考えて聞いてきたんだよね。
また、追ってニホンからも《MONO》というバンドが出てきて、まあだいたいはモグタンのコンセプトを見習っちゃってる感じだが()。そして同じく、共感しきれもしないけど、まあこれもあり、くらいに拝聴いたして。

と、そんな時期から歳月が、さらにズズズゥ〜イと経過……。そしていまオレたちは、モグちんの最新2020年アルバム“ZEROZEROZERO”を聞こうとしている。

すると、どう? これはアマゾン何とか向け映画のサントラだそうだけど、そのせいでもあるのか、いたってフラットであります、音楽がっ。
急にうるさくズゴゴゴ〜ッ!ってなるような、ああした特有の起伏の激しさが、もはやない。全体的には、シネマティックでメランコリックなアンビエント(風)インストロックとして、オレにはきわめて受け容れやすいサウンドになっている。

ただし。初期のモグポンには存在したような、過激な繊細さ──切ればすぐ鮮血が飛び出しそうな皮フの薄い感じ──そういう趣きも、ここにはすでにない。
かつて1997年にヤングのチームだった人々は、20数年後の現在、もはやミドルとかシルバーとかのチームになっている……。それゆえの変化?
そして、ヤングなうちにダイすることのできなかったオレたちが、《ここ》でいま、その悔いをしみじみと分かちあっているのだろうか。

かつ、自分がかってにモグっちのお手本かと思い込んだドゥルッティ・コラムさん、そちらさまのサウンドも、かなり前からちょっとそんな風()。センスのよさ等は変わらないけれど、しかし最初期のみずみずしさは、もはや出そうとしても出ないのかも。

なんて、まあ! 人さまらの顔を眺めて「老けちゃった?」とかぬかす失敬なヤツ、みたいなことを述べちゃったようでもあるけれど……。
だがしかし、歳月が人を変え音楽をも変えていく、そのことを受け容れなければならないのかな、とも思い、オレは暗い空の彼方を見るんだよね。

赤い薔薇の花ことばは、「美」「情熱」そして「愛」…

【付記】 英語のウィキペによるとモグリンの音楽性は、〈フガジ、MC5マイブラソニックユース、ザ・キュア、そしてポストロックのパイオニアであるスリントらの影響を受けた〉、のような話()。
それらもまあ、たぶんあるんだろうけれど。しかしそれだけの見方だと、オレが注目しているモグすけのサウンドアンビエントっぽい部分、そこには説明がつかないよね。

が、だからってドゥル・コラ説をあんまり強く言う気もなく、これは影響というより並行関係くらいのものなんだろうか、と考えながら。