エッコ チェンバー 地下

─ €cco ₵hamber ฿asement, Vaporwave / Đésir đupłication répétition ─

yogurtbox: Tree of Knowledge~知恵の樹~ (2011) - この世の果てで恋を唄うLSIチップ

チップチューンズ, Chiptunes》、1980-90年代のゲーム機やホビーPCで演奏されたサウンドらへのフェティッシュ愛好。
と、そのたぐいの話なら、オレらのヴェイパーウェイヴも負けちゃいない。8bitや16bitの世界へのノスタルジィならおまかせだぜェ、って言いたい気もしてくるけれど。

でも実はこの両者、意外にかみあわない感じがある。

なぜってヴェイパーのサウンドはモヤモヤしてるのが基本なのに対し、いっぽうのチップチューンズは、ムキ出しのナマっぽい電子音が最大の武器のよう。そこいらに、大きな違いがあるので。

と、そんなことを考えてなくもなかったが。そうしていまご紹介する「Tree of Knowledge~知恵の樹~」は、チップチューンズでありながらヴェイパーのレーベルから出ているアルバムなんだ。
いちど2011年にチップ系レーベルからリリースされた作品が、追ってヴェイパー(系)という扱いで18年に再発された、そういう運びらしい。そして本気かどうかは不明だが、ヴェイパーウェイヴでありヴェイパーホップ、というタグが打たれている。

これの制作グループの《ヨーグルトボックス》は、ケン・コーダ・シュナイダーとスティーヴン・スラッシュ・ヴェラマの2人組。彼ら自身によれば、アルバム「知恵の樹」は、こういう作品だとのこと。

私たちは、日本のポップスやゲームミュージックから多大なインスピレーションを得た西洋の作曲家です。90年代にPC-98でエロゲの音楽を聴いたとき(特に「島の龍と梅本龍の「この夜の果てで恋を歌う少女ゆうの」)、その曲の音質に驚き、キャッチーで洗練されたスタイル。
この音楽は西洋ではあまり注目されていないので、この種の音楽へのトリビュートアルバムを作ろうと決めました。

(グーグル翻訳の出力)

……と、言及されている〈エロゲの音楽〉とは、梅本竜「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO(1996, エルフ)だと考えられる。ささやかな音源システムを限界まで使いきって、スリルと幻想・エロスと渇望らをスケールゆたかに表現。まさに言われたとおり〈キャッチーで洗練〉を実現した、PC-98エロゲ音楽の最高峰みたいなもの。

そしてそのYU-NOへと捧げられたアルバム、「知恵の樹」。これは、存在しえたかも知れない(架空の)PC-98エロゲのサウンドトラックとして、構成されているのだった。
まずオープニング曲から日常のテーマ、続いて個別ヒロインらのテーマへと進み。そしてドラマチックな盛り上がりをへて愛の場面、そうしてエンディングにいたる。
と、過去に存在したエロゲのサントラ風になっているんだが。しかし曲数の少なさが、低予算を想像させて、やや泣け気味。それにグラフィックスもがんばって、PC-98風のドット絵を用意したんだとか。

……とは、ずいぶん酔狂なことをなさるもので。オレは好きだね、こういうの。

聞いてみるとかなりよくできていて、PC-98の実機または同一のチップを鳴らしているのだろうか、オリジナルYU-NOにそっくりな響きがしばしば現れる。楽曲らのふんいきも、なかなかそれらしい。

ただし違うのは、これのサウンドの、低音の張り出し加減。90年代までのゲーム音楽に、こういうリッチでファットな低音は入っていなかったはず。貧弱なスピーカーシステムへの配慮だったのだろうか。
いやまあ、ゲームに関係ない音楽だとしたら、ぜんぜんおかしくない音なんだが。しかしシミュレーションとしてとらえたら、ちょっとマイナスかなと。

それとやかましいようだが、もっともかんじんな(!?)クライマックスの「愛のテーマ - Making Love」、この楽曲にツヤっぽさが足りない。いや別におかしいってほどじゃないんだけど、しかし、ここにヤマ場を期待していた善良なリスナーの期待を満たしきれていない。
……あ、スイマセン。でも、次また同種のことをするんなら、お手本であるYU-NOのラヴ・テーマとかを参考にして、もっとこう。

しかしまあ、思っちゃうんだよね。こうして語られる「YU-NO」というタイトル、PC-98用エロゲを起点に、もろもろさまざまな移植やメディア展開をこうむっており()。とくに2017-19年の、超いまさら的なゲームリメイク、そして深夜アニメの放映にはビックリさせられたけれど。
つまりオリジナル本編のインパクトがあまりにも大きくて──何しろこれが98エロゲの最高傑作みたいなので──、その90年代の体験を《卒業》できていない人が多いのかな、と考えられる。まあ自分もそうだけど。

とくに今21世紀の「YU-NO」関係の制作には、〈オレたちはこの世界から卒業したくない!〉というメッセージ性が強く感じられる。そしてそういう、一連の《ジェスチュア》に終わってはいないだろうか? いやそうではなく、ヤングな世代へのYU-NOの布教に成功した、というなら幸いだが。

──あまりにも1980-90年代のメモリーズらに固着しすぎている、ある種の層がある。うちらヴェイパーウェイヴにしても、言うまでもなくそれなんだけど。
しかしヴェイパーはシャレとして、バカみたいな形でそのメモリーズらをクドクドと反復し、そして再生しながらそれらを葬っているんだよね。
それがそうではなく、もはや生命を持たず発展のしようもない素材ら、その死を信じない。その上での営みだったとしたら、とくに害はないかもだが、しかし病理的って感じもある。

YU-NO」なんかはマイナーだけど、「エヴァンゲリオン」のシリーズなどは、それを現在まで、もっと大々的にやっていそう。ただしビズネスとしてはマズくもないようなので、はたからそれを無意味と指摘するのもヤボなのか……そうか。