エッコ チェンバー 地下

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John Stowell & Michael Zilber: Basement Blues (2016) - 試されるギタリストたちとその勝者

《ジョン・ストウェル》というジャズギタリスト、1950年NY生まれ、コネチカットで育つ。そして、どうにかしてギターを学ぶ。
1970年代初頭ごろから、ベーシストのデヴィッド・フリーゼンとのデュオを結成。この地味な編成で──実はそれがいいんだけど──、北米、欧州、豪州あたりを地味に巡業。
そして1977年には、初リーダー作“Golden Delicious”を発表。それからちょっとずつ、ちょっとずつ、わずかに名を挙げてきたみたいだが……。

いやはやこのジョン・ストウェルさんのバイオには、面白い話がひとつもないに等しい。かつ有名プレイヤーらとのからみもほとんどなく、また、とくにヒットしたようなアルバムもない。
ではあるけれど、何か好きなんだよね。とはいえ、自分にはおジャズの高等なソレコレは分からないんで、どこがいいのか説明できず、もどかしいんだが……。

雑に言いきってしまえば要は、多少なりともジム・ホールに似てるってことか!

てのも。オレが期待するジャズギターのあり方は、まず耳にやさしい音色と節廻し、そのいっぽうでヘンにむずかしいコードや奇抜なボイシングの多用、そして不可解にアクセントを分割してくるチン妙なリズム感。
そういうことだが、しかしその前半と後半の要素らのバランス取りは、イージーでないはず。そして、ひとつの理想が、かのジム・ホールさま。

そうであるので、ホールさんに近いとか似ているものらは、オートで高く評価される(!)。ゆえにストウェルさんもアリの大アリ、くらいの話になってしまうのか?

そしてそのストさん、この21世紀初頭、テナー奏者のマイケル・ジルバー()とのコラボレーション・アルバムを3点出していて。いずれもやさしい楽しいサウンドなので、ぜひご一聴をオススメしたいんだよね。

常にストウェルは薄めの編成を好んでいる風だが──そこに共感しているんだが──、このジルバーとのセッションらも薄め。ギター、ベース、ドラムに管1本のカルテット、ピアノなし。
これはギタリストにとって、試されるシチュエーション。ここで燃えなきゃ、腕前を見せなきゃ、ジャズギタリストの看板を降ろすべき。
かつほんとうにいいギタリストは、まずバッキングでその実力を示す。だからピアノなんて夾雑物を排除できていれば、あとはもうヤるしかない。

つまり、あの喪われた理想の世界、ポール・デズモンドのカルテットにて、われらの英雄ジム・ホールはいったい何をヤッていたのか? そしてこちらにて、同・ストウェルさんは?

そんな観点から、いまちょっとだけ聞き比べてみると、デズモンド+ホールの音楽は、意外なほどフラットに聞こえる。いい意味で、ものすごく平面的な感じ。対してストウェル+ジルバーのほうは、実に立体的でダイナミックなアンサンブルをなしている。

その印象の違いは、なぜ生じているのだろうか?

それは、まず録音とかのせいもあるし。また1960年あたりのデズモンド全盛期に比べたら、ジャズという音楽のイディオムも多少は進歩みたくして、そのせいもありげ。
あまりヘンには聞こえないけど、しかし意外にストウェル+ジルバーのアンサンブルは、“ポスト”・実験的あれこれの、コンテンポラリーなおジャズに他ならない。ただ単に、きれいで品のある演奏をしているのではない。

(ちょっと余談になるけど、ストさんにはソロ生ギターの録音がけっこうあるがそれらは、そっけなくもコンポラすぎて、オレにはよく分からない。毒々しい“前衛ジャズ”とは違う、何らかの取り組みがあるっぽいらしい)

それと、デズ+ホールが二人でひとりみたいな調和のきわみを演じているのに対し、スト+ジルのコンビはからみ方が、対話的、弁証的。ゆえに、立体的に聞こえるのか。まあけっきょくは、どちらもいいというワケだけど。

いや、どうせ分かってないヤツのヘボい分析などは、これくらいにして。ぜひ広く皆さまが、これを娯しんでくれたらいいな、と思ったんだよね。イエイッ。