ドローン系アンビエントの元祖の一人のようにも言われる、フランス出身のエレクトロニック音楽の女神、エリアーヌ・ラディゲ。1932年生で、いまなお健在で活動中。そのBandcampから出ているアルバム、“Geelriandre / Arthesis”をご紹介。
……と、自分なんかも分かった風に、「ドローン系の〜」などと書いているけれど。しかしドローンなどと呼ばれがちな音楽は、いったいいつから存在しちゃっているのだろうか。
かんたんに英語のウィキペで知った気になると、まずその前身的なものは、インドやビザンチンやチベットらの宗教音楽、スコットランドのバグパイプやアボリジニのディジェリドゥらの吹奏、そして日本の雅楽、などなど。
そしてそれらの様式を、現代的な音楽システムの中に持ち込んだのは、やはりラ・モンテ・ヤング師匠であるっぽい。
そしてその影響下、アンガス・マクリーズ、ポーリン・オリヴェロス、和田義正らの人材が登場。この人らはだいたい1930年代の生まれだが、そしてわれらのエリアーヌさんもそういうグループの一員である、と。
そのいっぽう、1963年に渡米したウェールズ人のヴィオラ奏者、ジョン・ケール。彼がヤング師の影響をこうむりながら、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドとかいうヤクザなロックバンドに入っちゃったので、そこらからポップの世界にもドローン系の影響が波及。
自分はこのケールさんについて、「前衛部門でもポップ部門でも、けっきょく中途ハンパなことしかしてねェなァ」などと思ったりしなくない。だが、その両分野の橋渡し的なことをずっとやってきた、という功績はあるのかも。やや近いポジションの人で言うと、イーノ様のあまりな偉大さに比べてはふびんにしても。
で、話を戻してエリアーヌさんのアルバムだが、30分弱の楽曲が2曲入り、制作年代は1972-73年。それぞれが、ARPとかモーグとかのアナログシンセ1台をベースに作られているもよう。そして曲名らの意味は、正直言って分からない。
そしてどういう音楽かというと、エリアーヌさんのシンセ音楽全般に言えそうなことだが、アナログのオーディオ機器が意図なくしてキャッチしてしまうハムノイズ、集合住宅の水道管とかのパイプの鳴る音、冷蔵庫等のモーターのうなり、まあそういう響きに近いのでは。
──ジャズやロックらの騒音めいた音楽の勃興について、その背景に機械的ノイズのあふれる社会環境、ということを言う説がある。それもないことではない、と思う。
われわれの現在の最大テーマであるヴェイパーウェイヴもそうなんだが、生活環境の中で聞かされちゃっている音たちを、反射的に「返して」「戻して」いるようなところがある。過酷かも知れない《環境》だが、しかしその中でしか生きられない、ゆえにそれを愛さなければならない──と、一種のマゾヒズム的な姿勢で。
20世紀初頭のイタリア《未来派》の前衛音楽などは、そこらをきっちり意図的にやっていたもよう。あまり成功はしていないにしても、確かに態度としては先を行っていた感じ。
ただし、創作であるものを《環境》の反映だけみたいに言い棄てたら、ただ失敬というよりか、大切なものを取り逃がすハメにもなる。このエリアーヌさんの作品らにしても、頭の上を無数の電波が飛び交う世界の、マシーンらに取り囲まれた環境の、憂愁そして詩情みたいなものがたぶん表現されていそうなので、ゆえに聞くべき音楽として、われわれの前にある。
ではありつつ。この“Geelriandre”もそうだが、エリアーヌさんのアルバムらのカバーアートにはアルプスのふもとのお花畑みたいな牧歌的な絵図がけっこう多く、実は意外にそういう世界を表現しているつもりなのかも知れないけれど、まあそこは分からない。その曲タイトルらの意味が不明なのと同様に。
ところで近年のエリアーヌさんは、シンセではなくナマの楽器を鳴らす方向に向かっていて、もっかの最新作である“Occam Ocean 2”(2019)などがその集大成になるのだろうか。やっていることはあまり変わらず、ちょっと起伏のあるハムノイズを楽器らで再現しているようなものだが、しかしそのサウンドがみょうに美しい。
ここまでくると《環境》うんぬんも、すでにあまり関係なさそう。ただこういう響きを追求してきた彼女の美学のきわまり、みたいなことをわれわれは感じるべきなのだろうか。