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鬼頭えん「地獄の釜の蓋を開けろ ~マビノギオン偽典~」 - 意欲にもえもえ、コロンブスの大罪

鬼頭えん「地獄の釜の蓋を開けろ ~マビノギオン偽典~」

鬼頭えん「地獄の釜の蓋を開けろ ~マビノギオン偽典~」 - コミックNewtype

鬼頭えん「地獄の釜の蓋を開けろ ~マビノギオン偽典~」は、Webまんがサイト「コミックNewtype」で2018年4月より掲載中のダークファンタジー。サイトの紹介文を以下に引用。

<舞台は12世紀イングランド。第3回十字軍が発せられた時代に、墓穴を掘って生計を立てていた少年が出会ったのは「再生の大釜」を名乗る少女。果たして彼女がもたらすものとは再生か、それとも破壊か――。本格ダークファンタジーが今ここに幕を開ける!>

その現在までのWeb掲載分(第9話まで)を見てきて、描写の重厚さに、引き込まれるところは大いにある。ペンの圧力の強さ、それを感じさせられる。が、いまだお話は展開の序盤を過ぎたばかりくらいかと思われるので、いいとか悪いとかの評価は現在は控えるけれども。

ところで自分が気になっているのは、今作中で《梅毒》という病が描かれているところ。関連するあたりを要約すると…。

― 「地獄の釜の蓋を開けろ」ストーリーの一部分 ―
作中で死刑に処せられた娼婦が、「再生の大釜」の神秘力で蘇生する。するとその仕組みを知らぬ人々は、《聖女》であるがゆえの復活か、と誤解。それに乗っかって蘇生した娼婦は《聖女》らしさを演じ、そして世間の評判を集める。
しかし、やがて彼女のもとに、奇妙な客たちが続々と押しかけてくる。それは、「聖女と交われば梅毒が治る」という迷信か何かを信じ込んだ病者らだった。これにはニセ聖女の娼婦ちゃん、困惑&大迷惑!

お話としてはちゃんと成り立っていて、とくに問題はなさそうだ。では、何が自分の気になるのかというと…?

この「地獄の釜の蓋を開けろ」は12世紀イングランドでのお話、細かく言えば物語の現在時刻は1193年だと、本編の冒頭にはっきり書かれている。
ところが現代の一般ピープルの常識として、梅毒はもともとアメリカ大陸から出た病であり、意欲に(1492)もえるコロンブスの一行がそれをヨーロッパに持ち込んだ、とされている。
…とすると、年代が300年ばかり合っていない。この描写は時代錯誤なのではなかろうか?

ということが頭に浮かんだのだが、しかし即断は禁物だ。20世紀に身につけた常識が現在では否定されていることはけっこう多いので、ひとまず調べてはみた。
すると、コロンブス犯人説には確定的な証拠はないけれど、しかし現状いまだもっとも有力な説である、くらいの情勢だった。やはりコロンのせいか…。

薔薇の香りとやすらぎを、ここで貴方に…

じゃ、まあコロンが悪いという前提で、話を少し続けさせていただくと。
こういうまんが作品は、「お話としてはヘンじゃない、興味深い」という認識と、「事実関係が自分の信じるものと異なる」という認識、その両者が心の中で相争ってやまない、という事態の苦しさに自分を追い込む。仮に駄作であれば、このまんがを棄ててすっきり解決だが、しかしそれには惜しい。
ではいっそ、今作中で梅毒とあるところをハンセン病(らい, レプラ)あたりに置き換えてしまったら? けれど、その思いつきは大きなお世話である上に、ハンセン病は性病ではないところが梅毒と異なるので、ここまでのストーリーと整合しにくい。

…それにしてもめんどうなものだ、“たかがまんが”であるのに時代考証って、そんなに大事なことだろうか?
で、またすぐに大むかしの話を振るんだけど。石ノ森章太郎佐武と市捕物控」(1966)は、江戸時代のお話である感じだが、しかし開巻ほどなく「少年サンデーの“オバQは…」、「敵が“ピストル”を持っている」、「“007”じゃあるまいし」、といった強力なアナクロニズムを連発している。なぜ現在、こうではいけないのか?

いやその答は自分でも分かっていて、そもそもわざとのアナクロギャグと、意図されざる誤りとは、同一でない。しかも、まんが本来の持ち味でありムードである《軽妙さ》ではなく《重厚さ》を打ち出すとすれば、読者らの見る目もごく自然にシリアスになってしまう。…ここでもう、「お話を創る」ということのあまりな困難さに、自分は身がすくむばかりなのだった。