エッコ チェンバー 地下

─ €cco ₵hamber ฿asement, Vaporwave / Đésir đupłication répétition ─

This Heat: S.T. (1979), Live 80/81 (2006) - AからZに移動しました

むかしのレコードの〈ジャケ買い〉なんて、たぶん失敗してる例のほうがぜんぜん多いんだけど。
しかしアタリを引いたときの悦びがあまりに大きすぎて、いま言う《認知のひずみ》を生じさしている、と考えられる。〈ジャケ買いはアリなのだ!〉、とね。

そして、ジス・ヒートThis Heat)のセルフタイトルの1stアルバムは、自分にとってはその最大のアタリであり続けるんだろう。
それをレコ屋で見た瞬間、〈ふんいき的に、何かキテそう!〉と即断し、とくにどういうものか知らないまま買ってしまったものだったが。

それが……。

いちおうご説明するとジス・ヒートは、1976-82年に活動していたイングランドの3人組バンド。そのメンバーたちは、プログレというかアートロックみたいな方面で、その前から多少活躍してたような連中だった()。
それが当時のパンクロックの《熱》にあてられてか、パンク的な意識と衝動をベースとしつつ、それを超えたふかしぎな未曾有のポップの領域に踏み込んでいったんだ。
その楽曲らがおかしいだけでなく、おそらくジャマイカのダブの影響により、非常識なエンジニアリングの乱用悪用におよんでいるところも、その大きな特徴。

そしてバンド名が“Heat”と熱のあることを言いながら、そのサウンド“Icy”──氷のよう、という表現が定着した。そもそもグループの使用していたスタジオ(どうせ自宅の地下室か何か)が、〈コールド・ストレージ/冷たい物置〉と命名されていた。

まったくもって名づけのしようがない、独自で固有の《ポップ》。これは一種の形容矛盾だろう。
なぜって《ポップ》は、キッチュであってミミックだから。似たようなものが大量生産されるからこそ、ポップはポップなんだ。

だのに、ジス・ヒートの音楽をサイコーの意味での《ポップ》だと呼んでおきたいのは、受け手の幻想と共犯関係をつないでいこうとするような甘さが、ぜんぜんないから、とも言えるし。
またユニークである《表現》が、たちまちその場で凍りついた、外在的でモノ的である《ポップイメージ》へと変わりゆくような離れワザを魅せたから、とも言えるし。

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この福祉国家は私たちの進歩です
そのすべてのサイズは私たちを運びます
より多くはより良く、それは私たちが望むものです
私たちのエネルギーは無限大です
必要なときにそこにあります
私たちは仕事に男性を持っています


AからZに移動しました
この核保有国は私たちの終焉です
ピーターを飛ばし、ポールを隠します
地球が燃え、粉々になり、そして死ぬのを誰が見ることができますか?
フェイルセーフ、絶対確実、私たちは以前にそれを聞いたことがあります
良識が必要です
男性が仕事に就いていることを願いましょう


This Heat “A New Kind of Water” (1981) 〜

ジス・ヒートは、それ自体が矛盾だった。ヒートかつコールドだった。不安定さをきわめた量子状態みたいなものだったんだろうか。そういうワケで、このバンドは短命であり、本格的なアルバムは2コしか残していない。
そんなだったジス・ヒートに対し、そこからの影響を指摘されるソニック・ユースあたりは、きわめて安定した前衛ちっくなポップソングらの量産体制を築いている。これが通常一般のポップ営業活動、ジ・エンターテインメント。それはそれでいい。

そういえば。付言しとくとジス・ヒートの時代に出てきたキーワードオルタナティヴ》、これは本来、ロックから出てきてロックから出て行く、それを棄却する、そういうムーブメントを言った。
そういう勢力の筆頭がもちろんジス・ヒート、そしてスロッビング・グリッスル、パブリック・イメージス、レインコーツあたりだっただろう。

という用語だった《オルタナティヴ》が、グランジ流行時代くらいから、〈ロック業界の内部のちょっと対抗的な分子〉くらいの意味に矮小化されて用いられ、ビックリしたさ。
ていうか正直、〈ムカつくんスけど〉とも思ったが。しかしそれさえすでに大むかしだし、いまはもうどうでもいいよね!

あっ。最小限の説明を、というつもりだったが、けっこう語ってしまいまんたった。
ともあれそのジス・ヒートも、現在はBandcampに出ている“こっち側”の一員なので、そのことを大いにPRしたかったんだ。

けれど小声で言うんだが、本来メインの作品である1stアルバムThis Heat、および2ndの“Deceit”──、それらの音質がもうちょっとかと……。ビニール盤で聞きこみすぎた音源のデジタル版はどうしても、というオレ個人の事情かもだけど。
逆にライブの“Live 80/81”、これが、かなりローファイだがアナログ由来の音圧感が保たれたサウンドで、すごくいい。推し!

そして圧倒的な創造性にあふれたジス・ヒート──何しろ彼らの音楽は〈クリシェ〉ってものをぜんぜん含有していない──が、どうこうののち。いま自分が、ややムキになってまで〈創造〉を否定しているかのようなヴェイパーウェイヴへと、ヘンにアツくなっている。
それぞれは、ともにこの文明への懐疑を共有しながら、そして《ポップ》をはさんで対極的な攻略法を構えている。