ポ  サ  研

─ ポスト真実 のサウンド研究, ヴェィパーゥエィヴ と仲間たち, 欲望 複製 反復 ─

Miles Davis, Lee Konitz, Billy Bauer: Odjenar (1951) - 取り戻せ! 喪われたおジャズの理想の世界

前の記事にて、ジェフ・パーカー関係の作品()を、いい意味にしても《独断的》などと評したオイラ。がしかし、チョコっと自省反省などしてみたら、よっぽどオレのほうが独断的。
てのは、ふだん書いてることもそうだけど。が、いまこの文脈でいうと……。
オレことモドキちゃんは、少々本気で考えてるんだな──、「おジャズの世界ではギターがいちばんエラい」、何よりもエラい。ゆえにその他のいろいろは、ギターさまを引き立てることに専念しやがれください、と(!)。

まあオレ独りがそう思ってるだけで、別に法律の布告じゃないので、いいよね?
だいたい、われわれの《ジャズギター》ってのが歴史的に日陰者で、踏みつけの存在でありすぎたんだよね。だからついつい、逆の極論をも言ってみたくなるよね。

だってさ、想い出してもみましょうよ。どなたの誰もがご存じの、“あの”全盛期のジャズ・ジャイアンツのディスコグラフィを。
それがエリントンやベイシーらに始まるとして、かつそれ以後、パーカー、ガレスピー、ブレイキー、ミンガス、モンク、マイルスにコルトレーン……。つまりそのアンサンブルの中でギターを重用した人なんて、ほぼいないに等しいんだよね。
なお、ジャズロック時代からのマイルスは別カウントとする。そしてソニー・ロリンズという人は、キャリアの途中でギターのすばらしさをついに理解し(1962年)、以後は改悛の態度を示しているので無罪を宣告。

ただし、少し分かっちゃう気もするんだよね。何が分かるかというと、ちゃんとしたソレ風のジャズギターって万能の表現力を持つとは言いづらく、とくに力強さの表現には向いていない。
そして、かの1950-60年代──。「おジャズのパワーで人間解放だあァ〜ッ!!」みたいなスローガンのもとにチカラが入りきっていたその時期、ギターなんてか細い楽器がおミソにされたこと、そこに何の必然性もなかったとは言えないな、と分かってしまう。

かつ、それとほぼ同様の処遇を受けていた楽器に、ヴァイブやフルートやハモンドオルガンらが存在する。ギターとあわせて、これらは“ラウンジーなデバイスだと呼べる、いまの観点では。そして、それが実にイイんだけどね……“いま”は、ね。

さて、ビリー・バウアーというギタリスト(1915 – 2005)は、そんなジャズギター不遇の時代に、自身の全盛期を過ごしてしまったお人。そのもっともよく聞かれている演奏は、あの唯一絶対至高のシンガーであるビリー・ホリデイとのセッションであるかも。
で、何と彼自身のリーダーアルバムは、“Plectrist”(1956)という1枚しか出ていないんだ。いくら何でも少なすぎ、あるいはよっぽどシャイな人でリーダー活動に消極的だったのか、なんて想像もしちゃうんだけど。

そしてご紹介する動画の曲、“Odjenar”(1951)。これはそのバウアー、マイルス・デイビスリー・コニッツマックス・ローチ、といった面々によるセッション。そしてこの楽曲──タイトルの意味がきわめて不明なソレ──は、ジャズ音楽理論の革新者であるジョージ・ラッセルの作。
これがすっごくヘンちきりんで抽象的、かつポエミィな音楽で、もう最高なんだ! しかしたったの3分弱で終わっちゃうんで、聞くたびにそこでつい声が出そう、「ちょちょッ、いいとこでやめないでッ!(哀願)」。まあその当時のレコード盤のごつごうで、しょうがなかったんだよね。

バウアー、マイルス、コニッツ、ラッセル。その時代にもっとも知的で先鋭的だった音楽家たちの創り上げた、ほんとうに崇高で至純の3分弱なんだ。理想そのものだ。それと同一セッションの同じラッセルの楽曲“Ezz-Thetic”)、これもすばらしい、もう少し一般よりの内容だけど。

けれどもしかし、《主流》を名のるみたいなおジャズの歴史は、せっかく彼らが示してくれたその方向、そっちには向かっていない。そうじゃなく「パワーこそがチカラ!」みたいな思い込みでテナーサックスがブヒェ〜、ボヘェ〜ッ、と延々《ブローイング》をヤリ続ける、そんなんが“ヒップ”であるという幻想、いまだわれわれはそこから解放されきってはいない。

Eivind Aarset & Jan Bang: Snow Catches on her Eyelashes (2020)
Eivind Aarset & Jan Bang: Snow Catches on her Eyelashes (2020) - Bandcamp
ジャズ+エレクトロニカのギタリスト、
E.アーシェットの最新注目アルバム!

とはいえおジャズの歴史なんてのも、まだ完結したわけじゃないし、そもそもその歴史が《ひとつだけ》、とも言えないんだよね。
ブローイングバンザイ!みたいなジャズ史が主流かも知れないが、けどその一方に、クール派、《ウェストコースト派》、またMPS・ECM(ともにドイツのレーベルでクール派系)方面、そのあたりを重視するジャズ史もありうるわけだ。
で、はっきり言ってオレの見方は後者サイドなんだ。そっち系の盛り上がりに期待してるんだ。いやもう言うまでもなく、ヘンに《ジャズギター》なんかの肩をもったりすれば、そうなる以外にないしっ。

そのようなオレの近ごろのおジャズ的な注目は──、いますぐに思い浮かんだのは、アイヴィン・アーシェットEivind Aarset)さんや、《Hubro》レーベルに集まる奇人たち()、そのあたりとか。どういうわけだかノルウェー産のイワシ系ジャズ(?)ばかりがすぐ出たが──じっさいにイイので問題は何もないが──、いずれそういうの少しちゃんとご紹介もできようかと。

赤い薔薇の花ことばは、「美」「情熱」そして「愛」…

Eivind Aarsetちゃんの名前の表記】 しっかしノルウェーの人の名前の発音なんて、オレとかに分かるワケもないんだよね! とはいえ無責任でありすぎるのも何ンなので、発音してくれるウェブサイトで聞いてみたら、「アイヴィン・アーシェッ」くらいに言っていたんだ。
しっかし発音が分かったとしても、それをカタカナで書いたら、どうせイイ加減になっちゃうよ。ああもう、テキトーでいいよね……?