ふだんお届けしてるノンキな音楽(ついでにまんが)のお話とは、ぜんぜんおもむきの違う話題なんで、実に恐縮っス!
──だがこの件について、〈こんな意見はオレ以外からは、出てこないのではないか〉、という危機感をいだいたので。そして他に適当な場もないんで、《ここ》に書かせていただくんだよね。ヨロシクっス!
さてお話は、2016年に発生したとされる、仮称《乳房ペロ舐めドクター事件?》のこと。昨2019年2月に地裁で無罪判決、しかし今2020年7月に高裁で逆転有罪と、事態が混迷している感じ。
そして知る限り、江川紹子氏による一連のレポートが、いちばんうまく経緯らをまとめていると考えられる。
けどまあ江川氏からの情報に頼りきりというのも何なので、告発側からの見方はこうだ、という話もご紹介。
準強制わいせつに問われた乳腺外科医は、どうして逆転有罪判決になったのか。【女性患者側弁護士が解説】(☆)
そして、このペロ舐め行為が、あったのか、なかったのか? その物理的な検証可能性は、ここまでの審理で追究されている通り。つまり一審無罪で二審有罪、どっちとも言えないヤブの中。
ただその心理的な可能性・蓋然性について、自分には考えるところがある。
女性の胸が仕事の対象であり、週に数百人もの胸を診ている乳腺外科医が、5年間診てきた1人の患者に対し、手術の直後に、人が頻繁に出入りする病室の、隣のベッドからは気配が分かる位置で、いきなり欲情して胸にむしゃぶりつき、一定時間なめ続け、さらに、カーテンのすぐ外に患者の母親がいるのが分かっていてマスターベーションまで行う……。あまりにも現実離れしてはいないだろうか。
と、社会的なストーリー(犯罪実話)は破綻しているが。しかし、告発側の描いた心理的なストーリーは、りっぱに成り立っている。
まず。オレがオトコなんで言いきれはしないけど、女性にとっての乳房は、きわめて大切なものだと考えられる。ちょっとカンタンには言えないような重みがあるんだと思う。
そしてそれを主治医が切除、すなわち剥奪したのである。そして剥奪するくらいなので、彼はその乳房に対し、超よこしまな欲望をいだいていたとしか考えられない。
というストーリーが、まったく破綻していない。整合性は、大いに存ずる。
そして麻酔の影響によるせん妄状態が、この《無意識》の描いたストーリーを、リアリティありすぎるかたちで何か現前させた。そして告発側の女性は、そのリアリティに呑まれ続けているのだ──としか、考えようがないが。
ただ問題は、この社会が《無意識》を抑圧していること。無意識という語を用いた説明らが、〈非科学的〉だとか何とかで、自動的に却下されるシステムが確立されている。
同じようなことが、《子宮頸がん予防ワクチン》をめぐる問題についても言える。ご存じのようにそのワクチンについて、あるようなないような副作用の訴えが、少なからずある。訴訟も起きている。
いや、まず、すべてワクチンの類には副作用がありうるにしても。かつあわせて、こういうことがあるのでは。
子宮頸がんの大きな原因であるヒトパピローマウイルス(HPV)への感染、それはまあ事実上の性病みたいなものであるらしい。するとHPVワクチンを打つことは、〈性病のリスク要員〉というレッテルを貼っていることにはならないか。
そして、性交の経験がないとかわずかであるような少女らが、そのレッテルの貼られることを、どう感じるのか。その《無意識》の葛藤と苦しみが、身体症状として現れることはないのか。
そしてその〈無意識の葛藤と苦しみが身体症状として現れる〉ことを、フロイトは《転換ヒステリー》と名づけた。
ただし、こういう議論は事実上、まったくの無意味。なぜならば、無意識、フロイト、ヒステリー、こういった用語の指すものらは非科学的なエビデンスなき妄想の一種だと、この社会がきっぱり断定しているので。
いやもうむしろ、心理的な〈葛藤と苦しみ〉そのものが、妄想の一種なのではないだろうか。そんなものらの存在に、どういうエビデンスがあるってのだろうか。
そしてフロイトのテーゼ、〈意識されない(抑圧された)ものたちは、《反復》される〉。ゆえにこういったことどもは、延々と反復され続けるだろう。
そしてまたいわく、〈無意識の内容を意識化すること、それが《精神分析》のタスク〉。しかしわれわれはそれを拒み、分析そのものを抑圧し、それを無意識の底に沈めて安らいでいる。