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猿渡哲也「TOUGH -タフ-」シリーズ - 《鬼龍》おじさんのフロイト研究、あるいは……

1993年から現在まで続いているロングラン格闘まんが、猿渡哲也「TOUGH -タフ-」シリーズ。それは読者たちにもタフさを要求してくる、少なくとも精神におけるそれを。

……のようなことを、皮肉っぽい意味で言いたがっている人が、あまり少なくもないもよう。けれど自分には、いまそういう意図がない。
そうではなく。以下の駄文の一部が作品内容のネタバレになっているかも知れないけれど、でもまあ謎ときが主眼の物語でもない風だし、ぜひそこいらはタフな精神でお見過ごしをプリーズ、くらいのかってな意味で、ちょっと。

そして精神がタフである皆さんに対しては説くまでもなさそうだが、猿渡哲也「TOUGH」シリーズは、秘伝の殺人武術の継承者であるヒーロー《宮沢熹一》、通称・キー坊を巡る物語。人格高潔な父《静虎》によって導かれながら、より強くなるために、または売られたケンカ等々で、そのキー坊が血まみれの限りなきバトルロードを渡っていく。もう少し詳しい説明は、オフィシャルの紹介ページあたりにて()。

1. 非人称の抽象的な語りが、横から何かをつべこべと

さてこの「TOUGH」シリーズの内容から、むかし何やらメモしたものが出てきたので、まずそれを引用。

シェイクスピアリア王から 梶原一騎巨人の星まで
親子の確執と 対立を描いた名作は 数々あるが
結末はいつも 悲劇で終わる!!
そりゃあそうだろ!!
血肉を分かつ親子が 本気で対決して
ハッピーエンドで 終わるわけがない!!>

────猿渡哲也「TOUGH」第18巻(2007, ヤングジャンプ・コミックス)

これは、どういう場面で出てきた語りかというと。……何らかの格闘技大会でキー坊と静虎が親子で死合(しあ)うハメになり、その対決を煽っている場内アナウンス、だったような気がする。
そしてこの語りの中の、「巨人の星」は、もちろん分かる。だがしかし、「リア王」における<親子の確執>とは……?

ストレートに考えたら、リア王と娘たちとの仲が悪い、ということ? いやでも、それだと、勝負という行為に関連して持ち出す例として、あまり適切な感じがしない。確執はじっさいに生じているけれど、だがそれぞれの肉体をさらして<本気で対決>しているわけではないので。

あるいは、そうではなく。「リア王」のわき筋で、グロスター伯の庶子エドマンドが、王家のドサクサに便乗して父を失脚させその地位を奪う、そのところを言っているのだろうか?
しかしこの父と子にしても、<本気で対決>という展開にはなっていない。エドマンドと本気で対決しているようなのは、彼の兄でありグロスター家の嫡子であるエドガーだ。むしろ兄弟ゲンカのお話になっている、と見てよさそう。

……そういえば、このエピソードについてネットで調べたら、<アメリカ人が「巨人の星」を知っているのか?>という疑問を呈している人がいた。どういうことかというと、問題の格闘大会はアメリカで催行されているものなので、おかしいのでは、と。
しかしわれらが《猿先生》の描いているアメリカって、いい意味で《まんが》っぽく描かれたアメリカでしかない、としか思えない。よって、そこにまんがの話題がちょっと強引に出てきても、自分としてはまったく違和感を覚えなかった。
かつこの場面では、アメリカ人であるアナウンサーがその顔をさらしつつ、しゃべっているわけではなかったはず。確か何となくその場にかぶってくる非人称の言述であり、まあ現実的には場内のアナウンスなのかとも思われるが、しかし抽象性の高さは否めない。

赤い薔薇の花ことばは、「美」「情熱」そして「愛」…

つまりは、まんがワールド内部の現象なのだった。今作「TOUGH」としばしば並び称される板垣恵介刃牙シリーズ(1991-)、あちらでも格闘大会のたびに闘技者らを紹介する名調子が画面上に浮かんでくるが、しかしあれにしろ、いったいどういうアナウンサー(?)が語っているのか? それはほとんど不明だし、かつそんなことは誰も気にしていない、まあそんなものだろう。

しかもキー坊と静虎の親子対決は、とりわけ悲劇には発展していなかったはず。勝ったのがキー坊であることは確かで、そこで静虎が「よく成長した、もはや私を超えた」とか言うんじゃなかったか?
そもそも静虎はキー坊の実の父ではなく、またあるいは童貞かも知れないというほどの聖人君子でもあり(!)、通常の《父》とはいろいろ異なっている気配。だいたいの話、<血肉を分かつ>親子の対決という前提条件が満たされていない、そこらが悲劇回避の原因なのだろうか。

2. “最凶”鬼龍おじさん、フロイト全集の読破不成功の巻

で、次に、また別のメモから、「TOUGH」についてちょっとしたお話をご紹介。まず、どういう流れからのエピソードかというと……。

静虎の双子の兄であり、キー坊の伯父にあたる《宮沢鬼龍》、彼がまた殺人武術のすさまじき達人で、かつ弟と異なり、人定の法には縛られざる自由人アナーキスト)。もしくは<悪魔>、<最凶>、などと呼ばれることも。だがしかし、ライオンとケンカしたか何かの大ケガで、入院と安静を余儀なくされる。
そしてその間のヒマつぶしに鬼龍は読書をはげみ、ゆえに甥っ子のキー坊が、書店へのおつかいにやらされる。そこにおいて、店員がいわく。

<宮沢さん ご注文頂いてた
フロイトの全集が 届いたのですが
(……)
それでは7万2500円のお会計となります>
────猿渡哲也「TOUGH」第33巻(2011, ヤングジャンプ・コミックス)

……見てみるとこの場面、カウンター上に積み上げられた本らの判型などがバラバラで、絵的に《全集》らしさがない。ちなみに岩波書店の「フロイト全集」全22巻は、2006年から2012年にかけて刊行されたものらしく、それだと時代が少々合ってない?
また、いまどきフロイト全集なんて大物を買うとすれば、おそらく代価が7万円くらいではすまない。たぶんその倍ほどになるのでは……などと、そんなことらは考えた。

しかし自分はそこらがおかしいと、言いつのるつもりはない。だって岩波版ではなく、いまから百年近く前に出た春陽堂やアルス社の「フロイト全集」()かも知れないし(!?)。
いやそもそも、日本語訳のフロイト全集だとさえ、別に言われていない。われらの鬼龍おじさんはIQが200とかいう知性派の野獣なので、英訳版はとうぜん、あるいはドイツ語の原書でも読みこなすかも知れない。それにしたって、7万円は安すぎるようだけど。

で、そこらはともかく。このフロイト全集であるという書物らは、けっきょくどうなるのかというと?

書店へのおつかいの帰りにキー坊は、宮沢一族と対立する格闘家たちによって襲撃され、拉致されてしまう。そのはずみにたいせつな書物らは路上に散乱し、それっきり。せっかくのフロイト全集・約7万円は、読者であるべき鬼龍には届いていない、実に残念なことに。
そんなわけでキー坊が戻ってこないので、病院にこもっている宮沢一族が心配を始める。そしてその場面での鬼龍おじさん、彼がベッドの上で開いている本の表紙には、確か英語でオイディプス王という文字列が。

つまり自分は、<怪物を超えた怪物>とまで言われるほどの怪物的な人物である鬼龍が、なぜなのか《オイディプス》っぽいことをヘンに気にしていたらしい、そのことがヘンに気になっている。
そしてそのことをふまえると、「巨人の星」やら何やらの<親子の確執と 対立を描いた名作>らが、ある個所で呼び出されることも、少しは深い意味ありげに見えてくるのだ。

さて、その鬼龍という人の父親は《宮沢金時》。孫であるキー坊から見ると、高齢のくせに途方もないドスケベがおさまらない、困った《爺ちゃん》。だがこの人もまた、殺人武術のたいへんな使い手であるのは確か。かつまた、聖人君子のような静虎から見て誇りうる父であるからには、どちらかというと(あんなでも)正義側の人。
その金時と、無法者っぽい鬼龍、という父子の間には、かなりあれこれと確執があったはず。そうしてわだかまってしまったところを見直そうとしての、鬼龍によるフロイト研究だったのだろうか?

さもなくば鬼龍は、彼とその子どもたちとの関係を、見直そうとしていたのだろうか。結婚歴などはないらしい鬼龍だが、しかし世界各地に彼のタネを残しており、その子どもらの多くがまた天才的なファイターたち。かつ、もしも自分が逝くときは、息子(ら)の手にかかるのが妥当、などとヘンなことを考えていたようなふしもある。

ただし現行のシリーズ作「TOUGH 龍を継ぐ男」(2016-)において、鬼龍はすでに死んだ、と語られている。そして彼を手にかけたのは、彼の息子かとも思われたが実はそうじゃないらしい人物、とされている。
……確定的なことが、何も言えない!! 実は意外と鬼龍が生存しているかも知れないし、また実は意外とキー坊が彼の息子でないとも限らない。これはそういう作品なので、もうしょうがないとしか言いようがない。

3. 血肉を分かった血みどろの血族バトルがやむとき?

ところで《オイディプス》っぽいお話というのなら、さきに言及された「刃牙」シリーズのほうが、より本格的にそれっぽかった。母に愛されたいという気持ちのみで格闘技に精進し没頭してきたヒーロー刃牙くん、ところがその母を惨殺した父、勇次郎。この父が許せない、としてお話が進んでいたけれど……。
ところがその確執のファイナルとなるべきだった<史上最強の親子喧嘩>に、どういうオチがついたかは、おそらく皆さまもご存じであろうかと。それが自分的にちょっと意味不明だったので、いまや「刃牙」シリーズ自体が意味不明なお話になっちゃっている。

それに対して、「TOUGH」はどうするのか、どこまで行くのだろうか?

現行のシリーズ作「TOUGH 龍を継ぐ男」を見ていて自分が思うのは、前シリーズ「TOUGH」の末期から──つまり、鬼龍がフロイト研究を始めてしまったあたりから──そのお話が、《宮沢一族の内部の物語》というほうに傾きがちだな、と。

すなわち、現時点で描かれているエピソード(タンカーの甲板上の死闘)にて、延々とバトルを繰り広げているのは、鬼龍の息子たち数人、鬼龍の甥であるキー坊、そして鬼龍の兄と弟、という人々。そしてこの血みどろバトル開催の、宮沢一族の内部における理由は、鬼龍の娘の心臓疾患を治すため、とも言える。
これではまるで、オイディプスくんを含む《テーバイ王家》の大河的かつ凄惨な一族確執の物語、みたいなのでは? おそらくは心臓を病んでいる娘が、アンティゴネー》的な役廻りなのだろうか。そして、もしもこのアンティゴネーを死なせずに救うことができたなら、テーバイ王家の悲劇と滅亡を、彼らは反復しないですむのだろうか?

だがしかし、アメリカと中国という二大超大国のエージェントらが、その争いに介入し、彼ら一族に発する無敵の戦闘力を手に入れようとしている。とすると根本の対立図式は、《宮沢一族 vs. 世界》とでもなるのだろうか?
まあそういうお話も、ないことだとは言えない。宮沢一族のそれぞれが生きている核弾頭みたいな存在だという前提があれば、世間と世界が、それをそっとしておくほうが逆におかしい。けれど……。

またそのいっぽう。いままでのシリーズ作と異なる「TOUGH 龍を継ぐ男」の特徴は、その新たなるヒーロー《龍星くん》が、インテリ派の美少年。彼もまた鬼龍の遺児なので、IQ200の部分を強く継承しているらしい。すなわち、あまり品がなく知的にも見えないカンサイ人のキー坊である従来のヒーローとは、きわめて対照的。
というか逆にキー坊の、学校の勉強的な部分での頭の悪さこそ、一族の中でもむしろ例外的。どこでいったいそんな要素が紛れこんだのか?

ともあれ登場時の龍星くんにはフレッシュさがあったし、それゆえの新味ある展開が、大いに期待されていた。だがしかし、《タンカーの甲板上の死闘》に巻き込まれて以降、彼の見せ場っぽいところがあまりない。
しかもお話の進行につれ、彼の美少年指数の減退がいちじるしいことが、あまりにも残念。このことは作中で、アンティゴネーちゃんも指摘していた。

ここで急にちょっと違うことを言うと、車田正美の作品群の意外な特徴として、何でもかんでもド根性ですまそうとはせず、意外なところでみょうに知的なお話を振ってくる。まあその、リングにかけろ(1977)のドイツチームが理論で攻めてくるとか、または「B'T Xビート・エックス(1994)のあちこちにふかしぎな哲学問答があるとか。
そして「TOUGH 龍を継ぐ男」についても何かそういう、いままでなかった、ヒーローが知性で活躍みたいな展開があるかなとばかり? まあ、知性うんぬんを過剰に推していくのも何だけど、とにかくも新味のあるヒーローが今後、“ならでは”の活躍を見せてくれること、それだけは期待してやまないのだった。