エッコ チェンバー 地下

─ €cco ₵hamber ฿asement, Vaporwave / Đésir đupłication répétition ─

「vaporwave芸術大学」@東京藝術大学・千住キャンパス 2018/12/15 - そのイベントリポートであることを志向する記事 (1.5)

言われたことはいちおうそうなのかとして、しかし“言われなかったこと”にも意味がある、もしかするとかなり大きな《意味》が。…これぞわれわれ、フロイトかぶれ特有のねじくれた考え方だ。
何を申しているのかというと、シリーズでお伝えしている「vaporwave芸術大学という催しで、発表者たちによって《言及されなかったこと》らが少々気になっているのだ。この記事では、そのうちのふたつ(“エレクトロニカ”と“ハードヴェイパー”)を取り上げる。

― 言及されなかった…その1 - とろとろ大トロ、《エレクトロニカ》 ―

その研究発表会の、「ヴェイパーウェイヴとその各サブジャンルのルーツ」のようなセクションで呼び出された、ルーツ的なほうのジャンル名たち。それは確か、チルウェイヴ、Trap、プランダー何とか、アンビエント、フレンチハウス、そして最重要な《チョップド&スクリュード等の邪悪な手法が用いられたヒップホップ》(これをひとことで表すことばは、いまだにないっぽい?)…等々々。
そこでおそらく、エレクトロニカというジャンル名が出ていなかった、ということが少々気になっている。…出てなかった、と思うんだけど?

ところでヴェイパーの出ぞめのころには、これをエレクトロニカサブジャンルとする見方が、けっこうなされていたような。そしてその見方がやや衰えたことは、ジャンルおよびシーンとしてのヴェイパーの、“成長”…というか少なくとも拡大や拡散普及、その証しなのでは。

そしてそもそも《エレクトロニカ》って何、ということが、あまり自分には分かっていない(!)。しかし分からぬと単に言ってすますのもオトナの態度でない感じなので、理解している限りを申せば。

まず大枠として、アシッドハウス(テクノ)のインパクトをこうむった連中が、その手法やアチチュードらをマネしつつ、しかしダンスフロア向きではない電子的トラックらを作り始めた、それなのではないかと。発生の時期は1994年あたり、初期の有名なバンド名を言えば、オウテカ、オーヴァル、マウス・オン・マーズ、エール(Air)など。
と、そういう認識で、ずっといる。そしてこんなかんたんすぎる説明においても、インダスノイズのオーヴァルとメロウなエールが平気で同居しちゃっている、このジャンルの雑居性が明らか。

言い換えて。エレクトロニカには、テクノらをマネして電子やデジタルの音響技術を濫用している、というポジティブな特徴が、まずある。その次に、しかしフロア用の音楽ではない、というネガティブな(打ち消しの)特徴がある。そしてこの2つの特徴をもつ音楽らは、とりあえずエレクトロニカと呼んでおいて問題なさそう、というふんいきがある、もしくはあった、のでは?

だからヴェイパーウェイヴも、平気でその中に放り込まれうる。また、インダスっぽいオーヴァルとメロウな電子ポップであるエールが、平気でその中に同居していられる。

赤い薔薇の花ことばは、「美」「情熱」そして「愛」…

ただしオーヴァルはむかしのインダストリアルとは違う、エールはむかしのエレクトロポップとは違う、何かそれぞれに新しさがある――その新しさの原因か源泉は、たぶんポストハウスでポストテクノの音楽だということ。それぞれの登場時のフレッシュさ…《違った感じ》は自分も大いに認めるので、ゆえにそれぞれ違う同士がエレクトロニカという新しい器の中で同居するはめになったのか、とは思うわけだ。

そしてさらにより新しく、かつ強い主張を持つ音楽らであれば、このエレクトロニカという雑居房(ってひどいな!)から脱出することもできるだろう。だがそうやって成立していった新たなサブジャンルやバンドの名などを列挙することは、自分の仕事ではなさそう。

…しかしまあこの項を書くために調べていて思ったのは、エレクトロニカというこの領域には、ハウスやテクノの本来の性質である無記名性無責任性、それらに対する反動がありげ、ということ。技法面の開発とかではすごかったとしても、しかし、いやな意味での創作くささ、《作者》の復権、ヘンなシリアスさ、などを感じないでいられない。

そこで、われらのヴェイパーウェイヴ! 無記名性と無責任さのかたまり、シニシズムと露悪にまみれたテキトーな悪ふざけ、悪びれるところなき最悪の《POP》! これに自分が魅かれる理由がまたよく分かったし、かつそのヴェイパーに連なる系譜からエレクトロニカが排除されていきがちな理由、それもまた少し分かった気にはなるというものだ。

なお余談だが、図示したオーヴァルの「dok」(1998)は、かつて自分が貧乏すぎて家にネットも来ていなかったころ、某地の図書館でCDを借りて聞いた《想い出深き1枚のアルバム》。わけの分からないインダスなドローンのグリッチだけど、何かみょうにいいような気がして、けっこう繰り返し聞いていた。
そしてその名盤(?)がいまでは、Bandcampでおトクに!() しかも当時なかったボーナストラック入りみたいだし、どうよBCってサイコーじゃない!? なおこれ以外のオーヴァルものちに聞いたが、なぜかあまりいいと思わない。

― 言及されなかった…その2 - ハードでハードな、《ハードヴェイパー》 ―

このサブジャンルについてまず思うことは、ヨコ文字で書いたら《Hardvapour》と、なぜかこれのみイギリス英語の“u”がついたつづりで通っている。すなわち“Hardvapor”という表記は、認められておらぬ風。
…なぜ? その創始者で発案者の《Sandtimer》すなわち《HKE》こと香港エクスプレスが、イギリス人である(と自称している)からなのだろうか。その設定の肉付けなの?

いやまあその問題は別の機会に考えるとして、いまの問題は、お伝えしている「vaporwave芸術大学」という催しで、その発表者らの口から「ハードヴェイパー」ということばが出てきたような気がしない。このことは?

自分は遅くも2017年からのヴェイピストで、要するにニュービーでド新参なので、ヴェイパーに関わる主要なできごとらは、すべて後から知った。その中のひとつが、ハードヴェイパーの勃興ということ。
ヴェイパーウェイヴなる音楽をついさっき知ったばかりなのに、そこから早くも「ヴェイパーは死んだ! ハードヴェイパー万歳!」というメッセージを受けるに及び、「いったい何がどうなっているのか…」という強い動揺を覚えたものだった。いやはや。

で、ハードヴェイパーに関する自分の想いなんかをここにつづることは避けるけれども、確かに近ごろイキオイがないな…とは感じられる。一時はすべてのヴェイパーがハードになっていくのかとさえ思ったけど、まったくそんなことはないようだ。
そこで振り返ると、ハードヴェイパーの主要リリースらは、そのほとんどが2016年と2017年に集中している感じ。そしてまもなく暮れゆく今2018年が、ハードヴェイパーにとって実り多き年だった、という見方はできにくいのでは?

自分のかなり気に入ったバンド《香港黑手黨》なんかも、2017年には3枚ものアルバムを出しておいて、しかし今年は何ンにもないナシのつぶて。まあどうせ、また違う名前で何かをしていそうなんだけど。

そこらを何とかしてくれないとハードヴェイパーはどうにもならない風、立ち上がって立ち腐れるしかない気配。しかし創始者のSandtimerすなわちHKEこと香港エクスプレスらに、これを始めたころの熱意が残っているのかどうか?
…あまりそういう感じのしないことが不安だが。しかし自分の調べもあまり行き届いてはいないので、もしか2018年にいいのが出ていたかも知れないし、そこらはいずれ、自分なりのハードヴェイパー特集記事にてご報告ッ…!