ポ  サ  研

─ Post-Truth Sound Lab, Vaporwave / Désir Duplication Répétition ─

ボードリヤール「なぜ、すべてがすでに消滅しなかったのか」(2009) - 感想文その2, カーニヴァル&カニバル(食人)

また私ごとで恐縮なんスけど、パソコンのOSインストールにやたら時間がかかってくさる──、その間の気晴らし的な読書、ボードリヤール「なぜ、すべてがすでに消滅しなかったのか」
以下は、その感想文のパート2なんだよね! なお、書誌情報や書影らを含む第1弾はこちら()。

さてまず、一部は前回の繰り返しになるけれど。

われらの敬愛するボードリさんは、《後期資本主義》、《高度消費社会》、《情報文明》、そして商業CM文化、そういうものらがどこまで人間どもをダメにしていくか──、それをしさいに記述し、そしてその先読みの“すべて”を的中させたお人。……そんな感じに、自分は見ている。

がしかし、現状や行く末がすごくダメだからといって、〈もっとこうしようぜ!〉っていうお話は、ないんだよね。
いや自分はボードリ大全集を読破したワケじゃないんで言いきらないが、たぶんない。ヘンにあったとしたら、そのアーカイヴの整合性が失われてしまいそう。

かといってボードりんの言説たちが、実用性のない、単なる慨世のナニワ節だってワケでもない。むしろものすごくべんりに、実用・応用されてきたんだ。
すなわち。〈いまの時代は、“記号の消費”なんですヨ! 世はまさに、シミュラークルの全盛期ィ〜!〉ってなりくつ(!?)の提供によりそれは、マーケ広告業界あたりに多大なる貢献をなしてきたんだよね。イェイッ

そういえば確かむかし、「ナニワ金融道」の作者・青木雄二氏が、〈金儲けのしたいヤツは、マルクス資本論を読まんかいワレェ〉と、述べていた。つまりそんな風の、逆な実用性が、かなり。

そのいっぽう。オレらがとくに関心を抱いている《ヴェイパーウェイヴ》、とかいう奇妙でチン妙なポップの一種類。これがどういうワケか、そのボードリ的視角から、《ポップ》という制度にたわむれかけている、そういうふんいきがなくはなし。

西欧文化カーニヴァル化……巨大な富の浪費と誇示……文化自体をむさぼり食う……あらゆる商品を可能な限り大量消費──といった前セツに続き、)
人類は今日、最悪の疎外状況を美的で見世物的な快楽の享受に変えることに成功している。

(以下すべて本書より, p.52)

──と言われた、サイアクの〈美的で見世物的な快楽の享受〉。それをことさらに、わざとらしく&ビンボーたらしく実践しているのが、オレらのヴェイパーウェイヴだと考えられる。
ゆえに面白くて愉しいが、しかしひとつの文明の終わりを目の前にしたとき、ヴェイパーとかいうソレにどういう《意味》があったのか?──そのときどういう気がするのかということは、いまだ分からない。

とはいえ? ところでこの記事の焦点は、まず、ボードリっちが黒白もしくは《南北》の、おかしなじゃれ合いについて触れているところなんだ。

あらゆる白人性は、カーニヴァル(謝肉祭)の装いのもとに黒人性(ネグリチュード)を埋没させるが、あらゆる黒人性も、カニバル(人食い)の装いのもとに白人性を吸収する。カーニヴァル化対カニバル化──人類学の途方もない横滑りをつうじて、全人類がこの仮面劇へと迷いこんでしまう。

(p.55)

このあたりのお話を、自分がテキトーに要約してしまうと……(ブチ壊し!)。

つまり黒人らと白人らが、あるいは《南》と《北》が、互いのダメなところばかりを見習いあって、どんどんダメになり続けている。
いまの状況で言うなら、《南》の側の人々は、《北》で生まれたテクノロジー武装して、ドローン爆弾を飛ばし、また超監視社会を築き上げ。
そのいっぽうの《北》側は、それに対抗するみたいな口実で、売りの《人権》か何かいう概念を、どんどん安く切り崩しつつある。

そういう《南北》の奇妙なじゃれ合い、レベルの下げ合い、堕落の応酬について。どういうワケだかあいまいみーという実にキテレツなまんがのシリーズが、いまちょうど、そんなお話なんだ()。
これは何ンせ、公式の宣伝文句が〈マジキチ〉ギャグ4コマっていうほどのしろものなので、何なのかよく分からないところもあるが……。でもだいたい、こういうお話であろうかなァと。

ちょぼらうにょぽみ「あいまいみー131話より》

主人公らしき女子高生3人組のうち、〈マジキチ〉っぽいほうの2匹が、途上国への支援をガンバっている。そういう国の恵まれない青少年たちに、ニッポンの女性声優たちに関連するグッズや資料らを寄贈し続けているのだ。
そのために彼女らは、すでに数千万から数億円ものカネを投下(!)。そして3人組の中ではもっとも正気な愛ちゃん(オレの推し)に対し、アンタもせめて1千万くらい出せと、インネンをつけてくる。

しかしとうぜん、そんなヘンな話に愛ちゃんは、ナットクのしようがない。そこでおかしいほうの少女らは、この女性声優普及の活動が、どれほど深く感謝されている善行であるか、現地で撮られたビデオを見せて明らかにしようとする。
すると? そこに映ったおかしい少女のミイちゃんは、現地の浅黒い青少年らから、たいそう手厚い歓迎を受けている。まずは〈シャチョさーん!!〉か何かと歓呼で迎えられ、続いて全身をまさぐられ、そして衣服や持ち物らの“すべて”を略奪され、さらにはニホンの芸を見せろと強要され、そして嘲笑を浴びせられ……。

……いや、どう見てもこれは、レイプも同然の虐待かのようだがっ!? しかしミイちゃん本人は、〈テレるなー〉みたいに、なぜかいい気分でその映像を眺めている。

このように《南北》の軽率なじゃれ合い、カーニヴァル化対カニバル化〉の応酬は、けっきょく互いをよりヒドくダメにする。──ということが、ここにも描かれているのだろうか?

なお、本書こと「なぜ、すべてがすでに……」に並行し、ボードリやんの初期作で出世作である「消費社会の神話と構造」(1970)を、チラチラと拾い読みしてるけど。するとその時期のボードリたんは、けっこうマクルーハンを参照してられるもよう。
そのマクルーさんが予言されていた通りの、あさはかなお子ちゃまSFの現実化、そしてサイバー人喰い人種らの部族抗争ボッ発を、いまオレたちは拝見しつつあるってワケだ()。そこいらをボードリさんは、〈カーニヴァル化対カニバル化〉と、ダジャレもよろしく言い換えてくれたのかと。

それにしても、さきのボードリさんの黒白どうこうの引用文、《いま》ではなかなかストレートに言えることではなさげ。ジョージ・フロイド氏の殺害(2020年5月25日)から始まった全米各地の《抗議活動》が、いまだ鎮まりきってもいない、そんな現在には()。
ちなみにそのフロイド氏、出身地のヒューストンでは、かの《DJスクリュー》のグループのラッパーだったこともあったそう()。するとあながち、うちらのヴェイパーウェイヴに無縁な人でもないが。

そしてこれらのこともまた、ボードリさんの言われるオモシロ系の〈仮面劇〉、食人にいたるカーニヴァル、その一幕なのか。暴力と蛮行らを捧げ合う《ポトラッチ》が、とぎれることなく続き続けるのだろうか。

ところでオレがちょっと気にしてるヴェイパーウェイヴのクリエイター、在オンタリオ《Kid Mania》さん()。社会や政治に対してコンシャスの強い硬派ヴェイパー者であろうと、自分はかってに了解しているけれど。
で、この人の6月に出たアルバム、“SCAM”のラストトラックのタイトルが、“Minneapolis Moment”──、というのを見て自分は反射的に、〈ぎひっ〉と思ったんだよね。それがまた、11分間近くもの長〜い曲で。

正直申してあまりちゃんとは聞いてないんだが、それはとりあえず人々の街頭での、何か切迫したような会話の現地録音、それをベースにしたトラック。
そしてミネアポリスとタイトルにあるくらいなんで、それは同地におけるG.フロイド氏の最期に関連するサウンドなのかとオレは、つい邪推。いや違うかもだけど、でも恐ろしいやら何やらで、確認のしようがない。

キッドマニアのアルバムには常にジストピアと別次元のランニングテーマがあるようですが、この特定のアルバムで紹介された残虐行為は、世界の不安なビジョンと実際の状態との間の量子線を曖昧にします。
ここで引き出された彼の本当の偉業は、KMがこの申し訳ありませんがどのようにしてこの状態に陥ったかを示している間に不当に罰せられた人々に最大限の敬意を払うことです。これらのことは何も起こってはなりません。

(“SCAM”解説文の一部, グーグル翻訳)

そして──、または、しかし。

前にも述べたようなことなんだが()、つまるところはポップミュージックでしかないヴェイパーウェイヴで──そう呼ぶほどには《ポピュラー》でもないが、しかしまさか《芸術》でもない──、〈こえーから聞きたくねーよ〉みたいな印象になる楽曲を、世に送り出すことの意義は?
オレはキッドさんの姿勢にはけっこう共感しているし、クリエイターとしての実力も買う。逆にその分だけ、ちょっと疑問に思っちゃうんだよね。

ゆえにオレらは、ボードリさまの言われるように、〈最悪の疎外状況を美的で見世物的な快楽の享受に変えること〉、エンターテインメントのクソをこね上げること、まずそれをガンバるしかない
その上で何らかの《違い》を、かつ可能ならば《真実》を、そこに刻みこむこと。実のところ、さきに見た「あいまいみー」が、そのきれはしをチョコっと示していたように。

かつ、〈それでいい〉と断言もでききれないが。しかしまずそういうものでなかったなら、《オルタナティヴ》として少しでも機能しそうな可能性が、まるでない