ポ  サ  研

─ Post-Truth Sound Lab, Vaporwave / Désir Duplication Répétition ─

内海八重「なれの果ての僕ら」 - サイコーの《仲間》たちが、サイコ的に殺しあう

週刊少年マガジン2020年7号からの連載作、関連サイトのマガジンポケットにも掲載中のサスペンス、内海八重による「なれの果ての僕ら」。これはいま気になるまんが作品だ。

事件は52時間後に解決した。その間、12人が死んだ。――閉ざされた教室で、ヒトは獣になったのだ。同窓会のために母校に集った四ノ塚小学校元6年2組のメンバー27人は、そのまま監禁された。首謀者の名は夢崎みきお。「極限状態での善性」を問う実験は、薄皮をはぐように、人間の本性を暴いていった。疑惑、欲望、暴露、復讐、そして裏切り。道徳を糾弾する、倫理崩壊サスペンス。

(──マガジンポケット掲載の紹介文より──)

まんが作品に付帯するアオリ文句や紹介文にもセンスの優劣があって、週マガの版元・講談社のは全般にかなりレベルが高いと思う。これもその好例なので、ゆえについつい全文を引用、あざまる水産

で、その紹介文にすでに表れているように、このまんがにはいろいろと破格な点がある。何せまず本編の冒頭いきなり、事件の結末をほとんど明らかにしちゃっている。
さらにそのプロローグの続きでは、高校生のヒーローとヒロインがいきなり性行為に及ぶ(!)。……その表現は、きわめてソフトであるにしても。

そして事件の首謀者であるみきおの残酷な〈実験〉は、〈最高のメンバーだった〉と少年少女らが言う元6年2組の連帯や友情や信頼みたいなもの、その実態の解明に向かう。すると死の淵に追いつめられた彼らは、和気あいあいを装ったクラスの中に反目や孤立やイジメ等々の存在したことを、次々に暴露させられる。その結果、彼らは次々に死んでいく。

というところでお話が「つづく」となっているのだが、思うところがすでにいろいろある。

本編で《仲間》という語はあまり強調されてないんだけど、しかしクラスの仲間のすばらしさみたいなことを、とりあえず言う作中の少年少女たち。ちなみに、現在の日本でもっとも売れている少年まんがは、《仲間たちさえいれば“何でも”できる》くらいなテーマを訴える作品であるらしい。
そこらで言われる仲間とは、たぶんTVゲームのドラクエIIIの《仲間》キャラクターみたいなものだろうか。入力可能なコマンドには絶対に逆らわないし、平気で自分のために死んでもくれる。そんなステキな《仲間》がいっぱいいれば、確かにかなり多くのことが可能かも。

ところがそこまで都合のいい《仲間》などこの世に実在はしない、というツヤ消しな事実を、今作はいきなり明らかにしちゃっている。
元6年2組の〈最高のメンバー〉たちの友情・連帯・信頼がもし本物であったならば、12人もの多くのキッズが死なないですんだはず。ポーカーフェイスのみきお君も内心ではそうなることを望んでいたかも知れないが、しかしじっさいにはそうならない。

うす汚れちまったオトナであるような自分から見ると、この〈最高のメンバー〉たちは言うことが偽善的すぎるようでもある。「大した友情もないけれど孤立しすぎてもヤベーから表面的にみんなとつきあっています」、たいがいそんなもんじゃねーの、そんでよくね、などと思うんだけれど。
しかし彼らには、友情、マブダチ、ズッ友、最高の《仲間》、そういうものがあると思い込むことが、超重要なのかも知れない。そしてそういう《仲間》たちが、いずれ自分の生命・財産・地位などを死守する盾になってくれることを期待して(?)。

こうして見てくると今作「なれの果ての僕ら」は、ヘンに友情パワーか何かを持ち上げすぎてきた《少年まんが》全般、それへのアンチテーゼのようにも思えてくるのだ。これ自体が少年誌の掲載作でもありながら。
また今作のヒーローとヒロインらが第1話でいきなり性行為をしてしまうのも、それそのものを避けてきた《少年まんが》のご体面への反対表明なのだろうか。かの「ハレンチ学園」以来、エロさを主な売りにしてきた少年まんがは数多いが、しかし性交そのものはほとんど描いていない。しかも今作におけるそれの描き方は実にあっさりで、逆にほとんどエロくない。

というかなりな野心作、これが破格きわまる《少年まんが》であること、そこまでをまず確認。そしてこの「なれの果ての僕ら」が、すでに周知されたその結末までに、どれだけイヤなことらをリアルに描いてくれるのか……そこに期待しながら。