エッコ チェンバー 地下

─ €cco ₵hamber ฿asement, Vaporwave / Đésir đupłication répétition ─

Glaciology: 迷夢 (2018), 唯一無二 (2020) - テレパシー疑惑の深まり、そしてフレゴリ症候群を超えて

ヴェイパーウェイヴについて調べていると、ついつい自分は見つけちゃうんだよね。……〈あっれっ? このクリエイターは、かの偉大なる栄光のヴェイパースター《t e l e p a t h テレパシー能力者》)、その別名義なのでは?〉、と思える例のいろいろを。

そういう疑惑をなぜ抱くのかといえば、〈似てる〉って気がするから。
そしてテレパシーというご本家に、〈似てる〉風な特徴らのあれこれは──。

まずはもちろん、あの長々しぃ〜い《スラッシュウェイヴ》の音楽スタイル。
続いて、VHSビデオからのキャプチャみたいな、モヤッとしたカバーアート。しばしばその絵づらが、1980年代の水着美女や女性アイドル、とかそういう系。
そうしてさらに、楽曲タイトルや自己解説文らに出ているニホン語の、ひじょうに陰気かつおセンチな言い廻し。〈すべては過去に喪われました〉、そして〈私はあなたを愛しています〉、とかいったそれ。

……そのような特徴らによって、テレパシー疑惑をかけられているバンドたちが存在する。思いつくまま、その名前らを列挙してみると。

《S O A R E R》 /
《M y s t e r yミステリー》
《F i b o n a c c i》
《Illusionary 夢》
《Glaciology》
《World Switcher》
《レディーフィンガー》
《夢のチャンネル》
《目的地》

……と、とりあえず9組の名前が挙がったが。でもここで自分は、ちょっと目の前の暗さを感じちゃったんだよね。

だって疑惑をかけられた9組は、いずれもこの2〜3年間、活発に活動し続けているヴェイパー者たち。合計すれば、その作品らの量はあまりにも、ばく大かつ膨大。
いくらテレパシーさんが偉大なる豪の者であっても、それらの“すべて”をでっち上げているとは思えないんだよね。さらに、テレパシーであることを隠していない作品らも、また大量にあるワケだし。

〈すべての人が同じ人であるとしか思えない〉──、そういう一種の精神病っぽい症状があると聞いた。《フレゴリ症候群》と呼ばれるものらしい。オレってそれなの?

しかし多少は調べてみると、フレゴリ症候群の特徴は、〈似てはいないが“アイツ”であることにまちがいない〉、という決定的な大確信であるという(「新版 精神分析事典」2002, 弘文堂)。
だとすれば、多少くらいは似ているところに同一性を想定すること、そんなのは精神病のうちには入らないよね。ま、それはそうかっ!

で、さっきなんだが、スラッシュ系の新星みたいなヴェイパーバンド、《desert sand feels warm at night》についての記事で、自分は書いた。〈スラッシュってほとんど、テレパシーさん専用のジャンルみたいなモンなのでは?〉、みたいなことを()。
いや、どうしてそういう狭い発想になっちゃうのか、自己分析してみると。
スラッシュ系で多少でもイイものがあったなら、〈どぉせテレ氏の偽名作品じゃねェの?〉、と思い込む。そういうところがあったな……と、ただいま少し反省したりしているんだ。

というワケなんで、テレパシー疑惑の9組さんだが。たぶんまあ、その半分くらいは、別の人によるテレ氏へのリスペクトなのでは──、くらいに考えておこうかと。しかぁ〜し、疑惑はつきないがなっ!

でも正しい意見を言えば、別に作者の正体や実体なんかど〜でもよくて、要はオレらがヴェイパーウェイヴを愉しむこと。そこでいま、テレ疑惑アーティストらの中から、《Glaciology》をピックアップしてご紹介。
しかしご紹介ったって、言うことがあまりないんだよね。そのBandcampページの自己紹介には〈富山県在住〉とあるけれど、正直これを信じる気にはなれない。

それはともかく、述べたとおりにテレ疑惑の人である。だがしかし、いまその1stアルバム「夢の庭園」(2017)を聞き直すと、〈テレ度が不足か?〉とも思える。もっとはっきり言えば、その時期のテレ作品とすると、完成度のやや低さがありえない。
けれどもその次の「迷夢」(2018)、および最新アルバム「唯一無二」(2020)、ここらでひじょうによくなって、〈やっべーテレっぽい!〉という印象に。疑惑が深まるっ……!

で、グレイシャロジー(雪氷学)さんの傑作2タイトル、「迷夢」と「唯一無二」。いずれのアルバムも、ラストの曲が実にイイんだよね。全体的にもイイけどね!

まず「迷夢」のラストはタイトルナンバーで、典型的なスラッシュスタイル。その素材を調べたら、Кӓҭо Яэїкӧ「A Lie Tate No 時間」(1992)というアイドルソング
これがもともとすばらしい楽曲なんで、さいしょからネタがよすぎるのは〈ルールで禁止スよね?〉、という気もしたが。だがしかし、ヤッたもんの勝ちでしょうな!

そして「唯一無二」のラスト曲、「日が終わりました」。これの出もとなどは不明だけれど、ピアノ&ストリングスのカーム(calm)でトランキル(tranquil)な楽曲を、ヴェイパー式のモコッとした音質にナマらせたトラック。
で、まさにその一日の終わりのムードを表現し。そして終盤の数分間は、しのつく雨音に包まれながら、やがてアルバム全編が終わる。

このようにして、少しマジメに聞いてみたら、グレイシャロジーさんのサウンド、必ずしも強力にテレっぽくはないような気もしてきたが……。
けれど、何しろオレは疑い深いので、他のテレ疑惑バンドらも、追い追いそのうち調査しちゃうんだよね! ありとあらゆる場所におけるテレパシーさんの遍在、そんなことをついつい信じちゃうんだ!

赤い薔薇の花ことばは、「美」「情熱」そして「愛」…

【追記】いちおう冗談めかして書いたつもり、ではあるんだけど。しかしそれにしても、文中の《テレパシー疑惑》なんてことは、できればジョークとして受けとめて欲しいんだよね。いやもう、切にそうオナシャ〜ス!
てのは、その後も調査を続けてみると、述べた3ポイントのテレパシー要素ら(音楽様式・モヤッとしたニホン美女・陰気なニッポン語)をトレースしていくことは、スラッシュ系の《様式美》みたいなものらしいんだ。
オリジナリティのなさを誰も恥じようとはしないヴェイパーウェイヴの世界、さすがである──と、思わずオレは感じ入ったんだよね。イエイッ

desert sand feels warm at night: バビロンの空中庭園 上・下 (2019) - チルってアウト! バ〜ビロン〜

イングランド在住をうたうヴェイパーウェイヴ・クリエイター、《デザート・サンド・フィールス・ウォーム・アット・ナイト》。2018年から活躍中、そして昨19年くらいから、あちこちで話題になっている名前()。
ちなみにこの名前を漢字で書くと、《沙漠里的沙子晚上很温暖》となるらしい。そういう別名義でのアルバムがある()。

と、述べたように現在のシーンの注目の人らしいので、このさいまとめてその作品らをチェキってみたんだ。
そうすると、すでにアルバムが21コも出ているし(共作を含む)、また長い曲が多いので、けっこうタイヘンだったが。

で、分かったことの一端。このデザートさんの作品系列は、自分がザッと見て、約3つのスタイルに分かれる。
まず分量がやたらに多いのは、《スラッシュウェイヴ》系。逆に少ないのは、《レイトナイト・ローファイ》。量的にその間に位置するのが、何というのか、《ニューエイジっぽいニュアンスのあるチルアウト》。

ここで《チルアウト》と呼んでいるのは、《アンビエント》に比べて崇高味に乏しいユルめのシンセ音楽。デジタルシンセのチャラチャラした音色で、こぎれい風なメロディをゆる〜っとタレ流す、現代的なイージーリスニング

……と、何かいきなりディスに走ってるみたいだが(?)。
しかしうちらはヴェイパーウェイヴなので、わざとバカみたいな安い音楽をこさえてみることも、シャレとして大いにありうるよね。
っていうかァ、〈バカみたいな安い音楽〉しかない、みたいなもんか! グハハハハ。

そして、いまご紹介する「バビロンの空中庭園 上・下」(2019)は、デザートさんのチルアウト路線の代表作のようで、かつ全90分にもなる力作。トラック数は、計18コ。
タイトルに言われたふしぎな庭園の眺めと空気感、それらを叙景している音楽だと考えられる。小鳥らのピーピーと鳴く声、そして園内のせせらぎの水音が、高く低く、音楽の背後に響き続けている。

そしてその音楽自体は、世に流通しているチルアウトとあまり変わりなく、そういうものとしてもふつうに娯しめそう。デキはかなりいい。ただしサウンド処理のモヤッと感の濃さに、ヴェイパーのイケない美学がコッソリ表現されているのだろうか。

さて。ここで自分がワンダーの感覚に襲われてしまうのは、こういう(いちおう)まっとうそうな音楽を、デザートさんは“ちゃんと創った”のだろうか、そういう疑問。

というのも。他部門におけるデザートさんの作品らは、スラッシュ系にしろレイトナイト系にしろ、あっぱれな《略奪音楽》であるようにしか聞こえない。もちろんそれはいい、ヴェイパーだから。
しかしそういうデザートさんが、このチルアウト部門についてのみ、きっちりと“創って”いるんだろうか? サンプリングされたものみたいには聞こえないんだよね、自分の聴覚では。

逆にこれらが、すべて既成のチルアウト作品らからのサンプリングで丸パクリでぇース、とでも言われたら、ものすごく感心しちゃうんだけどな〜。
だがしかし、そのあたりの真相は分からないまま──そもそも《真相》や《真実》などが問題にならない世界だし──、オレたちはこの壮麗にして迷宮的なる庭園を、こころよくさまよい続けるのだろうか、いつまでも。

ところで。デザートさんの作品系列で、分量のもーれつな多大さを誇るのが、スラッシュ系なんだけど。
でもスイマセン、なぜかオレ的に、あまりいいようには聞こえないんだよね。〈長いな!〉って感じだけで。

何せスラッシュウェイヴといえば、そのスタイルの創始者と目されるヴェイパーヒーロー、《t e l e p a t h テレパシー能力者》さま()。このお方がその第一人者であるどころか、ほとんど彼専用のジャンルみたいなものか、と思ってるんだよね。
似たようなことは誰にでもできるけど、しかし必ずひと味が足りてない。もしくは、不要な過剰さが目立つ。

そういうワケだからか。デザート式スラッシュの中では、《M y s t e r yミステリー》を名のるナゾの人──オレの憶測ではテレパシーさんの変名──とのコラボ作品「人生は幻想です」、これがまあアリかな、くらいの印象になったのだった。

……と、そんなことを、オレことモドキちゃんが申しておりますが。でもしかし、あまり真に受ける必要はねェですよ?

ってのもデザさんによるスラッシュ系、シーンでの評価はきわめて高いみたいだし。そうとすると、いつかオレにも、その真価が分かるのやも知れぬ。
なのでぜひ皆さまも、それぞれの耳で、そのよしあしを定めてしまいましょうや! 何せ音楽の価値ってものを決めるのは《われわれ》以外ではありえず、そしてその重責をみだらにエンジョイしていくこと、それがオレらの使命なのだから。

赤い薔薇の花ことばは、「美」「情熱」そして「愛」…

【ご案内】上記の文中にもありますが、スラッシュだとかレイトナイトだとか、〈ことばの意味は分からないがすごい自信〉を感じられた場合には、ヴェイパー関連の用語集をご参照ください()。

yogurtbox: Tree of Knowledge~知恵の樹~ (2011) - この世の果てで恋を唄うLSIチップ

チップチューンズ, Chiptunes》、1980-90年代のゲーム機やホビーPCで演奏されたサウンドらへのフェティッシュ愛好。
と、そのたぐいの話なら、オレらのヴェイパーウェイヴも負けちゃいない。8bitや16bitの世界へのノスタルジィならおまかせだぜェ、って言いたい気もしてくるけれど。

でも実はこの両者、意外にかみあわない感じがある。

なぜってヴェイパーのサウンドはモヤモヤしてるのが基本なのに対し、いっぽうのチップチューンズは、ムキ出しのナマっぽい電子音が最大の武器のよう。そこいらに、大きな違いがあるので。

と、そんなことを考えてなくもなかったが。そうしていまご紹介する「Tree of Knowledge~知恵の樹~」は、チップチューンズでありながらヴェイパーのレーベルから出ているアルバムなんだ。
いちど2011年にチップ系レーベルからリリースされた作品が、追ってヴェイパー(系)という扱いで18年に再発された、そういう運びらしい。そして本気かどうかは不明だが、ヴェイパーウェイヴでありヴェイパーホップ、というタグが打たれている。

これの制作グループの《ヨーグルトボックス》は、ケン・コーダ・シュナイダーとスティーヴン・スラッシュ・ヴェラマの2人組。彼ら自身によれば、アルバム「知恵の樹」は、こういう作品だとのこと。

私たちは、日本のポップスやゲームミュージックから多大なインスピレーションを得た西洋の作曲家です。90年代にPC-98でエロゲの音楽を聴いたとき(特に「島の龍と梅本龍の「この夜の果てで恋を歌う少女ゆうの」)、その曲の音質に驚き、キャッチーで洗練されたスタイル。
この音楽は西洋ではあまり注目されていないので、この種の音楽へのトリビュートアルバムを作ろうと決めました。

(グーグル翻訳の出力)

……と、言及されている〈エロゲの音楽〉とは、梅本竜「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO(1996, エルフ)だと考えられる。ささやかな音源システムを限界まで使いきって、スリルと幻想・エロスと渇望らをスケールゆたかに表現。まさに言われたとおり〈キャッチーで洗練〉を実現した、PC-98エロゲ音楽の最高峰みたいなもの。

そしてそのYU-NOへと捧げられたアルバム、「知恵の樹」。これは、存在しえたかも知れない(架空の)PC-98エロゲのサウンドトラックとして、構成されているのだった。
まずオープニング曲から日常のテーマ、続いて個別ヒロインらのテーマへと進み。そしてドラマチックな盛り上がりをへて愛の場面、そうしてエンディングにいたる。
と、過去に存在したエロゲのサントラ風になっているんだが。しかし曲数の少なさが、低予算を想像させて、やや泣け気味。それにグラフィックスもがんばって、PC-98風のドット絵を用意したんだとか。

……とは、ずいぶん酔狂なことをなさるもので。オレは好きだね、こういうの。

聞いてみるとかなりよくできていて、PC-98の実機または同一のチップを鳴らしているのだろうか、オリジナルYU-NOにそっくりな響きがしばしば現れる。楽曲らのふんいきも、なかなかそれらしい。

ただし違うのは、これのサウンドの、低音の張り出し加減。90年代までのゲーム音楽に、こういうリッチでファットな低音は入っていなかったはず。貧弱なスピーカーシステムへの配慮だったのだろうか。
いやまあ、ゲームに関係ない音楽だとしたら、ぜんぜんおかしくない音なんだが。しかしシミュレーションとしてとらえたら、ちょっとマイナスかなと。

それとやかましいようだが、もっともかんじんな(!?)クライマックスの「愛のテーマ - Making Love」、この楽曲にツヤっぽさが足りない。いや別におかしいってほどじゃないんだけど、しかし、ここにヤマ場を期待していた善良なリスナーの期待を満たしきれていない。
……あ、スイマセン。でも、次また同種のことをするんなら、お手本であるYU-NOのラヴ・テーマとかを参考にして、もっとこう。

しかしまあ、思っちゃうんだよね。こうして語られる「YU-NO」というタイトル、PC-98用エロゲを起点に、もろもろさまざまな移植やメディア展開をこうむっており()。とくに2017-19年の、超いまさら的なゲームリメイク、そして深夜アニメの放映にはビックリさせられたけれど。
つまりオリジナル本編のインパクトがあまりにも大きくて──何しろこれが98エロゲの最高傑作みたいなので──、その90年代の体験を《卒業》できていない人が多いのかな、と考えられる。まあ自分もそうだけど。

とくに今21世紀の「YU-NO」関係の制作には、〈オレたちはこの世界から卒業したくない!〉というメッセージ性が強く感じられる。そしてそういう、一連の《ジェスチュア》に終わってはいないだろうか? いやそうではなく、ヤングな世代へのYU-NOの布教に成功した、というなら幸いだが。

──あまりにも1980-90年代のメモリーズらに固着しすぎている、ある種の層がある。うちらヴェイパーウェイヴにしても、言うまでもなくそれなんだけど。
しかしヴェイパーはシャレとして、バカみたいな形でそのメモリーズらをクドクドと反復し、そして再生しながらそれらを葬っているんだよね。
それがそうではなく、もはや生命を持たず発展のしようもない素材ら、その死を信じない。その上での営みだったとしたら、とくに害はないかもだが、しかし病理的って感じもある。

YU-NO」なんかはマイナーだけど、「エヴァンゲリオン」のシリーズなどは、それを現在まで、もっと大々的にやっていそう。ただしビズネスとしてはマズくもないようなので、はたからそれを無意味と指摘するのもヤボなのか……そうか。

ALL CAPS AND αւτ kεÿ CΘᕸEᔕ™: ひどく翻訳日本語の文字 (2013) - 《Broporwave》とは何か?(追記あり)

どこかで目にしちゃった気になることば、《Broporwave》。読み方は仮に、ブロパーウェイヴとしておくけれど。
これはいったい、どういう意味なのだろう?

その秘められた《意味》を自分が知っていると愉しいんだが、実はあんまり分かっている気がしない。ただ、うちらのヴェイパーウェイヴにちょっとは関係ある、それだけは確かそう。

──そのていどの認識で記事を書いちゃうって、無責任? でも何だか気になっているんで、オレなんかよりモノを識るお方が「それは……」とご教示くださることを期待しつつ、分かった限りのことを書いておくんだよね。

まず、Bandcampというセカイの中に、《Broporwave》というタグを打たれたアルバムたちがある。その数は、そんなに多くはないけれど。
そしてそのほとんどの例で《Vaporwave》というタグが併用されているので、両者に関係が何もないとは思えない。
だがしかし。それらのアルバムらをザザッと聞いてみても、それぞれがヴェイパーではあるのかな、という感想にしかならず、《ブロパー》の要素が把握できない。

というわけで、困惑した。では、サウンド面をいったん離れ、ことばの側面から調べてみてはどうだろう。
だがしかし。《Broporwave》とはこういうもの、というストレートな説明は、英語のネット上に発見できない。多少の言及は存在するが、でも説明にはなっていない。

いっぽう英語の俗語で“Bropo”とは、一種のゲイ的な人間関係を言う場合があるらしい。また、“Brother Police”の略語でもありうるらしい。かつまた、いわゆる「連れション」的な意味にもなるっぽい()。

──と、分からなすぎてイラッとしちゃうけど。しかしその反面、ひじょうにはっきりしていることがある。
(…ということを書いてしまったが、実はそんなにはっきりしていなかった。この記事の文末の追記を参照してネ!)

それは、ブロパーウェイヴを名のる音楽の第1号が、2013年の「ひどく翻訳日本語の文字」というアルバムだということ。その収録トラック2曲めのタイトルに、ズバリ《Broporwave》という語が出ているんだ。
これの作者の名は、《░▒▓【ALL CAPS AND αւτ kεÿ CΘᕸEᔕ™】░▒▓》。在フロリダという設定以外はまったく素性が不明、かつこの1作でしか知られないお人。

そしてこのアルバムがブロパーウェイヴの、ほとんど“すべて”なのではなかろうか。自分はそういう感触を得たのだった。そうしてこれが、どういうアルバムなのかというと。

説明しすぎてはつまらないと思うけれど──ゆえに誰もが、ブロパーとは何であるかを説明“しない”のだろうか?──、このアルバムは、一種のパロディ作品であるもよう。2013年という当時、ちょっとだけ話題になっていたヴェイパーウェイヴとかいう音楽、そのスタイル等々を、ドギツくパロっている気配。

そのアルバムのタイトルやカバーアートからしてオレらへのイヤミだが、また曲名らにも、皮肉と悪意がぞんぶんにあふれている。その一部を、ザザッとご紹介すれば──。

オレはすべてのブロパーウェイヴを日和見Audacityで演る
昨夜オマエのカーチャンを、オレの千×ポで“エコジャム”してやった
ヴェイパーってよりか、“ゲイ”パーウェイヴ
ダフトパンクになりたくてサイドチェーン・コンプを超必死
要するにヴェイパーとはダイア十・口又の唄をスローダウンしてみるだけ
ヴェイパーウェイヴの死に捧げる哀歌

このさい説明を続けてしまうと、制作関係の用語がふたつ出ている。まず“Audacity”とは、デジタル音声加工用のすぐれたフリーソフトで、ヴェイパー界でも活用されているらしい()。いっぽう“サイドチェーン・コンプレッション”とは、ダンスミュージックに迫力を出すためのサウンド処理。

そしていちおう音楽内容にも、タイトルらに即したところがある。「“ゲイ”パーウェイヴ」の楽曲は、おそらくゲイ・ポルノビデオの音声のカットアップ。ある海外のファンは、このトラックを評し、〈LoLで禿藁、“草”生える!〉と賞賛しているけれど。
そして「サイドチェーン」のトラックは、イケてるはずのサウンド処理に失敗し、音声がボコボコしてヘンになっている。ダフトパンクには、なれなかったっ……!

そして「ダイア十・口又」は、おおむね皆さまのご想像のとおり。あの有名すぎる楽曲を、その展開につれ、だんだんにドロロ〜ンと遅くしている。どれほどの遅さをお望みですか

そんなんが続いたあげくのラスト曲、「ヴェイパーウェイヴの死に捧げる哀歌」は、何やら異様にモッソ〜リとしたヘンな音の8分間。
これは再生スピードを約4倍まで上げてみると、原曲がどうでもいいようなR&Bの何か、ということが分かる。いや、こんなんで送られても、逝くにイケないような気分ですけど?

さて。この23分間ほどのアルバムは、《音楽》としたらホメるところがそんなにないっぽい。つか、しようのない安易なこさえものかのようにも思えるんだけれど──。
だがしかし、ヴェイパーウェイヴ自体に本来、これに近い安易さがあるということを、否定ができない。むしろマジメにキッチリと造ったりしたら、ヴェイパーらしくは聞こえなくなってしまいそう。

なので、うちらにしてみたら実に、痛くてカユい作品であるのかも。ヴェイパーのパロディもまたりっぱなヴェイパーである、ヤッていることの次元がどうにもあまり変わらない、〈メタ言語は存在しない〉、といったことらは認めざるをえない。

で、ここに示されたような見方の存在を、意識はしながら。うちらは自分らのテキトーで安易な悪ふざけらの中に、どれだけの《違い》を──ウィットのクールなシャープさを──提示することができるのか。
そしてこんな、2013年という誕生して早々の時期に、いきなりその死を宣告されてしまったヴェイパーウェイヴ。追ってその、《ノーフューチャー》という名の果てしなき現在を、アンデッドさながら的にカラ廻りさせ続ける──、そのためのエネルギーをオレらが注入し続けなければならないが。

と、いうわけで「ひどく翻訳日本語の文字」というアルバムが、傑作じゃないけどヘンに心に貼りつくものとして、あり続けている。……そこまでは、まあイイとしても。
だがしかし、その宣言し樹立した《Broporwave》の意味を、いまだ分かった気がしないっ! 悪ふざけに対抗する悪ふざけ、悪趣味にぶっつける悪趣味、くらいのニュアンスを受け取っておくだけでいいものなの?

そのいっぽう、現在ブロパーウェイヴを自称するヴェイパー者として、日陰で少しだけ目立っているようなイデアル Corp.》というバンド()。その近作のアルバム2コくらいは、ワリとイイのかな──、という気がせぬではないが。
けれど、それを聞いてもブロパーの意味は、あいかわらず分かった気になれないっ。よって事情を識る方々の、ご教示ご指導ご鞭撻を、切に希望しながらこの話は終わる。

赤い薔薇の花ことばは、「美」「情熱」そして「愛」…

【追記】追ってもう少し調べを続けたら、書いていることがあまり正しくないような気がしてきた。《Broporwave》という語の発明者がオール・キャプス・アルトキーさんだと書いているみたいだけど、どうもそうではないっぽい。自分が想像する限り、こういうことがあった感じ。

──2013年の初夏、第1次ブーム渦中のヴェイパー界に、《Broporwave》という概念がフッと提唱された。さして実体の定かでないものだが、ニュアンスとしてはゲイっぽく、かつヴェイパーよりもさらにヒドいものとして。
それがびみょうに話題を呼んだところに8月、〈おまーら、えー加減にせー〉くらいの感じで、「ひどく翻訳日本語の文字」というアルバムがポストされた。並みのヴェイパーよりも、さらにヒドいものとして。実体のなかったブロパーに、そこで実体が与えられてしまったのだ。

で、やがてブロパーの話題が通りすぎてしまうと、残されたこのアルバムが、ブロパーウェイヴという過去のムーブメントの代表作にも見えてくる。そこに自分は、あっさり喰いついてしまったのかも。

Kluster: Eruption (1974) - 古流独式電子音楽 2:お前が深淵を見るとき、深淵もこりゃまた……

Kluster - Bandcamp
Kluster - Bandcamp
“K”のクラスター、メンバーのお三方

クラフトワークの結成メンバー、フローリアン・シュナイダー氏を追悼(1947-2020)。ということで、オールドスクール・ジャーマン・エレクトロニック特集を開催中。

そして今回は、その第2弾。ジャーマン・エレクトロニックの歴史上には「クラスター」と呼べるバンドが3コ存在し、順番からしKluster《Cluster》、そして《Qluster》。ややこしいんだよね。
そしてそのすべてに、ハンス-ヨアヒム・ローデリウス(Hans-Joachim Roedelius)という人が、関わっている。ゆえに3コは、兄弟バンドみたいなもので。
そしていずれも評価が、きわめて高いもよう。このジャンルの内部的には、少なくとも。

で、順番からして長男みたいな“K”のクラスターからご紹介、とイキたいんだけど。しかぁ〜し、これがまた実に恐ろしい音楽なんだよね。
聞いての印象をすなおに言うと、邪教でなければインケン隠びな秘密結社の秘儀・祭儀、そんなイベントにうっかり立ち会ってしまった感じ。つまり、文字通りの“カルト的”なしろもの風味。

そのやべーブツらをやや細かくチェキる前に、まず、クラスター一族の流れをざっと見てみると……。

“K”のクラスターの歴史は1969年、コンラート・シュニッツラー(Conrad Schnitzler)を中心とし、そこへローデリウスとディーター・モービウス(Dieter Moebius)を加えた3人で始まった(らしい)。やがて71年にこのトリオは解散、残したアルバムは、ライブ盤を入れて3コ(と見ておく)。

そしてローデリウスとモービウスは、“C”のクラスターへと移行()。休止期間もありながら2009年まで活動し、安定した高い評価をかちとった。ことわりなしに「ジャーマンのクラスター」と言われたら、通常はこれを指す。

追って2010年、ローデリウスは“C”のクラスターの解散を宣言。そして若いミュージシャン2人を率い“Q”のクラスターの活動を開始し、現在にいたる()。そのサウンドは、“C”とそれほど変わらない(と見ておく)。
ちなみにシュニッツラーは2011年、モービウスは2015年、それぞれ物故。この亡きふたりの分まで、ローデリウスさんの今後末永き活躍を祈らずにはいられない!

……で、やっとこれから、“K”のサウンドをチェキっていくんだけど。
その3コのアルバム、“Klopfzeichen”(1970)、Zwei-Osterei”(1971)、そして解散後に出たライブ盤“Eruption”(1974)らについて──。

Kluster: Zwei​-​Osterei (1971) - Bandcamp
Kluster: Zwei​-​Osterei (1971) - Bandcamp
アルバムタイトルは「2コの
イースターエッグ」という意味らしいが

まずその楽曲らがすごく長い、アナログ時代の言い方で「片面1曲」。だからアルバム3作で、全6コのトラックがあるのみ。
しかも、ドロッドロにグチャグチャした暗黒そのもの的な内容で。聞いて憶えるようなメロディが存在しないどころか、何拍子なのかさえもよく分からない。
かつ、〈エレクトロニック〉と申しますけれど、しかしモロにシンセサイザーみたいな音はほとんど聞こえない。いっぽうでいま言う“ダブ”っぽいサウンド処理があるが、しかしそれが、聞く楽しさに結びついているかどうか。

そしていちばんイヤなのは、スタジオ盤の2コについて、その“A面”相当の曲らに、何か禍々しいドイツ語の呪文みたいのがブツクサと入っている。何なの? これが実に威圧的というか、もォほんと恐ろしい……!

なお、ドロ〜リグチャ〜リの混トンとした即興(?)みたいなサウンドという点では、シュニッツラーが並行して関わったバンド《タンジェリン・ドリーム》の1stアルバムも近い。とすると、ヘンな音を出していた主犯はコンラートなのか?

オレの考えますに。初期ジャーマン・エレクトロニックの重要バンド、そのふたつの立ち上げに関わったシュニッツラーは、宇宙開びゃくをもたらすカオス的エネルギーの持ち主、だったのかも知れない()。
そして彼が去ったのち、“C”のクラスターもタンジェリンも、カオスからコスモスへとサウンドの整理がじょじょに行われ、そしてそれぞれの安定期に移行した。それはそれでいいんだが、しかしゼロから存在らを生み出したビッグバン、その起爆者の功績はある感じ。

かつまた。この数日間、“K”のクラスターのサウンドをず〜っと聞いていて(!!)、フと思うんだけど。
……音楽を聞いて「分かる」とか「分からない」とか、ついつい言っちゃうが。しかしいったい、それはどういう意味なんだろう?

楽曲の構造性が理解できる、それはもちろんあるけれど、しかしそれなら面白い、ということにはならないよね。
まったくもって分からないけれど、しかし何か心をひかれてしまう、退屈はしない。そういう音楽もあるんだなあと、“これ”に対して感じ入ってるんだよね。ずいぶんのむかし、モートン・フェルドマン)に対しても思ったことなんだが。

そしてこの“K”のクラスターについて、ドイツ式ヒッピーのサイケ運動、それと現代音楽のライブ・エレクトロニクスの影響、そういった見方からの分析もできそうだけど。しかしそのへんは、かしこい人々に任せた。
すごくヘンだが、何か気になる響きがある。自分としては、それだけを言っておきたいんだ。

そして、“K”のクラスターのアルバム3コのうち、1971年に録音されたライブ盤“Eruption”。これがいちばん瞑想的というか、威圧的ではないサウンドを誇る(?)。
ゆえに初心者さまには、まずそれがオススメ……かも知れないな、と……。

赤い薔薇の花ことばは、「美」「情熱」そして「愛」…

【おことわり】ここに出てくるようなドイツの人たち、その名前らの読み方をちょっと調べてみたんだが、即行で絶望に導かれたんだよね。
ローデリウスではなくリーデリウスだとか、またクラウス・“シュルツ”ではなく“ショルツァ”だとか。ヘンに正確さを期すると、誰のことだか分かんなくなっちゃう!
ゆえに定着してしまっている読み方は、今後だいたいそれで通すことに。そのことをご了承ありたしなのよ〜。