エッコ チェンバー 地下

─ €cco ₵hamber ฿asement, Vaporwave / Đésir đupłication répétition ─

ヴェイパーウェイヴ と 現代音楽 と、《現代アート》

潜在的溺愛者 (沢NaN): 純青 (2022) - Bandcamp
潜在的溺愛者 (沢NaN): 純青 (2022) - Bandcamp
驚くべきトーンの深みとグラデーションをもつスラッシュ! 長いが飽きません

このヴェイパーウェイヴという、〈音楽っぽいサウンド〉──私たちの、強く執着しているものですけれど。
で、さてそれは、アートの一種だとか現代音楽だとか、呼びうるものなのでしょうか?

……ということをつい考えたのは、ヴェイパー系の有望な新進アーティストである《沢NaN / ZAWANAN》さん──ニッポンの大学生でおられるようです──この方の御ツイートを見たからなのですが……()。

まず、私の想いを端的に申しますれば、〈それは《現代アート》の端っこに引っかかる──かかりうる──もの〉かなあと、考えています。

ですけれど補足がありまして、《現代音楽》といってしまうと、また違うんですよね。
──とは? その《現代音楽》とは、いったい何でしょう?

それは端的に言えば、O・メシアンさん、J・ケージさん、P・ブーレーズさん……等々々あたりにつながっている系列です。
すなわち、あくまでもクラシック音楽の歴史・実践・理論・美学らをベースとした、〈現代の現代的な音楽〉だろう、と考えられます。

とはいえ、それを言うにあたり、〈だが現在は、また違う見方が出てきているのかも?〉とは、ふと考えつきました。
そこで簡便安易なリサーチとして、英語のウィキペディアを見てみますと……。やはり〈クラシック音楽がベース〉との見方で、記事は書かれています()。

とはいえ。そんなことを言っていても、ならば《クラシック音楽》とは何か……という疑問への答、それ自体が、いまは揺らぎつつあるでしょう。
端的にはそれは、ハイドンさん、モーツァルトさん、ベートーヴェンさん、この超グレートな《古典派》作曲家のお三方につながっている系列です、と言えましたが……。

André Gagnon: Comme au premier jour (1983) - YouTube
André Gagnon: Comme au premier jour (1983) - YouTube
TVドラマの“よろめきのテーマ”として、多用される超名曲!

しかし現在は、どうでしょうか?

近ごろ私が考えるのは、あまり頭がよくない感じの音楽系サイトあたりでは、私が思う《ネオ・クラシカル(or モダーン・クラシカル)》が、もはや区別されていないようだ、ということです。本来のクラシック音楽と。

で、その〈私が思うネオクラ〉とは、どちらかといえば、イージーリスニングおよび《ラウンジ》に近いものなんですよね。端的に言えば、かのA・ギャニオンさんを代表ともするような(!)。
つまり、そんなには別にシリアスでなくて、かつ、受け手においての《効果》を志向する音楽です。

ですけれど、私ども一般大衆においてクラシックっぽく聞こえている音楽はクラシックでいいんじゃないか──という思い方を、そんなに否定もできません。受けいれもしませんが。

【補足】 しかしネオクラの代表として、ギャニオンさんだけを言うのもどうかと考えました。古いですしね!
ならばご参考までに、アイスランドのO・アルナルズ(Ólafur Arnalds)さんの2007年デビューアルバムなど聞いてみてはいかがでしょう。私もそのころ、けっこう愛聴していたもので……。

とてもいいとは思うのですが、しかし、前提も補足もなしで《クラシック音楽》と、呼んでいいものでしょうか?

──とはいえ。〈もはや一視同仁でネオクラを、クラシックに織りこんでいくべき〉とは、一般の音楽ファンらのゆるい思いなしにはとどまらず、いまや《業界》の営業方針のひとつです。

その方針のもと、たとえばグラモフォンのようなクラシック系の権威めいたブランドらから、M・リヒター(Max Richter)さんやJ・べヴィン(Joep Beving)さんらのネオクラ作品が、世に送り出されており。そしてそういう流れは、加速しつつあるように思われます。

なおまた、《現代音楽》につながるものとしての《クラシック音楽》の実体は意外に、その《教練》のシステムなのかも、という気もしてきました。英語なら、“discipline”とも言いたいようなこと。
と、申しますのは……。これら一連のことを書くために私は、エッジの位置にありそうな作曲家たち──P・グラスさんやJ・アダムスさんらの曲を、あらためて聞いてみたりしたのですが……。

すると、気づいたこと──。あたりまえなんですが、そんな彼らのお作らであっても、クラシック系の実にきびしい《教練》を経たものでなかったら、まともには演奏できません。
いくら私が《ローファイ》やおチープなサウンドなどを称揚していても、しかし何とかフィルハーモニーの楽団員ともあるような方々が、下手くそで〈ピキィー〉やら〈ギュグー〉やらのへんな音を出しくさったら、ちと許せません。

で、実にきびしくきびしい《教練》を経て、楽器やノドからきれいな音を、正しいタイミングと適切な抑揚で、出す──。この技能の習得のために、全世界の音楽系の学徒らが、どれだけのばく大なおカネと時間を使い、かつその汗水をダラダラと流しているでしょう?
それを前提として、大前提として、《クラシック音楽》から《現代音楽》への系列が、初めて成り立っています。ゆえに、そこにこそ《実体》があるような気もしてくるのです。

🎻 🎹 🎺

あ、では《現代音楽》のお話は、まずそのくらいにいたしまして……。

ならば、私がヴェイパーウェイヴに関係ありと見ている、現代アートとは何でしょうか?

というその《現代アート》については、このブログにて、何度か話題にさせていただいています()。
端的に言うならそれは、M・デュシャンさんからA・ウォーホルさん、そして《アプロプリエーション/シミュレーション》のアーティストたち、といった事項らで特徴づけられるものです。

もとは《現代美術》と呼ばれていたものが、追って歴史的にへんな大きな拡がりを持ってしまったので、もはや《現代アート》とでも言いかえるべきか、となっているものなのです。

すごく雑に、その流れを追ってしまいますと。第一次世界大戦の直前からその戦後にかけ、諸国で、イタリア未来派・ロシアアバンギャルド・そして国際的なダダ&シュルレアリスム……といった新奇性ある芸術運動たちが、興りました。
そしてこれらの中に、形式や素材らを超越していく《現代アート》の萌芽がありました。《美術》を中心とする見方からすれば、それを音楽や空間や舞台らへと拡張していく動き、とも言えるでしょう。

ところが、第二次大戦の終結後……。いろいろ事情もありまして、全世界の美術界を圧倒的に制覇したのはアメリカ産の、J・ポロックさんやM・ロスコさんらを頂点とする、《抽象表現主義絵画》でした。
もとは《ニューディール》時代に始まって、戦後に大勝利を果たしたものですが。どうにもそれは、《絵画》なるもののきわまりです。その崇高さの、不朽のピークに他なりません。

……ということは、そこが《美術》のひとつの行きづまりの地点でもあった、ということです。
かつ、抽象表現主義は《絵画》であることにシリアスに徹し(すぎて)、ゆえに形式や題材などの面の拡がりの乏しさ、ということも言えそうです。いまの見方では。

ということなので、抽象画家としては二流だったらしいR・ラウシェンバーグさんたちが、その位置を脱すべく、ニュアンス的には大戦間の運動らの復興めいた《ネオ・ダダ》と呼ばれる実践を──それを始めたのが、1950年代の初頭です。

そしてラウシェンさんには、当時の先進的な芸術学校だった《ブラックマウンテン・カレッジ》で学んだ経歴もあり()。そこで彼は、かのJ・ケージさん、あるいは前衛ダンスのM・カニンガムさん、そんな人々にも接していました。
すると。大戦間期アバンギャルドの復興というより、さらに新しい発想でアートの領域を拡張していく準備が、彼には当初からあったとも見られるでしょう。

そういうことで、キャンバスの枠を破り作品を現実へ向けて拡張していったようなラウシェンさん、そして彼の盟友で何か次元の違う《絵画》を描いていたJ・ジョーンズさん。彼らをコアとするネオ・ダダが、〈最高にナウでヒップなアート!〉としての地位を確立したのが、1950年代の末。

で、それからすぐに、1962年。やはり抽象表現主義の王道では評価されなかったようなアメリカの美術家たちが、ネオ・ダダに続くものとして、かの《ポップアート》を創始してくれるわけです。

でもう、そのポップアートのご説明などはいたしませんが……。

しかしそのポップの最大の雄であったA・ウォーホルさんが1966年、彼のアート活動のひとつとして、美術と音楽とダンスらを総合したショー、《不可避的に爆発するプラスチック》を催しました()。
それにより、その出演者だった《ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ》というロック風のバンドが、ふと世に出るはめになった、ということは皆さまも、おそらくご存じでしょう。

そして。続いた67年にリリースされた、そのバンドのファーストアルバム──セルフタイトルですが、俗に“バナナ”と呼ばれるあれ──のスリーブには、なぜか過剰にデカい字でAndy Warholと、プロデューサーである人の名前が書かれていました()。
それが実にいいことだったかどうかは、ともかくも。しかしそこから、ポップ音楽のバンドをプロデュースすることも《現代アート》活動の一環でありうる、ということにはなった感じです。

──もともと《美術》は、絵画と彫刻の二種類でした。18〜19世紀に全盛の、《サロン・ド・パリ》めいた芸術観におきましては。
しかしそういう芸術観がもうれつに攻撃されまくった結果、20世紀の半ばあたり、その分類が〈平面〉&〈立体〉と、中立的かつ没価値的に、言いかえられたりもしましたが……。

しかしそこでも、〈視覚の対象であり、かつ時間的要素を含まない〉という点で、りっぱな《美術》でありました。
ところが《美術》とはもう違う《現代アート》ともなれば、必ずしも視覚にアピールする必要はないし、また音声やビデオの再生などでも作品たりうるわけですね!

かつ。ここまで資料とか記憶とかをほじくり返してくると、《現代音楽 - 現代アート - ポップ音楽》という三者の接点を継続的に作っていた、ケージさんやラ・モンテ・ヤングさんたちの活躍が実にめざましい、と痛感させられます。とくに、1960年代あたりにおいて。
ヴェルヴェッツの初期のメンバーだったJ・ケールさんにしても、ケージさんに心酔するヤングさんのお弟子、くらいな人物だったわけで。

かつまたケージさんを先導者として、ヤングさん、T・ライリーさん、S・ライク(ライヒ)さんたちが、《ミニマルミュージック》という現代音楽の超アメリカ的スタイルを作っていったわけですが……。
そしてこの系統はさいしょから、広く多様なアートの方面に開かれて、かつポップ音楽の方面に対しても友好的でした。
そしてこの流れの末に現在いる人が、やや遅れながら大ブレイクを果たした、P・グラスさんでしょう。

で、そのいっぽうのヨーロッパでは、ブーレーズさんやシュトックハウゼンさんたちが、それもまた巨大な牙城に君臨……というのも、せいぜい1970年代くらいまでの古い話ですが。
ともあれ、そういうヨーロッパの本流的な《現代音楽》には、ポップ音楽との接点などは、あまりあった感じがしませんのです。お高尚で

なおまた。私どものニッポンにしても1980年代くらいまでは、《現代音楽》の先進地域であったと、私は信じています。
そしてそこからの拡がりを求める試みが、種々あったことも、やや存じています。が、しかし、〈これが成功例〉と言えるものが、あまり思い出せません。

なお、さらに余談が続くようですが……。ここまでなぜか、アメリカの人ばかりが賞賛されているようですけれど……。

R. Hamilton: Just what is it that makes today's homes so different, so appealing? (1956) - en.wikipedia
R. Hamilton: Just what is it that makes today's homes so different, so appealing? (1956) - en.wikipedia
R・ハミルトン「いったい何が今日の家庭をこれほどに変え、魅力あるものに…」

しかしイギリスにもまた、むしろ米に先んじて、R・ハミルトンさんの《ポップアート》が存在し……。
そしてその強い影響下に、ヴェルヴェッツに劣らず革命的であったロックバンド《ロキシーミュージック》が発足し……。
さらにそこから、B・イーノさんという巨人が現れ、《現代音楽 - 現代アート - ポップ音楽》という三者の接点を継続的に作ってきていることは、ぜひぜひ大特筆されなければなりません! イェイッ。

そのイーノさんのあまりな偉大さ、その秀抜なコンセプトらについては、このブログでも何度かご紹介しているでしょう( / )。

あ、ですが……しかし、話は戻るのですが。そうこうだからといって、たとえばヴェルヴェッツの音楽そのものが、《現代アート》であるでしょうか?

それが……私としては、やはり主にはポップ音楽じゃないかと思うんですよね。

ではありますが、現代アートの端っこに引っかかっているものだとも、けっして言えなくないでしょう。

また、イーノさんによる超名作でしかないあの楽曲たちも、同じく──主にはポップ音楽でしょうが、しかし現代アートの端っこにあり──どっちみち、きわまってすばらしい!──と、見ています。

そして。それくらいの位置にあるものであろうかと、私はヴェイパーウェイヴについても、考えている……。もしくは、そうであることを──あっていくことを──期待しているのです!


Vaporwave, Contemporary Classical Music and “Contemporary Art”

[sum-up in ԑngłiꙅԧ]
This article discusses whether the musical-esque sound of Vaporwave can be called art or contemporary music.

In addition, this question was posed by ZAWANAN, a young Vaporwave producer from Nippon. His work is also excellent, and I highly recommend you to listen to it ().

Now. My opinion, in a nutshell, is this.

Vaporwave is basically pop music, but it is somewhat related to contemporary art.
It is especially close to what is called "simulation" or "appropriation" in contemporary art.

The distance between pop music and contemporary art has also shrinking considerably since A. Warhol introduced the Velvet Underground to the world.
Also, under the influence of R. Hamilton - a pioneer of British Pop Art - Roxy Music, a band as revolutionary as the Velvets, was born.

And Brian Eno, who left the Roxy, has done a tremendous amount of supreme good work to date in constantly exploring the boundaries between art and pop music.

Our Vaporwave does not have to aim for highbrow status, but it can still engage with contemporary art in the aforementioned way!