エッコ チェンバー 地下

─ €cco ₵hamber ฿asement, Vaporwave / Đésir đupłication répétition ─

平尾アウリ『推しが武道館いってくれたら死ぬ』 - 推してもダメなら…っ!?

平尾アウリ『推しが武道館いってくれたら死ぬ』──略称は『推し武道』──。
これは岡山県をベースとするローカルな女性アイドルグループ《Cham Jam》の活動を、ファンのサイドとアイドルの側、両面から描いているマンガです()。

その第1話の雑誌掲載が2015年8月であるようなので、現在ちょうど連載が、約8周年を迎えています。単行本は、2023年7月の現在、9巻まで既刊。

ここでふいに、まえがきです。

さてこの記事は、アイドルのマンガのお話ということなので……。
続く記述の、ほぼなかばに、〈何らかの方法で“アイドル”を題材としているヴェイパーウェイヴ〉という話題が、ちらりと出ます。

そして。せっかくだと思ったので、そういう傾向のアルバムらをいくつかみつくろって、ページ内の随所でご紹介しています。よろしくね!

それで、私としてもこのマンガについてほぼ8年、けっこう長いおつきあいになっている感じです。
ああ……。思い出そうとすると、読みはじめましたころには、今作のタイトル中の超重要ワード──《推し》という語、その意味というかニュアンスを、ぜんぜん知らなかったんですよね!

それをいちおう説明すると、ファンがアイドルを応援することを“推す”と言い、その対象が、《推し》と呼ばれるのです。
それさえ知らず──。というか私はこのマンガにふれるまで、作中で言われる〈地下アイドル〉のシーンについて、ほとんど何も知りませんでした。

であったので──。いちいち意味の分からないその世界の独特のジャーゴンやタームらを、いちいちネットで調べながら読んでいました。作の内部にそれらの説明が、ないことはないですが、十分ではないと感じられたので。
──ということは、ものぐさな私にそんな多少のめんどうをさせるほどに、強く魅きこんでくるところがあった、あるのですね、今作こと『推し武道』には。

何がいいのかというと。

まず、作者・アウリ先生特有の、すっとぼけすぎているギャグ&コメディ要素。これはきわめて感覚的なもので、説明がむずかしいのですが……。
そのナラティヴが、いちおうはリアリズムの水準で進んでいるのかと思えば、とうとつにガッツリと、〈マンガ〉くさい展開がぶつかってくるのです。

えーと、たとえば……。今作のWヒロインの片方と呼べるアイドル《舞菜〔まいな〕》さん──名前からして〈マイナー〉なだけに、あまり人気がない──その公式のイメージカラーが、サーモンピンクというびみょうな色なのですが……。
それがもう、どうかと思いますが……。

さらにそうだからと言って、プロモーション用の写真でサケの切り身をアクセサリーかのように持たされている(第2話)……これは、ないんじゃないでしょうか!?
もう、ずいぶんな〈マンガ〉ですよね!

──そして。その舞菜さんを過剰にホットに“推し”ているのが、ファンのサイドのヒロイン格である《えり》、通称えりぴよさん。
さいきんはあまりないですが、初期にはこの人が、やたらによく血を出しケガをすることが、印象的でした。そのいちばんの大ごとと思われるのは、交通整理のようなバイト中、クルマにはねられ片足を骨折したことですが……(第8話)。

ところが。その事故のすぐ翌日、松葉杖はつきながらも、ほとんど平気そうな顔をして、はつらつとアイドルライブの会場に来ているんですよね!
〈タフということばは、えりさんのためにある〉のでしょうか……っ!? これがまた、ずいぶんな〈マンガ〉です!

とまあ、そのような……かなり特異なセンスのコミカルな要素らがありまして。

そもそもアウリ先生のマンガはいつも、登場人物らのほとんどが、それぞれにエキセントリックなんですよね。あいきょうのある変人たち──などとも言えそうで、そのあたりが好きなのです。

それともうひとつ、今作で私が魅かれているのは、絵としての美しさ。

アウリ先生の画風は、いまはやりの萌え絵やアニメ風ではなく、かといって一般的な少女マンガともやや違う、きわめてユニークなものです。
これにもっとも近いものは、かの崇高なる《抒情画》──竹久夢二蕗谷虹児中原淳一、という三人の天才画家の名によって代表される──その流れ、なのではないでしょうか?

ですので『推し武道』では、グループ《Cham Jam》──その略称は、ひらがなで、“ちゃむ”──のアイドルたちが、あまりにも美しく描かれまして。
そしてそのせいで逆に、〈実は、そんなに大きな人気がない!〉という作中の現実との間に、やや遊離が?……とさえ感じられてしまうほどです。

と、そのように美しく、またコミカルに、かつ哀愁味をもまじえながら──われらのちゃむというグループをめぐる物語が、つづられているのです。

👩‍🎤 🎶 🤩

で、さて。ここまでは『推し武道』というマンガ作品の、一般的なご紹介をこころざして、述べました。
そしてこれからあと、私の感想/考察らしきことを申しあげますと。

今作こと『推し武道』は、ちゃむの活動をファンのサイドとアイドルのサイド、両面から描いています。
というのも。双方の人物たちが、意図的に──その世界のマナーとして──距離をとり気味なので、そんなには深く交わることがありません。

ゆえに。ある意味では作中で、ふたつの物語が並行で進行している、という見方もできそうです。

そして、アイドルのサイドのお話は、まあ分かるというか、言わば……やや〈ふつう〉ですよね!
岡山のローカルから出て彼女らは、全国的アイドルへのブレイクを、遠くに目ざしています。そのひとつの目標が、日本武道館でのライブの敢行です。

そのように、アイドルに限らず芸能人のような人らがサクセスを目ざし、奮闘するような物語らは、かなりのむかしから、ざらにあり続けている……のような言い方、少し失礼でしょうけど。
しかし、まあそうでしょう。

ですけれど、そのいっぽう。〈地下アイドル〉のファンのサイドの物語などは、その存在がユニークである──少なくとも『推し武道』スタートの時点では、実にユニークだったのではないでしょうか?

GeneractionX: 気さく (2020) - Bandcamp
GeneractionX: 気さく (2020) - Bandcamp
アイドル+'80年代PC、たまりません!

そういえば。私がかなり強く愛好しております、一種のポップ音楽で《ヴェイパーウェイヴ》というものが、ございまして。
そして、主に1980〜90年代あたりのノスタルジックな“もの”たちの引用・流用が、そのジャンルの特徴です。
かつなぜかニホンからの題材らが頻出し、よってその時代のアイドルさんたちの、楽曲やイメージたちもまた、しげく利用されています。

なお。付言すれば、そこで男性のアイドルというのは、あまり問題とされていない点が、『推し武道』と重なります。──が、それはさておき。

それで私も、そういうノスタルジアにひたりすぎですから。ゆえに、とくにことわりもなく、ただ《アイドル》と言われましたら、そうした時代のまばゆき高みにあったスターたちを、ついつい思い浮かべます。

ですけど、今21世紀の〈地下アイドル〉って、そんなものじゃないですよね!

──そもそも。歴史的な記念すべき『推し武道』第1話の出だしに、ちゃむの定期ライブの会場へ向かうファンたち……と、始まるエピソードがあります。
そうすると、会場である地下劇場ふきんの路上で、ちゃむのメンバーたち自身が手ずから、呼び込みのチラシを通行人らに配っています。

まあ、アイドルといっても、そのていど──ということです。
だいたいちゃむの活動を見ていますと、その随所に、プロっぽく“なさ”を感じるんですよね。いい意味でも、それ以外でも、まるで学園祭の催しかのような感じがあります。

それで、そうだからこそ。とても〈スター〉などとは呼べないレベルの〈地下アイドル〉たちを、ファンの側からも多少ならず気を使って、むりにでも少しは高みの位置に置こうとするのです。

──ですから。

述べた場面で、ファンたちとアイドルたちが、路上で多少の立ち話におよびますけれど。だがしかし、古参のファンである《くまさ》さんと呼ばれる男性が、割り込みかげんで、その会話を打ち切ります。

なぜならば、アイドルとファンとの関係は、〈形式化〉されなければならないからです。
その形式化がなされなければ、アイドルとファン、という制度化された関係が成りたたなくなってしまいます。
そうすればどうなるかというと、だいたいのところでは、若いお嬢さんにからんでいる中高年のおじさん、というみっともない絵図ができてしまうのです。

──ですから。

ご紹介しましたくまささんは、重要なわき役であり、われらがちゃむのファン一同の、リーダー格です。
そして。あまりはっきり言うことはありませんが、彼は〈形式化が大事、《制度》がたいせつ〉──ということを、強く意識しています。

そして。その《制度》とやらのエッセンスとは、ぶっちゃけた話、〈アイドルとの“接触”には、対価が要る〉ということです。
すなわち! さきに述べたシーンに続き、新参のファンのびみょうな無作法をやんわりとたしなめていく感じで、くまささんいわく──。

お金を出してこその接触/気持ちいいでしょう?
1000円で買う推しの5秒/興奮するでしょう?

解説すればおそらく、千円というお金を出せば、ライブ後の〈握手会〉において、彼の《推し》であるアイドルさんとの5秒間の“接触”が許され、その間に会話をすることもできる、ということでしょう。そこを堂々と追求していくべきなのだ、と。
さらにその金額を積み増して、たとえば1万円なら50秒の接触、といったこともできなくはないようですが……。しかし、高いですね!

なお。いま調べたら弁護士さんの相談料が、一般的かつ大まかな相場で、1時間につき5千〜1万円ほどだそうです。
これも安いという気はしませんが、それにしても〈地下アイドル〉ふぜいとの約1分間が、その高度な専門家との1時間と、同じ価格であるとは……っ!?

ですが、そんな法外とさえ思える“お金を出してこその接触──それこそが、バタイユさんの言われた“蕩尽”めいたスリルと興奮を呼び、かつ、ファンの側の自己肯定感をも、大いに高めるのでしょう。

というのも。

われらのくまささんは、自分の容姿や何かを過剰に卑下するあまり、《制度》の外での女性との“接触”などを、あらかじめ断念してしまっています。
その卑下があまりにも過剰だと、私には思えます──そんなにまでは見苦しい感じでもないし、何かと有能で思いやりのある人なんですけどね!

ですが。ともかくも、はっきり断念してしまっているので……(第5話)。
そこで。きっちりと形式化された“接触”に彼の情熱を注ぎ、それによって心のどこかを満たそうとしているのです。

そして。マネーをきっちりと出し入れしている限りは、この《制度》の中で人々は、セーフティです。

それに対し、形式化されざる制度外の人間関係は──とくに異性間のようなところに注目してみますが──言わば、ノールールの野試合みたいなもので、お互いがセーフティでありません。

そこにおいては、こちらが軽いジャブを意図して繰りだしたモーションが、相手に意外と激甚なダメージを与えてしまうかも知れません。
あるいはそのジャブへのカウンターとして、パンチではないナイフの必殺斬撃が、ザシュッと戻ってきてしまうかも知れません!

むろんそれらは、心理的とか社会的とかの意味において、ですが──いちおうは。

そしてそういうリスクらを、恐れるあまりに……。制度的に〈“推し”を推す〉という活動が、現在のニッポンにあるのではないかと、私は思うんですよね。通常の人間関係もしくは男女関係の、制度化され商業化された、代替で模造の品として。
それがまあ、『推し武道』から私の読みとったことの、ひとつなのです。

──それで。世を広く見たならランクのけっして高くない芸能人もどきを、過剰な高みに見あげて“推して”いくことの前提として、まずそのファンの側の過剰な自己卑下が、あるのでしょう。

この『推し武道』には、ファンの側の主要キャラクターが三人おられまして。ご紹介したえりさん/くまささん、そして《基〔もとい〕》くん。
いずれもりっぱな青年らであるようだと、私には思えるのですが……。

しかし彼らの自己評価が、いちように異様に低いらしいことが、強く印象的です。

〈青年らに特有の、根拠なき自信や全能感〉みたいなものが、かつて、あると言われていましたが……。そういうものが、いま、喪われつつあるのでしょうか?
このさいはっきり言いますと、あたら有為な青年たちの精神力/行動力/経済力などなどが、無為な〈推し〉活動において空費されているのでは──という印象は、見ていて少々あるのです。

ただし。述べたようなリスクもなく、そして対価とサービスの釣りあった(とされる)正当な取り引きの上の遊びですから、それが愉しいのも分かります。

しかも〈推す〉ということばには、あたかもいいことかのようなニュアンスがあるんですよね!
つまり芸能界などの、より高いところを目ざしている《推し》たちを、まさに下から、“推し”上げようとしている感じになるわけで。

だから、自分ではない、人のための〈いいこと〉ではあるまいかとも、錯覚ができるのです。

そういえば……。私もいちじは、少し考えました。作中のファンたちが、《推し》を推すためにものすごいらしい大金を使っているのを見て、〈いっそ本人にちょくせつ渡したほうが、いいんじゃないかな?〉……などと。

しかしいま思えば、ぜんぜん違いますね! たいせつなのは、形式化された制度内のギブ&テイクである、ということです。
かつまた、いちおうは文化的な活動であるというたてまえも重要です。推された結果、《推し》の格が上がるということがいちおうの目的であり、制度外の単なる贈与では、そういう効果がありません。

だいたい……。ちゃむ所属のアイドルたちは、給料やギャラのようなものをちゃんと受けとっているのかどうかも明示されないし、お金のことはあまり気にしていないようです。描かれている限りでは。
まあ、そのメンバーら七名の半分くらいはまだ高校生のようなので、生活費を稼ぐ必要などは薄そうなのですが。

ですが、そのあっさりおっとりした彼女たちも、仲良しですけどグループ内の序列のようなものは、ぜんぜん気にしていないわけでもありません。
そしてそれを上げていくためには、各自のファンからの推しマネーを、集めなくてはなりません。かつ、それもとうぜん形式化されている活動であり、ただ単にお金を求めているのではありません。

──別のマンガで見たのかも知れませんけれど、過剰にホットに推しているファンの人は、〈“推し”が高みに昇っていくための、こやしであれば自分はいい〉、などと言うようです。それと似たようなことは、よくえりさんも言っています。

ゆえにタイトルに言われますように、〈推しが武道館いってくれたら死ぬ〉わけです(第5話)。死んで何かがどうなるとも思えませんけれど、ともあれ《推し》への過剰な評価と、徹底した献身への意気ごみが、そこで言われているのです。

──と、そうした〈自分はどうでもいい〉という、はた目にはかなりふかしぎな自己放棄が、ここにはあるのではないでしょうか?

ただし。過剰に〈“推し”を推して〉いる方々は、その自己を放棄しながらのファン活動によって、逆に、かろうじて自己を保っているようでもあるのです。
自分と並んでいるファンらの中で、自分がもっとも自分を殺しながら《推し》を推しているのでは──という自己認識によりまして、はじめてその自己が、肯定されているようなのです。

そういえば。今作『推し武道』について、その宣伝は、〈現に推すことをがんばっている人々へのエール!〉、くらいを言っている感じです。
なお、また。私はほとんど視ていませんが、今作は、TVのドラマとアニメさらに劇場映画──と、映像化の機会に多く恵まれています。そしてそれぞれの宣伝がまた、そのようなニュアンスのようです。

ですけれど、自分なんかは、そういうタイプのファンではない気がするな……わりに遠い世界の驚くべきお話を、好奇心をもって愉しく眺めているのだ……とばかり、考えていたのですが。

が、しかし。特定のバンド等への執着はあまりないですが、私にしても〈ヴェイパーウェイヴ推し〉なので。その〈地下〉の──アンダーグラウンドな──ポップ音楽をちょっと推している感じですので、そういう部分での共感も、なくはないような気がしてきたんですよね。

ああ、いや、本格派の推しピープルに比べたら、何ひとつはげんでいないですけれど! だがそれにしても、ヴェイパー関係のコミュニティにて少しは存在感を示すことで、やっと自分を保っているような気配は自覚するのです。

👩‍🎤 🎶 🤩

また、なお。《推し》という語は英語では、“fave”という──という説を、どこかで聞いたのですが──。

ですけれど、違うと思うんですよね! 人が誰かのことを、〈お気に入り〉だと呼ぶさいに、その主体はとうぜん自分でしょう。
ところが《推し》という言い方は、そこを転倒させています。むしろ《推し》のほうが主体であって、その尊さがきわまった“もの”を、とうぜんの責務として自分が推させていただく──というような、変質的で倒錯的なニュアンスがあると思われます。

そしてそのような変質的なファン活動は、このニッポン国にしか、ないものなのかも知れません。あるのでしょうか、他の文化圏に──?
そして。そういうものがあってしまっている原因や前提は、むやみと人々の価値を押しさげて、そこに屈辱感と卑屈さのマインドを植えつけていく、このニッポンの社会なのかも知れません。

そして、その無法な価値の押しさげは、何のためなのでしょうか?
人々を安い労働力として使うため、まず人々に、自己卑下や自己放棄が強要されているのではないでしょうか。かの《総資本》なるものの、暗黙の意思により。

なお、そういえば。また別の、いま私が大注目しているマンガ、『劇光仮面』
特撮の方面のいきすぎたコスプレ・マニアたちを描くような物語ですが、その第29話が少々とうとつに、〈地下アイドル〉のことから始まるお話で……()。

そこにて作者・山口貴由先生は、次のようなことをはっきりと、ナレーションの形式で書いておられます。
そのファンである方々が、ダメ人間のド底辺かのように見られ自認するような人々だからこそ、逆に、あるいは相応に、低レベルな〈裏アイドル〉などを推してみることにいやしを感じるのだと……!

ですから。こういう見方に終始してもつまらないわけですが、〈総資本 ─ 階層の上位の“エンタメ”企業体 ─ いわゆる“運営” ─ 地下アイドル ─ ファン層〉の、マネーの循環を実現する、すばらしい《制度》があるな──とも、言えます。

むろん。〈マネーの循環〉などと申しましても、前記の図式の右側にある項らがピラミッドの下層であり、そしてひどい搾取をこうむるシステムです。
──偏見でしょうか? そして人々を〈地下アイドル〉などに喰いつかせるために、総資本の意思と操作が、あらかじめ人々の価値を押しさげるのです。

で、ところで。

私が見ているひとつのブログ、《LWのサイゼリヤ》というところがありまして。書いておられるLWさんが、私の知らない多くのことをよくご存じだなと、いつも感服しています()。
そして──。そのブログにおいては、アニメを視るとかマンガを読むとかいった行為らが、〈コンテンツ消費〉ということばで呼ばれています。

さいしょに見たときその表現を、〈あまりにもドライ!〉……ちと露悪的なのではないか、と感じたことを、すなおに告白いたしましょう。
ですけれど。“たかが”アイドルの追っかけをなすようなことを、何かいいことかのように錯覚させる《制度》のあるところにて、そういうドライな態度/見方の効用もあるな──と、近ごろは感じているのです。

べつに熱烈なファン活動がよくないとも言いたくはなく、しかし。
しかしいいも悪いもない、自分の愉しみのための〈消費〉であるくらいに、ニュートラルに考えたほうがいいのではないでしょうか。

それと。さっき名前だけ出た『推し武道』作中のファンのひとり、基くん……。

そのお仲間であるくまささんなどは、〈地下アイドル〉ファンとしてひとつのお手本であるまでに、その《制度》をきっちりと支持し、ぞんぶんに自分を殺しながら、彼のささやかで大きな愉しみを得ていますけれど……。

しかし基くんは、そんな解脱に近い境地になどは、いたっていません。

彼のようなファンのあり方を、〈リア恋勢〉と呼ぶそうなのですが──(第5話)。基くんはちゃむのメンバーのひとり《空音〔そらね〕》さんに、リアルの本気で恋着しているのです。
さらには、できることなら男女としてつきあいたい、結婚したい、とさえ考えています。

ですが。その想いを、はっきりと態度に出し、そして行動にまで移したならば、彼と彼女らを引きあわせながら引きはなしている《制度》が、そこで崩壊してしまうでしょう。
ゆえに基くんは、そういうことに、踏みきれません。

ですが。私は、その行動に踏みきったほうがいいのではなかろうか──と、感じているのです。

──ああ、そのいわゆる〈地下アイドル〉のシーンの内部的には、ファンがアイドルとの私的な交際を求めるなどは、完ぺきイリーガルでしょう。それはそう。
ですけれどその大きな外側の、広い人間社会、悠久の歴史、そして限られた生命の刻〔とき〕……くらいの尺度で見たときに、やりたいことならチャレンジしたほうがいい、と思えるんですよね。ストーカー犯罪者かのようには、ならない限りにおいて。

とはいえ──。

このマンガの登場人物らの中で私は、基くんに対して、まあ、もっとも共感できるところがあるのですけれど。
ですが、しかし。

ですがしかし、このマンガをユニークで面白い物語にしているのは、私がまったく共感も理解もできない──〈“推し”のためなら死ねる!〉みたいな奇矯きわまることをはばかりなく申され、じっさいにその生活のほとんどを《推し》にささげている、えりさんの存在なんですよね。
──それはもう、実に明らかに!

そんなおかしい人を、あるかのように描き、そういう人が世にいないこともないことを明らかにした──。これが、すごいでしょう?
もし、そうでなく。今作『推し武道』が基くんのお話だったなら、それこそざらにあり、あったような物語にしか、なっていなかったでしょう。おお!

で、そうして基くんが、今後どうするというのか……。いや別にどういう決断もしないまま、ということも考えられるのですが……。
……で、ここまで長らく愉しませていただいた『推し武道』も、そろそろ物語の終わりが、見えてきた気がしているんですよね。

というのは。ちゃむのリーダーで不動の人気No.1であった《れお》さんが、グループから、〈卒業〉しようとしているからです(第52話)。
それでれおさんをずっと強く推してきたくまささんは、そうなれば自分はアイドルファンであることを辞めるだろうと、嘆きに嘆いています(第53話)。

そうして。現在(2023年7月)の最新エピソードである第54話では、他のちゃむメンバーたちに強く引きとめられつつも、れおさんが、その〈卒業〉への決意の固さを語っています。

このマンガを眺めている私をも含め、われらの《Cham Jam》とともにある人々の、とても愉しい時間が過ごされてきましたが……。
しかしそうした愉しいときが、いつまでも続くものではないと、つらい現実がここに提示されているのです。

で、これが今作のエピローグの始まりなのかな……と、観測しているのですが。

ただし。私の予想や予測らは当たらなくて有名なので、ポストれおさん時代のちゃむの物語がさらに続いたとしても、さほどの驚きはありません!

👩‍🎤 🎶 🤩

──などと──。『推し武道』を拝見してきての〈感想〉を、まあ実に長々と、書きつらねてしまってまいりました。
ここまでをご高覧の皆さまには、深く心からお礼を申しあげないわけにはいきません。ありがとうございます。

……ですけれど、しかし。『推し武道』およびその周辺の話題については、まだ書きたりない想いがあるんですよね!

そのいちばんの心残りは……。フロイトさんの名著、『集団心理学と自我の分析』(1921)──これには、集団としてのファン(ミーハーさん)の心理を分析しているような一節が、あるのです。その卓見を、ぜひともご紹介しておきたかったのです。

そういうところもありまして、皆さまのご要望があろうとなかろうと、いずれこれの続編めいた記事を書きそうな気がしています。
そのせつには、ぜひよろしくお願いいたします!

それと、あとりっぱな蛇足なのですが。『推し武道』をきっかけに知ることとなった、〈地下アイドル〉かいわいの用語らについて。

その世界で言われているらしい、〈メンカラー〉だとか〈キンブレ〉だとか〈推し変〉だとか……。そのへんは──びっくりするような奇妙な語らではありつつも──まあ、分かります。説明を聞いたならば。

ああ、それと! いま本編を見ていたらその第1話に、〈鍵開け〉という異様きわまる隠語が、そっと出ていました。
あまり気をつけて見ていなかったようで、驚きました。

そこでいま調べたら、〈鍵開け〉とは、〈握手会〉での一番乗りを言うようです。逆にそのラストが、〈鍵閉め〉です。

だが、ですけれど、しかし。

他でも言われているようなことば──わりに一般的であるようなことばらが、何か独特な意味で使われている──。
そういう用語のいくつかについて、やや受けいれにくいものを感じた──ということを、いま述べたいのです。

そして。そういうものの第一は、今作の大前提にさえもなっているような、〈地下アイドル〉という語です。
とは。あえて〈地下〉だと形容するのなら、そもそも地上には出ようがないような性格や内容のあるものが、地下──アンダーグラウンドのポップ音楽だと思うからです。

そのとうぜんにして文字通りに永遠のお手本であり典型であるのは、かのヴェルヴェット・アンダーグラウンドです。

その演奏自体にいまだ破格でエクストリームだと感じられるところが多く、しかも唄らのモチーフで印象的なものが、ヘビー・ドラッグ/ビザールな性行動/バイオレンス、等々々……と、きていました。
そんなんでエド・サリバン・ショーに出演できるわけもなく、また、マジソン・スクエア・ガーデンあたりでライブができる見込みもありませんでした。ゆえに、大した〈地下〉のロックバンドで、あり続けているのです。

──あと、そういえば。ご覧のブログのタイトルもいま現在、《エッコ チェンバー “地下”》ですが。
──これは。そのメインの題材であるヴェイパーウェイヴという音楽めいたサウンドが、おおむね著作権無視の無断サンプリングからできているので、やはり堂々とおもての舞台では活動しにくいから、等々です。

で、そのいっぽうの、ちゃむはどうでしょうか?

そのパフォーマンス等にいかがわしいところがあるでもなく、また武道館という晴れの舞台を目ざし、かつテレビなどにもぜひ出演したい意向のようです。
それらのことは別にいいのですけれど、しかし何ら世間をはばかるようなところのないグループに、〈地下〉の……という形容詞は、似合いません。

──けれど、まあ。

それを実情に合わせて正確に、ローカルにしてマイナーなアイドルだと言いきってしまっては、あまりカッコよくはない……。
ゆえに、おかしいとも思えますが〈地下アイドル〉と呼称されていることを、大目に見なければならないのでしょう。

それと、もうひとつ。そうした〈地下アイドル〉たちのファンである方たちが、作中で〈オタク〉と呼ばれ、またそれを自称しています。

たとえば作中のえりさんは、舞菜さんという《推し》に対してのオタクである──と、いうように。またそのことを略して〈えりぴよは“舞菜オタ”〉、などと言われます。
さらには、アイドルらの中でも口にえんりょのない少女らは、楽屋あたりでファンたちを、こっそりと〈オタク〉呼ばわりしています!!(第15話など)。

そして〈オタク〉なる語のこういう用法は、現実の世界のアイドルかいわいにも、ほぼ同じようにあるらしいのですが。しかし。

そこらで私は、〈狭く特定された対象に対する、きわめて熱烈で忠誠心の篤いファン〉を、〈オタク〉と呼びかえてしまうことに、いささか反発を感じるのです。

なぜならば。私の思うオタクとは、対象である領域について、広く浅くカタログ的な知識らを漁り、かつそれらをむだにウダウダとご披露したがり──しかも、かってな思い込みを半分くらい混じえ──。
そしてわけ知りのギョーカイ通を気どり、へんに評論家めいた口を利くようなやから──で、あるからです。

ああ、いや。もちろん、それを言っている私にも、実にそういうところがあるわけですが! デュフフフ……。

かつまた。いま申しあげたような純ナマのオタクさんたちが、シーンの中には、いないこともないようですけれど。
しかし、ファンの側でスポットの当たっているえりさんら三人には、そういう性質が、ほとんどありません。

けれど、まあ……。オタクであったり〈おたく〉と書かれたりもすることば、その、“本来の意味”とは……? そのところから、まったく議論のつきていないところでも、ありますし……?
それこれの、ゆえに。現に言われているらしいアイドル系用語である〈オタク〉を、ひとまずは〈事実〉として、受けいれなければならないのでしょうか。


平尾アウリ『推しが武道館いってくれたら死ぬ』
"If My Favorite Pop Idol Made It to the Budokan, I Would Die" - manga by Auri Hirao (2015 - present)

[sum-up in ԑngłiꙅh]
Many people are probably aware of the existence of a type of entertainer known as "idols" in Japan's entertainment culture.
However, it may not be widely known that there is a subordinate type of idols known as "underground idols".

……Right! They are called "underground" idols to emphasize that they are "not widely known".

Well, these underground idols are also, somewhat, professional idols. And most of them are girl groups.

However, they rarely appear on TV or perform in large venues. They are minor.
Conversely, if a group is performing at such a high level, they are no longer "underground" idols!

Also, there are many groups that are rooted in various parts of Japan and are active locally. And because Japan is culturally so centralized, many of these local groups are aiming to make their way to Tokyo. But the road is long and far.

And in underground idol scene, there is also a unique service, called "contact/touching". Fans who buy the group's merchandise are allowed to shake hands and exchange a few words with the idol at a "handshake session" held after live performances. This is "contact".

The "contact" is extremely limited in time, and in the case depicted in the manga, it is roughly 5 seconds for every 1,000 yen (14 US$ now). Expensive!
However. If you spend more, you will be allowed longer "contact" depending on the amount. And it is reported that there are many lonely middle-aged or older males who go to the events, looking forward to such "contact" with their idols more than anything else.

And the manga "If My Favorite Pop Idol Made It to the Budokan, I Would Die" (Oshi ga Budokan Ittekuretara Shinu/abbr. Oshi-Budo) depicts the scene between underground idols and their fans, as described above. The girl group is "Cham Jam", based in Okayama, western Japan.

BTW, Budokan is a huge and prestigious venue in Tokyo, where The Beatles also played. Most Japanese commercial musicians, not only idols, aim to perform there.

And it should be noted that more than half of this manga is about the fans' side of the story.

There have probably been several manga depicting underground idols before this one. However, this seems to be the first manga that clearly depicts the endearing and inexplicable craziness of these fans, who are so passionately devoted to the minor idols mentioned above, and who lavishly spend their meager money on them.
And for that, "Oshi-Budo" has succeeded in drawing great surprise and sympathy from the public.

And. Let me explain a little about the strange word "Oshi" in the title of this manga.

In Japan today, people who are extremely ardent fans of "something", not limited to underground idols, call the object of their adoration and worship "Oshi".
This "Oshi" is a new Japanese word that appeared at most 10 years ago. At the time this manga series "Oshi-Budo" began, it was a novel term that was still unknown to the public.

The word "推し/Oshi" is a derivative of the Japanese verb "推す/osu", which means "to recommend" or "to promote".
Hence. Fans recommend "Oshi", the objects of their adoration, to others. Also, they ardently promote the elevation of the object to a higher status.

And. In order to raise the status of the object, it is simply effective to increase the amount of sales of "Oshi", which are some kind of commodity or commercial existence. Therefore, it is said that there are people who are willing to spend unthinkable amounts of money for the sake of "Oshi".

BTW, there is a theory that the English translation of the Japanese word "Oshi" is "fave". However, I do not agree with this theory.

Because! The existence referred to by the word "Oshi" transcends the fact that it is an object "to be liked/fave-ed".
For those who are fans of "Oshi", "Oshi" just is considered the subject and the center of the whole world. So they say extremely perverse things, like "I can spend my money for my Oshi, and I'm so much grateful for that!!".

This very strange way of being a fan is unique to Japan, isn't it? I think so.

And. I suspect that the self-deprecating attitude of the fans in front of their "Oshi" may have originated from their excessive self-deprecation before that.

For example, all of the ardent fans who appear in "Oshi-Budo" manga series have extremely low self-esteem. In spite of the fact that, from my point of view, each of them is a rather respectable young person.
On the side of the fans, in this manga, there are three main characters. And all of them are non-regular workers, and all of them spend a large part of their not-so-much income on "Oshi".

Some say that it is because they are such socially vulnerable people that they are attracted to the "underground idols", the weakest link in the entertainment world. It seems to me that this is true to a certain extent.

In my opinion, there is a tendency of Japanese society and culture that imposes self-deprecation and servility on people. Is it because there is the morality of Eastern culture "humility is a virtue"? Moreover, such self-deprecation matches very well with the will and interest of "gross capital" to use people as cheap labor!

And. Fans who worship "Oshi" to the end show a strange self-abandonment attitude that they don't care what happens to themselves as long as the rank of "Oshi" rises. It the extreme!

No, rather. Fans who worship their "Oshi" to the hilt may cling to their "Oshi" in order to somehow counteract their painful feelings of self-deprecation and self-denial. They think that as long as they ardently support their "Oshi" which is extremely precious, they are worthy of existing in this world.

I think it is quite strange, but there are such people in Japan today. It is said that the number of such people who worship "Oshi" and renounce themselves is increasing day by day.

And the manga "Oshi-Budo" freshly and realistically depicts this new "Oshi" phenomenon, while comically and lyrically describing the joys and sorrows within it. I consider it a wonderful work!

著作権/ディズニー/WOKE/米・共和党…そして、ヴェイパーウェイヴ

《まえがき》

以下の記事の内容は、おおむねディズニー社とかへのディス──悪口です。

しかし、ある時点で、ふと思いました。〈このブログとしては、少しむりにでも、具体的な音楽の話を盛り込んでいくべき〉……と。

それで。ひとまず、ディズニー関係の何かを素材としたヴェイパーウェイヴを、探したりしてみてみました。
ところが意外に、その量が少なくて。

もっとこう、あの「ミッキーマウス・マーチ」や「星に願いを」等々を、グッチャグチャにグリッチさせてるような過激なのが、あるかと期待していたんですが……。
ことによったら、そういうのは、ブレイクコア等の関連ジャンルにあるのかも知れませんが!

──で、それで。記事内容との関係は少し薄いのですが、ぜひおすすめしたいのが、《modest by default》による作品らです()。
これはアルゼンチンの人によるとされ、そのまた別のユニット名は《GENDEMA》です()。

このモデストさんの作品ら、聞いた感じはほんとうに、こころよくソフトでメロウなジャジー・ヴェイパーであり、かつバーバー・ビーツ(理髪店ビート)です()。
ところが。そのアルバム・アートおよびことば的な要素らを見れば、そこには《反・帝国主義新植民地主義》というテーマがありそう、としか思えません。

そして。その(ありそうと想定された)テーマに対し、モデストさんのやさしいサウンドたちは、どういう関係があるのでしょうか?
うまい説明はできませんが、こうした〈相反するかのような“もの”らの併置〉ということが、ヴェイパーウェイヴのレパートリーのひとつであるのは確かです。

🐭 🇺🇸 💥

ヴェイパーウェイヴの徒である私たちの、合いことば。
それは実に、もうご存じのように……()。

サンプリングは神/著作権はジョーク

そしてこのことを、私どもが口先でさえずっているのみならず、現実にそれをしなければならないでしょう! イェイッ。

ところで。著作権などというものが、ただたんに“ある”、それだけではなく。
その鉄鎖の拘束が、20世紀から現在までずっと、世界的により厳しくなるよう強制されつづけていることも、おそらく皆さんはご存じでしょう。

その腐りきった一連の反動政策を、不潔きわまる利権操作でウラから表から主導・誘導してきたのが、米ディズニー社──とは、きわめて広く言われていることですよ。
何せミッキーマウス保護法》などという、きわめて腹立たしいことばさえ、世にまかり通っているほどで()。

いやはや! 〈著作権はジョーク〉にしても、バッド・ジョークでありすぎですね!!

──と、それはそうであって、有罪確定なのですが。

ですが、そのいっぽうで。
とうとつな話題転換のようですが──。“WOKE”という、たまに目にする、英語らしきことば……()。

この“WOKE”とは、何を言うのでしょうか?

雑すぎる説明をあえてすれば、いま“WOKE”という語は、まず反人種差別・フェミニズム・“LGBT+”、等々のような〈ポリコレ〉関係──さらには“SDGs”、格差の緩和、そして環境保護や肉食廃止──などなどを、強く……ときとして過激に、主張する人や組織をさしているようです。

ことば本来の意味は、〈目ざめてある〉ということでしょう。
それが転じて、人種的自覚、マイノリティの自覚、不平等のあることの認識……といったことを指すキャッチフレーズとなったのが、古くも1930年代のことだそうです。
また、そのWOKE的な関心や志向らなどを指して、“WOKENESS”という呼び方もされるようです。

そしてその語がこの3〜4年くらいの間に、なぜか悪口や皮肉として、使われるようになっているんですよね!
〈お意識が、まあ、高くていらっしゃる〉……くらいの意味でとか、あるいはもっとひどいニュアンスでとか!

ということなので、いまWOKEは、うかつには言えないことばです。
ですけどしかし、さまざまな社会的思潮やら運動やらを、雑にでもまとめてしまっているところに、イヤな使いやすさがあります!

それでつい、私も……ですが。できるだけニュートラルな意味で、このWOKEなる語を、言おうとしているとお考えくだされば。

そして、お話がディズニー社のことに戻りまして。

もうかなり前からのようですが、近年のディズニー社の製作物たちの内容に、WOKEっぽさが目だっている感じではあります。
はっきり言うなら米帝覇権支配のプロパガンダ企業でしかアレはないと、ずっと思っていたのですが……。それが……。

その、ひとつの大きな変わりめと見なされるのは、1992年の『アラジン』で、有色人種の勇敢なヒロインが描かれたことであるようです。

で、それから……。引きつづき有色人種をヒロインやヒーローにすえ、また意思が強くアクティブな女性像を描き、はたまたチラリとしても同性愛の要素を盛りこむ……等々々……。
視てはいないからよく存じませんけれど、そういうポリコレ風でWOKEめいた製品らを、この業者は少なくなく、出荷してきたようです。

どうせ視ないけれど、まあ、それはいいんじゃないでしょうか? 偏見にまみれた差別的な作品らを販売しくさるよりは。
てのも。私にしたところが、まあちょっとはWOKEに、かすっているような生き物ですからね!

と、そんなことらを少し気にしたりしているのも──。

いま2023年・最新のようなディズニー映画『リトル・マーメイド』が、ヒロイン役にアフロ・アメリカンの女性をキャスティングしたことが、あちこちで、いちじ話題になったからなのです。
そして、そのことを不自然である、受けいれがたい──などと感じている人も、おられなくないようなんですけれど。

ですけど、しかし。たとえばこのニッポン国にて『人魚姫』が映画化されたとして、ですよ。
それを外国の方々から、〈イエローモンキーでモンゴロイドのジャップ女優が北欧のゲルマン的な人魚姫を演じるのは、グロテスク!!〉──とでもそしられたら、いかが感じましょうか?

どうせエンターテインメントでしかないんだとすれば、“誰か”がそれを娯しんでいるならば、まあそれでいいわけでしょう。

で、そんなことよりも。
私としては、この『リトル・マーメイド』が、かの偉大なアンデルセンさんによる原作『人魚姫』(1837)のエンディングを、大きく変えてしまっていることが、不快ですね! 視てはいないですが、どうもそうらしいんです!(

と、そのようにして。著作権の圧迫強化にまい進するクソ企業が、いっぽうではパブリックドメインである著作物に喰らいついて営利を追求、しかも原作の尊厳を堂々とじゅうりんし、まったくかえりみもしない。

これぞ、まさしく……!
──と、それはそうであって、有罪確定なのですが。

それでですね、近年のトレンドにこういうことが……。
かくてWOKEめいたポーズをちょっと示しがちなディズニー社に対し、米・共和党とその構成員たちが、なかなか強い対立姿勢を打ちだしているそうなのです。

《文化戦争》──Culture War──ということばが、ありまして()。

アメリカにおいては新旧の価値観の対立が、たとえば銃規制や妊娠中絶の可否、さもなくば進化論や同性愛への賛否、等々々を争点とし、おおむね民主党共和党の対立というかたちで、長らく争われつづけています。
引きつづいているこの争いが、《文化戦争》と呼ばれているそうです。

そしてそれが、議会や選挙などを戦場としての争いにとどまらず、公共空間およびインターネット等の言論空間において、動員された大衆によっても、闘われるようになってきた──その質の変化が1990年代からであろうかと、指摘されているようです。

そして。その文化戦争の激化にともない、いわゆる“BLM”っぽいとか、また“LGBT+”くさくもなっているディズニー社が、おおむね反・WOKEだと言える米・共和党の、攻撃の対象になりつつあるようなのです。

その攻撃の、たとえばひとつは、在フロリダのディズニーワールドに対して州政府が与えてきた、もろもろの大きな特権らの廃止であるそうです。2023年6月から、そうなっているですとか()。

まあそんなのは、別にいいでしょう。米帝とディズニー社の歴史的な汚らしい癒着ポイントに、ちょっとまたスポットが当てなおされただけと、この件は考えられます。

ですが──こちらのニュースは約一年前で、やや古い話なんですが──()。

その共和党が別口のディズニー攻撃として、私たちの憎悪してやまぬ、あの《ミッキーマウス保護法》の廃止を画策している……と知って、私はちょっと絶句したんですよね!

──そうであるなら、〈敵の敵は味方〉であろうとか考えて私たちヴェイパーの徒は、共和党を応援するほうにでも、まわったほうがいいのでしょうか!?

──しかし、そんな気も、しないです。多少くらいはWOKEっぽいほうかなと、自覚する私におきましては。

また、だいたいのところ。そんなにもディズニー社の営業方針がWOKEだというなら、もっと深く、反コロニアリズムのところまで踏みこんだらいいのではないでしょうか。

かつまた。BLMめいた立場から見ても、あの『リトル・マーメイド』でなされていることにつき、全面的に協賛できるものでしょうか? 人種間の相克はもはやなく、その融和がすでにあるかのような幻想を、描きだしていないか……とも思われるのですが!

そんなところが、しょせんは米帝の走狗のディズニー社でしかないんですよね。あいかわらずです。

つまりはどうにも選ばれた私たちが、まずはアートの深みと幅の追求をなしながら、著作権の過剰な保護とも闘い、そしてよりよい世界を構想していくのです。


Copyright/Disney Co./WOKE/US Republican…and Vaporwave

[sum-up in ԑngłiꙅh]
SAMPLING IS GOD/COPYRIGHT IS JOKE

We, people of Vaporwave, strongly oppose Disney Co., an apostle of American imperialism, and its policy of excessive copyright protection, which is a means of stealthily pursuing its interests. Such a thing is obvious.

However. The fact that Disney's recent products half-heartedly hint at BLM and LGBT+ and produce a so-called "WOKE" feeling - It is laughable, but also difficult to deny it completely.
After all, what cannot be denied is political correctness.

And in the past few years, the US Republican Party, which is anti-WOKE, has been showing a hostile stance against such Disney's tendency.
And when I heard that one of the menu items of the Republican's attack on Disney was to nullify the exorbitant copyright extension of the worst infamous "Mickey Mouse Protection Act", I couldn't help but smile wryly.

Me - I'm a Nipponese anyway, so it doesn't matter to support the US Republicans or not, but that doesn't make me feel any better about them.

In other words, we, the chosen ones, will first pursue the depth and breadth of art, and fight against excessive copyright protection, and envision a better world.

身分けの前の、こと分け - ヴェイパーウェイヴのサブジャンル&関連用語たち

ヴェイパーウェイヴの関連で言われている新語やチン語ら、そのご説明です!
気になる項目を拾い読みなさるも可、また上から順にご高覧なされてもよろしいかと?

《見出し語の一覧》
[1. 基本的なヴェイパーウェイヴ用語🏛]Vaporwave, ヴェイパーウェイヴ | Chopped and Screwed, チョップド&スクリュード | Slow Down, スローダウン | Chillwave, チルウェイヴ | Eccojams, エコージャムズ | Plunderphonics, プランダーフォニックス | Muzak, ミューザック | Aesthetics, エセティクス(美学)
[2. 初期からのサブジャンル🐬]Hypnagogic Drift, ヒプナガジック・ドリフト | Utopian Virtual, ユートピアン・バーチャル | Segahaze, セガヘイズ | Mallsoft / Mallwave, モールソフト / モールウェイヴ | Late Night Lo-Fi, レイトナイト・ローファイ | Vapornoise, ヴェイパーノイズ | Signalwave / Broken Transmission, シグナルウェイヴ / ブロークン・トランスミッション | Computer Gaze, コンピュータゲイズ | Future Funk, フューチャーファンク | Vaportrap, ヴェイパートラップ | Vapormeme, ヴェイパーミーム
[3. やや新しいサブジャンル🆕]Ambient Vapor, アンビエント・ヴェイパー | Slushwave, スラッシュウェイヴ | Hardvapour, ハードヴェイパー | Dreampunk, ドリームパンク | Classic Vapor, クラシックヴェイパー | Vaporhop, ヴェイパーホップ | Barber Beats, バーバー・ビーツ | Dreamtone, ドリームトーン | Hushwave, ハッシュウェイヴ

なお以下のテクストのうち〈【】〉で囲まれた部分は引用であり、特記がなければ《Last.fmWikiの英文をグーグル翻訳したもの。執筆者の皆さまに感謝。
[初稿]:2020/04/16 / [最終更新]:2023/07/15 / [更新ヒストリー]:⤵️

1. 基本的なヴェイパーウェイヴ用語🏛

《Vaporwave, ヴェイパーウェイヴ》

【コンピューターソフトウェアを使用して、オーディオの残骸やゴミの音楽からサウンドを再構築する、インターネット上の少数のアーティストで構成されるジャンル。
〔中略〕ポピュラー音楽のサンプリングと1980年代/90年代のテレビ広告、ループ、スローダウン、ピッチ変更、およびチョップアンドスクリュー効果を多用しています。
このジャンルの名前は、ベーパーウェア(市場での発売(「煙を売る」)を意図していないコンピューター製品の軽蔑的な用語であり、蒸気の遠方への言及を表すものです。】
図の作品、Macintosh Plus“Floral Shoppe”(2011)。これがいったい“何”であるかについては、いずれ別稿にて。

《Chopped and Screwed, チョップド&スクリュード》

【チョップドアンドスクリュード(スクリュードアンドチョップド、スローアンドスローとも呼ばれる)は、1990年代初頭にヒューストンのヒップホップシーンで発展したヒップホップミュージックをリミックスする手法です。
これは、テンポを1分あたり60〜70の4分音符のビートに減速し、ビートのスキップ、レコードのスクラッチ、停止時間、および音楽の一部に影響を与えて「切り刻んだ」バージョンの オリジナル。】
この項目は、英ウィキペディアより。そういう手法が陰湿なエレクトロニック系に持ち込まれ、そしてついついヴェイパーウェイヴが誕生しちゃった気配。
図は、DJ Screw “The Legend”(2001)。2000年に他界したDJスクリュー、この技法の発明者、その遺作集。

《Slow Down, スローダウン》

音声サンプルのスピードを変えるにさいし、1990年代半ば以降のデジタルサンプラーは、“ピッチは維持してテンポだけ変える”という機能を持つ。一般ポップのリミックス作業などでは、これが重用されてきた。同様の操作が、いまではPC用の軽いソフトでも可能。
ところがヴェイパー式のスローダウンは基本的に、テンポもろともピッチを落とす。45回転のレコードを33で再生みたいな、原始的な響きを平気でタレ流す。
なぜそんな風であるかというと、そのマヌケな響きへの偏執的愛着、ユルさダルさへの希求、上記のDJスクリューらの影響、かつ全般に、こぎれいなサウンドへの抵抗、ローファイ志向、等々々。
そしてもうひとつ、近ごろ思うのは、ヴェイパーは音声らをスローダウンする/《ポップアート》は素材のイメージらを拡大使用する──それらの並行性。

《Chillwave, チルウェイヴ》

【チルウェーブ「1980年代のシンセポップとドリームポップの出会い」(Glo-Fiと呼ばれることもあります)は、アーティストがエフェクト処理、シンセサイザー、ループ、サンプリング、シンプルなメロディラインを備えた重度にフィルタリングされたボーカルを多用することで特徴付けられる音楽のジャンルです。
〈中略〉New York TimesのJon Parelesはこのように音楽を説明しました。そしてしばしば弱いリードボイス)。それは、不況時代の音楽です。低予算で踊れます。」】
チルウェイヴはヴェイパーの前身、またはきわめて関連が深いジャンルと見なされている。図は、Washed Out“Life Of Leisure”(2009)。これがチルウェイヴの代表的傑作アルバムと言われ、なるほど眠さにヴェイパー感がなくもない。

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《Eccojams, エコージャムズ》

【Eccojamsは、電子音楽テクニックの一種として始まったVaporwaveのサブジャンルです。 Oneohtrix PointのパイオニアエイリアスChuck Personを使用することはありません。通常はキッチュな値の古いポップソングを使用し、ディレイ、グリッチ、リバーブなどの手法を使用してそれらを再構築して新しい音楽を作成します。】
図は、Chuck Person's Eccojams Vol. 1(2010)、ヴェイパーの手法とセンスを決定づけた先駆的作品。
……たんにそのサウンドが、快く好ましいだけではなく。既成の古いポップ曲らをローファイ化・断片化しながら反復、さらにエコー(ディレイ)をも用いて反復を重ねる、そんなことにどういう《意味》があるのか──、それを考えさせられ続ける。

ところで筆者は、このヴェイパーの最重要キーワードEccoについて、〈“エコ”ロジーみたいなニュアンスがあるのでは?〉と、ずっと長らく考えていた。
この“Ecco”なる語は、まずビデオゲームの『エコー・ザ・ドルフィン』(1993)のイルカくんに由来し、かつ反響のエコーをも言っている。──そこまでは、確実。
しかしイルカという動物は、広く一般に、〈エコロジー使徒〉として見られてもいる。かつまたヴェイパーは、古いサウンド資源らを再利用する、アートのエコ活動でもある──ゆえに。
──ということで識者らにツイッターでご意見を求めたら、〈それはありそう〉というポジティブな反応らをいただけたことを、記しておく()。

《Plunderphonics, プランダーフォニックス

現代音楽の作曲家(もしくはメディア・アーティスト)であるジョン・オズワルドが、1985年に提唱した概念。訳すれば《略奪音楽》、もしくは盗用サウンド
そういうものとしてのヴェイパーウェイヴ、その最大の影響源は、DJスクリューらのヒップホップだといちおう考えられる。
しかしヴェイパーの発展(!?)とともに、素材らをちょっとローファイ化しただけのタレ流し/現代音楽めいたアプローチ/頼まれもしないリミックス(リエディット)──、などと、盗用&略奪の手口らは多様化している。

《Muzak, ミューザック》

“Muzak”、ムザック、ミューザックとは、あらかじめショッピングセンターやオフィス等のBGMとして作られた、安もの音楽。
もともとはミューザック社の商標であり、またエレベーター・ミュージック、あるいはパイプ・ミュージック(Pipe Music)、等々とさまざまな呼び方がある。その歴史は意外と異様に古く、1920年代には誕生していたとか()。
なお、次の記事をも参照されたし()。このイーノさん関連の記事にもチラッと出ている話だが、ミューザックとは単なる安いBGMではなく、《人を操作しようという音楽》だ。ショップの店頭では購買意欲を高め、オフィスにおいては勤労への意欲を高め……と。
だがそんなにまでは強い効果がないので、ごあいきょうで通っているばかり。そのあいきょうの部分をすくい上げているのが、われわれの“モールソフト”なのだろうか。
で、そうかと思えば音楽には、もともと人を操作しようという側面がある。行進曲は歩きを促し、軍歌の類は殺人と破壊への意欲を高め、ラヴソングの類は性交への衝動を促進し……等々々。そして逆に、そうした音楽の原罪である《操作》の側面をなくそうということが、イーノさん発案のコンセプト《アンビエント》の、きわまりなき崇高さ。
それで図は、ミューザックの社内的な1985年にダビングされたオープンリール・テープのデジタイズであるらしく、全16トラックで演奏時間が24時間超(!)というしろもの。まずはこれを聞いてみよう!

《Aesthetics, エセティクス(美学)》
Aesthetics, エセティクス, 美学

アカデミックな“美学”とは、異なる。細かく言うなら、《21世紀のインターネット美学》。
あるいは、いまの英語のネット用語として、サブカルチャー内での「これヤバくねェ? イケてない?」みたいな趣向やセンスらが、「《美学》!」と呼ばれるもよう。
そしてそういう趣向の中で大きな要素らだと見られるのが、なぜか1980年代めいたグラフィックや風俗やサウンドWindows95以前のヴィンテージPCら、スーパーファミコンメガドライブ、およびそうした20世紀末のニッポン文化のあれこれ。
……つまりヴェイパーウェイヴのテイストなのである、なぜか。

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2. 初期からのサブジャンル🐬

《Hypnagogic Drift, ヒプナガジック・ドリフト》

【蒸気波の最も初期の形態の1つである催眠ドリフトは、他のサブジャンルよりも夢のようなもので、奇妙なサンプルから奇妙な催眠雰囲気を作り出し、時々アンビエントと境界を接するドリフト形式の音楽を作成します。
最初のアルバムHologramsのリリース以来、このスタイルの進化がありましたが、骨架的はこのスタイルの最初のパイオニアです。それは間違いなく、奇妙で刺激的なイメージを使用して音楽のシュルレアリスムを強調〈後略〉。】
近ごろはそんなに言われないキーワード。なお、“Hypnagogic Pop”という似たような語もあるが、それは一般的にチルウェイヴの唄モノのこと。
図は、上の文中でも言及された、骨架的(骷)“Holograms”(2010)。傑作!

《Utopian Virtual, ユートピアン・バーチャル》

【James FerraroのFar Side Virtualはproto-vaporwaveと見なされている人もいますが、アルバムへの初期の概念に対する影響は、関連付けによって独自のサブジャンルを生み出すようになり、今ではアルバム自体がvaporwaveと見なされる必要があります。
ユートピアの仮想音楽は、一般的にムザックを使用して、近未来的なユートピアの感覚を作り出しますが、一部の作品には不吉な偽ユートピアの響きがあります。】
高尚なりくつを別にすると、現在このユートピアン・バーチャルは、主にシンセをチャラチャラと鳴らしたお調子のいいヴェイパーをそう呼ぶことが多い気味。
図は、ユートピアン系の元祖と目される、James Ferraro“Far Side Virtual”(2011)。このアルバムとその性格については、次の記事を参考にされたい()。

《Segahaze, セガヘイズ》

ビデオゲームらのサウンドやムードなどは、最初期からのヴェイパーの重要な題材。そしてなぜなのかセガ・ブランドへの固執や偏愛があり、その要素の目だつものが、セガヘイズと呼ばれていた()。
……ただし、そういう言い方があった、くらいの話。こんにちのヴェイパー・ファンが、このセガヘイズという語を目にすることは、実にごくまれかと。
だがいっぽう、ゲームっぽさの濃いヴェイパーを呼ぶサブジャンル名が、何か他に生じているわけでもなさげ。ゆえに、ここにも参考のため記載。
そして図は、気鋭の新レーベル“Mossy Frog Tapes”からの2022年、ゲーム系オムニバス。これの題材もセガ製品なので、セガヘイズ復興のきっかけになるかっ…!?

《Mallsoft / Mallwave, モールソフト / モールウェイヴ》

【モールウェーブ(Mallsoftとも呼ばれます)は、ショッピングセンターのイメージと、ショッピングモールで聞こえる匿名のソフトロックムザックのリミックスを使用して、ノスタルジアを引き出すことを目的としたVaporwave音楽のサブジャンルです。】
この項目は、Aesthetics Wikiより。ようはスーパーのBGMをことさらに聞くという態度に始まり、そして雑踏のモヤモヤとしたふんいきを付け加えていく。
図は、식료품groceries“슈퍼마켓Yes! We’re Open”(2014)。サンブリーチのレビューで最高レベルの評価に輝いた、モールソフトの歴史的傑作。

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《Late Night Lo-Fi, レイトナイト・ローファイ》

【Late Night Lo-Fiは、eccojamsと90年代のユートピア様式の蒸気波のレトロフューチュリズム(参照:ユートピア仮想および偽ユートピア)からサンプリングするという考えを取り入れていますが、それを新しい政治的な光の中で提示します。
それは、明るい光の感覚、ブルージーな感じの大都会の夜の作成に、より関心があります。この絵を描くために、80年代の音楽と滑らかなジャズを多用しています。】
図は、ロフィ騎手“深夜のニュースを待っています ボリューム3ー衛星に接続する”(2020)。別に歴史的な名作っていうわけでもないけど、自分がコレをすごく好き。このシリーズの前作らもオススメ!

《Vapornoise, ヴェイパーノイズ》

【ベーパーノイズは、極端な細断性と過度に攻撃的な生産を特徴とする、研磨性のある蒸気波です。
ベーパーノイズは、マイクロサンプリング、ディストーション、静的および極端なサウンド操作を使用して、元のサンプルを認識できないようにします。
蒸気騒音の2つの素晴らしい例は次のとおりです。
  世界から解放され by 新しいデラックスライフ
  Y. 2089 by テレビ体験】
この項目は、mMratnimiat氏のRedditへの投稿より。図は、テレビ体験“Y. 2089”(2014)。HKEさんがものすごくサエていた時期の変名作品で、半分くらいはシグナル系。そんなに激しくノイジーではない。

《Signalwave / Broken Transmission, シグナルウェイヴ / ブロークン・トランスミッション

【Signalwaveは、特にテレビ広告などからの古いメディアサンプリングに主に焦点を当てた、蒸気波の非公式な名前です〈中略〉。
これらの「壊れた送信」には、通常、サンプルが重く〔乱用され〕、時代遅れのメディアの美学と穏やかな音楽的傾向という統一的な特徴があります。
これらのリリースでは、スムーズジャズを組み込んで、vaporwaveが構築されているゴミのムザックの美学を取り入れることもできます。】
この項目は、Aesthetics Wikiより。ここらで言われる《シグナル》とは、テレビのCM、番組のテーマ曲やアナウンスなど、コンパクトでインパクトの強い音声サンプルらを指している。あまりニホンでは意識されない英語として、“sign”は街の看板らを言い、また“signal”はテレビラジオのCMらが言われる。
図は、New Dreams Ltd.“Fuji Grid TV EX”(2016)。2011年のEPである“Prism Genesis”が増補&改題された、シグナルの金字塔! どういうCMらが素材であるかは、和ウィキペに詳しい()。

《Computer Gaze, コンピュータゲイズ》

コンピュータゲイズとはもともとは、ヴェイパー最初期からの重要なアーティストである《Infinity Frequencies》が、自分の音楽スタイルに与えたネーミング、と認識している。その語がだんだん、ジャンル名として言われるように。
それがどういうスタイルかというと、まず断章形式であり、各楽曲の尺が30〜90秒くらい。そして安っぽい“ミューザック”やテレビCMのサウンド等々をしょんぼりとローファイ化して、あなたがただ独り面白くもない深夜テレビを視ているような寂しいムードを作る。
……そんなもの何が面白いのかと言われそうだが、しかし奇妙に引き込まれるところがあるんだ。図は、そのインフィニさんのアルバム、“Between two worlds”(2018)。いきなりの冒頭曲が、もう《神》でしかない!

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《Future Funk, フューチャーファンク》

【Future Funkは、Vaporwaveのデボルブ〈devolution, 衰退〉であり、French HouseとモダンなNu-Discoを組み合わせた、よりエネルギッシュな傾向にありますが、Vaporwave(およびマイナーな方法ではChillwave)のテクニックを使用しています。
音楽はサンプルベースで、リバーブエフェクトが普及しているため、前作よりもグルーヴ感が増しています。他の曲、特にシティポップミュージックの日本のボーカルやアニメのサウンドトラックがよく使用されます。】
図は、1980's NYディスコの聖地をイメージしたアルバム、SAINT PEPSI “STUDIO 54”(2013)。

《Vaportrap, ヴェイパートラップ》

【Blank Bansheeが彼のアルバムにBandcampで「vaporwave」のタグを付け〈中略〉、Vaporwaveのイメージと音楽的なテクスチャーを利用した、ハイテクトラップとヒップホップ音楽の非常にリアルで新しいスタイルがあります〈後略〉。】

《Vapormeme, ヴェイパーミーム

ネット用語としてのミーム(meme)とは、ニホンで言われる“テンプレ”くらいの意味か。そういうわけで、既成のヒナ型にちょっと何かしただけのヴェイパーが、ヴェイパーミームと呼ばれる。まあパロディみたいなもので、その最大の元ネタが、ご存じ『フローラル・ショップ』。
で、はっきり言って、くだらないものが9割9分なんだけど。がしかし、そのミームやパロディのような性格がヴェイパーの本質っぽくもあって、否定はしきれない。
図は、MACINTOSH PLUS“FLORAL SHOPPE 911: FLORAL COP”(2015)。これは意外とくだらなくなくて、Redditの関連スレでも“ハハハッ、こりゃイイ”、ていどに好評。

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3. やや新しいサブジャンル🆕

《Ambient Vapor, アンビエント・ヴェイパー》

形容詞としてのアンビエントをくっつけただけ。雑に言ったら、《2814》みたいなサウンドでありそう。図のアルバム「新しい日の誕生」(2015)が、そのお手本。
……というぼんやりした認識しかなかったが、しかしその後、少しだけ考察を進めた。俗悪ワイ雑なヴェイパー世界の素材や手法らを、ムリにでも荘厳化し《昇華》にまで導く──という無意識の意図が、このサブジャンルの根底にありそう。次の記事をご参照されたし()。

《Slushwave, スラッシュウェイヴ》

【Slushwaveは、「t e l e p a t hテレパシー能力者」のサウンドを含むVaporWaveのサブジャンルです。通常のVaporWaveよりも長い(通常は6分より長い)重く重なったトラックで、ピンポンサンプリングと大きなリバーブで不明瞭になります。】
スラッシュの“slush”とは、シャーベット状の雪、ぬかるみ、そういう何かドログチャッとしたものだそう。《やおい》の“slash”、メタルの“thrash”とは違う。
Harley Magoo氏(アーティスト名・General Translator)によれば、この語の誕生は、2014年にテレパシー能力者がSoundCloudで自作曲にそういうタグを打ったことによる、とか()。しかしなぜ「ぬかるみ」なのか、リバーブかけ過ぎのせいで太鼓の音が「ベチャッ」という響きになったりするが、そのせいなのだろうか?
ちなみにスラッシュのジャンル内では、テレパシーさん特有のぼんやりしたジャケ写、またニホン語の陰気な曲タイトル、そういうところまでをマネしていくのが、《美学》であるらしい。様式美なので、パクリとかどうとか早合点してはダメ。
図は、そのテレパシーさんによる「仮想夢プラザ」シリーズ総集編(2015)。全31曲・約16時間なので、軽ぅ〜く聞いてみてね!

《Hardvapour, ハードヴェイパー》

【Hardvapourは、90年代のテクノ、ガバー、ハードコアテクノIDM、インダストリアルに影響されたベーパーウェーブのサブジャンルです。
著名なアーティストには、Sandtimer(HKE、hardvapourおよびDreampunkレーベルDream Catalogueの所有者)、DJ VLAD(wosX、別名Flash Kostivich(およびその他多数)】
ヴェイパーウェイヴの逃避的で懐古的な性格を懐疑するにいたったHKEさんが、もっと現実社会にかかわっていくべきとして創始したサブジャンル。だが残念ながら、このところあまり活気がなくなっている。
なお、これについてのみ“vapour”と英国式のつづりである理由は、自分の邪推によれば、提唱者のHKE氏が英国の人であるため。
図はそのHKE氏による、Sandtimer “Vaporwave Is Dead”(2015)。このときはすごくカッコよかった!

《Dreampunk, ドリームパンク》

【ドリームパンクは、このますますシュールな夢の世界の現実に住む地下の人々のための夢の音楽です。】
……という説明は、ドリームカタログ社のHPより。ようはそのボスのHKEさんが、自分と仲間らの方向性を形容していることばなんだ。
現象的にはドリ・パンの全般は、たとえば陰気なチルアウト、あるいはノリの悪いIDM、くらいに聞こえている。だが、かといって逆に、そういうものがすなわちドリ・パンなのか──というと、おそらく違う。定まったスタイルがあるのではないと、HKE氏も述べていた。
では、とその出自を見ればドリ・パンは、あからさまにヴェイパーウェイヴから派生。またそれを支えているシーンも、その大部分がヴェイパーと重なりあっている。ヴェイパーという名の生ぬるい汚水をいちども浴びたことのない人が、ドリ・パンをやっている……ということが、ほぼなさげ。
だからドリ・パン文脈のチルアウトとかがあったとして、それは他ならぬ、“ポスト・ヴェイパーのチルアウト”。否定するにしろ、ヴェイパーの方法や美学らを、みっちりと参照した上での作品だと考えられる。
──そうこうとすれば、ドリ・パンの本質は、“ヴェイパーウェイヴを意識し超克しようとする運動”、くらいに言えそう。
なお図は、ドリ・パン史の第3世代くらいのアーティストであるDROIDROYの、ブルーライト (2021)。これはつまり『新しい日の誕生』の系統のアンビエント・ヴェイパーだが、ともあれすごくできがよく、また、ついに“ヴェイパー”という語による修飾を求めていない感じ。こういうものが、いずれドリ・パンの主流になっていくのだろうか……?

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《Classic Vapor, クラシックヴェイパー》

または、クラシカル・ヴェイパーとも言われる。サンブリーチさんのご説明によると、“2012年ごろのオールドスクール・ヴェイパーウェイヴ、すなわち、主にサンプルらの編集でできた略奪音楽、それへの回帰”()。
おそらく2017年あたりから言われるようになった語であると思われ、有力レーベル“B O G U S // COLLECTIVE”からの近作に、よくこのタグが入っている()。
また、こういう用語が現れたということは、もはやヴェイパーもそんなには新しくないのかな……ということに?

《Vaporhop, ヴェイパーホップ》

ヒップホップ的ニュアンスのあるヴェイパー。とくに、ビートのところにファンクのフレイヴァがある。ただし、まっとうなラップをフィーチャーしてるようなものは違う。
MF Doom”というラッパーのトラックメイキングがヴェイパーっぽいと言われ、確かにそうだが、しかし。

《Barber Beats, バーバー・ビーツ》

バーバー・ビーツ、理髪店ビート、また床屋系ヴェイパーとは、2014年あたりから現在まで高度な制作をなし続けているアーティスト《haircuts for men》、その特有のスタイルの模倣、模作(パスティーシュ)。また、この用語自体は2020年、《Macroblank》の作風を呼ぶために、英アロエシティ・レコーズのボスが考え出したもの、と知られている。
それがどういうスタイルかといえば、ジャジーでファンキーなイージーリスニングラウンジ系の既成トラックらを、ちょっとスローダウン、ちょっとローファイ化し、ちょっと長さを調整した、ほぼそれだけ。
けれどそれっぽっちの処理&選曲で、圧倒的なセンスの卓越を魅せつづけるヘアカッツ氏がいた。
そしてそのスタイルにやや近いようなヴェイパーは、以前から多少あった感じだが。しかしそれのみに集中専念し、そしてお手本をもしのぐ高レベルの制作らをなしたのが、マクロブランクだったのだ。彼のデビューが、バーバー・ビーツの始まりだと言える。
このマクロ氏を追ってまた実に多くの新人らが現れ、理髪店ビートは2021〜22年、ヴェイパーの関係でもっとも活気あるサブジャンルとなった。
なお模倣しているのはサウンドだけでなく、アルバムアートや曲タイトル等のセンスにおいても、ヘアカッツのユニークなそれらがお手本となっている。
それら全体の作り出すムードは、逸楽と陰うつが交錯している感じ、でありそう。ビジュアル面ではB&D(いわゆるSM)やゲイ・ムード、ことば面では意味不明だがウツさが伝わるニホン語などが、特徴的。
図は、サウンド的にはきわめてやさしくソフトだが帝国主義への反逆をテーマとするらしいユニークなアーティスト、《modest by default》の現在の最新アルバム、“PRAGMATISME (无可避免的)” (2023)。

《Dreamtone, ドリームトーン》

かんたんに言ってしまうとドリームトーンは、ドローン的スタイルによるアンビエント/チルアウトもどき。2020年の秋あたりから、勃興してきたムーブメントであるもよう。
これは夢の中で聞いたような音、または夢の中に人を導く催眠的な音楽、といったコンセプトがありげ。そのまたの特徴は、最短で10分〜最長で60分という各トラックの長大さ。
しかもなぜだか、端数がなくきりのいい数字に尺を設定、という傾向がきっぱりとある。サウンド的にはあまり目新しさがないが、しかしそういった構えのところに、ヴェイパー特有のシニシズムニヒリズムを感じさせる。
図は、ドリームトーン運動の拠点であるレーベル《DreamSphere》発のオムニバス、『TIDE-010 - 銀河間』 (2021)。すべての楽曲の演奏時間が10分ジャストであるなどをはじめ、“これがドリームトーンだ!”というマニフェストとして受け取り可能なもの。

《Hushwave, ハッシュウェイヴ》

ハッシュウェイヴの発祥は、地味にきわめて高く評価され続けているアーティスト《b e g o t t e n 自杀》、彼の傑作アルバム“(hushwave) - 治愈它”(2018)によることが、まず明らか()。
どういうものか説明すると、まずはもとからテンポが遅めのバラードやR&B等のサンプルらをさらに遅め、リバーブ音をまぶし、眠たい感じ……かつ、ニュアンス的に哀切なサウンドへ。それが陰気な曲タイトルやカバーアートのガイコツらとの相乗作用で、つい永眠へと誘われるような、ぶきみなチル感を演出する。
が、このヴェイパーのいやな子守唄であるハッシュウェイヴは、b e g o t t e n 自杀というアーティスト固有のスタイルであるかと、考えられなくはなかった。似たようなものが他からも続々出てこなければ、“サブジャンル”ではないわけで。
そしていまそのことをなそうとしているのが、2022年から活動中のアーティスト、《虚》)。きっちりと先行者を意識したガイコツ・スタイルも美々しく、また彼に続く新たなハッシュ系の輩出と興隆が望まれている。
……なお以上の記述は、​《虚》の人らヴェイパーの同志たちの情報提供に強く依拠しているので感謝がきわまりない()。

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なおヴェイパーウェイヴのサブジャンルいろいろについては、それを説明した感じの画像らも出廻っている。それらは、サンブリーチさんの記事にまとめられている()。

……と、このテクストの、現状はこういうところで。
今後も随時、加筆修正されていくでしょう。おそらく。

[さいきんの更新ヒストリー]
2023/07/15 - “エコージャムズ”にエコロジーとの関連を加筆/“バーバー・ビーツ”にわずかな加筆、画像とリンクを“modest by default”に差しかえ
2022/11/04 - “引用らのツギハギが主体であり、筆者の補足が従である用語集”を意図して当初は構成していたが、だんだん引用が少なくなってきたので構造を逆転、そして“ミューザック”の項目に大きな加筆
2022/11/03 - “ハッシュウェイヴ”の項目を追加、“ドリームパンク”を大きく修正、項目らを分類し並べかえ、等々々

なお、ご不明の点や疑問らがおありのさいには、ためらうことなく、何らかの方法(この記事のコメント欄、ツイッター、eメール等)で筆者にご連絡ください。あわせてご意見やアドバイスなどを、お待ちいたしちょるバイ。

《ElectroniCON 2023》、ヴェイパーウェイヴ、そしてJ・マウスさん

【冒頭への追記】
この記事は、《ElectroniCON 2023》の出演アーティストとして、ジョン・マウスさんがラインナップされたことに関してのお話です──でした!
2023年6月23日、そのラインナップが発表されたことにより、ヴェイパーウェイヴのシーンは、賛否の激論にわきました。
そしてこの問題がどう処されるべきか、私は事実らを調べ、考え、そして以下の本文を書き、また英訳しました。

それがほぼできた感じのところで、6月27日です。E-CONの主催者は、マウスさんの出演の取り消しを、発表なさいました。
……だいたい私どもの望んだようなかたちに落着したことは、とても悦ばしい。だがこの記事は、どうなんでしょう!?

ここで正直なところ意欲の激減をきたしたので、書いていたまま、記事の仕上げがいまいちのまま──本文の記述には責任を持ちたいですが──これをシーンに送り出すことを、ぜひとも許されたいです!


〈ElectroniCON 2023ラインナップからJ・マウスは除外された、G・クラントンは釈明する/ElectroniCON Drops John Maus From 2023 Lineup, George Clanton Apologizes〉 - Stereogum ─


Postscript to the beginning
This article is about the lineup of John Maus as an artist for "ElectroniCON 2023"… IT WAS!
On June 23, 2023, the announcement of the lineup caused a heated debate in the Vaporwave scene.
So I researched the facts, thought about them, and wrote the following text, and also translated into English ().

Just as I was almost finished, on June 27, the organizers of E-CON announced the cancellation of Mr. Maus' appearance.
We are very happy that the situation has been settled in the way almost we wanted, but what about this article…!?

TBH… I've lost a lot of motivation here, and would very much like to be forgiven for sending this out "AS IS", to the scene as a poorly finished article - although I want to take responsibility for the text! Thanks.

ElectroniCON 2023 at Knockdown Center, Queens NYC
ElectroniCON 2023 at Knockdown Center, Queens NYC
画像は、J・マウスさんがトップにラインナップされたバナー(6月23日)

ヴェイパーウェイヴ系の音楽フェスティバルと見なされそうな、《ElectroniCON》と名づけられた、イベントのシリーズ。略称は、《E-CON》。

これについては、何度かお伝えしているはずですが……。とはいえ、“十分に”、とはけっして思いませんが……。

いや、実のところ。

2022年8月に開催の《ElectroniCON 3》のご紹介を、ちょっとでもこの場でやらなくては……と思っているうちに、年が変わり、さらにもう一年近くが過ぎ去っている怠惰さ自分のに、驚いたり呆れたりしている現在ですが!

が、それはともかく。

続いたことしの2023年にも同フェスが、《ElectroniCON 2023》として、NYにて8月25〜27日、開催されるとアナウンスがされました。

と、そこまでは、たいへんいい感じですが。

ですが、その出演アーティストらが発表された6月23日から現在の25日まで、ツイッターで拝見するヴェイパーのシーンのようなところは、賛否の激論でわき上がっています。

問題とされているのは、チルウェイヴの歌手のように見なされるジョン・マウスさんが、出演者らの筆頭格として、ラインナップされていることです。

では、そのマウスさんについて──アーティストとしての実績は、かなりあるようですが──何が問題なのかと、いうと?

この人は2021年1月6日、アメリ連邦議会議事堂への乱入にまで及んだトランプ支持者の集会──その中にいたことが伝えられており、それは事実であるようです。
であるので、オルタナ右翼だとかファシストだとか、そういう人物であろうと、狭くはない範囲で見なされているようなのです。

ElectroniCON 2023 at Knockdown Center - Dice
ElectroniCON 2023 at Knockdown Center, Queens NYC - Dice
画像は、J・マウスさんが取り消された新しいバナー(6月27日)

そして。そういうことがあって以降、マウスさんの音楽活動は低調だと言えましょう。
彼のアルバムと呼べる作品は、2018年の“Addendum”が最新であり、また、ライブ出演の機会もたいへん限られてきたようです。

新曲がないのは、ご本人だけのつごうだとしても。しかし後者のライブがないということに関しては、いわゆる〈キャンセル・カルチャー〉の対象になっている感じが、否めません。

そこへなぜだか、かなりことさらな感じで、《ElectroniCON 2023》への出演がアナウンスされたのです。

であるので、〈ヴェイパーのフェスに、ファシストくさいやつを出すな!〉とも言われ……。
そのまた一方で、〈いいじゃねえかようるせえ!〉とも言われているのです。そういう激論です。

そして、後者の意見のバックグラウンドについて、補足。ちょっとこのふんいきを、説明しにくいのですが……。

ヴェイパー系の《シーン》に、はっきりした右翼ファシストなんて、“ほぼ”いないにしても。しかし。〈左翼もしくはリベラルめいたきれいごとに、反発!〉という層がありまして。
おおむねそのような方々が、〈ゲッヘヘヘッ、いいじゃねえかマウスさん歓迎!〉と、申されているんですね。
はっきり言えば、私がこの場でヴェイパーのヒーローたちの一員として扱ってきた、HKEさんやOSCOBさんあたりが、そうなんですが!

ああ。たぶんその彼らにしても、マウスさんのショーをとくべつに視たいわけでもないのでしょうが……しかし……。
だがしかし、〈左巻き〉の〈パヨク〉みてェな連中が怒ったり凹んだりするのを見るのは実に面白れェ、ウヒヒヒヒ……と、いうご気分なのでしょう。

そんな感じ方があることの、前提として。そもそも英語の音楽業界の全般では、仮にポーズが半分だとしても、リベラル風であるような派がきっぱりと、優勢であるようです。
それに対するおそらく反発という、ヴェイパーの持ち前の反骨精神が、へんに出ている部分なのでしょうか?

かつまた。根本の情勢に、左翼リベラル勢力に対する、《いま》の世代の失望──スラヴォイ・ジジェクさんもしばしばご指摘なされている──それが昂進しての反発・嘲笑・敵意──ということが、大きく背景の全世界に、あるのでしょう。

とはいえ。そんな〈全世界〉のことまでを論じている場合ではないとして、私たちの話題に戻り。

……そういう状況が、目の前にありますが。
いかが、考えるべきでしょう?

まずは私は、ざっとジョン・マウスさんについて、調べてみました。

すると。あたりまえなんですが、一時は公然の活動をしていたアーティストとして、ファシズム差別主義とマイノリティへのヘイトなどを、はっきり主張まではしていなかったようですが……。

というか。ふしぎに目だっているのは、彼の代表曲のひとつが、こともあろうに「警官殺し」──“Cop Killer”(2011)──であったりすることです。
これはただ単に眠たいサウンドで、〈警官を殺そう……法にそむいて……〉とだけ連呼している奇妙な唄なんですが、確かになかなかいいと思います。

そして2021年1月の件にしても、別に議事堂への突入までは、なさっていないのかな……とは、思われるのですが。
とはいえ過去の報道らを見ると、かなり重度のトランプ支持者──さらには右派の陰謀論者──では、おられたようです。とくに《Dazed》の当時の記事は、マウスさんのトランプ派集会への参加を、〈(実にありそうなことで、)意外ではない!〉と断じています。

そして、それこれについて、以後はっきりと弁明も釈明もしていない感じである理由は、居直りなのか、一種の保身術なのか、あるいは奇人めいたところがおありなのか……という判断が、つきません!

はっきり言ったらいいような気が、しますけどね。いかなる人にも《言論・表現の自由》が、ただ単に“ある”どころか、ときとしてはそれを行使しないことが、逆に無責任だとも見られうるでしょう。

では、どう考えたらいいのでしょう?

私なんかは、なにもこのような人を“ことさらに”、ヴェイパー系のフェスに出してこなくとも……と思うんですよね。初めて一線を踏みこえるようなことを、“わざわざ”、せずとも……と。
それをあえてした、E-CONの運営者──その筆頭は、ご存じのジョージ・クラントンさんなのでしょうが──の意図は、ぜひともうかがってみたいところです!

いやまさか、クラントンさんらもトランプ支持の右派であらせられ、このマウスさん起用により、その連帯を示したということはないでしょうけれど……どうなのか……?

──ところで。

マウスさんのお出ましに強く反発するどころか、そのキャンセルまでを求めている方々は、ある意味でE-CONを、〈わがもの〉と思っておられるでしょう。
つまり。自分たちであるヴェイパーウェイヴとそのシーンがあって、それを代表するフェスとしてのE-CONだと、無意識にもお考えなのでしょう。

そしてそれを、単なる一方的な思いこみや幻想であるとも言えません。
そういう人々の想いの上にこそ、ここまでのE-CONの隆盛や尊厳などがあった、と考えられるからです。

かつまた。これは、ツイッターの友が示唆してくれたことですが。

マウスさんという個人の思想などがどうであれ、彼が右派らから、一種の受難のヒーローのように見られているふしが、皆無だとも言えません。
そして……。その右派めいた人々がマウスさんの復活を喜んで、E-CONになだれ込んできたりしたとき、フェスのムードはどうなるのでしょうか?

と、そこまでを考えたところで、私なりの結論です。

まず。いつまで維持できるものか分かりませんけれど、ヴェイパーの人々がE-CONに対してよせてきた想いや信頼は、守っていったらよいように思われます。

さもなくば。E-CONは、《シーン》のイベントであるのではなく、主催者クラントンさんらの個有のお考えで催されている商業音楽フェスである(にすぎない)……と、これから見方をあらためたらよいのでしょうか?


    [ 関連リンク / References ]
  • “announcing the official line up of this year's ElectroniCON” - 100% Electronica™ on Twitter June 23 2023 ─
  • ElectroniCON 2023 at Knockdown Center, 25 Aug to 27 Aug - Dice ─
  • “ヴェイパー系のフェスとされる《ElectroniCON 2023》が、開催されるのですが…” - 才ンガク毛ドキ 0ngαku Moԃkәү on Twitter June 25 2023 ─
  • “This tweet is about ElectroniCON 2023, John Maus, and the heated debate…” - 才ンガク毛ドキ 0ngαku Moԃkәү on Twitter June 25 2023 ─
  • “But in a very much internet-based scene…” - skydi 空區 on Twitter June 25 2023 ─
  • John Maus, Political views - en.Wikipedia
  • John Maus and Ariel Pink Were at the Pro-Trump Riot in D.C. - Vice ─
  • Ariel Pink Tweets About Attending Pro-Trump White House Rally - Pitchfork ─
  • Why John Maus & Ariel Pink attending the pro-Trump riot isn’t surprising - Dazed ─
  • Musician Ariel Pink Defends ‘Peaceful’ Support of Trump at Rally, Denies Being Part of Capitol Assault - Variety ─
  • “I know all of your questions cannot be answered in a simple statement…” - 100% Electronica™ on Twitter June 27 2023 ─
  • ElectroniCON Drops John Maus From 2023 Lineup, George Clanton Apologizes - Stereogum ─
  • John Maus Exits ElectroniCON 2023 Lineup… - Pitchfork ─

ElectroniCON 2023, Vaporwave and J. Maus - Discussion on the Scene

[sum-up in ԑngłiꙅh]
A series of events named 《ElectroniCON》, which could be considered a Vaporwave music festival. The abbreviated name is 《E-CON》.

And it has been announced that the festival will be held in New York City from August 25 to 27, 2023, as "ElectroniCON 2023".

So far, so good.

However, from June 23, when the artists were announced to perform at the event, until the 25th, the Vaporwave scene as seen on Twitter, has been abuzz with heated arguments for and against the event.

At issue is the fact that Mr. John Maus, considered something of a Chillwave singer, is the first of the performers in the lineup.

So, what is the problem with Mr. Maus - who seems to have a considerable track record as an artist - what is the problem?

It is reported that this person was at the Trump supporters' rally on January 6, 2021, which culminated in a break-in at the U.S. Capitol, and that seems to be the case.
So, it seems that he is considered, rather widely, to be an alternative right-winger, a fascist or something like that.

And. Since that happened, we can say that Mr. Maus' musical activities have been sluggish.
His latest album is 2018's "Addendum," and his live appearances have been very limited.

The lack of new music is his own personal conundrum. However, as for the latter, we can't deny the feeling that he has become a target of the so-called "Cancel culture".

Then, for some reason, it was announced that he would be appearing at E-CON 2023" surprisingly.

So, not a few people have said, "Don't put a fascist-looking guy to the Vaporwave's festival!"
On the other hand, some people say, "That's fine, Shut up!". That's the kind of heated debate I'm talking about.

And let me add something about the background of the latter opinion. It's a little difficult to explain the background of this atmosphere but…

There are no clear-cut right-wing fascists in the Vaporwave scene, there are "almost" none.
However, there is a segment that is "repulsed" by leftist or liberal pretentiousness. Such people are saying, "Gee hee hee hee, welcome Mr. Maus!"

To put it bluntly, the people I've been treating as Vapor heroes here, such as HKE and OSCOB, are like that!

Oh! Maybe they don't particularly want to see Mr. Maus' show… However…
However, they probably feel that "it's really interesting to see leftists get angry and depressed! Ha-ha!"

And there is the premise of the existence of such a feeling within the scene.
In the English-language music world in general, it seems that the liberal school, even if it is only half posed, is firmly in the ascendant.
And, is this perhaps a rebellion against that, a weird presentation of Vaporwave's inherent rebellious spirit?

And also. The fundamental situation is the disappointment of the "current" people against the leftist or liberal forces - as Slavoj Žižek has often pointed out - and the resulting rebellion, ridicule, and hostility to leftism - which is probably the background of the whole world.

However, this is not the time to discuss the "whole world", so let's return to our topic.

…There is such a situation right in front of us.
How should we think about it?

First I did some quick research on Mr. John Maus.

Then. As is obvious, as an artist who was openly active at one time, he didn't seem to have made a clear case for fascist racism and hate against minorities, etc.…

And weirdly, what on earth, that one of his best-known songs is, mean, "Cop Killer" (2011).
It's just a strange song with a sleepy sound, calling out "Let's kill the cops… Against the law…", but it's certainly a good song i feel.

And as for the January 2021 incident, it seems that he didn't go so far as to raid the Capitol building…
However, looking at past reports, it seems that he was a very serious Trump supporter - and maybe even a right-wing conspiracy theorist.
In particular, the article in "Dazed" at the time declared Mr. Maus' participation in a pro-Trump rally to be "not surprising, very likely!".

And the reason why he seems not to have made a clear defense or explanation for it since then is - I can't decide whether it is a reprieve, a kind of self-preservation tactic, or whether he is a bit of an eccentric.

I feel that he should speak up. Not only does everyone have "freedom of speech and expression", but sometimes not exercising it can be seen as irresponsible.

So, what should we think about this?

I think that they don't have to "go further" and bring someone like this to a "festival of Vaporwave".
It would have been better not to "go to the trouble" of stepping over the line for the first time.

I would like to know the intention of the E-CON organizers - The first of whom is probably George Clanton, who you know - for daring to do that!

No, I don't think that Mr. Clanton and his colleagues are right-wing Trump supporters and that they showed their solidarity by booking Mr. Maus…?

By the way.

By the way, the people who are not only strongly opposed to the appearance of Mr. Maus, but are even calling for his cancellation, must consider E-CON "theirs" in a sense.
In other words. They must think, unconsciously or not, that there is their own Vaporwave and their own scene, and that E-CON is a festival that represents that scene.

And we can't say that this is just a one-sided assumption or illusion.
It is precisely because of these people's thoughts that E-CON's prosperity and dignity have been achieved to this point.

And again. This is what my friend on Twitter taught…

Regardless of his personal ideology, it is not impossible to say that Mr. Maus is seen by the right-wingers as a kind of suffering hero.
And then there is… What will happen to the mood of the festival when those rightists are so happy about Mr. Maus's revival that they rush to E-CON?

And now that I have thought that far, here are my conclusions.

First. I don't know how long it can be maintained, but I think that the feelings and trust that the Vaporwave people have for E-CON should be preserved. I hope.

Otherwise. Should we change our view from now on? Like this - E-CON is not a festival of the "scene", but rather (merely) a commercial music event organized by Mr. Clanton etc. with their own unique indivisual ideas.

ポスト・インターネット時代の《好き》をさがして──(1)情勢論2023

BLANK安息日: MKULTRA6420 (2023) - Bandcamp
BLANK安息日: MKULTRA6420 (2023) - Bandcamp
あまり本文と関係ないのですがロクヨンがカッコいいヴェイパー近作で洗脳されます

《ポスト・インターネットのポップ音楽》……と呼べるようなものが現在あると、いちおう前提しまして。
そしてその中に三つの、コアっぽいジャンルがあるかなと、考えています。

その三つとは、ブレイクコア/ヴェイパーウェイヴ/ハイパーポップです。

とは、それぞれの音楽的な特徴そのものが21世紀的、ということもありますが。でもまず、それらの生態や生息地らが、ポスト・インターネット的でありすぎるのではないでしょうか。

そして、その中で。
ブレイクコアは速さと激しさを誇り、ヴェイパーは催眠的かつノスタルジック、そしてハイポはけばけばしい〈デコり〉によって《自我》をアピール……と、通常は相容れないような特徴たちを、それぞれに打ち出しています。

ゆえに〈天下三分の計〉が、ひとまず成り立っているような。
……いやまあ、ワールドワイドのアンダーグラウンドな電子ポップの世界という、広いのか狭いのかよく分からない〈天下〉の話ですけれど!

──といった感じに“いま”の状況を、私は見ているのです。

そしてそれらの中で私の共感が、主になぜだかヴェイパーにあるんですよね!

なおフューチャーファンク(F・F)の立ち位置は、前記の図式の中では、ヴェイパーに属するものと考えておきます。
なぜならば。もしもF・Fなる音楽に、20世紀にはなかった新しみがあるとすれば、それはヴェイパーから継承している要素らであるからです。

とまでを見てから、思うのですが。《ポスト・インターネット》時代の情勢の変化のインパクトは、別に新しめの音楽にだけ及んだのでは、ないでしょう。

およそ中世あたりから現在までに生みだされた、ほぼ“すべて”の音楽──仮にも録音されているようなものであれば、YouTubeのみ介したとしても、その“すべて”を無料で視聴できそうな、現在です。
いにしえからの音楽にしても、その在り方を変えないわけにいくでしょうか?

……ああ、かつて20世紀には音楽が、なかなか希少なものでありました。ことに、新しいレパートリーや演奏たちを、多く求めつづけるとしたら。

そういう欲望を追求して──音楽ファンであるような人々はもう、いちいちレコードやCDを買ったり借りたりして、それらをプレーヤーで廻し……。
あるいは、時間どおりにFMラジオ等の放送をチューニングして、かつはエアチェックなどし……。
さらにはご苦労もきわまったことに、ライブ演奏の会場やクラブにまでも足を運び……。

そういう金銭とお手数の大量さを、ずいぶ支払ってきたものです。

それがいまではユーチューブさえ見れるなら、ほぼこと足りる、とも言えます。……いや、別につべを強く推していく気もないので、ネットで音楽を聞くにもいろいろな経路がありつつ、とは申しそえますが。

🌐 🛰️ 👨‍💻

そうして──。ヴェイパーを筆頭とする《ポスト・インターネットのポップ音楽》たちは、むしろこうした状況を前提に、生まれてきたものです。
主にネットのせいで、音楽っぽいサウンドたちが、超ディスカウントされている状況を。

そしてその超ディスカウント状況は、もはや変えられないし、ことの前提として考えなければなりません。

ゆえに、“いま”はヴェイパー(等)である、と言えるでしょう。

かつ、いにしえからの音楽にしましても……。

Josquin: Ave Maria sung by Chanticleer (1982) - YouTube
Josquin: Ave Maria sung by Chanticleer (1982) - YouTube
ルネサンス音楽・再注目!という時代の名演のひとつです

たとえば私の好きなルネサンスの宗教音楽などが、いまはネットで即・聞けるということは、いいような気がするんですよね。そんなおもしろ状況が、単に愉しいだけでなく、《何か》を生みだしていかないとも限りません。

そういえば。
どうして私がそんなルネ……うんぬんの、まったくプロモーションなどされないような音楽にもハマったかと申しますと。

それはそのCDたちが、地元の図書館で無料で借り出せたからです(!)。そこからの親しみが私の生活を少し愉しくしてくれたので、そういう音楽のディスカウント活動が、“ほぼ”いいことのように思えるのです。

そうして。中世から現在まで“すべて”の音楽めいたサウンドたちが、同じプラットホーム上にずら〜りと、無料でなくともただ同然の価格で、並べられている現在に……。
……人々のそれぞれが選ぶのは、何かのつごうでプロモされマーチャンダイズされたような音なのでしょうか、そうではないものに生息域は残されるのでしょうか……といったことを気にしながら、いま私は生きています。


In Search of "Likes" in the Post-Internet Era ── (1) Theory of Circumstances, 2023

[sum-up in ԑngłiꙅh]
I am wondering if there are three, core genres of Post-Internet pop music.

The three are Breakcore/Vaporwave/Hyperpop.

And Breakcore boasts speed and intensity, Vapor is hypnotic and nostalgic, and Hypo appeals to the "ego" with its decoration…
They each exhibit characteristics that would normally be incompatible with each other.

Hence, they are at least temporarily occupying each separate habitat.

By the way, the Post-Internet music situation can be characterized, first of all, by its ultra-discounting.
People no longer need to buy anything or leave their homes to listen to music. All they need is an Internet connection and some kind of device, and they can listen to "everything" even if they only use YouTube.

The "Post-Internet pop music" led by Vaporwave, was born from the premise of this situation.
Mainly because of the Internet, music-like sounds have been super-discounted.

This super-discounted situation can no longer be changed, and must be considered as a precondition.

Therefore, it can be said that "now" is the Vaporwave.