エッコ チェンバー 地下

─ €cco ₵hamber ฿asement, Vaporwave / Đésir đupłication répétition ─

(de)generateせいはく / Maid Dresses - AIで生成されたらしいヴェイパーたち

いま現在の2023年・春あたり……。〈AIの進化がスゴい〉ようなお話が、よくネット上では、言われているようです。

何がすごいのでしょう?

たとえば〈チャットGPT〉とかいう対話型AIがあって、何か質問すれば、それらしいことを何でも答えてくれるらしいです。

で、人々は……。

自分自身が〈知っているつもりのこと〉について、AIに説明を求めます。
そこでAIが、とんちんかんに思える答を返せば、〈まだまだやナ!〉と、安らぎの笑みを浮かべます。
逆に、それらしいと思える答をAIが戻してくれば、〈ほほう、やるやんケ〉と感心もしたりします。

そしてこの過程で、知識の量は、何ひとつ増えていません。

ゆえに、くだらない!!……と言いすててしまうのも、しかし早計らしくて。

というのは──。人智の最高峰がふつうに集う場と言われる《タフスレ》の、かしこい先パイから聞いたのですが──()。
このてのチャット型AIのすぐれたものは、〈まとめるのが上手い〉という点を見て、活用できるそうなのです。

ということは、あれでしょう……。ウィ・キペ・ディアの記事なんか、AIに書かせたほうがいい、ということになりませんか?
あれはもともと、既存の情報をまとめただけ、というのがポリシーのようですし。しかも、現状はへんな執筆者らによる過剰な作文とか、または疎漏にもほどがあるような記事とかが、たいへん多いようですから──少なくとも、ニッポン語のそれについては。

🦾 🤖 💥

ですが、しかしです。
電子的に流通している情報たちを、単に多数決的にまとめただけの《思考》であれば、〈陰謀論は正しい〉とか、〈代替療法らは有効である〉とか、そういう結論に導かれることが、大いにありそうです。

よって。そんなことをAIさんが言い出さないように、けっきょく誰かという人間めいた“もの”が、古くからの権威や良識めいた知見らを参照しつつ、見守っていなければならないのでしょうか。

いや、そもそもです。

私なんかは〈陰謀論代替療法たちは、“すべて”がフェイク〉と見ているとして、だがそうじゃない人々が、数多くいるでしょう。
そしてそういう人々が、正しいものとしての陰謀論らを広宣流布するAIを、みごとに構築なさいますでしょう。

〈正しさのきわまりを、マシーンに対して求めること〉──これを《本能》と呼んではおかしいですが、そういう傾向が人間らには、根深く強く、ある気がします。

マシーンらの生成物らの特徴である〈電卓的な正しさ〉を、“すべて”に対して、求めてくるわけです。
または。〈電卓的な正しさ〉の正しさという目の前の証拠から逆に、“すべて”についての正しさのきわまりを、マシーンらに対して求めていくのでしょう。

……手塚治虫先生のすぐれた洞察は、その代表的シリーズのひとつ火の鳥 未来編』(1967)で、統治の“すべて”を電子頭脳らにゆだねた人類の滅亡を、描いています。
そのときは西暦3404年のこと、とされて。
その統治する電子頭脳らは、現在ある〈Siri〉さんか何かのように、女性めいた疑似人格をそなえたAIだと言えましょう。主人公たちの住む都市国家〈ヤマト〉では、その彼女が、〈ハレルヤ〉と呼ばれています。

そしてこのハレルヤさんが、旧ソビエトめいた都市国家へ亡命しようとしている主人公の処遇をめぐって対立、そちらを治めるAIの〈ダニューバ〉さんと、直接の談判におよびます。
ところが両者のご交渉は、感情的な言い争いへと堕して、それがとめどなくエスカレート……。ついには、全都市国家間の核戦争が勃発!
……これが『火の鳥』シリーズにおける、ほぼ全人類の終焉だと見られます。

さて、これを見れば。少なくもなさそうな、お賢い読者さんたちは、こう考えなさるかも知れません。
そもそもそんな、核戦争がスタートされるような〈アルゴリズム〉がおかしいでしょう、と。

ですけどしかし、核戦争がなされないようなアルゴリズムこそが〈正しい〉ということを、いずこの誰が、正しく保証するのでしょうか。

現実の現代の世界でもそうですが、〈ヤるべきときには、ヤる!〉ということを前提におぞましくも、核兵器らが開発・配備・維持されているのではありませんか?
マンガであるものとしてこれはもちろん、単純化されデフォルメされた表現では、ありますけれど。しかし〈正しい〉演算の結果としてAIが、そういうことをしてくる可能性はないのでしょうか。

そうして……手続きだけの正しさが、希求されている完全な正しさの代替品として、人間たちへと押しつけられます。
そうして……いずれは人間たちは、その代替でしかない正しさを、ちっとも疑ったりはしなくなるのでしょう。『火の鳥 未来編』の主人公たちも、ほんとうの難題や生命の危機らに直面するまでは、まったくそうであったように。

ジャック・ラカンさんが正しくお伝えくださったように、〈真理についての真理は存在しない〉──で、あるのですが。

『TOUGH 龍を継ぐ男』330話より、猿渡哲也先生がしつように再利用なさり続ける原爆キノコ雲の画
『TOUGH 龍を継ぐ男』330話より:猿渡哲也先生がしつように再利用なさり続ける原爆キノコ雲の画

で、まあ。えーとです……さて。

AIであるような非・人間めいたシステムに、《真理》を求めていくことのお話は、これまでとしまして。

そのいっぽうの、人間らの娯楽になるような表現をそれに求めていくこと──その方面の可能性──まあ違うんですけれど、しかし、何か同根のところがなくもない感じ──。

それで、ご覧のブログの専門分野であるような、例のヴェイパーウェイヴというあれのお話です。

昨2022年の12月──。〈AIによって自動生成されたヴェイパーウェイヴ〉と称するアルバムが2点、リリースされました。

まず先んじたのは、《(de)generateせいはく》を名のる人による、“i take no credit. everything is generated.”です()。15曲・78分を収録。
かつ、これのアルバムアート──D・ホックニーさんの画風が超ずさんに真似されているような──もまた、AI生成によるものだと、アナウンスされていた気がします。
だがいま現在はもう、AIアートでこんなにまでおそまつなものは、逆に出てこない感じですけれど!

それで音楽はというと、まあいちおうヴェイパーであるかのように、聞こえなくもないが……くらいのしろものです。
ああ、いや。これのリリース直後に初めて聞いたときには、もう少しいいような印象だったんですが……!

さて、これの作者の何とかせいはくさんの正体は、おそらくですが、ヴェイパー界きってのお騒がせ人物である、《COSMIC CYCLER》さんであろうと、私は邪推しています()。

この世界で一般に《CC》で通っている、このCCさん。その実体を隠しながらヴェイパー界で、異様に手びろく、ご活躍・暗躍されているふしがあります。──と、臆測しています。
そしてその人の最悪のふざけた面が、《DREAMTONE BANGERS》と名づけられた、ゴミくささがきわまっているレーベルの運営に出ておりまして()。
そしていま点検しているアルバムもまた、そこから出たものです。

そして。その何とかバンガーズのツイッターアカウントにて、〈この楽曲らは、このAIっぽいサービスによって作られたんだ〉という一種のタネあかしが、なされていました()。
それで、同じサービスで私もちょっと、やってみたんですよね。すると、〈なるほどね……〉くらいのサウンドは、生成されましたけれども……()。まあそういうものが、すでにあるということです。

それと、もう一件。せいはくさんに続きまして、バーバー・ビーツのプロデューサーとして知られる《Maid Dresses》さんが、すべてAI生成というアルバムをリリースされました。
そのタイトルは“ILLUSIONS”、11曲・29分を収録。

それで──。さっきも述べましたんですけれど、リリース当時に聞いた感じでは両作とも、もうちょっといいような気がしましたのに。
しかしいま現在は、〈何も別に、こんなものを……〉という印象になっているんですよね。

──だいたいのところ。AIのアルゴリズムの偏りゆえか、ヴェイパー独自のあのテンポ感が、レゲエの遅みと混同されていそうなところが、正直あまり気に入りません。

いや。もともとくだらないヴェイパーウェイヴですから(!?)、無能なAIに制作させたところで、大して変わりがないかとも思っていたんですが……!
いくらクソ安いヴェイパーごときでも、何やら作者めいた人(々)の意図とか意思とかみたいなものが、どうにかその貧しい愚かなサウンドたちを、かろうじて少しは活気づけていたのでしょうか?

いや。ここでメイドさんの名誉のために、付言しますが。ふだんのこの人の制作物は、もっといい感じです。私においてはその人の、22年・11月のアルバム“Extra Pain”が、とても印象的であり続けています。

理髪店ビートはその全般に、根ぶかい苦悩からの逃避のため、すぐ目の前の確実な快感と痛覚らを強調し、そこに集中してかかろうとする。そういうところがあると思います。
しかしメイドさんサウンドは、わりと痛覚の側に傾きがちで──。床屋系ヴェイパーとしては苦すぎる気もするんですが、しかし奇妙な共感があります。

……と、いうわけでなのでしょうか。
イカモノを好む傾向のかなりある私でさえも、あまり……とまでの反響を得たせいか、その後、AIを用いたヴェイパーの制作が、あまり追求されておりません。少なくとも、私の眺めている範囲内では。

とはいえ、しかしです。

AI生成によるテクストや画像らもそうなんですが、質がいまいちだったとしても、とりあえずカタチさえできているものであれば、究極のコストダウンを目ざす過程にて──人件費削減と納期短縮のため──人力の生成物らを押しのけて、採用されてしまいそうな気づかいが、きわめて大いにあるでしょう。

たとえばこの現代に、安いものでは《ハンバーグ》だと称しながら、ふかしぎ奇妙なタンパク質を練りあげて作っているものが、多くありますが。
それに等しい合成品のテクストや画像やサウンドたちのはんらんが、私たちを待ちうけているのでしょうか。いや、すでにもう……。

そして、そういう方向に流れてしまいそうな世界の中で。
たとえば《ミューザック》や《ライブラリー・ミュージック》などの貧しい音楽らについて、ずっと私たちの感じてきた一種のあいきょうや愛着などは、いったい何だったと考えられるのでしょうか?

AIが生成した曲らをBOTが聞くという音楽のユートピア、また近づきました❢

せいはくさんの“i take no credit…”のリリース当時、作品紹介としてそんなことを私は、ツイッターに書いていました()。
いずれはそういうユートピアの実現もあるとして、その門が、私ごときには閉ざされているような──そんな寂しい気もしています。


“Vaporwave, auto-generated by AI” - The experiments

[sum-up in ԑngłiꙅh]
In December 2022, two albums entitled “Vaporwave, auto-generated by AI” were released.

The first one was “i take no credit. everything is generated” by someone who calls themselves (de)generateせいはく. It contains 15 songs & 78 min.
Next was “ILLUSIONS” by Maid Dresses, known as the producer of Barber Beats, with 11 songs & 29 min.

Nope… It's a crappy Vaporwave from the start, so I was wondering if the incompetent AI produce it would make no much difference.
However, I didn't feel that there was much more value in both pieces than “it sounds Vapor-ish, at least, barely”.

No matter how cheap the Vapor is, but the will or intentions of some kind of author-like people had managed to revitalize those poor stupid sounds just a little…?

Especially. The usual works by Maid Dresses present the contrast between pleasure and pain that Barber Beats in general does, leaning on the side of pain. An example is the album “Extra Pain” released in November 2022. I am quite sympathetic to those.
Even if the sound is not widely liked, however, the intention behind it gives the works their existence value, …, etc., and a strangely retrograde humanist impression came out of me!

Indicatif: コレクション (2021), 同 II (2022) - CRTの向こうに想定された《一》

フランスの人によるというヴェイパーウェイヴのバンド、《Indicatif》。2021年から活動中です()。
このバンド名のアンディカチフという仏語は、〈指標、徴候、放送番組のテーマ曲〉……といったことらを一般的に、意味するようです。

──で、それで、もう。このアンディさんによるヴェイパーが、実にこり固まったシグナルウェイヴなのです()。ザ・CM・オンパレードです!

ああ──。でも、そもそも英語とかではテレビ等による宣伝を《CM》って言わないようなので、こんなニッポン製の略語が通じているのは、おそらく世界ではヴェイパー方面だけなんでしょうけれど。

さて。現在までに8作のアルバムがBandcampに出ていますが、アンディさんによるシグナル作たちは、大まか2系統と考えられます。
そのアルバムのタイトルが、仏語であればフランス、ニホン語であればニッポン……それぞれの、CMおよび放送の断片らが、素材であるようなのです。

そして。ご紹介したいアンディさんの『コレクション』および『コレクション II』は、かなり、きわまってしまっているアルバムらです。
何しろたいへんな大作たちで、その第1弾は120曲・126分、第2弾は100曲・90分という無謀なボリュームを、全人類に向けて誇りちらかしています!

そしてアルバムのタイトルが日語であるので、素材らはニッポンのCM等。そして、80年代くさいものらが中心のようです。
かつ、この人のスタイルとして、根本的には短い素材らを、けっこうくどくどと、ループさせがち。
ゆえに……CMなんて本来は15秒とか30秒のがほとんどでしょうが、しかしアンディさんの楽曲に60秒くらいのが多いのは、その仕組みによって。

それで、いいとは思うんですけれど、さすがの私もやや引くところがあったんですよね! ではせっかくですから、皆さんもぜひこの、計210分くらいのCMシグナル体験を、エンジョイしてみてください。

ああ、それにしても……。

マーシャル・マクルーハンさん()──いわゆる《メディア論》の祖であり、私たちの偉大なる導きの師のひとりです。
そしてその人が、確かこのようなことを述べておられたと、私は記憶しているのです。

映画のスクリーンというものは、手前の映写機から出ている光を〈反射〉しているわけなので、つまり絵画とかにまだ近い。
いっぽうテレビのスクリーンは、向こう側からの光を〈透過〉して、その画像を表示している。この構造は、すなわち、礼拝堂のステンドグラスと同じである。

……マクルーさんの言説たちの、常に根底にありげな考え方として、〈テレビの普及と浸透は、むしろ人間らの意識を、近代から中世の段階へと逆行させる〉。逆に言うなら、中世のステンドグラスは、テレビ発明よりも以前のテレビだったのです。

それでもう、この現代人どもはあたかも、すべての崇高さの根源の《一》(イチ)であるらしき教会の、尊きステンドグラスを透過する光が描きだす、輝きに満ちた神聖なるもようや絵づら等をでもうっとりと眺めるかのように、テレビさまへとガッツリかじりつき、それへと拝跪し、そしてご自分らの祈りを──欲望を──捧げつづけているのでしょうか?

どういう救いが、そこから得られるとでも、思いこんでいるのでしょう?

いやじっさい、冗談でも比喩でもないんですよね、けっこうなところで。

──とは。はっきり言うなら、私はテレビなんて嫌いなんですよね! だってくだらないし、ムダにうるさいでしょう?
ところがそんなものを、いまだに悦んで視聴している未開でバカな中世人間どもが多い、との現況。
《近代》は、挫折しています。われらのフロイトさんが『幻想の未来』(1927)で叙述なされた《未来》──宗教やら何やらの腐った迷妄らからの解放──は、いまだ到来していません。

よってとうぜん自分からは視ませんが、しかし他人の視ているクソテレビの音を聞かされる、そのことが大嫌いです。しかしそのことが、意外と避けえないのです。

けれども……あるいは、そこで……。

低劣さをきわめたクソテレビ文明からの逃避が不可能なので、逆に私たちは、それを〈愉しめ!〉という内面化された資本主義クソ社会の規範──すなわち超自我──の命令に少しは従って、せめてこのシグナルウェイヴみたいなものを──古みを帯びて、薄められたテレビの害毒を──エンジョイしているのでしょうか?

さもなくば──。こんな私さえも旧20世紀には、悦んでテレビを眺めている時期が少しあった気がしますので──。その、蜜月の時代に味わいえた法悦のノスタルジアとして、シグナルウェイヴがあるのでしょうか。

それとさいごに、ちょっと音楽っぽい作品の話に戻りまして。

シグナル系ヴェイパーの近年から現在あたりの王者と申しますれば、もはやすっかりおなじみの、《天気予報》さん()です。
それとアンディカチフさんとの比較を意図して、ちょっといくつかのアルバムを、聞きなおしてみました。図に出ている、コンパクトにまとまった秀作『アナログ滝』などを。

すると……。やっていらっしゃることらは、そんなに変わらない、とも言えるのですが。

しかしお天気さんのサウンドにはその全般に、何か奇妙なベールでもかかったような……ふしぎな音質のなまり方が、あることに気づきました。アンディさんとの比較によって。
これはおそらく意図的なもので、単にもとがVHSテープだからとかYouTube動画からのリップだからとか、それだけのローファイさではない気がします。

ことによったら、再生した音を室内の遠くに置いたマイクで拾っているのではないか、とも……? そんなめんどうなことはしない気もしますが、にしてもそういう、ふかしぎなサウンドの劣化が、何か奇妙な空間性を感じさせるのです。

ともあれその劣った音質のソフトさが、実によくて。かつ、まとめ方や構成にも、くどさやいやみがなくて──。やっぱりお天気さんはシグナルの帝王、さすがです……と、あらためて、感じいったしだいです!


Indicatif: コレクション (2021), コレクション II (2022)

[sum-up in ԑngłiꙅԧ]
A Vaporwave band, Indicatif, apparently from France, has been active since 2021 ().

They have released 8 albums on Bandcamp so far, but there are 2 kinds of Signalwave from Indicatif.
If the title of the album is in French, the material is French; if in Japanese, the material is Japanese… The material is fragments of commercials and broadcasts, respectively.

And the albums we would like to introduce, 『コレクション』(Collection) and 『コレクション II』 by Indicatif, are quite outstanding.
The first volume contains 120 songs & 126 min, while the second volume contains 100 songs & 90 min, they boast to all mankind, of their huge volume!

And since the album titles are in Japanese, the material seems to be mainly Nippon commercials in 80's style.

In addition, as Indicatif's style, they tends to loop short pieces of music in a long and tedious way.
Therefore, common CMs on are probably 15 or 30 sec long, but Indicatif's music is often around 60 sec long because of this mechanism.

And now we hope you will enjoy this huge, huge commercial signal experience of 210 minutes or so in total!

ヴェイパーウェイヴ と 現代音楽 と、《現代アート》

潜在的溺愛者 (沢NaN): 純青 (2022) - Bandcamp
潜在的溺愛者 (沢NaN): 純青 (2022) - Bandcamp
驚くべきトーンの深みとグラデーションをもつスラッシュ! 長いが飽きません

このヴェイパーウェイヴという、〈音楽っぽいサウンド〉──私たちの、強く執着しているものですけれど。
で、さてそれは、アートの一種だとか現代音楽だとか、呼びうるものなのでしょうか?

……ということをつい考えたのは、ヴェイパー系の有望な新進アーティストである《沢NaN / ZAWANAN》さん──ニッポンの大学生でおられるようです──この方の御ツイートを見たからなのですが……()。

まず、私の想いを端的に申しますれば、〈それは《現代アート》の端っこに引っかかる──かかりうる──もの〉かなあと、考えています。

ですけれど補足がありまして、《現代音楽》といってしまうと、また違うんですよね。
──とは? その《現代音楽》とは、いったい何でしょう?

それは端的に言えば、O・メシアンさん、J・ケージさん、P・ブーレーズさん……等々々あたりにつながっている系列です。
すなわち、あくまでもクラシック音楽の歴史・実践・理論・美学らをベースとした、〈現代の現代的な音楽〉だろう、と考えられます。

とはいえ、それを言うにあたり、〈だが現在は、また違う見方が出てきているのかも?〉とは、ふと考えつきました。
そこで簡便安易なリサーチとして、英語のウィキペディアを見てみますと……。やはり〈クラシック音楽がベース〉との見方で、記事は書かれています()。

とはいえ。そんなことを言っていても、ならば《クラシック音楽》とは何か……という疑問への答、それ自体が、いまは揺らぎつつあるでしょう。
端的にはそれは、ハイドンさん、モーツァルトさん、ベートーヴェンさん、この超グレートな《古典派》作曲家のお三方につながっている系列です、と言えましたが……。

André Gagnon: Comme au premier jour (1983) - YouTube
André Gagnon: Comme au premier jour (1983) - YouTube
TVドラマの“よろめきのテーマ”として、多用される超名曲!

しかし現在は、どうでしょうか?

近ごろ私が考えるのは、あまり頭がよくない感じの音楽系サイトあたりでは、私が思う《ネオ・クラシカル(or モダーン・クラシカル)》が、もはや区別されていないようだ、ということです。本来のクラシック音楽と。

で、その〈私が思うネオクラ〉とは、どちらかといえば、イージーリスニングおよび《ラウンジ》に近いものなんですよね。端的に言えば、かのA・ギャニオンさんを代表ともするような(!)。
つまり、そんなには別にシリアスでなくて、かつ、受け手においての《効果》を志向する音楽です。

ですけれど、私ども一般大衆においてクラシックっぽく聞こえている音楽はクラシックでいいんじゃないか──という思い方を、そんなに否定もできません。受けいれもしませんが。

【補足】 しかしネオクラの代表として、ギャニオンさんだけを言うのもどうかと考えました。古いですしね!
ならばご参考までに、アイスランドのO・アルナルズ(Ólafur Arnalds)さんの2007年デビューアルバムなど聞いてみてはいかがでしょう。私もそのころ、けっこう愛聴していたもので……。

とてもいいとは思うのですが、しかし、前提も補足もなしで《クラシック音楽》と、呼んでいいものでしょうか?

──とはいえ。〈もはや一視同仁でネオクラを、クラシックに織りこんでいくべき〉とは、一般の音楽ファンらのゆるい思いなしにはとどまらず、いまや《業界》の営業方針のひとつです。

その方針のもと、たとえばグラモフォンのようなクラシック系の権威めいたブランドらから、M・リヒター(Max Richter)さんやJ・べヴィン(Joep Beving)さんらのネオクラ作品が、世に送り出されており。そしてそういう流れは、加速しつつあるように思われます。

なおまた、《現代音楽》につながるものとしての《クラシック音楽》の実体は意外に、その《教練》のシステムなのかも、という気もしてきました。英語なら、“discipline”とも言いたいようなこと。
と、申しますのは……。これら一連のことを書くために私は、エッジの位置にありそうな作曲家たち──P・グラスさんやJ・アダムスさんらの曲を、あらためて聞いてみたりしたのですが……。

すると、気づいたこと──。あたりまえなんですが、そんな彼らのお作らであっても、クラシック系の実にきびしい《教練》を経たものでなかったら、まともには演奏できません。
いくら私が《ローファイ》やおチープなサウンドなどを称揚していても、しかし何とかフィルハーモニーの楽団員ともあるような方々が、下手くそで〈ピキィー〉やら〈ギュグー〉やらのへんな音を出しくさったら、ちと許せません。

で、実にきびしくきびしい《教練》を経て、楽器やノドからきれいな音を、正しいタイミングと適切な抑揚で、出す──。この技能の習得のために、全世界の音楽系の学徒らが、どれだけのばく大なおカネと時間を使い、かつその汗水をダラダラと流しているでしょう?
それを前提として、大前提として、《クラシック音楽》から《現代音楽》への系列が、初めて成り立っています。ゆえに、そこにこそ《実体》があるような気もしてくるのです。

🎻 🎹 🎺

あ、では《現代音楽》のお話は、まずそのくらいにいたしまして……。

ならば、私がヴェイパーウェイヴに関係ありと見ている、現代アートとは何でしょうか?

というその《現代アート》については、このブログにて、何度か話題にさせていただいています()。
端的に言うならそれは、M・デュシャンさんからA・ウォーホルさん、そして《アプロプリエーション/シミュレーション》のアーティストたち、といった事項らで特徴づけられるものです。

もとは《現代美術》と呼ばれていたものが、追って歴史的にへんな大きな拡がりを持ってしまったので、もはや《現代アート》とでも言いかえるべきか、となっているものなのです。

すごく雑に、その流れを追ってしまいますと。第一次世界大戦の直前からその戦後にかけ、諸国で、イタリア未来派・ロシアアバンギャルド・そして国際的なダダ&シュルレアリスム……といった新奇性ある芸術運動たちが、興りました。
そしてこれらの中に、形式や素材らを超越していく《現代アート》の萌芽がありました。《美術》を中心とする見方からすれば、それを音楽や空間や舞台らへと拡張していく動き、とも言えるでしょう。

ところが、第二次大戦の終結後……。いろいろ事情もありまして、全世界の美術界を圧倒的に制覇したのはアメリカ産の、J・ポロックさんやM・ロスコさんらを頂点とする、《抽象表現主義絵画》でした。
もとは《ニューディール》時代に始まって、戦後に大勝利を果たしたものですが。どうにもそれは、《絵画》なるもののきわまりです。その崇高さの、不朽のピークに他なりません。

……ということは、そこが《美術》のひとつの行きづまりの地点でもあった、ということです。
かつ、抽象表現主義は《絵画》であることにシリアスに徹し(すぎて)、ゆえに形式や題材などの面の拡がりの乏しさ、ということも言えそうです。いまの見方では。

ということなので、抽象画家としては二流だったらしいR・ラウシェンバーグさんたちが、その位置を脱すべく、ニュアンス的には大戦間の運動らの復興めいた《ネオ・ダダ》と呼ばれる実践を──それを始めたのが、1950年代の初頭です。

そしてラウシェンさんには、当時の先進的な芸術学校だった《ブラックマウンテン・カレッジ》で学んだ経歴もあり()。そこで彼は、かのJ・ケージさん、あるいは前衛ダンスのM・カニンガムさん、そんな人々にも接していました。
すると。大戦間期アバンギャルドの復興というより、さらに新しい発想でアートの領域を拡張していく準備が、彼には当初からあったとも見られるでしょう。

そういうことで、キャンバスの枠を破り作品を現実へ向けて拡張していったようなラウシェンさん、そして彼の盟友で何か次元の違う《絵画》を描いていたJ・ジョーンズさん。彼らをコアとするネオ・ダダが、〈最高にナウでヒップなアート!〉としての地位を確立したのが、1950年代の末。

で、それからすぐに、1962年。やはり抽象表現主義の王道では評価されなかったようなアメリカの美術家たちが、ネオ・ダダに続くものとして、かの《ポップアート》を創始してくれるわけです。

でもう、そのポップアートのご説明などはいたしませんが……。

しかしそのポップの最大の雄であったA・ウォーホルさんが1966年、彼のアート活動のひとつとして、美術と音楽とダンスらを総合したショー、《不可避的に爆発するプラスチック》を催しました()。
それにより、その出演者だった《ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ》というロック風のバンドが、ふと世に出るはめになった、ということは皆さまも、おそらくご存じでしょう。

そして。続いた67年にリリースされた、そのバンドのファーストアルバム──セルフタイトルですが、俗に“バナナ”と呼ばれるあれ──のスリーブには、なぜか過剰にデカい字でAndy Warholと、プロデューサーである人の名前が書かれていました()。
それが実にいいことだったかどうかは、ともかくも。しかしそこから、ポップ音楽のバンドをプロデュースすることも《現代アート》活動の一環でありうる、ということにはなった感じです。

──もともと《美術》は、絵画と彫刻の二種類でした。18〜19世紀に全盛の、《サロン・ド・パリ》めいた芸術観におきましては。
しかしそういう芸術観がもうれつに攻撃されまくった結果、20世紀の半ばあたり、その分類が〈平面〉&〈立体〉と、中立的かつ没価値的に、言いかえられたりもしましたが……。

しかしそこでも、〈視覚の対象であり、かつ時間的要素を含まない〉という点で、りっぱな《美術》でありました。
ところが《美術》とはもう違う《現代アート》ともなれば、必ずしも視覚にアピールする必要はないし、また音声やビデオの再生などでも作品たりうるわけですね!

かつ。ここまで資料とか記憶とかをほじくり返してくると、《現代音楽 - 現代アート - ポップ音楽》という三者の接点を継続的に作っていた、ケージさんやラ・モンテ・ヤングさんたちの活躍が実にめざましい、と痛感させられます。とくに、1960年代あたりにおいて。
ヴェルヴェッツの初期のメンバーだったJ・ケールさんにしても、ケージさんに心酔するヤングさんのお弟子、くらいな人物だったわけで。

かつまたケージさんを先導者として、ヤングさん、T・ライリーさん、S・ライク(ライヒ)さんたちが、《ミニマルミュージック》という現代音楽の超アメリカ的スタイルを作っていったわけですが……。
そしてこの系統はさいしょから、広く多様なアートの方面に開かれて、かつポップ音楽の方面に対しても友好的でした。
そしてこの流れの末に現在いる人が、やや遅れながら大ブレイクを果たした、P・グラスさんでしょう。

で、そのいっぽうのヨーロッパでは、ブーレーズさんやシュトックハウゼンさんたちが、それもまた巨大な牙城に君臨……というのも、せいぜい1970年代くらいまでの古い話ですが。
ともあれ、そういうヨーロッパの本流的な《現代音楽》には、ポップ音楽との接点などは、あまりあった感じがしませんのです。お高尚で

なおまた。私どものニッポンにしても1980年代くらいまでは、《現代音楽》の先進地域であったと、私は信じています。
そしてそこからの拡がりを求める試みが、種々あったことも、やや存じています。が、しかし、〈これが成功例〉と言えるものが、あまり思い出せません。

なお、さらに余談が続くようですが……。ここまでなぜか、アメリカの人ばかりが賞賛されているようですけれど……。

R. Hamilton: Just what is it that makes today's homes so different, so appealing? (1956) - en.wikipedia
R. Hamilton: Just what is it that makes today's homes so different, so appealing? (1956) - en.wikipedia
R・ハミルトン「いったい何が今日の家庭をこれほどに変え、魅力あるものに…」

しかしイギリスにもまた、むしろ米に先んじて、R・ハミルトンさんの《ポップアート》が存在し……。
そしてその強い影響下に、ヴェルヴェッツに劣らず革命的であったロックバンド《ロキシーミュージック》が発足し……。
さらにそこから、B・イーノさんという巨人が現れ、《現代音楽 - 現代アート - ポップ音楽》という三者の接点を継続的に作ってきていることは、ぜひぜひ大特筆されなければなりません! イェイッ。

そのイーノさんのあまりな偉大さ、その秀抜なコンセプトらについては、このブログでも何度かご紹介しているでしょう( / )。

あ、ですが……しかし、話は戻るのですが。そうこうだからといって、たとえばヴェルヴェッツの音楽そのものが、《現代アート》であるでしょうか?

それが……私としては、やはり主にはポップ音楽じゃないかと思うんですよね。

ではありますが、現代アートの端っこに引っかかっているものだとも、けっして言えなくないでしょう。

また、イーノさんによる超名作でしかないあの楽曲たちも、同じく──主にはポップ音楽でしょうが、しかし現代アートの端っこにあり──どっちみち、きわまってすばらしい!──と、見ています。

そして。それくらいの位置にあるものであろうかと、私はヴェイパーウェイヴについても、考えている……。もしくは、そうであることを──あっていくことを──期待しているのです!


Vaporwave, Contemporary Classical Music and “Contemporary Art”

[sum-up in ԑngłiꙅԧ]
This article discusses whether the musical-esque sound of Vaporwave can be called art or contemporary music.

In addition, this question was posed by ZAWANAN, a young Vaporwave producer from Nippon. His work is also excellent, and I highly recommend you to listen to it ().

Now. My opinion, in a nutshell, is this.

Vaporwave is basically pop music, but it is somewhat related to contemporary art.
It is especially close to what is called "simulation" or "appropriation" in contemporary art.

The distance between pop music and contemporary art has also shrinking considerably since A. Warhol introduced the Velvet Underground to the world.
Also, under the influence of R. Hamilton - a pioneer of British Pop Art - Roxy Music, a band as revolutionary as the Velvets, was born.

And Brian Eno, who left the Roxy, has done a tremendous amount of supreme good work to date in constantly exploring the boundaries between art and pop music.

Our Vaporwave does not have to aim for highbrow status, but it can still engage with contemporary art in the aforementioned way!

虚: 肉と骨 (2022) - 静かに、お静かに…ハッシュウェイヴの時間です…

ヴェイパーウェイヴ用語集に、ついさいきん追加された《Hushwave, ハッシュウェイヴ》の項目──その補足のような、これは記事です。
ゆえに可能な限り、そちらの記述を先に見ておいていただきたいのです()。チラッとでも。

だいたい私が、そのハッシュウェイヴ、ヴェイパーのぶきみで陰気な子守唄であるものを、知らなくて──。
すぐれたアーティスト《b e g o t t e n 自杀》さんのことは知っていたにしろ、その作品らがハッシュウェイヴというものだとは、認識していなかったんですよね()。

そんなところへ、〈ハッシュウェイヴが、在る。〉と教えてくれたのが、今2022年から活動中のアーティスト、《虚》または《derivative誰》を名のる人です()。
というよりも、虚さんのハッシュ活動がなかったらハッシュウェイヴは、“サブジャンル”ではありません。単に、b e g o t t e n 自杀さん個人の作風を言うことばにすぎなかったでしょう。
そのご本人を除き、ハッシュらしいハッシュを継続的&集中的に作っている人が、虚さん以前にはいなかったからです。

それを言うために調べてみたんですが、シグナル系の巨人である《Kratzwerk》さんのアルバム、“中”(2019)──ここに、ハッシュウェイヴのタグが入っています()。
これが確かにハッシュであって、いい作品です。奇妙な厚みをそなえたサウンドの作りが、実にみごと!
ただし、ぶきみさに傾きすぎで、相反しながらふんいきを形成する甘さの要素が、やや足りないかも知れません。

そこから言うなら、では、現在のハッシュ系の旗手になっている虚さんによるサウンドは、どうでしょうか?

──ちょうどクラッツさんと正反対に、それほどにはぶきみさがなく、心地のよい甘さが優勢です。
それと、ご本家やクラッツさんにあるような、奇妙な音の厚みによる圧迫感がありません。

──ただしそういう虚さんの音を、やや軽く明るめのハッシュであるものを、私は好ましいと思っています。そんなにまで圧迫感のあるものを、求めてもおりませず。

あとさいご、ついでになるんですが、もうひとりご紹介します。米ユタ州の人であるらしい、《w e l c o m e 買い物客》というアーティスト……()。
この人は、2021年の暮れから現在までに、5作のアルバム/EPらをリリースしています。そしてそのすべてに、ハッシュウェイヴのタグが入っています。だからこそ、このたびこの人と、私は遭遇できたのです。

そこまでは、たいへんいいことでした。しかし聞いてみたところ買い物客さんのサウンドは、いっこもぜんぜんハッシュ系ではありません。こらあーっ。

ですけれど、モール寄りのクラシカル・ヴェイパーみたいなものとしては、なかなかいいんですよね。新しい作品ほどよくて、耳にやさしいソフトなローファイさがうれしい……!

というわけで、あまりまとまりが、ありませんが。
かくて、いま現在のハッシュ系ヴェイパーをリードしている虚さんに続き、多くの人が輩出してシーンを盛りあげてくれることを祈りながら……!


虚: 肉と骨 (Flesh & Bones) (2022) - Hush, hush… It's time to Hushwave…

[sum-up in ԑngłiꙅԧ]
Hushwave is an eerie, brooding Vaporwave lullaby. It was originated by an already well-established and distinguished artist, b e g o t t e n 自杀.
And following its founder, the person who has been intensively creating hushwave is the (Emptiness), active since 2022. His activities have made Hushwave a "subgenre" of Vaporwave.
Compared to its founder, the sound of 虚 may lack some eeriness and thickness of sound. However, I find these characteristics of his sound rather pleasing.

On a side note, there is an artist called w e l c o m e 買い物客 who seems to be from Utah, USA.
His albums are tagged as Hushwave, so I gave it a try. To my disappointment, it did not sound at all like Hushwave.
However, as a Classical Vaporwave similar to Mallsoft, the sound is enjoyable enough. The recent works are especially good.

So I have high expectations for the future of Hushwave...!

CT57: local network (2022) - 失われた距離を、再び…ハイパーリアルから

この記事では、カナダのトロントにベースを置くアーティストである、《CT57》さんの作品らを、ご紹介しようとしています()。
なのですが、まず、少し前おきが……。

ニュージャージー《Wizard of Loneliness》は、大きな実績のあるヴェイパーウェイヴ関係のレーベルです()。
そしてそこから出ているコンピレーション、“Vaporwave Up & Comers”のシリーズは、毎年の注目のまと。タイトル通り、有望な新人や若手アーティストたちの作品集オムニバスです。

この新人セレクションは、2018年に第1弾が出て、以後は'20・21・22年と、年に一度の連続でリリースされています。
そして2021年版から、そのキュレーションを、《ᴘₒʟʏɢʟᵒᴛ》さんが担当しておられます()。この人の選曲の傾向に、私は強く共感しています!

さらに最新の22年版は、アルバム全体のマスタリングまでが、このポリグロットさんによるのです。
それがもうみごとにスムースな仕上がりで、コンピレーション特有の曲間の凸凹ギャップ感が、ほとんどありません。全26曲・99分のアルバムとして──“ひとつ”のものとして──ゆったりと、愉しめることでしょう!

と、そういうことですから、この選集は強くオススメです。ぜひ皆さんもこの中から、お気に入りの楽曲やアーティストらを見つけてください。
そして私としても、この中からの強力なお気に入りを、ひとつご紹介させていただきたいのです。

“Vaporwave Up & Comers 2022”の22曲め、CT57さんによる“Radio Network”は、何か恐ろしくローファイ化された、イージーリスニングめいたトラックです()。
もとの素材は、あるいは有名な曲なのかも知れません。ともあれ1970年代くさいサウンド──その美しいメロディ──が、へんなノイズをまといながら、よろよろと再生されています。

これが私には、とてもショッキングだったんですよね。撃たれた感じ!
と申してしまいますと、さきに述べた本アルバムのスムースさ、ということを打ち消すようですが。
それは実にさりげない音でもありながら、しかし怒とうのような、ノスタルジーの奔流に襲われた気がして。

この楽曲について私が感じたのは、《距離》がある、ということです。

もとの素材がおそらく古いものなので、まずはとうぜん、時間的なへだたりを感じさせます。
しかもへんにローファイ化され、ノイズ混じりになっているので──。はるか遠い外国の中波ラジオ放送が、何らかの天候の条件などにより、ごくまれに運よく(?)、受信されているような印象です。

そしてこのトラックが、そういった《距離》らを強く実感させてくれていることに、私はこころよい衝撃をこうむったのです。

……で、その、さて。ボードリヤールさんの述べておられる、《ハイパーリアル》とは、いったい何でしょうか。
むずかしいですがひとつには、そこでの《距離》の滅却、ということがあると思うのです。

すなわち、地球の裏側くらいの遠くでのできごと等を、リアルタイムのハイレゾで視ることができる、その場で体験までしたような気さえする──というような。

さらに。最新のドラマや映画などには、もろもろのテクノロジーを駆使し、たとえば数百年も前の人々の生きようを、あざやかくっきり再現しているように思わせるものも、多くあるかと思います。
まるで、その遠いはるかな過去にじっさい居あわせているような、ユーザ体験の実現に向けて……!

そのような《ハイパーリアル》風の体験らが、いま人々によって歓迎されており。またそのような体験らをベースに人々はいま、自分らの意識やイメージらを構築しつつあるのでしょう。

CT57: ANIK TELESAT (2021) - Bandcamp
CT57: ANIK TELESAT (2021) - Bandcamp
冒頭の「ブルー・スター」がすばらしい

ただし、そういうものが──そのタッチのフレッシュさは否定できませんが──好ましいだけのものであるのか、どうか?
空間的&時間的な《距離》が、実在しているにもかかわらず、それは否定され無視されるだけで、よいのでしょうか?

ことによると《ハイパーリアル》とは、人間たちを、〈いま・ここ〉という単一の時空だけに閉じこめる──しかも幻想として構築された時空──そんなものだったりは、しないでしょうか?

と、そんなことを以前から考えていたのかどうか、それがもう思いだせませんけれど。
ともあれ、CT57さんによるトラック“Radio Network”が、私にそういうことを考えさせました。
対象の現前のリアルさというハイパーリアルではなく、《距離》の存在をリアルに感じさせるものとして。

そして。そういう想いをいたしてから、われらがCT57さんのディスコグラフィ等を、チェックしなおしますと……。

このバンド名はおそらく、〈第57チャンネル〉という意味のようです。
2021年の暮れから現在までに、5作のアルバム/EPらが発表されています。その作品傾向は、すべて放送めいた演出のシグナルウェイヴです()。

そしてそれがもう、この《距離》の感じをグイグイと押してくるものばかりで……。ローファイ化された、遠い、1960〜70'sめいたムード音楽の切れはしのようなもの……。エレクトロ的な響きがほとんどない、という特徴もあるでしょう。
とても悦ばしく、私は好きですね!


CT57: local network (2022) - Lost Distances, Again... Back from Hyperreal

[sum-up in ԑngłiꙅԧ]
In this article, we would like to introduce the works of CT57, a Vaporwave artist based in Toronto, Canada.
But first, a little preamble...

The "Vaporwave Up & Comers" series of compilations on the New Jersey-based Wizard of Loneliness label has been the focus of much attention every year. As the title suggests, it is an omnibus of works by promising new and emerging artists.

And its 2022 edition, curated and mastered in its entirety by ᴘₒʟʏɢʟᵒᴛ. I think it's a great job!

And the 22nd track on the "Vaporwave Up & Comers 2022" album, "Radio Network" by CT57, moved me strongly.

The track has a kind of horribly lo-fi, easy-listening sound.
The original material may have been a well-known song. Whatever the case, the sound was very 1970's, its beautiful melody, and it was played with a strange noise and staggered.

What it strongly reminded me of was the "distance".

Since the original material is probably old, it is obvious that there is a gap in time.
Moreover, it is very low-fidelity and noisy, giving the impression that a medium wave radio broadcast from a faraway foreign country is being received only rarely due to some weather condition or other.

The concept of "Hyperreal" advocated by Baudrillard, it tends to destroy such distances in time and space.
On the other hand, however, this is not the case. I found the track wonderful, not as Hyperreal in the sense of the actual reality of the subject, but as an expression that makes the existence of "distance" seem real.

Now, let me check the discography of CT57 again.

From the end of 2021 to the present, five albums/EPs have been released. All of them are Signalwave with a broadcast-like production.

And they are all pushing this feeling of "distance"... It's like Lo-fied, distant, mood music à la 1960-70's... It would be characterized as having little or no electronic sound.
Very pleasing, I much like it!