エッコ チェンバー 地下

─ €cco ₵hamber ฿asement, Vaporwave / Đésir đupłication répétition ─

『仮想 夢 アセンション』(2019) - ヴェイパーウェイヴのテーブルトークRPGシナリオ

コボラー》氏の制作による『仮想 夢 アセンションは、ヴェイパーウェイヴのテイストとテーマ性をそなえた、テーブルトークRPGのシナリオ。ジャンルはホラー系。2019年12月から、Pixivにて公開中()。
テーブルトークって自分には縁のない遊びだが、しかしこのシナリオは、一種の小説として愉しむことが、じゅうぶんに可能。
するとひじょうにひき込まれたし、また自分のヴェイパー観に共鳴しあうものを感じてしまったんだ。なので、ちょっとご紹介に及びたいんだよね。

なお。〈“RPG”ゆうたらドラクエみたいなヤツやん?〉くらいの認識しかない、平均的なニッポン人である自分ゆえ、このシナリオのプレイヤビリティみたいな点は、まったく見当がつかないんだ。あくまでも、一種の小説と見た上でのご紹介と感想なんだ。

で、『仮想 夢 アセンション』は、だいたいこういうお話のよう。

現代のニホン語のネット上、アセンションということが、ちらほらと話題に。これは〈次元の上昇〉とも言い換えられ、何かひじょうにいいことのように言う人もいる。
また、すでにそのアセンションを達成した人もいるっぽく、その通称がどこかで聞いたような、〈リサフランク240〉。これをはじめに、〈MACプラス〉とか〈猫 シ コープ〉とか、ヴェイパーくさい偽名が飛び交うお話になっている気配。

さて、この重大なモチーフであるアセンションとは、いったい何ごとなのか? 筆者(モドキ)が独断的に説明してしまうと、個人の人格が肉体を棄てて、サイバースペース上の知性へと転生するみたいなことなんだが……。

けれども作中でのアセンションの実態は、けっこうサムいもののよう。

まず、アセンションした人は、ふつうに死ぬ。死んだあとに残されるのは、ネット上にて生前と変わりないような行動ら──SNSにささいな発言を投稿するとか、ネットゲームに参加するとか──を継続する、一種の人工無能めいたプログラムでしかないようだ。こいつらが、〈アセンションはいいぞ〉という風説を流しているらしい。

けれどもこのプログラムは、自己の維持のため、現実世界の人間の行動をちょっと操作することができる。その操作された人間(ら)が、プログラムの走っているサーバを管理し、また、あちら側の者たちのネト上の活動資金(ネットマネー的なもの)を供給している。

かつ、アセンション者たちのプログラムが特定サーバ上に《偏在》しているということは、ネト上に《遍在》する知性、という理想を実現できていない風だ。ファイアウォールらを突破できるまでの技術力は、持ちあわせない、ってわけなのだろうか?

といった状況下、プレイヤーたちは《アセンション》の推進派と反対派とに分かれて争う。そして結末は、反対派がアセンション(=死亡)してしまう、またはサーバが機能停止してプログラムがオジャン、みたいなことになるのかと。

──つまり──。

思う理想はギブスンやイーガン、さもなくば攻殻機動隊みたいな境地だとしても(?)、しかし現実が、まったくそれらに追いつかない。中途はんぱに発達しちゃったテクノロジー、その強いてくる制限らに迎合し、自分らの身の丈をグググ……と縮めていくことしかできない。

また。『攻殻』のヒロインのモトコさんが、押井守版アニメ(1995)の結末で、〈ネットは広大だワ〉と、あの有名なせりふを言う。そう、確かに〈ネットは広大〉だが──。
しかし、その中に超越的なものは、何もない。ただ人間らの作った環境内で、人間らがジメジメと活動しているだけだ。

といった、《安さ》の自覚。安いだけに万事がイージーラクショーだが、しかしひっきょう安くしかない電脳世界。

けれどもその安っすい世界の中で、少なからぬ人々が《必死》で活動しているという現実。

そうして、この『仮想 夢 アセンション』というお話が描いている、《アセンション》という名の、どチープな不死の実現。また、そこにかける作中の人々の、《必死》ぶり。そういうのが、ふしぎと切実にリアルだ……と、オレは感じ入ったんだよね。

ファミコンゲームにドハマリしたせいで、その8ビット世界での永遠の生命を望む者が存在するだろうか? けれどそういうおバカなことを、〈考えないでもない〉という人間の奇妙ふかしぎさ。
そんな想念らをすくい上げていくことも、ヴェイパーウェイヴの使命に違いない──と、オレは思うんだよね。

で、あとひとつ付け加えると、この『仮想 夢 アセンション』のシナリオには、ワケの分からないゲームシステム関連らしい用語が、大量に書き込まれている。それらのワケの分からなさが、自分の感じた面白みを増強している。
発信サイドの意図であろうとなかろうと、ワケの分からないサインとシグナルらの大渦に囲まれながら、平気で生きている。そういうオレらの現実をいつわりなく記述していくこと、すなわちヴェイパーウェイヴ。