エッコ チェンバー 地下

─ €cco ₵hamber ฿asement, Vaporwave / Đésir đupłication répétition ─

ポスト・インターネット時代の《好き》をさがして──(1)情勢論2023

BLANK安息日: MKULTRA6420 (2023) - Bandcamp
BLANK安息日: MKULTRA6420 (2023) - Bandcamp
あまり本文と関係ないのですがロクヨンがカッコいいヴェイパー近作で洗脳されます

《ポスト・インターネットのポップ音楽》……と呼べるようなものが現在あると、いちおう前提しまして。
そしてその中に三つの、コアっぽいジャンルがあるかなと、考えています。

その三つとは、ブレイクコア/ヴェイパーウェイヴ/ハイパーポップです。

とは、それぞれの音楽的な特徴そのものが21世紀的、ということもありますが。でもまず、それらの生態や生息地らが、ポスト・インターネット的でありすぎるのではないでしょうか。

そして、その中で。
ブレイクコアは速さと激しさを誇り、ヴェイパーは催眠的かつノスタルジック、そしてハイポはけばけばしい〈デコり〉によって《自我》をアピール……と、通常は相容れないような特徴たちを、それぞれに打ち出しています。

ゆえに〈天下三分の計〉が、ひとまず成り立っているような。
……いやまあ、ワールドワイドのアンダーグラウンドな電子ポップの世界という、広いのか狭いのかよく分からない〈天下〉の話ですけれど!

──といった感じに“いま”の状況を、私は見ているのです。

そしてそれらの中で私の共感が、主になぜだかヴェイパーにあるんですよね!

なおフューチャーファンク(F・F)の立ち位置は、前記の図式の中では、ヴェイパーに属するものと考えておきます。
なぜならば。もしもF・Fなる音楽に、20世紀にはなかった新しみがあるとすれば、それはヴェイパーから継承している要素らであるからです。

とまでを見てから、思うのですが。《ポスト・インターネット》時代の情勢の変化のインパクトは、別に新しめの音楽にだけ及んだのでは、ないでしょう。

およそ中世あたりから現在までに生みだされた、ほぼ“すべて”の音楽──仮にも録音されているようなものであれば、YouTubeのみ介したとしても、その“すべて”を無料で視聴できそうな、現在です。
いにしえからの音楽にしても、その在り方を変えないわけにいくでしょうか?

……ああ、かつて20世紀には音楽が、なかなか希少なものでありました。ことに、新しいレパートリーや演奏たちを、多く求めつづけるとしたら。

そういう欲望を追求して──音楽ファンであるような人々はもう、いちいちレコードやCDを買ったり借りたりして、それらをプレーヤーで廻し……。
あるいは、時間どおりにFMラジオ等の放送をチューニングして、かつはエアチェックなどし……。
さらにはご苦労もきわまったことに、ライブ演奏の会場やクラブにまでも足を運び……。

そういう金銭とお手数の大量さを、ずいぶ支払ってきたものです。

それがいまではユーチューブさえ見れるなら、ほぼこと足りる、とも言えます。……いや、別につべを強く推していく気もないので、ネットで音楽を聞くにもいろいろな経路がありつつ、とは申しそえますが。

🌐 🛰️ 👨‍💻

そうして──。ヴェイパーを筆頭とする《ポスト・インターネットのポップ音楽》たちは、むしろこうした状況を前提に、生まれてきたものです。
主にネットのせいで、音楽っぽいサウンドたちが、超ディスカウントされている状況を。

そしてその超ディスカウント状況は、もはや変えられないし、ことの前提として考えなければなりません。

ゆえに、“いま”はヴェイパー(等)である、と言えるでしょう。

かつ、いにしえからの音楽にしましても……。

Josquin: Ave Maria sung by Chanticleer (1982) - YouTube
Josquin: Ave Maria sung by Chanticleer (1982) - YouTube
ルネサンス音楽・再注目!という時代の名演のひとつです

たとえば私の好きなルネサンスの宗教音楽などが、いまはネットで即・聞けるということは、いいような気がするんですよね。そんなおもしろ状況が、単に愉しいだけでなく、《何か》を生みだしていかないとも限りません。

そういえば。
どうして私がそんなルネ……うんぬんの、まったくプロモーションなどされないような音楽にもハマったかと申しますと。

それはそのCDたちが、地元の図書館で無料で借り出せたからです(!)。そこからの親しみが私の生活を少し愉しくしてくれたので、そういう音楽のディスカウント活動が、“ほぼ”いいことのように思えるのです。

そうして。中世から現在まで“すべて”の音楽めいたサウンドたちが、同じプラットホーム上にずら〜りと、無料でなくともただ同然の価格で、並べられている現在に……。
……人々のそれぞれが選ぶのは、何かのつごうでプロモされマーチャンダイズされたような音なのでしょうか、そうではないものに生息域は残されるのでしょうか……といったことを気にしながら、いま私は生きています。


In Search of "Likes" in the Post-Internet Era ── (1) Theory of Circumstances, 2023

[sum-up in ԑngłiꙅh]
I am wondering if there are three, core genres of Post-Internet pop music.

The three are Breakcore/Vaporwave/Hyperpop.

And Breakcore boasts speed and intensity, Vapor is hypnotic and nostalgic, and Hypo appeals to the "ego" with its decoration…
They each exhibit characteristics that would normally be incompatible with each other.

Hence, they are at least temporarily occupying each separate habitat.

By the way, the Post-Internet music situation can be characterized, first of all, by its ultra-discounting.
People no longer need to buy anything or leave their homes to listen to music. All they need is an Internet connection and some kind of device, and they can listen to "everything" even if they only use YouTube.

The "Post-Internet pop music" led by Vaporwave, was born from the premise of this situation.
Mainly because of the Internet, music-like sounds have been super-discounted.

This super-discounted situation can no longer be changed, and must be considered as a precondition.

Therefore, it can be said that "now" is the Vaporwave.

(de)generateせいはく / Maid Dresses - AIで生成されたらしいヴェイパーたち

いま現在の2023年・春あたり……。〈AIの進化がスゴい〉ようなお話が、よくネット上では、言われているようです。

何がすごいのでしょう?

たとえば〈チャットGPT〉とかいう対話型AIがあって、何か質問すれば、それらしいことを何でも答えてくれるらしいです。

で、人々は……。

自分自身が〈知っているつもりのこと〉について、AIに説明を求めます。
そこでAIが、とんちんかんに思える答を返せば、〈まだまだやナ!〉と、安らぎの笑みを浮かべます。
逆に、それらしいと思える答をAIが戻してくれば、〈ほほう、やるやんケ〉と感心もしたりします。

そしてこの過程で、知識の量は、何ひとつ増えていません。

ゆえに、くだらない!!……と言いすててしまうのも、しかし早計らしくて。

というのは──。人智の最高峰がふつうに集う場と言われる《タフスレ》の、かしこい先パイから聞いたのですが──()。
このてのチャット型AIのすぐれたものは、〈まとめるのが上手い〉という点を見て、活用できるそうなのです。

ということは、あれでしょう……。ウィ・キペ・ディアの記事なんか、AIに書かせたほうがいい、ということになりませんか?
あれはもともと、既存の情報をまとめただけ、というのがポリシーのようですし。しかも、現状はへんな執筆者らによる過剰な作文とか、または疎漏にもほどがあるような記事とかが、たいへん多いようですから──少なくとも、ニッポン語のそれについては。

🦾 🤖 💥

ですが、しかしです。
電子的に流通している情報たちを、単に多数決的にまとめただけの《思考》であれば、〈陰謀論は正しい〉とか、〈代替療法らは有効である〉とか、そういう結論に導かれることが、大いにありそうです。

よって。そんなことをAIさんが言い出さないように、けっきょく誰かという人間めいた“もの”が、古くからの権威や良識めいた知見らを参照しつつ、見守っていなければならないのでしょうか。

いや、そもそもです。

私なんかは〈陰謀論代替療法たちは、“すべて”がフェイク〉と見ているとして、だがそうじゃない人々が、数多くいるでしょう。
そしてそういう人々が、正しいものとしての陰謀論らを広宣流布するAIを、みごとに構築なさいますでしょう。

〈正しさのきわまりを、マシーンに対して求めること〉──これを《本能》と呼んではおかしいですが、そういう傾向が人間らには、根深く強く、ある気がします。

マシーンらの生成物らの特徴である〈電卓的な正しさ〉を、“すべて”に対して、求めてくるわけです。
または。〈電卓的な正しさ〉の正しさという目の前の証拠から逆に、“すべて”についての正しさのきわまりを、マシーンらに対して求めていくのでしょう。

……手塚治虫先生のすぐれた洞察は、その代表的シリーズのひとつ火の鳥 未来編』(1967)で、統治の“すべて”を電子頭脳らにゆだねた人類の滅亡を、描いています。
そのときは西暦3404年のこと、とされて。
その統治する電子頭脳らは、現在ある〈Siri〉さんか何かのように、女性めいた疑似人格をそなえたAIだと言えましょう。主人公たちの住む都市国家〈ヤマト〉では、その彼女が、〈ハレルヤ〉と呼ばれています。

そしてこのハレルヤさんが、旧ソビエトめいた都市国家へ亡命しようとしている主人公の処遇をめぐって対立、そちらを治めるAIの〈ダニューバ〉さんと、直接の談判におよびます。
ところが両者のご交渉は、感情的な言い争いへと堕して、それがとめどなくエスカレート……。ついには、全都市国家間の核戦争が勃発!
……これが『火の鳥』シリーズにおける、ほぼ全人類の終焉だと見られます。

さて、これを見れば。少なくもなさそうな、お賢い読者さんたちは、こう考えなさるかも知れません。
そもそもそんな、核戦争がスタートされるような〈アルゴリズム〉がおかしいでしょう、と。

ですけどしかし、核戦争がなされないようなアルゴリズムこそが〈正しい〉ということを、いずこの誰が、正しく保証するのでしょうか。

現実の現代の世界でもそうですが、〈ヤるべきときには、ヤる!〉ということを前提におぞましくも、核兵器らが開発・配備・維持されているのではありませんか?
マンガであるものとしてこれはもちろん、単純化されデフォルメされた表現では、ありますけれど。しかし〈正しい〉演算の結果としてAIが、そういうことをしてくる可能性はないのでしょうか。

そうして……手続きだけの正しさが、希求されている完全な正しさの代替品として、人間たちへと押しつけられます。
そうして……いずれは人間たちは、その代替でしかない正しさを、ちっとも疑ったりはしなくなるのでしょう。『火の鳥 未来編』の主人公たちも、ほんとうの難題や生命の危機らに直面するまでは、まったくそうであったように。

ジャック・ラカンさんが正しくお伝えくださったように、〈真理についての真理は存在しない〉──で、あるのですが。

『TOUGH 龍を継ぐ男』330話より、猿渡哲也先生がしつように再利用なさり続ける原爆キノコ雲の画
『TOUGH 龍を継ぐ男』330話より:猿渡哲也先生がしつように再利用なさり続ける原爆キノコ雲の画

で、まあ。えーとです……さて。

AIであるような非・人間めいたシステムに、《真理》を求めていくことのお話は、これまでとしまして。

そのいっぽうの、人間らの娯楽になるような表現をそれに求めていくこと──その方面の可能性──まあ違うんですけれど、しかし、何か同根のところがなくもない感じ──。

それで、ご覧のブログの専門分野であるような、例のヴェイパーウェイヴというあれのお話です。

昨2022年の12月──。〈AIによって自動生成されたヴェイパーウェイヴ〉と称するアルバムが2点、リリースされました。

まず先んじたのは、《(de)generateせいはく》を名のる人による、“i take no credit. everything is generated.”です()。15曲・78分を収録。
かつ、これのアルバムアート──D・ホックニーさんの画風が超ずさんに真似されているような──もまた、AI生成によるものだと、アナウンスされていた気がします。
だがいま現在はもう、AIアートでこんなにまでおそまつなものは、逆に出てこない感じですけれど!

それで音楽はというと、まあいちおうヴェイパーであるかのように、聞こえなくもないが……くらいのしろものです。
ああ、いや。これのリリース直後に初めて聞いたときには、もう少しいいような印象だったんですが……!

さて、これの作者の何とかせいはくさんの正体は、おそらくですが、ヴェイパー界きってのお騒がせ人物である、《COSMIC CYCLER》さんであろうと、私は邪推しています()。

この世界で一般に《CC》で通っている、このCCさん。その実体を隠しながらヴェイパー界で、異様に手びろく、ご活躍・暗躍されているふしがあります。──と、臆測しています。
そしてその人の最悪のふざけた面が、《DREAMTONE BANGERS》と名づけられた、ゴミくささがきわまっているレーベルの運営に出ておりまして()。
そしていま点検しているアルバムもまた、そこから出たものです。

そして。その何とかバンガーズのツイッターアカウントにて、〈この楽曲らは、このAIっぽいサービスによって作られたんだ〉という一種のタネあかしが、なされていました()。
それで、同じサービスで私もちょっと、やってみたんですよね。すると、〈なるほどね……〉くらいのサウンドは、生成されましたけれども……()。まあそういうものが、すでにあるということです。

それと、もう一件。せいはくさんに続きまして、バーバー・ビーツのプロデューサーとして知られる《Maid Dresses》さんが、すべてAI生成というアルバムをリリースされました。
そのタイトルは“ILLUSIONS”、11曲・29分を収録。

それで──。さっきも述べましたんですけれど、リリース当時に聞いた感じでは両作とも、もうちょっといいような気がしましたのに。
しかしいま現在は、〈何も別に、こんなものを……〉という印象になっているんですよね。

──だいたいのところ。AIのアルゴリズムの偏りゆえか、ヴェイパー独自のあのテンポ感が、レゲエの遅みと混同されていそうなところが、正直あまり気に入りません。

いや。もともとくだらないヴェイパーウェイヴですから(!?)、無能なAIに制作させたところで、大して変わりがないかとも思っていたんですが……!
いくらクソ安いヴェイパーごときでも、何やら作者めいた人(々)の意図とか意思とかみたいなものが、どうにかその貧しい愚かなサウンドたちを、かろうじて少しは活気づけていたのでしょうか?

いや。ここでメイドさんの名誉のために、付言しますが。ふだんのこの人の制作物は、もっといい感じです。私においてはその人の、22年・11月のアルバム“Extra Pain”が、とても印象的であり続けています。

理髪店ビートはその全般に、根ぶかい苦悩からの逃避のため、すぐ目の前の確実な快感と痛覚らを強調し、そこに集中してかかろうとする。そういうところがあると思います。
しかしメイドさんサウンドは、わりと痛覚の側に傾きがちで──。床屋系ヴェイパーとしては苦すぎる気もするんですが、しかし奇妙な共感があります。

……と、いうわけでなのでしょうか。
イカモノを好む傾向のかなりある私でさえも、あまり……とまでの反響を得たせいか、その後、AIを用いたヴェイパーの制作が、あまり追求されておりません。少なくとも、私の眺めている範囲内では。

とはいえ、しかしです。

AI生成によるテクストや画像らもそうなんですが、質がいまいちだったとしても、とりあえずカタチさえできているものであれば、究極のコストダウンを目ざす過程にて──人件費削減と納期短縮のため──人力の生成物らを押しのけて、採用されてしまいそうな気づかいが、きわめて大いにあるでしょう。

たとえばこの現代に、安いものでは《ハンバーグ》だと称しながら、ふかしぎ奇妙なタンパク質を練りあげて作っているものが、多くありますが。
それに等しい合成品のテクストや画像やサウンドたちのはんらんが、私たちを待ちうけているのでしょうか。いや、すでにもう……。

そして、そういう方向に流れてしまいそうな世界の中で。
たとえば《ミューザック》や《ライブラリー・ミュージック》などの貧しい音楽らについて、ずっと私たちの感じてきた一種のあいきょうや愛着などは、いったい何だったと考えられるのでしょうか?

AIが生成した曲らをBOTが聞くという音楽のユートピア、また近づきました❢

せいはくさんの“i take no credit…”のリリース当時、作品紹介としてそんなことを私は、ツイッターに書いていました()。
いずれはそういうユートピアの実現もあるとして、その門が、私ごときには閉ざされているような──そんな寂しい気もしています。


“Vaporwave, auto-generated by AI” - The experiments

[sum-up in ԑngłiꙅh]
In December 2022, two albums entitled “Vaporwave, auto-generated by AI” were released.

The first one was “i take no credit. everything is generated” by someone who calls themselves (de)generateせいはく. It contains 15 songs & 78 min.
Next was “ILLUSIONS” by Maid Dresses, known as the producer of Barber Beats, with 11 songs & 29 min.

Nope… It's a crappy Vaporwave from the start, so I was wondering if the incompetent AI produce it would make no much difference.
However, I didn't feel that there was much more value in both pieces than “it sounds Vapor-ish, at least, barely”.

No matter how cheap the Vapor is, but the will or intentions of some kind of author-like people had managed to revitalize those poor stupid sounds just a little…?

Especially. The usual works by Maid Dresses present the contrast between pleasure and pain that Barber Beats in general does, leaning on the side of pain. An example is the album “Extra Pain” released in November 2022. I am quite sympathetic to those.
Even if the sound is not widely liked, however, the intention behind it gives the works their existence value, …, etc., and a strangely retrograde humanist impression came out of me!

『TOUGH 龍を継ぐ男』、そのほか - 俺はジェンダーレスだぜ 男も女も…

本邦とも呼ばれるニッポン国が、全銀河系に誇る、バイオレンス劇画の第一人者──。もちろんそれは、われらが猿渡哲也先生です。イェイッ

その猿渡先生の現在、絶賛・執筆中でおられるシリーズが、『TOUGH 龍を継ぐ男』(単行本は、27巻まで既刊)。
少しでもマンガや劇画に興味をお持ちの皆さまにおかれては、もれなく愛読し拝読なされていることと、せつにお悦び申しあげます!

で、さて。このシリーズの、単行本では21巻の巻末から22巻に、少し気になる人物が登場なさいます。
その《彼》は、ニコライと名のるフリーランサーのギャングでアウトローです。ベラルーシ出身を自称、その東側のほうで身につけた〈システマ〉等の格闘術を自己流に改変し、悪用しています。

そのニコライさんが雇われて、われらの側の、おなじみ《灘神影流》の宮沢一族に、ケンカを売ってくるのですが……。

で、さて、宮沢鬼龍の娘である優希さんの誘拐を、ロシアン・マフィアである黒幕から依頼された、ニコライさん(251話)。
そして、タブレット端末に送られてきた優希さんの写真。その美しいのを見てかニコさんは、いきなり彼女をレイプしたいような、とんでもないことを言いだします。

俺はジェンダーレスだぜ
男も女も平等に陵辱してやるのよ

……まったくもって困った人が、出てきたものです。
そうして彼はいったんは優希さんの誘拐に成功してしまい、そこから、灘一族とのバトルに及ぶのです。

それで、このニコさんがジェンダーレス〉を自称しながらご登場なされたわけですが……。
が、はたしてそれは彼を形容するに、適切なことばなのでしょうか?
いや何かへんな気がするっスねえ……ということはすでに有志らが研究しておれらるので、ぜひその考察をご覧ください()。

ただ。お話の流れとはまた別に、用法の正否とは別に、ここへジェンダーレス〉という……。何と言いますか、カッコいい現代のことばが出ていること。
そのことに、何か隆起の出っぱりを感じた方も、少なくはなかったでしょう。

さらには。
ここまでに私はニコさんを何度か、《彼》という代名詞で呼びましたけれど。

じっさいのところ、生物学的には男性でおられるようですが──凶器に等しい〈イチモツ〉をお持ちだと、ご自慢してもおられ──。
がしかし、ご本人が〈ジェンダーレス〉を自称しているならば、《彼》とは呼ばないべきなのでしょうか?

また。じっさいのところニコさんは、へりくつ詭弁とさえも言えないずさんさで、彼のアナーキーな性欲の無法な発散を正当化しているだけ──かとも、思えますが。
しかしその口実として、その〈ジェンダーレス〉……というちょっと目や耳をひくことばの出ていることが、アップ・トゥ・デート! 現代グローバル世界の最新の諸スケープをごく正確に描破してなさる、猿渡先生のリアリズム劇画の骨頂のひとつです!

──ところで。

私なんかもむかしは勉強に少しだけ熱心だったもので、イヴァン・イリイチ先生のご名著ら──シャドウ・ワーク(1981)やジェンダー(1982)なども、ちょっとは拝読いたしました。

そこにおいて、〈セックス〉とは違う〈ジェンダー〉という見方……切り口のあることに、そういう当時はやたら感心をいたしたものです。
それでその部分だけは、どうにか忘れず、いまだ心に残っているのです。

そしていま、猿渡先生と私たちが生きている現在の、21世紀──。

世にはワールドワイドに、〈ジェンダー〉という語を用いた議論とか言論とかのようなものが、どうやらお盛んのようですが。
ですが。その用例らを拝見しつつ、この語を初めて社会や思想の用語として用いた(とおぼしい)イリイチさんの用法と、同じように言われているのかな?……ということが、いつも疑問です。

これを最大限にかん違いしたところに、〈バイセクシュアル〉または〈パンセクシュアル〉であると言えば済むものを、〈ジェンダーレスだぜ〉と言いはっている、ニコさんがおられると思われます。
ただしその言い方のほうが、カッコが多少はつく感じ──ということを否定できないんですよね!……これが、トレンドです

──ところで。

つまりは、《性別》のお話になるのですが。人間界には《性別》が、あるとか、または、なければならないものだ、といたしましょう。いかがでしょう?

そしてことばがそれを、規定している、という側面があることは見逃せないでしょう。

つまり英語ならば、〈man〉といえば〈男, 人〉であり、〈woman〉といったら〈女〉です。ことば上の非対称が、男-女の間に存在します。
そしてこの構造は、主なヨーロッパ語らに共通であるようです。

いやこれが、何だかおかしいと私は長年、考えておりました。ご存じのようにニホン語においては、男が人を代表するという言い方や見方がないもので……。ことば上では!

ですけれどおかしくないと、スラヴォイ・ジジェクさんが書かれていたんですよね。すなわち女性は、人類の中の、特殊な項であるということです。
まず人類という大きな集合を考えて、その中のやや小さな集合をなすのが、女性らだというわけです。

主なヨーロッパ語らの構造として、そうなっており。そしてその構造が、人々が何かを考え言うさいの、前提や土台になっているのです。

で、ああ、さて。
ここで少し方向を変え、現在よく言われる、ジェンダーおよびトランスジェンダー関連のお話を、やや見てみますと。

たとえばトランスジェンダーとして、現在は女性であるとされる方々が、女性専用とされる領域に進出していかれることが、問題であるかのようにも言われています。
具体的には、女性用のお手洗いや共同浴場のご使用、または女子スポーツの世界への参入などについて、言われているようですが……。

👧 ⚧️ 👨

ここで少し、考えてみましょう。
そういった〈女性専用の領域〉は、いったい誰のためにあるのでしょうか?

私もいちおう男ですから、ここで言わせていただきますが。そうした〈女性専用の領域〉は、男らの役に立つものではありません。
トイレにしたって競技にしたって、男女混合の無差別システムとして、いっこうに損をする気がいたしません。

ですからそうした〈女性専用の領域〉たちは、女性らのためにあるものです。

そしてそれはいい──と、私は思うのです。
ジジェクさんのお示しになった図式どおり、人類世界の中に、囲いこまれた女性らの領域があってもいいだろう、と。

と、そのいっぽう。状況しだいで女性らは、男性用のトイレを使用なされてもいいし──混雑している施設の中などでは、珍しくないことで──。
また実力に大きな遜色がないならば、男子と同じスポーツ競技に参加することも、許されるでしょう。
かつ西洋めいた文化の浸透した社会で、男性がスカートをはくことは奨励されていませんが、いっぽう女性によるパンツの着用はふつうです。

──このように、ユニバーサルな人類の世界があって、その内側に、女性らの特殊な世界があるのです。
そして女性らはユニバーサルな人類の一員ですが、しかし男性は、女性ではないでしょう。

ですが、さて……? ここから少し、またびみょうなお話になりますが。

この人類世界の中に、囲いこまれた女性らのテリトリーがあるということは、その内側に対して過剰な想像力を、働かす者たちが発生する……ということに、一部では帰結してしまうでしょう。
外部から想像した感じ、その秘められた内側は、さぞやすばらしいところであるに違いない──と!

むかしのマンガのラブやんで、こじらせきったオタクかおたくであるヒーローくんが、魔法の変身能力を得たときに、どういうためらいもなく〈女の子になるっ!〉というご決断を、なさっていました。
彼のいわく、〈女の子が大好きなので、女の子になりたいと思うのは、ごく自然の発想!〉──だとかいうことでしたが……。

ですがしかし、このようなやからに紛れこんでこられることは、女性たちにとっての大めいわく──というじゃっかん正気めいたことが、続いて描かれていた気がいたしますが……。

また、そういえば。

すでに十年以上も継続している《流行》ですが、マンガの世界に〈百合もの〉──ソフトおよびハードのレズビアンを題材とする──の流行、ということがあるようです。
その読者層の男女比が、あまりはっきりもしていないにしろ、少なくとも半分くらいは男性であるもようです。

そういう嗜好もこれがまた、〈囲いこまれた女性らのテリトリーの内側〉という至高で至上がきわまった至福のユートピアへの、果てしなき悠久の目くるめく思慕と憧憬の表れ──で、あるのでしょうか?


TOUGH: The Dragon's Heir and More - "I'm genderless, I'm equal for men and women..."

[sum-up in ԑngłiꙅh]
In Tetsuya Saruwatari's classic manga series “TOUGH: The Man Who Would Inherit the Dragon”, there is a villain who calls himself “I'm genderless"!
And it is not so hard to say that this is an article praising the coolness of such terms as “genderless” and “transgender”!

さようなら《ポスト真実》…しかし… / Farewell, Post-Truth…but…

姓はトランプ、名はドナルドさん──聖なるアメリカ合衆国の、第45代(先代)の大統領でおわします。

さてこのお方を、好きだとか支持しているという人は、たぶん皆さんの中には、めったにおられないと思います……。いかがでしょう?

私にしても、まあキライですね! もしも会ったら、ぶったりはしませんが、何かイヤミでも言ってあげたい気がしています。

なぜなら。

この人が再選に失敗し、2021年に大統領職を退いて以後、当ブログのタイトルだったキーワード──ポスト真実、この語がまったくもってアウト・オブ・デートになってしまったからです!

おかしいですよね! ちょっとアメリカの大統領さんが交代したからって、世界にはびこる《ポスト真実》の大量のしろものたちが、根絶されたことはまったくなさそうですがっ!!

ですけれど、何かそういうことで、じっとようすを見ていました。
そしてトランプさんの退任から、約二年のちのいま……。

そして、この語があまりにも流行っていない、使われなくなった、死語も同然、という見きわめは、もうついてしまいました。はあ……。

──で。ここでいまさらですが、ごあいさつを申し上げます。

ご覧のブログは、2018年から2023年3月のついさっきまで、《ポスト真実サウンド研究》──略して《ポ サ 研》を、名のっておりました。

それが、前記の流行らなさに悩み始めてから、はや約二年……。
いままでのブログタイトルに愛着は、まあ、あるんですが。しかし、もうダメな感じがします……そのトランプさん全盛時代の、ムダな遺物みたいで。

と、そういうことで、当ブログのタイトルを、《エッコ チェンバー 地下》と、改めました。ぜひ今後とも、よろしくお願いいたします!

🗣️ 💬 🔀

そして。そのブログタイトルの意図を、私から説明いたすのもヤボですが。
しかし申しわけありません、ひとことだけ……。

つまりは、世に言われる《エコーチェンバー効果》というものと、われらがヴェイパーウェイヴの用語のECCO エコー》とを、かけているのですが。

で、じっさいのところ。私自身が、そのお気に入りの《エコーチェンバー》をなしているパロール(おしゃべり)の輪の中に、ここちよくぬくぬくと安住しているな……ということを感じるんですよね。

すなわち。冒頭に述べましたように、かのトランプさんの支持者であるような方々は、たぶんこのブログをご覧にならないでしょうし。

あと、まあその《ネトウヨ》であるようなお人たち──。あるいは、音楽といったらアニメソングか何かしか聞かないような層──。
むしろそういう方々と、〈モドキ〉である私とが、ガツン・ガツンとぶつかりあうような場を、どうにか作っていくべきなのでしょうか?

正直なところ、いや、めんどうくさい……。あるいは、できません。

べつにどう無視されてもいいし、また、何らかの反論をこうむるのも歓迎ではありますが。しかし、ことさらに論戦とかの場を設定しようという気には、ならない、ということです。

ゆえに。〈この場〉は引きつづき、とてもインチメートな《エコーチェンバー》として、あなたと私の声たちが響いて交わる場所で、あり続けるのでしょう。

いやむしろ。そんな場所がしばしでも維持できたならば、実にすばらしいことだと言えるでしょう。


[sum-up in ԑngłiꙅɦ]
Hi! Until March 2023, the blog you seeing was titled Post-Truth Sound Lab” or “ポ サ 研 / Po-Sa-Ken” for short.

But you probably know that the term Post-Truth has fallen out of fashion since Donald Trump's resignation in 2021... Right?

It is not that what can be called Post-Truth has disappeared; in fact, it continues to be as rampant as ever. Nevertheless, only the word is disappearing.
It is wierd, isn't it? But reality is reality.

So I decided to change the title of my blog as well, so that it doesn't look like a relic from the Trump era.
From now on, it will be called 《エッコ チェンバー 地下 / €cco ₵hamber ฿asement》, and I hope you will all play along with it!

Indicatif: コレクション (2021), 同 II (2022) - CRTの向こうに想定された《一》

フランスの人によるというヴェイパーウェイヴのバンド、《Indicatif》。2021年から活動中です()。
このバンド名のアンディカチフという仏語は、〈指標、徴候、放送番組のテーマ曲〉……といったことらを一般的に、意味するようです。

──で、それで、もう。このアンディさんによるヴェイパーが、実にこり固まったシグナルウェイヴなのです()。ザ・CM・オンパレードです!

ああ──。でも、そもそも英語とかではテレビ等による宣伝を《CM》って言わないようなので、こんなニッポン製の略語が通じているのは、おそらく世界ではヴェイパー方面だけなんでしょうけれど。

さて。現在までに8作のアルバムがBandcampに出ていますが、アンディさんによるシグナル作たちは、大まか2系統と考えられます。
そのアルバムのタイトルが、仏語であればフランス、ニホン語であればニッポン……それぞれの、CMおよび放送の断片らが、素材であるようなのです。

そして。ご紹介したいアンディさんの『コレクション』および『コレクション II』は、かなり、きわまってしまっているアルバムらです。
何しろたいへんな大作たちで、その第1弾は120曲・126分、第2弾は100曲・90分という無謀なボリュームを、全人類に向けて誇りちらかしています!

そしてアルバムのタイトルが日語であるので、素材らはニッポンのCM等。そして、80年代くさいものらが中心のようです。
かつ、この人のスタイルとして、根本的には短い素材らを、けっこうくどくどと、ループさせがち。
ゆえに……CMなんて本来は15秒とか30秒のがほとんどでしょうが、しかしアンディさんの楽曲に60秒くらいのが多いのは、その仕組みによって。

それで、いいとは思うんですけれど、さすがの私もやや引くところがあったんですよね! ではせっかくですから、皆さんもぜひこの、計210分くらいのCMシグナル体験を、エンジョイしてみてください。

ああ、それにしても……。

マーシャル・マクルーハンさん()──いわゆる《メディア論》の祖であり、私たちの偉大なる導きの師のひとりです。
そしてその人が、確かこのようなことを述べておられたと、私は記憶しているのです。

映画のスクリーンというものは、手前の映写機から出ている光を〈反射〉しているわけなので、つまり絵画とかにまだ近い。
いっぽうテレビのスクリーンは、向こう側からの光を〈透過〉して、その画像を表示している。この構造は、すなわち、礼拝堂のステンドグラスと同じである。

……マクルーさんの言説たちの、常に根底にありげな考え方として、〈テレビの普及と浸透は、むしろ人間らの意識を、近代から中世の段階へと逆行させる〉。逆に言うなら、中世のステンドグラスは、テレビ発明よりも以前のテレビだったのです。

それでもう、この現代人どもはあたかも、すべての崇高さの根源の《一》(イチ)であるらしき教会の、尊きステンドグラスを透過する光が描きだす、輝きに満ちた神聖なるもようや絵づら等をでもうっとりと眺めるかのように、テレビさまへとガッツリかじりつき、それへと拝跪し、そしてご自分らの祈りを──欲望を──捧げつづけているのでしょうか?

どういう救いが、そこから得られるとでも、思いこんでいるのでしょう?

いやじっさい、冗談でも比喩でもないんですよね、けっこうなところで。

──とは。はっきり言うなら、私はテレビなんて嫌いなんですよね! だってくだらないし、ムダにうるさいでしょう?
ところがそんなものを、いまだに悦んで視聴している未開でバカな中世人間どもが多い、との現況。
《近代》は、挫折しています。われらのフロイトさんが『幻想の未来』(1927)で叙述なされた《未来》──宗教やら何やらの腐った迷妄らからの解放──は、いまだ到来していません。

よってとうぜん自分からは視ませんが、しかし他人の視ているクソテレビの音を聞かされる、そのことが大嫌いです。しかしそのことが、意外と避けえないのです。

けれども……あるいは、そこで……。

低劣さをきわめたクソテレビ文明からの逃避が不可能なので、逆に私たちは、それを〈愉しめ!〉という内面化された資本主義クソ社会の規範──すなわち超自我──の命令に少しは従って、せめてこのシグナルウェイヴみたいなものを──古みを帯びて、薄められたテレビの害毒を──エンジョイしているのでしょうか?

さもなくば──。こんな私さえも旧20世紀には、悦んでテレビを眺めている時期が少しあった気がしますので──。その、蜜月の時代に味わいえた法悦のノスタルジアとして、シグナルウェイヴがあるのでしょうか。

それとさいごに、ちょっと音楽っぽい作品の話に戻りまして。

シグナル系ヴェイパーの近年から現在あたりの王者と申しますれば、もはやすっかりおなじみの、《天気予報》さん()です。
それとアンディカチフさんとの比較を意図して、ちょっといくつかのアルバムを、聞きなおしてみました。図に出ている、コンパクトにまとまった秀作『アナログ滝』などを。

すると……。やっていらっしゃることらは、そんなに変わらない、とも言えるのですが。

しかしお天気さんのサウンドにはその全般に、何か奇妙なベールでもかかったような……ふしぎな音質のなまり方が、あることに気づきました。アンディさんとの比較によって。
これはおそらく意図的なもので、単にもとがVHSテープだからとかYouTube動画からのリップだからとか、それだけのローファイさではない気がします。

ことによったら、再生した音を室内の遠くに置いたマイクで拾っているのではないか、とも……? そんなめんどうなことはしない気もしますが、にしてもそういう、ふかしぎなサウンドの劣化が、何か奇妙な空間性を感じさせるのです。

ともあれその劣った音質のソフトさが、実によくて。かつ、まとめ方や構成にも、くどさやいやみがなくて──。やっぱりお天気さんはシグナルの帝王、さすがです……と、あらためて、感じいったしだいです!


Indicatif: コレクション (2021), コレクション II (2022)

[sum-up in ԑngłiꙅԧ]
A Vaporwave band, Indicatif, apparently from France, has been active since 2021 ().

They have released 8 albums on Bandcamp so far, but there are 2 kinds of Signalwave from Indicatif.
If the title of the album is in French, the material is French; if in Japanese, the material is Japanese… The material is fragments of commercials and broadcasts, respectively.

And the albums we would like to introduce, 『コレクション』(Collection) and 『コレクション II』 by Indicatif, are quite outstanding.
The first volume contains 120 songs & 126 min, while the second volume contains 100 songs & 90 min, they boast to all mankind, of their huge volume!

And since the album titles are in Japanese, the material seems to be mainly Nippon commercials in 80's style.

In addition, as Indicatif's style, they tends to loop short pieces of music in a long and tedious way.
Therefore, common CMs on are probably 15 or 30 sec long, but Indicatif's music is often around 60 sec long because of this mechanism.

And now we hope you will enjoy this huge, huge commercial signal experience of 210 minutes or so in total!