エッコ チェンバー 地下

─ €cco ₵hamber ฿asement, Vaporwave / Đésir đupłication répétition ─

ブートレギング(海賊版) -と- アプロプリエーション(流用)のアート

G・ブラック「果物皿とグラス」(1912)
G・ブラック「果物皿とグラス」(1912), パピエ・コレの第1号

まずは。ヴェイパーウェイヴがそれである、《アプロプリエーション(流用)のアート》について──。

P・ピカソさんとG・ブラックさんたちが、《パピエ・コレ》──のちの《コラージュ》の先駆──なる技法を開発したのが、1910年代の初頭であるそうです。もう、約110年ほどのむかしですね!

そのあたりから始まった、《アプロプリエーション(流用)のアート》。それはその以後、M・デュシャンさんらのダダ/シュルレアリスム、そしてA・ウォーホルさんらのポップアート、はたまた1980年代の《シミュレーショニズム》みたいなムーブメントら……。

……等々々へと受けつがれ、そしておそらくは、〈発展〉し……。

そして、いまも。主流的かどうかは存じませんが、現代アートの重要きわまる要素でありつづけでしょう。その、流用であり盗用であるような技法ら──が。

そしてヴェイパーウェイヴは、いま主に音楽の領域で、おおむね等価なことをしているのです。ほう、大したものですね!
──といったことをもう3〜4年ほど前から主張していますが、しかし反論されたことがないので、この認識は正しいです。

そのように、アートめいた諸活動における《アプロプリエーション》の正統性/正当性は、完ぺきに論証されています。
言いかえたならば、私どもヴェイパーの徒のスローガン──〈サンプリングは神/著作権はジョーク〉と、いうことです。まあ後者について、ジョークと言うには笑えないし、つまらないにしても。

ですが、ところで。

お脳の作りが雑な方々におかれては、その〈サンプリング=アプロプリエーション〉ということと、またぜんぜん違う〈海賊版/ブートレグ〉の製造販売ということを、あまり区別して認識なされていない……かも、知れません。
そのことが、やや危惧されます。

🥾 👣 🦵

そして。申すまでもなくヴェイパーウェイヴは、崇高なるアート/音楽のムーブメントに他ならぬもの。──それが意外とまれでもなく、チン妙でストレンジな劣化サウンドのバカみたいなたれ流しかのように、聞こえたりもするにしろ──。

ああ、まあ。ですから基本的にはそれは、ブートレギングに関わるものではありません。
……ではありながら……!?

いや。ヴェイパー界のゴシップ記者で、私はないですが。高尚なる《アート》のことのみをしか、語りたくはないのですが。
でも何か、ここで黙っているのも現実逃避的に、“すぎる”ような気がしますので、なるべく手短に。

およそ半年ほど前から、《仮想アルゴリズム》というレーベルの動向が、ちょっと目につくようになっています。彼らのウェブサイトによると、昨・2022年なかばから、ご活動なさっているようです()。

この方々は──。2009年のプロト・ヴェイパー時代から2015年あたりまでのヴェイパー名作のレアものたちを、デジタルとカセットで再び普及させようとしているようです。かつ、〈非営利のプロジェクトである〉と、みずからを規定なされています。

とは、いい感じのところもあるのですが。
しかし、問題があるかも知れないのは……。
その再リリースらが“すべて”、無許諾である──と、これもみずから宣言しているところのものです。

いやそれが。さいきんまで私もあまり、よく分かっておらず。
それでやや不用意に、レアな名作らのデジタルがずらりチン列された彼らのBandcampページを、三日前くらいにツイッター(現・X)で、宣伝してしまったんですよね!(

だがその時点では、言うほどの〈問題〉が、起こっている感じがありませんでした。

たとえば。《D・ロパティン》/《テレパシー能力者》/《セイント・ペプシ》……といった各位らのいにしえの名作などを彼らは、無許諾にてカセット複製して頒布なさっていたようですが──非営利を標榜していることをいちおう真に受け、〈販売〉ではなく頒布と見ておきますが──。

しかし、とくに〈問題〉だと指摘する声が、挙がっていなかった感じです。
であれば。こんなことは、気にしなければ、気にならないことなのかな……などと、私は解釈しておりました。

ですけれど、ついに〈問題〉となったのは──。
かの《ラグジャリー・エリート/luxury elite》さんが、ツイッターにて10月19日、この仮想アルゴリズム・レーベルの振るまいに、ご不満を洩らされたことからであります()。

なぜかしばらくの間、私をブロックしているTwitterアカウントが、“With Love”のブートを〔カセットとして〕リリースしている。
私はそれを許可しなかった。それだけだ。
私自身も“With Love”を再発したいが、残念ながらそれは実現しないと思う。

正直なところ、あまり事情がよく分かりませんが、しかし。

近く仮想アルゴから再リリースされる予定の“with love”──ラグジャリーさんによる、2013年のラヴリーなアルバム!──そのカセットが、無許諾のブートレグであることだけは、実に確かのようです。
なお、この仮想アルゴからの“with love”カセットは、いま現在(10月21日)、〈予約を受け付け中!〉くらいのステータスにある……かと思ったら、書いているさいちゅうになぜか、製品ページが消えています。

それで。
そういうことならよろしくない、その頒布だか発売だかが、中止されるべき!──というご意見が、〈シーン〉では支配的ではあるのですが。

だがいっぽう。
〈許諾のあるでもないサンプリングをメインの要素としているヴェイパーウェイヴで、許諾なきコピー作製が批判とかされるなんて、ちゃんちゃらおかしいぜ!〉──として、仮想アルゴを支持するむきが、意外と少なくもないような……。これがちょっと、私を驚かせました。

いかが考えるべきでしょうか?

……まずです。仮想アル・レーベルの活動が、ヴェイパーの〈シーン〉の要望の一端に応えてきたものであることを、認めなければならないでしょう。

すなわち。
私なんかは、フィジカルをとりわけ欲しくないタイプのファンですが。しかし、いい作品であればフィジカルを入手したい……と、考えるタイプのファンが、少なくはなく、おられのようです。
ですけれど。5年くらいより前の名作ヴェイパー・アルバムらのフィジカルは、きわめて入手困難! 中古マーケットに出たとしても、バカみたく高価であることがほとんどでしょう()。

そこらから生じる要望や渇望に、仮想アル・レーベルは応えて、そして一定の好評を得てきたと考えられます。

そこへこんどの、“with love”ですが──。作者のラグさんご自身が、そのカセット再発の見込みが“ない”──と、述べておられましょう?
〈買うならば、正規の販売物を!〉という主張が正しかったとしても、その正規品が“ない”──との状況を見はからって、仮想アルの活動がある気配なのです。

そして。彼らによる複製カセットの価格は一律10ドルであるようなので、たぶん大儲けには、なるべくもなく。それでどうにか、〈非営利〉と言われたらそうなのかな……という面目が維持されている感じ……?

というわけで、ブート製作者にも一分から三分ほどの理が──なくない感じもあるのですが。

……けどまあ私は、こう思うんですよね。

そもそもの話、どうしてラグさんのツイッターがブロックされていたのか──。そのあたりの事情から、よく分かりませんけれど。
ともあれ、この狭い〈シーン〉の中のことですから。もしも苦情みたいな働きかけがあったなら、まず話しあったらよくないでしょうか?

──そして。スロッビング・グリッスルによる歴史的・大名曲であるところの“Persuasion”のゆかいなビートをBGMにでもして()、仮想アルさんらのほうから〈説得〉をしてみれば?

そして。背後の事情を知らないですし、せんさくとかしませんが。どうしてもラグさんからの許可が下りないようであったら、その分は止めたらいいような、そんな気がしています。
それは10月20日、ツイッターでも私が述べましたように()。

──という意見は、〈善悪/正邪〉とかの判断を述べているのでは、ありません。そのてのことは、ほぼ何も存じあげません。
──だがしかし、この小さくも愉しい〈シーン〉の平和と持続可能性。それらを見こして、そう考えるのです。


Bootlegging - and - The Art of Appropriation

[sum-up in ԑngłiꙅh]
On the sale of the cassette of luxury elite's album "with love", a Vaporwave masterpiece from 2013, by the 仮想アルゴリズム (Virtual Algorithm) label. About how it not only does not have any permission, but seems to go against artist's will.
And these are the ongoing "cases" of October 2023. This article discusses them.

"If that's the case, it's not good, and the release of the cassette should be stopped!" - This seems to be the dominant opinion on the "scene".

On the other hand, however, there is another opinion.
"It's ridiculous that unauthorized copying is criticized in Vaporwave, where the main element is unauthorized sampling!" - There are not a few people who support Virtual Algorithm like saying that.
This surprised me a little.

What should we think about it?

First of all… It must be admitted that the activities of the Vir-Al label have been partly in response to the demands of Vaporwave's "scene".

In other words.
I am the type of fan who does not particularly want physicals. But it seems that there are not a few fans who would like to get a physical copy of good works…
However, it is extremely difficult to obtain physical copies of the masterpiece Vaporwave albums that are older than about 5 years or so! Even if they appear on the second-hand market, they are almost always very expensive.

Vir-Al has responded to the demands and cravings arising from these circumstances, and has received a certain amount of positive feedback.

And now, "with love"… The artist, luxury elite, has stated that "love to reissue With Love myself, but unfortunately I don't think that will ever happen" (), right?
"If you buy, buy the one legitimately sold!" Even if this claim is correct, there are indications that Vir-Al's activities are based on the fact that there are NO legitimated copies.

So, there is some justification for the boot makers.

…But well, here's what I think. As I mentioned on Twitter ().

It is within this small "scene". If there is a complaint, why do not talk about it first?

And. Why don't try to "persuade" one with the background music of "Persuasion" by Throbbing Gristle, a historical and famous song of the former century?

And. If Vir-Al still can't get permission from the artist, I feel that they had better to stop that part of the project.

I am not making any judgments about "right or wrong". I know almost nothing about that kind of thing.
However, the peace and sustainability of this small but pleasant Vaporwave scene - in anticipation of them, I think so.

ポスト・インターネット時代の《好き》をさがして──(2)情勢論2023

Sun Ra Arkestra: Nothing is... Completed & Revisited (1970/2010) - Bandcamp
Sun Ra Arkestra: Nothing is... Completed & Revisited (1970/2010) - Bandcamp
〈その時代〉的ジャズを並べてみましょう

植草甚一さん(1908〜79)──この著述家は、〈音楽レビュワー〉みたいな方々の中で、私がもっとも尊敬する人のひとりです。

いや、ああ、その……。何かとすいきょうなことをやりがちな私は、雑誌『美術手帖』──通称・ビテチョー──の1960〜70年代のバックナンバーを、古書店らで買いもとめることが、過去の一時期の趣味で。
そしてそこによく植草さんが、その時代のジャズやロックについて、ご執筆されていたのですが……。

それで。たぶん1970年代初頭の、〈ジャズLPのアルバムアート特集〉みたいな記事に、こういうことを書かれていたんですよね。

おそらくは1960年代・前半くらいのことが、回想されます。
……音楽のよさもさることながら、おジャズの輸入LPのジャケットがまたカッコよくて植草さんは、しびれまくっておられました。

そこで、そういうものを……。確か銀座の《日本楽器》──通称・ニチガク──でなければ《山野楽器》のレコード・コーナー等で、買いもとめるのですが。
しかし当時のプライスで、1枚が3千円近くの高価さを誇ったお買い物。大卒サラリーマンの初任給が、3万円以下だった時代です。そのころの植草さんのご収入でも、1ヶ月に1枚の購入がやっとのことだったとか。

それで買い物からご帰宅されて、その貴重なお皿を廻し、クールなジャケットを眺め、そして最先端のジャズのサウンドを浴びながらも。
しかしわれらの兄である植草さんは、音楽の歓びのいっぽうで、〈ああ、こういうのがもっと欲しい……早く次のレコードを購入したい〉……との想いが、その脳裡をよぎりまくるのでした。

いかが思われますか?

すみません。むかしの蔵書らがほとんど散逸してしまったからって、うろ憶えでエピソードご紹介するのも、実によくないですけれど。

ですが、それにしても。
1ヶ月に1枚のアルバムしかライブラリーに追加されないのだとすれば、それを3年間くらい熱心に続けたとしても、ぜんぜん〈ジャズ通〉になれないような気がするんですよね!

では、どうしましょう? おそらく当時は〈ジャズ喫茶〉というところに通って、どうにかしたのかな……とも思いますが。
あるいは、週にいちどくらいラジオ放送されるジャズ番組をチェックするとか、さもなくば友人同士でLPらを貸し借りするとか……。
そういう多くの手段をもって、より多くの音楽を体験していたのでしょうか?

が、ともあれ。
ここで私が申したいのは、20世紀の熱心な音楽ファンたちは、だいたいそういうご苦労をしていたということです。私ごときにでさえ、多少はそういうのがあります。

それがまあ。いつも言いますけれど、21世紀の〈いま〉はどうでしょう?

〈人が聞くような音楽〉の“すべて”が現在は、SpotifyAppleなどのサブスク・サービスにアーカイブされている、くらいに言ってよい感じです。
が、それらは基本が有料らしいとしても。しかしだいたい同じものがYouTubeにもあるので、広告などをガマンすれば無料視聴が可能です。

まあ、要するに。ネット回線と端末さえあれば、古今東西の〈人が聞くような音楽〉の“すべて”を、聞くには聞くことができそうな、そんな現在があります。

で、それを私は、悪いことだとは思わないんですよね。

われらの植草さんが例としてあるような、むかし的な音楽体験の尊さや深みは、ことさらに申しあげるまでもないでしょう。
そしてそれを知っておくのはいいことです、がしかし。

だからといって〈いま〉の方々が、似たようなことをすべきとも思いません。

かつまた、興味深いのは……。
そうしたネットのプラットフォームらの、利用可能なアーカイブだかライブラリーだかにおいては、モンク/ロリンズ/マイルス/ドルフィー/オーネット……といった神話的存在めいたあれらと、近時のチンピラ駆け出しミュージシャンさんらによるこしらえものたちが、さしたる区別もなく並列に棚ざらしされている──その傾向がある。

と、それにしたって、悪いだけのことではないようにも思えます。ただし、〈そういうことがある〉と意識した上で。

──20世紀の熱心な音楽ファンたちが、それぞれにご苦労なさりながら夢にみたような、全世界の無数の名曲やメイ曲たちを、ごくイージーに──。端末らを数回クリックするだけで、即・聞くことができる環境。
これは否定できないというか、否定しては愚かでしょう。

さらに、まあ……。“こっちのこと”を、少し申しあげますと。

かつて音楽をパッケージングしていたところの〈フィジカル〉から解放されたことを、私はけっこう悦んでいるふしがあります。
それにより、毎週ヴィニールを仕入れにシブヤへ行く手間がなくなり。かつ、それらを収納するスペースの創出に苦しむこともなくなったですから。

そしていちじは毎月3万円くらいをレコード購入に使っていましたが──しかも1枚100円の中古盤とかが多かったので場所とりがすごい!──しかし、いまは、それもまた。

ただしです。〈いま〉の音楽ファンである方々が、ヴィニール/CD/カセットなどのフィジカルをもとめようとすることを、ネガティブには考えません。
人生の一時期、そういうことを追求してみるのもいいことでしょう。
そして、〈電子のファイルもむなしくはかないが、しかしフィジカルもまた〉……ということを知るでしょう。

で、問題は、それほどのすばらしい利便性を前提として、各自が《何》をするか──ではないでしょうか?

ですが、あれ……っ?
いったい《何》をしたら、私たちはよいのでしょうか?

──ああ、いや別に、珍しい曲やむずかしげな音楽らを多量に聞いたところで、かつ、それらを〈分かった〉ような気にもなったところで──。
何ひとつ偉くなんかないですね、ちょっと考えてみたら! しまった!

Miles Davis Quintet: Cookin' with (1956) - Bandcamp
Miles Davis Quintet: Cookin' with (1956) - Bandcamp
マイファニーバレンタインの絶名演!

けれども──。音楽ファンのうちわの話としては、もしエリントンをすばらしいと感じたら、次には《ビ・バップ》とかを聞きたくなるでしょう。
それはそういうもので、探求の“沼”は、はてしなく深く広いですが……。

そして、そこに〈探求〉などというカッコいい語を言って許されるなら。その探求の深く広いものが、うちわにおいては多少ほど、尊敬されるのでしょうが……。

ですが。そもそもの話、〈音楽ごとき〉を、聞かなくとも分からなくても、人は偉人になることができる──とは、すでに私が立証しているところです()。

📻 📢 🙉

ですが。ここで私は、ふつう語られないことを述べます。

聞こうと音楽を《意識》してはおらずとも、しかしあれこれの音楽めいたサウンドたちを、私たちはいやでも強制で、耳に流しこまれ続けているのです。
それはもちろん《ミューザック》のはんらんを、まず言っており。そして、何かしらの動画や放送たちのBGMやらイメージ音楽などエトセトラ、等々々。

あまり音楽に趣味のない人間であったとしても、しかしある種類の音楽らに反応し、なかば《無意識》に情緒的な〈操作〉を受ける──と、いうことはあるようです。
この性質を利用して、〈操作〉のために音楽が、さまざまな局面で利用されているのです。

野ばなしにして、これはよいことでしょうか?

そういえば。いまは違っているかも知れませんが、上野の東京都美術館──通称・トビ──のカフェ・レストランはBGMなどが流れておらず、その静けさを、私は好きだったんですよね。
騒音もなければむだな音楽もない、静寂……。それが希少であって、提示の仕方によれば値段がつくという状況は、いまどきに始まったことではないですが。

それで、私の考えによりますれば──。

そのような、〈“操作”のための音楽〉というものがたれ流されている状況に、無意識で屈従せず、多少でも抵抗していくには、そういう音楽めいたサウンドらに対して(も、)意識的であらねばなりません。

つまりは別に、何かハイクラス/ハイセンスめかされた音楽らについて、知識や認識らを深めよう──などというご相談ではないのです。
このような言い方が好まれるかどうか分かりませんが、これもまた、ひとつのイデオロギー闘争》です。
そもそもの話、ショッピングセンターの店内放送のミューザックみたいなもの自体が、“あちら側”からのイデオロギー的な働きかけに他ならないのです。

であるので、ミューザックはおろか。
イクラスくさいものであろうが通俗ポップであろうが、音楽の背後の《イデオロギー》を私たちは透視しようと、少なくとも心の一端で、かからなければなりません。

かつまた。プラットフォームであるSpotifyやらYouTubeやらが、ひそやかあるいは露骨なやり方で、あなた方に押しつけようとしている“もの”があります。何でしょうか?

であるので、まずは、〈スーパーマーケットのBGMを、意識的に聞く〉──。すなわちわれらのヴェイパーウェイヴこそが、いま現在のもっとも倫理的な音楽ムーブメントであるのです。

〈スーパーのBGMを耳に流しこまれること〉──その大いなる、この上なき悦びを、無意識から意識へと、移さなければなりません。〈意識されないものは、“反復”される〉という、フロイトさんの正しきテーゼに学びながら。


You and Music and… MUZAK!!

[sum-up in ԑngłiꙅh]
You don't have to like music or not, and you don't have to listen to it or not.
However, we must be conscious of the fact that there is music-like sounds that we are forced to hear even if we do not want to.

That is, of course, what "Muzak" is all about. And then there are background music, film (video) scores, image music, etc., etc., etc.

Even people who are not interested in music can be emotionally "manipulated" in response to a certain type of music, somewhat "unconsciously" it seems.
This is the reason why music is used in various aspects to "manipulate" people.

Is it a good thing to let it go unchecked?

And if we want to resist this situation, even a little, we must be conscious of this kind of music.

I don't know if you like these saying, but this is also an "ideological struggle".
To begin with, something like Muzak of a shopping center's in-store broadcast is itself an ideological effort from "the other side".

Therefore, we must consciously hear the BGM in the supermarket. In other words, our Vaporwave is the most ethical music movement of our time.
The great and incomparable enjoyment of "being fed BGM of the supermarket to our ears", we have to move it from the unconscious to the conscious. While we learn from Freud's correct thesis, "what is not conscious will be repeated".

haircuts for men: パステル勾配, etc. - スフィンクスの笑み…その“またもや”

われらがヴェイパーウェイヴの、その主要なアーティストのひとりである、《haircuts for men/ヘアカッツ・フォー・メン》さん()。

この人こそが、この記事の主題であり主役です。ですので、まずそこを軽くご説明します。

このヘアカッツさんのバイオ的な部分は、米ハワイ州ホノルル在住の、本名がアンドレ・マクシミリオン(Andre Maximillion)さんであると、伝えられています。
ですが、その真偽は不明ですし、かつ、どうでもいいことでしょう。

では。ヴェイパー制作者としてのヘアカッツさんは、2014年、そのフルアルバム第1弾『テロカセット』で、すでにかなりきわまっています。
ヘアさん独特の、ゆるく眠くイージーサウンド構成が、ほぼそこで成立していたと見うるます。

かつこのときから一貫して特徴的なのは、アルバムアートおよびニホン語による曲タイトルたちの、意味不明瞭&何やら不穏なフィーリング。匂わせるのは死と暴力と喪失、そしてゲイめいてビザールな性行為らです。
たとえば『テロカセット』の第1曲のタイトルが、「あなたが死ぬ時に奇跡が起こります」というのですが……。だから何……。いやな感じ……。ちょっと分からなくて、めまいがしますけれど……。

しかしこういった部分らがまた作品の要素として、意味ではないが〈効果〉をなしていることは、後述されます。
そうした……。ヘアさん作品らの繰りだしてくるわけの分からないニッポン語(もどき)については、いちいち引用すると、私のめまいがたいへん! そこで、ご興味のせつに、各自で見てみてください。

では、サウンドのところに戻れば。2014年の最初期ヘア作品たちは、その素材らにおいて、エレクトロニックな要素が目だっていました。
それが2015年には、ジャジーでファンキーでラウンジーなものらへと、サンプル選び(sample curation)の傾向がシフトします。
──さあ、ここからが全盛期です!

その2015年から19年あたりまでのヘアカッツ作品らには、期待される一定水準以下のものが、何もありません。そのほとんどが、秀作や傑作らに他ならぬっと考えています。
しかしひとつ、それらの中でもよすぎて死にそうと私が思うのは、『ダウンタンブルと死にます』(2016)です。このタイトルはEPとして出てから拡充され、のちに全12曲のアルバムとして定着しています。

さて、そういう〈全盛期〉があったわけですが──。そして今後、また別のヘアカッツ全盛期が始まるのでしょうが──。

しかし。困ったことは、ヴェイパーウェイヴの内部的に、ヘア作品たちを収納する適切なサブジャンルがない、ということでした。そんなには変わったことをしていない感じなのに、他には類のない独自なフィールが、みょうにあったでしょう。
しょうがないので構成要素らを見て、ジャジー・ヴェイパーとかヴェイパー・ホップとか、呼ばれていたと記憶します。後者の分類は、まれにですけどヒップホップ的要素らがあるので。

そして2020年──ここにおいて、大変動です。

いまはもうヴェイパー界でも有数のポピュラリティを誇るアーティスト、《Macroblank/マクロブランク》さん……()。
この人が2020年6月、傑作アルバム『絶望に負けた』でセンセーショナルなデビューを飾ります。
そしてそのスタイルがヘアカッツ作品たちの、完ぺきなるパスティーシュだったのです。サウンド/グラフィック/何か憂うつな感じのニホン語タイトルら……というフルセットで!

やがてこのマクロさんのスタイル──〈全盛期ヘアカッツさんのスタイルのパスティーシュ〉であるものたちが、ヴェイパーのいちサブジャンル《バーバー・ビーツ/Barber Beats》と、名づけられます()。
もとのオリジナルがヘアカッツ=床屋さんだったので、その派生物たちが〈理髪店ビート〉だと思われます。

しかもマクロさんの大ブレイクに続き、2020年後半から現在の23年まで、とんでもない数の理髪店ビートの新人たちが、全世界から続々と、登場しつづけています。
かつそのかなり多くのものたちが、一定以上の好評を博しまして……。よって、この3年間ほどのヴェイパー界でもっとも活気あるサブジャンルだと、理髪店ビートはなっているのです()。

OBSIDIAN DICTION: SOMNIUS (2023) - Bandcamp
OBSIDIAN DICTION: SOMNIUS (2023) - Bandcamp
ヘアさんの推す、有望新人の床屋さん!

そうしていまは理髪店ビートと呼ばれる、ヘアさんが開発なされたヴェイパーの、いちスタイル。
その有するはかり知れないポテンシャルに気づき、いち早く大胆&真しにそれを追求していったのが、マクロさんだったのでしょう。

そしてマクロさんの大成功を見た上では、もうコロンブスの卵》みたいなもので、ヤる人たちは続出するでしょう。その方法とスタイルで、結果としてはおおむね、いいものが多くできていますから。
いちじは〈他には類のない独自なフィール〉を持つ……と思われたヘアカッツさんの作風が、意外にトレース可能であると露見したのです。

また。あたりまえなんですが、理髪店ビートもすでに第四波や第五世代くらいのアーティストらが出てきていますけれど、別にパスティーシュの模倣のさるまねをするエピゴーネンだとか、そういう差別感情はありません。作品らがよければいいです。

──ただし。理髪店ビートがそのように大盛況ですが、しかしいまや〈床屋の神〉かのごとくなったヘアカッツさんには、あまりそれが関係ないんですよね。

理髪店ビートはヘアさんの模倣から始まったものですから、ヘアさんの作品らもがバーバー・ビーツであろうと、つい言ってしまう人もいるようです。
ですが、その呼称をご本人が望んでいないようでもあり、いちおう不適切だと考えておきます。

そこで。この場では記述の便宜上、〈床屋系ヴェイパー〉という呼称で、ヘアカッツさんと理髪店ビートらを、ゆるく一括します。

そして。理髪店ビートの波に乗ることを拒んだ感じのヘアカッツさんは、2023年、新レーベル《GENOM Records》を設立()。
そして彼本人もまた、新作らについては、ステージネーム《GENOM》を用いていきそうな姿勢を示しています。

そしてそのゲノム名義の最新アルバムが、23年10月の『第二十七の室』。全10曲・約49分を収録。
アルバムアートの傾向をがらりと変えていますが、しかしサウンド的にはヘアさんの、あの〈全盛期〉の床屋系ヴェイパーです。

〈やっぱり……これが……これがいいんだよな……!〉と、すでにオールドファンみたいになっている私を、それは実に悦ばせています。とても、スムースでイージーで、絶・コンフォート!
そして、がしかし。あまり皮肉っぽさやニヒリズムなどを感じさせなくなったのが、あの時期の作品らとの違いかも知れません。

💈 💇‍♂️ 🪒

という、ヘアカッツさんに関する概要を前置きとして……さて、です。

さて、この床屋系ヴェイパーについて。私は一貫して深い興味と強いラヴ感情をもちまして、この場でもかなり多くしつこく、ご紹介してきました。
にもかかわらず、その妙味のあるところのコアを、うまくご説明しきれた気などはしていません……!

と、そんなところへ、ことし2023年6月です。在フランスのアーティストと伝えられる《ゆPlateformeゆ》さんがツイッター(現・X)に、とてもシャープな見方をポストなされたのです()。

ヘアカッツ・フォー・メンは、ヴェイパーウェイヴの《美学》原則の完ぺきな例である。音楽はオリジナルではないが、アートワーク、アーティストのアイデンティティ、トラックタイトルが生み出す神秘性のおかげで、〈体験〉はまったく異なるものになる。

道徳的であろうとなかろうと、それは魅力的だ。

ヘアカッツさんの作品らにおいては、あのスムースなサウンド“だけ”が、どうこうではない──ということです。このことはまた、《ヴェイパー美学》の原則でもあるとも見うるわけですが。すなわち、サウンドにあわせ……。
はっきりした意味や意図などのつかめない、ときとしては相反するニュアンスをつきつけてくる、神秘的であり挑発的でもあるアートワークやことば要素ら。それらの“すべて”があいまって、私たちリスナーの〈体験〉を構成します。

ついでに見ておけば、〈アーティストのアイデンティティ〉ということ。別にご本人のパーソナリティなどは気にしませんが、しかしアーティストであるなら《作品系列》のコンテクストを作っているわけで、それは鑑賞の前提となるでしょう。

そして、それら“すべて”の形づくる〈体験〉らが、きわめて魅力的なのです。

であるので。意図や意味らがなぞめいて、挑発を感じるところもあるが、はっきりはしない、とか……。かつ、各要素らの示すニュアンスが相反していそう、とか……。そういう点らの“すべて”を含めての《アート》で、それらはあるのです。

であるので。在アルゼンチンのアーティストと伝えられる、理髪店ビートの《modest by default》さんを、すでに何度かご紹介しておりますが……()。
そして、そのサウンド面は、きわめてソフトで慰安的でスムースであるにもかかわらず……。

あわせてモデストさんのアルバムたちには、グラフィック面やことば面らにおいて、反・帝国主義のゲリラ闘争をあおっているようなたたずまいが、とても強くあります。これは感じないではいられません。

そのように、相反するめいた要素らが、同時に提示されておりますけれども。
だが別に、むりをしてそれらを〈共約〉し、ひとつのテーマやコンセプトのあることを想定する“必要”は、とくにないわけです。

矛盾は矛盾のままでよく、そのアンビバレンツもなくないふんいきを、そのまま愉しめればいいのです。現に多くのヴェイパー・ファンが、それを実行していますように。

このような、ヘアカッツさんに始まった床屋ヴェイパーのなぞ的性格を、私としてはスフィンクスの微笑〉とも呼んでみたい──そんな気がしています。
スフィンクスモナリザさんが、へんに混じっておりますが。それもまた、意図的な矛盾の提示です!

しかも、です。私がさらに、尊みを強く感じさせられますのは……。

見てきたような卓見をお示しなされた《ゆPlateformeゆ》さんは、床屋系にかするようなヴェイパーの作者では、おられません。
ではなく、むしろ……。アンビエント・ノイズにもやや近いような、ドローン的スタティックなヴェイパー/ドリームパンクのアーティストとして、高く評価されつづけています()。

そして。そういう違った立場からのご発言だからこそ、そのご卓説の深さや鋭さも、いや増して思えるのではないでしょうか?

──と──。いうことを皆さんにお伝えしたいとは、その6月から、ずっと考えていたのです。
ですがしかし、〈このブログってヴェイパーにしても床屋系の話ばっかり……みたいかな?〉……などと、思うところもあって。それでひとまず違うことらを考え、この話題は、大切に寝かせていたのですが。

……ではありながら。いま現在このように、“またもや”のヘアカッツさんおよび床屋系ヴェイパーへの賛美を、涙のインクでつづっています。まあ、うそは何ひとつ書いていませんので、ひとまずは許されよう、と信じつつ。

しかるになぜ、いま現在、それをしているかと申しますと。

このことがまた、“またもや”なのですが……。
床屋系ヴェイパーに対する、“またもや”の逆風が、いま弱くなく、感じられているからなのです。

🥀 😔 ⤵️

そもそも。ヴェイパーウェイヴの“すべて”について、著作権だか何だかの〈問題〉が、なくはあるまい──と、どこかの世間では言われているようです。
そして中でも、とりわけ床屋系のヴェイパーは、その問題とやらを指摘されやすい傾向が──。ということもまた、何度もここで申しあげています()。

さきほどの引用中、われらの《ゆ♨プラ♨ゆ》さんは、〈“道徳的”であろうとなかろうと〉……ヘアカッツさんの作品らは魅力的だ、と申されました。

それを私はちょっと改変/拡張し、〈“合法的”であろうとなかろうと〉……床屋ヴェイパーはたいへん魅力的だ!……とも述べたいのです。

ああ、もとをただせば、今ブログ……。ヴェイパーの関係のかってに押しかけ広報係みたいな気もちをもって、細ぼそと継続してきていますけれど。
その、ちょっとまじめに書いた記事の第一弾が確か、去る2018年……。ヘアカッツさんの作品らの、Bandcamp(以下では“B・C”)からのテイクダウンという〈事件〉のお話でありました。その原因はやはり、著作権みたいなことのクレームでした。

そしてこの件は、いまにして想えば、〈シーン激震!〉くらいのインパクトをもって、受けとめられたようです。このときはヘアさんが少し過剰に反応なさって、クレームに関係ない作品らが大部分である“すべて”を、一時ですけれど自発的に取りさげたので。

……で、それからの展開。はっきり明確なクレームを受けたヘアさんの数曲は、B・Cには存在しなくなり(……と、いうことにしておきましょう!)。
がしかしその他の楽曲たちは、めでたく(?)ふっかつをとげた……と、理解いたしております。

そして、それから。いま想いだせる限りの、やや似たようなテイクダウンの件ら──。

──たとえば。一時はきわめて有力なレーベルであった《DMT Tapes FL》)、また床屋系ではヘアカッツさんに次ぐヒーローのマクロブランクさん、そして傲岸不そんのベテラン・ヴェイパー者である《OSCOB》さん……。といった各位が、類するうき目に遭っています。

そして。そうした事案らのたびにヴェイパーの〈シーン〉は多少ならず浮き足だち、〈こんなでは、やっていけるのだろうか?〉という疑問が、多くの人から提示されました。
……にも、かかわらず……。

にもかかわらず、近ごろの現在まで、何となくですが〈やっていけて〉いることが、私にも実にふしぎです!

それにしたって、そんなにまでは商売にする気がないとすれば、B・Cからヴェイパーが完全追放されたところで、どうということはないでしょう。
作品らの〈共有〉ができる限りのプラットフォームらは、他にいくらでもあるような感じでありますし。現にそれらが、小さく活用されており。

ですけれど、B・Cがヴェイパーのほうから見て、現状ではべんりすぎるんですよね! できることならこの現状は、維持したいところでしょう。

そして“またもや”、この9月の下旬です。

“またもや”でマクロさんが、何か著作権方面のクレームによるようで、彼のB・Cページの全体を、いきなりテイクダウンされてしまいました。そしてその復活へのきざしが、このたびは、ぜんぜん見えないようなのです。

そこでひとつの対応としてマクロブランクさんは、違う名義のB・Cページを立ちあげ、そこに作品らを移しました。
だがそちらもまた、いま現在は、コンテンツが存在しなくなっています。彼の作品らそれ自体は、また違うサーバから入手が可能でありますけれど()。

……アンビエント・ヴェイパーの傑作アルバムだと私が考える、『宇宙ステーションV』(2021)……。それがかつて、B・Cからテイクダウンされたときの作者・OSCOBさんの申されようを、私は愛しています()。

もとサンプルの作者である彼らには、オレの作品とかのテイクダウンを求める権利があり、それを行使しているだけさ。異議を申したてるつもりはないね!

まあ、どうせ半年もしたら同じものをまた、どこかにアップロードしてこましたるからなあ、ゲッヘヘッヘヘヘッ

あ、いや。ゲヘヘヘッとまでは言ってなかった気も少し、しますが!
だがしかし、こともあろうに《ヴェイパーウェイヴ》なのですから、この態度がいいのです。勝たなくてもいいが、しかし負けっぱなしではなりません。

ともあれ。マクロさんのことも深く心配していますが、そこからまた……。

この10月の12日、現在から見て一昨日です。

……これも傑作であるヘアカッツさんのアルバム、パステル勾配』(2015)。スタイル的にはエレクトロニック期からジャジー/ラウンジ期への過渡的で、やや混じっていますが、それにしても個々の楽曲がいい!

……そしてその、アルバムアートの美しいイラストはどなたによるものか──むろんヘアさん自身によるとは誰も思っていない──ということが、ニホン語のツイッターで話題になりました()。

この絵については私も強く気になっており、以前けっこう調べた気がしますが、しかし分からなかったこと。
ところが──。何やらお詳しいらしい人がその話題に乗ってきて、ついに作者の判明したらしいまでは、きわめてめでたいことです! イェイッ。

ですけれど。作者であるらしきイラストレーターさんが、このヘアカッツさん(および私ども)のおとくいである既存素材の流用について、あまりゆかいではおられないようなのです。
まあ、それはそう……なのでしょうか?

そのペンネームを〈七癖みり〉と言われるイラスト作者さんに、私はふたつのことばを、いま贈りたいと思うのです。
まずはありがとう、そしておめでとう……と!

とは、まず。全般的にヘアカッツさんのアルバムたちのカバーアートには、ゲイ的なニュアンス(および、B&D/SM)を含むものらが、多いのですが。
それらの中でも、少年同士の愛を示唆するような『パステル勾配』のカバーは、とくに美しく、とても印象的なものであると、〈シーン〉できわめて高く評価されているでしょう。

私にしても、それを愛してきたわけなので。ほんとうに感謝の念が、強くあります!

かつまた。アルバム自体が傑作として高い評価を得ているので、そのカバーを飾るイラストもまた、全世界の人々により、うれしく広く親しまれるにいたっています。
まあそもそも。グーグルの画像検索を通したりしても、そのイラストは、ヘアさんのアルバムを飾っているものとして“のみ”、広く世界によって認識されている感じです。どういうわけか。

そして。作者のお名前こそ出ていませんが、お作品がそうした大きくポジティブなポピュラリティを得られたことを、心から、私はことほぐのです!

haircuts for men: 私は家を取りました (2016) - Bandcamp
haircuts for men: 私は家を取りました (2016) - Bandcamp
家でなければ何を取らされたのか?

ああいや、これでもし、アルバム『パステル勾配』が凡作や駄作などであったとしたら、“こんなこと”を晴ればれと申すのは、少々ですがむずかしくあります。
ですがさいわいにしてそれは、床屋系ヴェイパーの初期に輝く傑作です!
ゆえにそのカバーに採用されていることは、ひとつのすてきな作品のきらめき栄誉であると、言いたてることが大いにたやすく可能です。

──と、やはり〈作品の力〉がけっきょくは、ものを言うようです。と思います。

──と、そういうことですから。
いつも申しておりますが私たちのヴェイパーウェイヴは、つねにいいことだけをしか、していません。ほんとうにすばらしいものです。

とはいえ。それを万人すべてに“理解”せよ、などとはとても、申せません。何ものかによって選ばれた、相対的には少数の“われわれ”だけの、特異なお愉しみ……で、それはあるのかも知れません。
が、しかし。その大いなる崇高な価値がもし分からないとしても、それ自体は別にかまわないので、ただ放っておいてくださればいいような気がしますね!

なぜならば──。

もしもヴェイパーウェイヴがこの世から、まさに立ちのぼった水蒸気のごとく雲散霧消したとしても──いやいずれ遠くはない未来、《世界》の道づれとしてヴェイパーもまた消滅するのでしょうが──しかしその分だけ、どなたかがより幸福になることなどは、ないからです。
それによって、この哀しみに満ちた世界の哀しみが、また少し増えるだけなのです。そのとき、スフィンクスのなぞを示す笑みは、苦笑か嘲笑へと変じるのでしょう。


haircuts for men: パステル勾配 lp (2015) - The smile of Sphinx… Again!

[sum-up in ԑngłiꙅh]
haircuts for men (hfm) continues to be one of the most controversial vaporwave artists. He is the root of the current thriving barber beats scene. I have consistently appreciated him here and elsewhere on…
And in June of this year, French artist ゆPlateformeゆ gave a wonderful insight into hfm on Twitter ().

Haircuts for men is a perfect exemple of the "aesthetic" principle of vaporwave. the music isn't original, yet the EXPERIENCE is completely different thanks to the mystique created by the artwork, artist identity & track titles.

Moral or not, it's fascinating.

In other words, hfm is not trying to convey something with sound alone, but with artwork and verbal elements that are both mysterious and provocative, with nuances that are sometimes contradictory, with no clear meaning or intent. All of these "all" together constitute our listener's EXPERIENCE.

And that EXPERIENCE is extremely fascinating!

There are some contradictions, but we do not need to try to synthesize them, but rather enjoy the mysterious atmosphere.
This is the character, which has been passed down from hfm to Barber Beats. I would like to call it "The Smile of Sphinx".

By the way. Although hfm continues to show its outstanding talent in the combination of such elements, it can be said that the existing materials used for each of the elements are still noticeable in their original form.
The works of Barber Beats, which followed, also inherit this characteristic. Therefore, the "provocations" of vaporwave's characteristic are too conspicuous and are likely to be attacked by society.

So, in fact, the founder and head artist of Barber Beats, Macroblank, is currently facing a difficult situation: in late September 2023, his Bandcamp page was taken down, apparently due to some kind of copyright claim. There is no hope of recovery still, it is very worrisome.

On the other hand, on October 12, there also was a small commotion on Twitter in Japanese.

パステル勾配 / Pastel Gradient』 (2015), one of hfm's early masterpiece albums. The bewitching boys depicted in the illustration of the album art may have caught many people by surprise and enchants.
However, for a long time, the source and artist of these beautiful illustrations were unknown. But now, someone with knowledge of the artist has found out who the one is.

This in itself is a rather happy development. However, the problem is that the author of the illustration has expressed displeasure at hfm's unauthorized appropriation of their work.

However, I would like to send two words to the illustrator now.
First, "thank you" then "congratulations to"…!

First. In general, many of the cover art for hfm' albums have gay (and B&D) nuances.
And among them, the cover of "Pastel Gradient," which suggests love between boys, is particularly striking and is highly appreciated by the scene.

I, for one, have loved it. I am really grateful!

And. The album itself is a masterpiece, and the illustrations that decorate its cover have become widely and happily familiar to people all over the world.

And… Although the artist's name is not mentioned, I would like to congratulate the one on the fact that their work has gained such a large and positive publicity.

However… If the album "Pastel Gradient" were a mediocre or a bad work, it would be a little difficult to say those things.
Fortunately, however, it is a shining masterpiece from the early days of hfm works! Therefore, it is very easy to say that its appearance on the cover is a great honor for the work.

And so it is.
As we always say, our Vaporwave is always doing only "good". The wonderful thing indeed!

However, I can't say that everyone should "understand" it. It may be a unique pleasure for "us" chosen by something…
But. If a one do not understand its great and sublime value, that in itself is fine, but I think he should just leave VW alone!

Because…

Even if vaporwave were to dissipate from this world like a VAPOR rising into the air ─ and in the not-too-distant future, VW will also disappear as part of the "world" ─ there is no way that anyone will be happier for it.
It will only add a little more sorrow to this sorrowful world, too. At that time, Sphinx's enigmatic smile will turn into a wry or a sneer.

『時計じかけのオレンジ』 - および、ベートーヴェン/ハトよめ/バッハ

アンソニー・バージェス時計じかけのオレンジ(1962)──何らかのかたちで皆さんもご存じであろう、20世紀の名作文学です。

この小説『オレンジ』のことを、私が久びさに思い出したのは……。ツイッターにて〈ヤングアダルト層への推せん図書!〉として、かのHKE(Lucid)さんが、そのタイトルを挙げていたからなのです()。

と言われた《HKE》とは、もちろんデヴィッド・ルッソさん()。ずっとこのブログが、ヴェイパーウェイヴの関係のヒーローのひとりとして注目してきている……ああ、その人です!
かつ。ついでのように申しますけれど、会話のなりゆきでこの書を推された若きミュージシャンは、確か現在まだ17歳の俊英である、《The Monarch》さんです()。

さて。じっさいに『オレンジ』が名作ですから、その推せんされることについては、まったくの同意しかなかったのですが。
ですが、まあ、それをきっかけに……。それを私が読んださい、考えたことなどを書いていこうと、いましているのです。

🏛️ 📚 👀

まず。『時計じかけのオレンジ』は、1962年に出版され……。当時としての近未来である1980年代あたりに想定されたディストピアを描いている、とも言えましょう。

そして主人公のアレックスくん15歳は、どうしようもない不良──というか、とても手のつけられぬひどい悪童として、ご登場なされます。
それで彼は、暴行/窃盗/器物の破壊/レイプ、などなどの悪行メニューを全こなししたその上で、さらに、ちょっと強盗……という気持ちで押しいった家の老人を死なしめて、とうとう刑務所に入れられてしまいます。

それで。いきなり私に大きなショックだったのは、小説のほとんど冒頭──。

アレックスくんとその徒党が地下鉄に乗りこみ、そしてナイフを取りだし、何の意味もなく座席のシートをズッタズタに切り裂いて、〈ヒャッハハハー!〉と大悦び──と、いうくだりでした。

ああ、いや。悪事にしても、たとえば何か価値のある金品などを、盗むとか奪うとかいうことは、まだしも分かるでしょう。あまりよく分かっては、よくないですが。
だがしかし、そういう功利性が何もない、公共的な器物の破壊ということ──。常識だかモラルだかに縛られ飼いならされた私たちとしては、ふだん、思いつきもしないはずのことですが──。

ですけれど。実のところ人間らの中には、そういう衝動もあるな──ということは、憶えておくべきなのでしょう。いざ、というときのために。

というのも。じっさいに、近ごろ各国で発生している暴動らにさいし、略奪の発生などは、〈まだ分かる〉──が、あわせてそうした無益で無軌道な破壊行為らが、報告されているでしょう。
そういうところに、われらのヒーローである〈アレックスくん〉が、現に実在していることを認めるでしょう。

Beethoven: Symphony No.7 by Karl Böhm/VPO/1966 - YouTube
Beethoven: Symphony No.7 by Karl Böhm/VPO/1966 - YouTube
この『ベト7ベーム』、そのグラモフォン盤は亡き祖母からプレゼントされたレコードとして私に親しい

ところで。

そのように無軌道で乱暴なアレックスくんですが、そのいっぽうの趣味が、クラシック音楽の鑑賞であるということ──それもまた、よく知られていそうです。
とくに彼が好んでいるベートーヴェンさんの、確か第七シンフォニー。それをめちゃくちゃに大きな音で鳴らしながら、実にいい気分で、十代なかばくらいの少女らをドラッグで酩酊させてレイプ──という場面など、かなり有名でしょう。

その趣味の面からもうかがえることですが、どちらかと言えばアレックスくんは、バカではなくかしこいし、それに育ちがひどく悪くもありません。
にもかかわらず、悪いことばかりしている──それを無為な反抗であるなどと、言えるものかどうなのか──そこらがまたこの小説の、妙味でもあります。

少しだけ言及いたしますと、この物語の根底には、執筆された時代のイギリスの、労働党の主導によって実現された《福祉社会》──いわく、〈ゆりかごから墓場まで〉を、国家がケア!──そこで感じられたらしき停滞感や閉塞感、といったことがありそうなのです。

つまりアレックスくんの家庭は労働者階級に属し、ご両親は共働きですが、それほど貧しくはありません。ですけれど、そこからの社会的な上昇のきざしは、何もありません。
そして。おとなしく流れに沿って生きていれば、アレックスくんもまた、いずれそのご両親と同じような職に就き、似たような家庭を持ち……。そして、ひどく貧しくはないが停滞した生活を送ることになるだろう……と、見込まれるのです。

で、そうした閉塞感への挑戦や反抗らであると、アレックスくんらによる悪行たちを、見られなくはないのですが……!
かつまた。マーク・フィッシャーさんのご指摘によれば、追ってそんな〈停滞した福祉社会〉とやらを、M・サッチャーさんらの保守政権がぶち壊したので──。ゆえに貧しさとみじめさが晴ればれと、英社会にリバイバル。そして階層的な不安定さが心理面の不安定ともなって、人々を苦しめている──とのことですが……!

……と、そのあたりまで今作『オレンジ』を、拝読したとして。
押し込み強盗からの傷害致死でアレックスくんが捕まったところで、まだこの小説の、さいしょ三分の一くらいですが。
だいたいそのあたりで、私の脳裡に、ちょっとした疑問がきざしました。

《文化》のきわまりとさえも呼べるベートーヴェンさんの音楽に対し、暴力や破壊っていう行為らが、どうも結びつかないな……と!

🏛️ 📀 🎻

あえての飛躍や、イメージの大きなギャップの演出などを、ねらった描写だったりするのでしょうか?
たんにそれを考えていても仕方がないので、私は──。
次に図書館に行ったとき、確認のため、シンフォニーやら何やらベトベンさんの音楽のCDたちを、借りられるだけ借りだしたんですよね。

あ、ちなみに。
図書館からむずかしそうな書物らを大量に借りだすオッサン──という人が、作中でアレックスくんとその徒党に、意味もなく〈何ンか気にくわねェな!〉として、ひどい暴行の被害をこうむっています。
私なんかも図書館の行き帰りには、よく気をつけましょう!

Beethoven: Symphony 9, 4th mov by H.v. Karajan - YouTube
Beethoven: Symphony No.9, 4th mov. by H.V. Karajan - YouTube
詳細不明ですがカラヤンさんが若いだけに(?)、ものすごい急速テンポの演奏!

それで。
C・クライバーさんやカラヤンさんらの指揮によるシンフォニー全集であったか何かを、いちおう聞きとおした上で──。
──〈そういうところが、なくはないな!〉という印象を、私は得たのです。

ベトベンさんの音楽には、暴力や破壊への衝動をエンパワーするようなところが、絶無ではない──と、私は感じたのです。

すなわち。シンフォニーなら第五/第七/第九あたりのフィナーレ──。あるいは歌劇『フィデリオ』の、さいごのシーケンス──。

つまりあの、実に輝かしき、アレグロ・コン・ブリオ〉のたぐい──。

ああした巨大なエモーショナルな盛りあがりの熱烈ホットであることに、とくに定まった方向性が“ない”であったならば、それが暴力などをがんばるという衝動に、結びつかないこともないであろう──と!

……かのナチス・ドイツの、プロパガンダ手法──そうしたものでも、ある種の〈アート〉──が、ソビエト・ロシアの建国当時のそれたちを、厚顔無恥にパクりまくっていることは有名でしょう。
人間らのエモーションを〈操作〉する手法らは、志向の左右や目的などを変えてみた上でも、実に有効であるわけです。

──ナチスといったら、こんな話も聞きました。

アウシュビッツダッハウ強制収容所らで、無この人々の虐殺に従事していたナチスらも、ぜんぜん文化の分からない野蛮人だったわけではない。
たとえば昼食のあと彼らは、囚人であるユダヤ人の楽師らにモーツァルトベートーヴェンなどを演奏させて、その心を慰め……。
そして、〈さあ午後もがんばるぞ!〉と、虐殺の作業にいそしんだのであった。

いや、実はこのエピソード、どういうご本で読んだものなのか……。それをぜんぜん想いだせなくて、そのソースも何もないんですが。
ともあれ、ありそうなお話ではないでしょうか? ですよね?

ですので。もしも、〈アートによるエンパワーメント〉などというカッコいいものが、仮に実在したとしても──。
──だがそれは、必ずしも、いいことだけに使われるのではないようなのです。

で、さて。ここで私たちは、小説『時計じかけのオレンジ』のことに戻り。

そうして刑務所にブチ込まれてしまった、われらのアレックスくん。
だがそこで彼は、クラシック音楽とオーディオ機器の扱いにくわしいことを買われて、所内の礼拝のお時間の、音響係を拝命します。ミスター・DJの誕生です!

それでバッハさんやヘンデルさんらの宗教曲のレコードをかけて、〈こういう音楽もいいじゃん!〉と、彼は悦び──。また、その影響で、少しおだやかな性格になれたようなのですが──。

──と。このあたりを見て、私は。
ベトベンさんらとはまた異なる、たぐいなき崇高さをきわめたJ・S・バッハさんの音楽の有する、ある根本的な偉大さ……ということに想いいたったんですよね。

Bach: Matthaeus-Passion by Karl Münchinger (1965) - YouTube
Bach: Matthaeus-Passion by Karl Münchinger (1965) - YouTube
原曲は約3時間ですが、ラスト7分の大詰めのところだけでも、何かが…

すなわち、それは。バッハさんによる音楽のどこをどう叩いても、そこに暴力への衝動をあおるようなものは、何もない──ということです!

ですから。かのいまわしき虐殺収容所のナチスらも、多少は音楽を愛する者であったならば、たまにはバッハさんのマタイ受難曲でも聞いたらよかったのではないでしょうか?

たったひとりのユダヤ人が、その命を奪われたことに対する、あまりにも大きな哀しみ/嘆き/無限に永遠に引きつづく後悔と罪の自覚──。バッハさんはそれたちを、彼の至上のペンによって《真実》として、描きだされました。
その至高の芸術の価値が、少しでも分かるならば、さらに数百万のユダヤ人らの命を奪うなど、どうしてできるものでしょうか?

そして。べつにディスってないですけれど、しかしモーツさんやベトベンさんらの音楽には、そうした平和の尊さに目ざめさせるような効用が、絶無でもないにしろ、やや薄いとか……。そうであるのかも、知れません。

猿渡哲也『TOUGH 龍を継ぐ男』7 - 集英社
猿渡哲也『TOUGH 龍を継ぐ男』7 - 集英社
鬼龍さんの姿勢がちょっとジジむさくて人生の悲哀を感じますね

ここでへんな例を挙げますが、猿渡哲也先生による超傑作バイオレンス劇画、『TOUGH』シリーズ……。その主人公の血族の一員で、延々とことさらに悪役を演じつづける人物《鬼龍》さん。
むだに多芸多才なこの鬼龍さんが作中、モーツァルトさんの遺作である名曲『レクイエム』を、手すさびにピアノで演奏します(『TOUGH 龍を継ぐ男』7巻・Battle.81)。

が、そうかといっても暴力のむなしさへの気づきなどを、得たりもせず。彼は自分がねつ造した自分かってな死のオデッセイに、酔いしれつづけます。
というそのことが、へたをすると多少だけ、モーツァルトさんの音楽の力不足──までは言わないが、そのある種の性格によるのだろうか……。などと私は、邪推し臆断したりもするのです。

ただし。追って読みすすめれば、いまご紹介したおタフのいちエピソードは、ある目的のための、作中人物らによるお芝居の一環であったのか──とも、考えられなくはありません。ですがいまは、ただ表面的に、それを受けとっておきます。

──と、そしてまた、思いあたることがあります。

それからナチスが敗れさったあと、荒廃のドイツの楽壇に、いろいろなことがあったようですが──。まあ詳しくは存じ上げませんが、フルトヴェングラーさんがベルリン・フィルから追放の憂きめに遭い、そこでカラヤンさんとチェリビダッケさんが、その後がまの座を争うなど──。

ですが。私から見ると、そのむざんな焼け跡から、すぐれたバッハ演奏者たちがたち上がってきた──。そういう景色が、また見えるのです。
つまりは誰かと申しますれば、たとえば指揮者では、K・ミュンヒンガー、H・リリンク、H・ヴィンシャーマン、鍵盤ではH・ヴァルヒャ、さらに双方をよくしたK・リヒター、といった各位です。

もともとバッハ作品たちが、ドイツ人らの〈お国もの〉レパートリーではあるにしても。挙げたようなドイツのすぐれた演奏家たちが、およそ1960年代までのバッハ演奏のモダーンな〈規範〉をうちたてた──と、言ってよいかと思います。

それで、想像が半分で、私は申すのですが(!)。その時期のドイツには、バッハ演奏の、ちょっとした〈ブーム〉があったと思うんですよね。
というのも。20世紀の前半に名をなしたバッハ演奏の達人は?……と考えても、あまり大きな存在が、思いあたらないし……。まあ、チェンバロという楽器自体を復興させた、ポーランド出身のW・ランドフスカさんなどがいましたが……。

しかしそれから戦後になって、さきにご紹介したバッハ演奏のスペシャリストたちが、ドイツから、とても大きなものとして台頭してくれました。
比肩するような存在らがないと思うんですよね、それ以前には。

バッハさんに限らないバロック音楽ということで言うと、ミュンヒンガーさん演奏によるヴィヴァルディ『四季』のリリースが、1953年。これが、きわめて大きなセンセーションだったそう。
同じレパートリーをさらに、ヴィヴァルディさんの地元イタリアのイ・ムジチ合奏団が吹きこんで、1959年の盤が超々々ヒット作に! そのインパクトが、現在にまで続く〈バロック音楽ブーム〉を誕生させた……などと言われます。

そして。ことさらに〈ブーム〉などと呼ばれたからには、それ以前にはバロック音楽が、あまりはやっていなかったということでしょう。
バッハさんの音楽は〈バロック〉そのものともまた違うのですが、しかし込み込みで、それらの演奏と鑑賞が、盛んになっていった事実はありそうです。

──と、あまり強固な根拠はないわけですが。そうして戦後のドイツに、バッハ演奏の多少の〈ブーム〉があったとして。
その理由のひとつが、バッハさんの音楽の根本的にして根底的な性格──暴力に抗し、平和を希求するもの──そこにあったと信じこむことも、単なる私の想いなしにすぎないとは、考えておりません。

🏚 🎶 ❌

そもそもです。風聞するには終戦直後のドイツの楽壇では、いかにもナチスの国粋イデオロギーの折り紙がつけられていたようなレパートリーらが、上演の禁止とか自粛とか、そういうことがあったらしいんですよね()。
それでR・シュトラウス作品あたりに並ばされ、ベトベンさんの作品なども、残念ながら一部は、その対象だったらしいです。

──で、そこで、満を持して、バッハさんへのスポットライトです!
これほどまでに非ナチで反ナチのクラシック音楽なんて──新ウィーン楽派の方面などは、少し別のものとして──ないわけですから。

それだったら、ドイツに進駐していた連合軍の関係の方々も、にんまりと大オーケーだったでしょう。
そうしてバッハさんの音楽の崇高なる響きに浴しながら、当時のドイツの方々は、こうも考えたのでしょう。

われわれドイツ人にしたところが、生まれながらにその全員がナチスだったわけではない──。つい先日までの“あれら”は、何かのまちがいだったのだ──。かつてこの大バッハによる音楽をドイツが生みだしたことが、その証左である──。

Bach: Violin Concerto No.2 in E Major BWV 1042 by Hilary Hahn - YouTube
Bach: Violin Concerto No.2 in E-Maj BWV 1042 by Hilary Hahn - YouTube
冒頭のわずか1分弱によってさえ明らか、ハーンさんの天才であることが!!

で、それで。バッハ作品の演奏史の続きを、少し見ておきますと。

それが困ったことに、1960年代以後のドイツは、そんなには偉大なバッハ演奏家らを、輩出してないと思うんですよね!

この道において、よくも悪くもきわめて大きな影響力のあったG・レオンハルトさんの一党は、そのベースがオランダです。
さらに、現21世紀の注目すべきバッハ奏者の方々は、R・バーラミ、I・レヴィット、ヒラリー・ハーン、さらにヴィオル合奏団であるファンタズムやフレットワーク……。1947年生のP・ヘレヴェッヘさんあたりにも、まだまだ大いなるご活躍を期待しつつ……。
……といった各位になるわけで、ドイツの人が、ぜんぜんいません!

あ、いや。あらためてよく調べたら、ユリア・フィッシャーさんなどが、ドイツの人でいらしましたが。
ですが、どう見ても聞いても、1960年代以降のバッハ演奏のトレンドと最先端は、ドイツ人ではない方々が、それをリードしています。

──ああ! これもドイツの連邦共和国が、やがてNATO体制のひとつの中枢を担うにおよび、暴力を憎む心などを失ってしまったせいなのでしょうか? などと申すのはぬれぎぬ、いいがかりなのでしょうか?

しかし、また、話を戻しまして。

小説『時計じかけのオレンジ』のヒーロー、アレックスくん……。彼もそのまま、おだやかな日々をバッハさんらの音楽とともに送っていれば、追って意外にすんなりと更生できたのかな……とも思うんですよね!

ところがお話はそこから急展開し、へんな人体実験のモルモットになることで、アレックスくんの運命がどうにかなってしまいます。
だが、そこからがこの小説の、ほんとうの山場なのか──とも思えるのですが。しかし、いまこのテクストでは検討しません。

🕊️ 🐸 🐭

──で、そうして、さいご。
私からのお話に、ちょっと思わぬようなところから、オチをつけましょう。

──もはや歴史的な存在とさえも呼べるギャグマンガの大傑作、ハグキ先生によるハトのおよめさん(1999-2012)。
そのシリーズのわりと初期に、こういう物語があるのです(単行本・2巻「ハトビームの21」)。

メルヘンめいたどうぶつの世界の住人である、ハト一家。その長男の子バトがハムスターを飼いたいなどと言いだすので、彼らはペットショップへ。
そしてその場でふと見た一匹のカエルを気に入ったので、購入しようとするのですが……。そこで、難題っ!

ショップのマスターらしきどうぶつ──ネコ系かイヌ系か、何のけものであるのか不明──が、〈飼い主として ふさわしいかどうか 面接します〉と、取り引きの前に、人格テストのようなことを課してくるのです。

それでわれらのヒロイン〈ハトよめ〉が、おとくいのトンチンカン&バイオレンスな答らを返すので、たちまち彼らは失格寸前に……っ!
それでは困ると、ネコをかぶってみたのでしょうか? 続いた質問、〈好きな音楽は?〉との問いに、ハトよめさんは柄にもなく(!)、こう答えるのです。

クラシックです
バッハを愛しています

ところがそこで、設置されていたウソ発見機が、しっかりと作動……! けっきょくは何も買えずハト一家は、お店を追いだされるのですが……っ!

──ですが。

ここで私は爆笑しながら、そして。そうであるべき秩序〔コスモス〕をさし示し、また暴力性のなさや正気であることらを《意味》していそうな音楽として、他ならぬわれらのバッハさんがその名を指されていることに対し、きわめて大いなる共感を覚え、とても深い肯定を感じたのです。
──さすがは〈われらのヒロイン〉であるだけに、ハトよめさんは、よく分かっているのです。とはいえ、その身にはついていないようですが……っ!!


A Clockwork Orange - And Beethoven, And J.S. Bach

[sum-up in ԑngłiꙅh]
"A Clockwork Orange" (1962) by Anthony Burgess... A literary classic of the 20th century that you probably know in one way or another.

And one of Vaporwave's heroes, HKE (Lucid), recommended this book to young adults on Twitter in April 2023.
I agree with the recommendation, as it is a real masterpiece.

But while I'm at it, I'd like to share my own thoughts about the novel "A Clockwork Orange".

You may know that Alex, the boy who is the protagonist of "Orange", is a terrible bad boy who delights in violence and destruction, also a lover of classical music. Especially he likes Beethoven.

So, a little question has arisen in my mind.

Beethoven's music, which can even be called the pinnacle of culture, can't be linked to acts of violence and destruction...!
Is it a deliberately intended depiction of the big gaps in the image?

To answer that question, I borrowed as many CDs of Beethoven's music as I could from the city library. That was a long time ago.

After listening to them, I thought... It's possible!

It's possible, because there are too big hot rushes of emotion, like the finales in Symphony No. 5 in C minor or opera FIDELIO... If there is no specific direction, they can intensify the impulse toward violence!

By the way, let's go back to the novel "A Clockwork Orange".

Caught in the midst of his misdeeds of robbery and manslaughter, Alex is eventually sent to prison. There, because of his knowledge of classical music and audio equipment, he is assigned to be the sound man for the prison's worship service.
So He play the records of religious music by Bach, Händel and etc, he was delighted and said, "This kind of music is good, too!" Also, it seems that he has become a little calmer under the influence of these experiences.

And this reminded me of the greatness of the great Bach's music, which is different from Beethoven's.
That greatness is that there is nothing in Bach's music that stirs up the urge to violence.

I've heard a story that even the Nazis who were engaged in atrocities in concentration camps like Auschwitz were soothed by the music of Mozart, Beethoven and etc.
Then. If they were music lovers, why didn't they listen to Bach's Matthäus-Passion once in a while?

The sorrow, the grief, the endless regret and guilt over the loss of the life of a single Jewish person... Bach depicted them as TRUTH with his supreme pen.
How could anyone who could even remotely comprehend the value of this highest art take the lives of millions more Jews?

This is not to say that there is anything wrong with Beethoven's music. I am not saying that.
However, I believe that J.S. Bach is the most irreplaceable composer in the history of mankind, who clearly depicts the abhorrence of violence and the desire for peace in a total of 24 tonal joys and sorrows!

Therefore, I believe that our hero, Alex, could have been rehabilitated with unexpectedly ease if he had served as a sound man for worships for a long time. By being exposed to the sublimity of Bach's music.

But as you all know, the story takes a sharp turn from there. By becoming a guinea pig for human experimentation, Alex's fate is greatly bent.

It was a shame, but as a novel, that's probably the start of main point. It's worth discussing in depth...
But for now, let us avoid it and end this article with a confirmation of the greatness of J.S. Bach's music!

Frutiger Aero - また別の“美学”、フルーティガー・エアロとは何ですか?

《フルーティガー・エアロ/Frutiger Aero》とは、今21世紀の“インターネット美学”のひとつです()。
──私たちには、やや耳あたらしいことばですよね?

それがどういう“美学”であるか、かんたんに言ってしまうと。

主にMSウィンドウズ・ビスタ(2006年)、およびその前後のコンピュータ・システムらがフィーチャーしていた、グラフィックスとサウンド──その明快さ、輝かしきテカリ感、くったくのないバーチャル感──へのノスタルジア
だいたい、そのようなものでありそうです。

  • Frutiger Aero - Aesthetics Wiki
  • What is frutiger aero, the aesthetic taking over from Y2K? - Dazed ─

かつ、Winビスタ以外のプラットフォームでは……。
まず家庭用ゲーム機の任天堂Wii〉が、同じ2006年・発。また、アップル社のスマートホン〈iPhone〉の初代機が、その翌2007年・発。
こうしたビスタと同世代のマシーンやシステムら、そのグラフィック/サウンドらにやや近いフィールがあるので、その系統もフルーティガー・エアロに含まれうるもよう。

そして、そのフルーティガー・エアロという名称を分解し、分析してみますと。

まず〈エアロ〉の部分は、Winビスタの採用した新インターフェースである“Windows Aero”に由来します。
そして〈フルーティガー〉とは、その時代に多用されたフォントフェース“Frutiger”のことであるようです。雑に言ったらゴシック体の一種ですが、おそらく何か独特の味があるのでしょう()。

そしてその命名は、2017年、“美学”研究者のソフィ・リーさんによる──と、伝えられています。けれどその当時は、それほど話題にならなかったようです。

しかし昨2022年ごろから、TikTokあたりを起点に、そういうトーンのグラフィックとサウンドを合わせた動画らが、続々とプチバズり!
そしてとうとう、私なんかの耳にも入ることばになったのです。

このフルーティガー・エアロを、以下では《フル・エア》と略記することにしまして。

citrus burst 🍋 FRUTIGER AERO MIX 🌍 - YouTube
citrus burst 🍋 FRUTIGER AERO MIX 🌍 (2023) - YouTube
ほぼヴェイパーの名曲らによるさわやかMIX

なお。フル・エアに対してちょくせつに先だっていたものが、Y2k美学である、とされています()。
その《Y2k》の“ソース”らが世に支配的だったのは、およそ1990年代末から2004年までだったそう。

Y2k》に続いたものと見なされうる、フル・エア。それぞれのテイストの厳密な区別は、むずかしいですけれど……。

だが私の感じ、《Y2k》美学は、サイバーパンク的な暗くドロドロした要素やムードらを、より多く含んでいそうです。
それにに対するフル・エアは、さきに述べたように〈明快さ、光沢、くったくのないバーチャル感〉を、まずの特徴としていそうなのです。

ブーリアンの演算だとか何とかシェーディングだとか、分かりませんが、オーロラの光の色のグラデーションや、水の流れの複雑なトーンなど……そうしたもようらを、軽く描写できるまでになってきたシリコンのパワー/アンチエイリアス/ディザリング/ハイレゾ感……。そうした“進歩”をむじゃきに誇り、そしてどういうためらいもなくシミュレーションに精を出す。

また。別のことばで言えば、人工の甘味料と酸味料と香料と色素らを混ぜただけの、“ジュース”──本来、ジュースとは100%果汁のことですが──それに類するさわやかさ、その追求。

──そういうところが、フル・エア美学にはありそうなんですよね!
もちろんそれが、現在の“美学”であるからには、ありし日々のそういう態度が、意識され対象化されているのでしょうけれど!

なお、また。
フル・エア美学が、例によりまして一種のノスタルジアだとすれば、それはいま現在、喪われているものであるはずでしょう。
たぶんですけれど、かつてフル・エアがおくめんもなく誇っていた、むだな立体感やギトギトした光沢や安いバーチャル感などが、はやらなくなっている──それが、現在の主流的なセンスなのでしょうか。

🪟 👨‍💻 🖼️

で、あー、さて。ここからが実は本題でありまして、フルーティガー・エアロのサウンド面の検討です。

hyperborea32x: Vista Nostalgia (2023) - Bandcamp
hyperborea32x: Vista Nostalgia (2023) - Bandcamp
M$-₩inビスタを私たちは偲びます

そのグラフィック面は、まあ、見れば分かるようなものなのですが。しかしそのサウンド面は、規定がむずかしい。
まずは、その時代のPCのシステム音、ゲーム音楽、またその時代風なリングトーン(着メロ)などが、フル・エア的なサウンドとされるようです。

そしてその特徴は、ソフトでスムースなシンセ音、ともかくも親しみやすく明るい曲調、くらいに言えるでしょう。
Wiiの実機を私は触ったことがないのですが、そこに組みこまれたショッピングやらフォトギャラリーやらのチャンネルたちが、あったのだとか。そこでそうした、のんきな音楽やサウンドたちが、ひたすらたれ流されていたらしく。

そしてフル・エアをうたう映像+サウンドのミックス動画というものを、まあ十数本くらい、視てみますと……。
気づくのは、そこで使われている音楽たちがおおむね、そういうWiiくさいゲームらのBGMと、そしてある種のヴェイパーウェイヴだということです(!)。

そもそも私の関心は、〈フルーティガー・エアロという音楽ジャンルが、いまはあるのではないか?〉、ということだったのですが……。

しかし。あらかじめ、フル・エア美学の音楽である!──として作られたものは、あまり多くなく、そしてポピュラーにはなっていないようです。
その空げきを、現在において埋めているのが、Wii等の時代くささあるゲーム音楽ら、およびヴェイパーウェイヴであるようなのです。

ここにおいて、エステティクス・ウィキのフル・エア記事の音楽コーナーを見てみますと、〈いまだはっきりしたものは、なくて……〉というトーンが明らかに、うかがえるでしょう()。
そしてその言明に続き、多少はそれらしいものであるらしいトラックたちが、何やら大量に列挙されておりますが──。

その中で、どうしても私には、ヴェイパー関係のものが目だっているように見えるんですよね!

さらにそれらの中でも超とくべつな作品は、かのジェームズ・フェラーロさんによる“Far Side Virtual”(2011)、それです()。
これはフル・エアの“ソース”らが、いまだどうにか息をしていた時代の作品でもあり、確かにそれらしいところはあります。

WinビスタやWiiらのシステムたちが、ただふつうに稼働していたならば、それらは実用的なそれらです。そういうものらを、“ソース”──もとの素材──と、呼んでおきます。
しかしそれらが、ほぼ廃物になった上で、キッチュとして模造され、コピペされ、反復される──。そのときに、“美学”なるものが生まれる……と、見ています。

だから、そういう見方もいいでしょう。ただし……。
ただし、そういう薄っぺらさが“逆に”、売り──という“美学”の産物らとは、また違う気がします。

むずかしいところが何もなく、むしろ表層しかない感じなのに、しかし『ファーサイド・バーチャル』は、深い……。かんたんにこうだと言いきれるものではないと、いつも聞くたびに思います。

まあこれを含む、プロト・ヴェイパー傑作アルバムのビッグ・スリー(『エコージャムズ Vol.1』/『フローラル・ショップ』)らは“すべて”、そうですが()。

……しかし! その『ファーサイド・バーチャル』が、“何”であるのかをかんたんに言いきろうとしたヴェイパー用語が、ユートピアン・バーチャル》です。
私としてはサブジャンルとしてのそれを説明し、〈チャラチャラとシンセを鳴らしたお調子のいいヴェイパー〉、などと申しております()。

ファーサイド・バーチャル』を追うような感じで、そういうものらが出てきてくれたのです。

そしてそのようなものとしてのユートピアン・バーチャルは、ほぼ“すべて”、〈フルーティガー・エアロの音楽である〉と、強弁もできそうです。スムースで明快きわまるシンセのトーンと、とても親しみやすい曲調を誇るので。

よって私の視たフル・エア動画らには、ユートピアン系とも呼べそうなすぐれたヴェイパーのアーティストたち──Eyeliner)、glaciære/Stevia Sphere)、そしてWindows96)──各位によるサウンドが、含まれています。

それと私がうれしく感じたのは、これらを調べていて、Glamour Shotsさんによる“Memory Select”(2018)というユートピアン系のEPを知れたこと()。
この名義ではこの一作しかないらしく、目だたない存在だったので、とてもいい発見でした!

こういうヴェイパーらはもちろん“いい”ですから、機会があったらぜひ、ぜひご一聴ください。

何しろヴェイパーの私どもは、〈ロスト・テクノロジー的な話には、とても敏感です。ゆえに、フルーティガー・エアロということばがなかった時代から、それ風な“美学”には注目していたのです。それを実質的に、すでに織りこんでおりました。

なお、また。

Bandcampにて、キーワード“Frutiger Aero”を検索いたしますと、すでにそういうタグが前からあることが、知られます。

そして。

そのタグを打たれた、フルーティガー・エアロ的なフィールや要素のあるらしいアルバムたち。その高くランクされているものらは、少なくともベスト・テンまでがヴェイパーウェイヴで占められているのを、私は見ました()。

それもランクインしているのが、既知のアーティストらによる既知のアルバムばかりだったので、逆にびっくりです。
自分が知っているつもりだった“もの”らについて、〈違う見方がある〉と知れたのが、こころよい悦びです。

そのベストテン入りしているアーティストらは、The City Reviewer)、Mom and Dad's Computer)、Ghostmemory)、ECCO 深い夢)、そして、hyperborea32x)……といった各位。

けれど各アルバムのサウンドを聞きなおすと、そんなにはフル・エア風でもないものが一部、ある気もしますが。まあ、それはごあいきょうだとして……。

中でもとくに注目なのは、メキシコの人であるというシティ・レヴュワーさんの、もっか最新のアルバム──BLUR(28曲・67分)。
その制作意図が〈フルーティガー・エアロである〉と、きっぱり明記されているしろものです。

ではありながら。アルバム・アート等のたたずまいがフル・エア風ではなく、また冒頭2曲くらいのサウンドも、あまりそれ風でありません。
ところがなぜか、3曲めあたりから約束どおり、フル・エアになってくるんですよね。ボリュームも大きくたっぷり愉しめます!

とまあ、それこれのわけですから。ヴェイパーウェイヴの中の要素としてのフルーティガー・エアロを、これから私たちは愉しんでいけるでしょう。

🪟 👨‍💻 🖼️

さて、さいごですが。このフルーティガー・エアロなる語を初めて知ったのが、いけださんのツイートによってでした()。ありがとうございます!


Frutiger Aero - An Another Aesthetics, and Vaporwave

[sum-up in ԑngłiꙅh]
"Frutiger Aero", somewhat fresh as one of the Internet Aesthetics of the 21st century. For more information on this, please see the reference link first.

  • Frutiger Aero - Aethetics Wiki
  • What is frutiger aero, the aesthetic taking over from Y2K? - Dazed ─

And now I would like to say that Frutiger Aero is already a component of the Vaporwave.

First, the long-established "Utopian Virtual" subgenre predates the Frutiger Aero aesthetic. The works of major artists in this lineage are being used to create videos that enjoy the Frutiger Aero.

And on Bandcamp, there are albums tagged "Frutiger Aero". And the high-ranked albums, right down to the top ten, are Vaporwave that we're all familiar with.

After all, we at Vaporwave are very sensitive to the Lost Technology story. Hence, even before the term "Frutiger Aero" was coined, we were already paying attention to the "aesthetics" of the style. We had already practically incorporated it into our products.

Therefore, we will be able to enjoy Frutiger Aero as an element of Vaporwave from now on!