《ダブテクノ》という語をヨコ文字で書くときに、“Dub”と“Techno”の間はどうしましょう? 現況はどうかというと、くっつけ・スペース・ダーシと三つの表記が併存し、統一されそうな気配がてんでない。
そんなことからこのダブテクノが、いまいちマイナーであり続けているんだろうか?
それと? このダブテクノというスタイルを創始したのは、《Basic Channel》というレーベルの社長たちだという話は、定説だ。そのへんのジャガイモが言ってんならともかく、レジデント・アドバイザーの記事にもそうあるんで(☆)、あまり反論しようって気にならない。
ただ。自分はそのベーチャンの出ぞめの1995年あたり、その盤を買ったり聞いたりもしていたが、しかしあまりいい印象がないんだよね。
ヘンに高尚すぎだし、かつ全体がモーローとしてすぎだと思う。いまあらためて聞き直しても、その印象が変わらない(☆)。いま自分が悦んで聞いてるようなダブテクノ、もっとメリハリがあって娯楽性の加味されたものらとは、別モノくささが太い。
そういうわけで? アンダーグラウンドな《テクノ》みたいな音楽が、20世紀の終わりから何の進歩もなく──進歩してる部分があるってならぜひそのご教示を乞う──アレしてるけど、なぜかこのダブテクノという分野だけ、自分的に、“飽きない”。
“飽きない”って言ってるだけで、すごくイイゾと強弁する気もないんだが。でもなぜ飽きないのかと考えたら、地味さをよしとし、あざとさが皆無、というその性質ゆえなのかな〜。
そもそもこの分野は、その元祖と見られているベーチャン以降、ヒーロー視されるようなプロデューサーなどを、ほとんど生み出していないのでは。《GAS》とかはものすごい偉大な存在だけど(☆)、しかし何かシーンからは浮いちゃってるようで。
……人間サマたちはおエラい《万物の霊長》かも知れないが、しかしオケラやミミズらだってちゃんと生きているし、滅びそうにはない。そんな感じの、ひたすらな地味さを生存の武器にしてきた(!?)、オレたちのダブテクノ。
その中でちょっと目立っているクリエイター/DJに、《Nae:Tek》を名のる人がいて(☆)。ロンドン在住のイタリア人だそうだが、その彼が主宰してるっぽいMIXショー、《Dub Waves on Proton Radio》というシリーズを、ご紹介しておきたいんだよね(☆)。
これは2016年からやっているもので、ナエ・テクさん&ゲストDJらによるMIXが、現在までに計86本公開されているもよう。
けれどとうぜん、オレがその全部を聞いているわけでもないし。また、すべてを聞かないとソンするようなものとも思われない。
たぶんそのどれを聞いても同じようなもので(!)、おなじみの簡略化されたハウスのビート、抽象化されたファンクのグルーヴ、そこにダブテクノ特有のモフヮ〜っとした上モノが、乗っかっているだけと考えられる。それが、ただ延々と続く。
で、その〈持続すること〉に意味があり、かつ面白みと愉しみがある。
だいたいナエ・テクさんが、とくに何か優れているのかどうか──かなりイイんだとは思うがサイコーとまで言えるのかどうか──、実は知りもしない。
似たようなダブテクノMIXショーでいうと、《hello ▼ strange podcast》というシリーズがあって、これなんか現在までの約6年間に、446本のMIXが公開されている(!)。それらの平均の尺が60分だとしても、ねえ……。
そしてそんなものを誰が聞くのかって思ったりもするが(!?)、見るとそれぞれのMIXについて、平均2千人くらいのリスナーがいるもよう。だとすると、〈どこを聞いても同じような音楽だけど、でもその“持続”がイイんだよね〉っていうオレの同志らが、全世界に2千人くらいいるっぽい。
かつまた? ここで考えるとダブテクノっていうものは、さっき自分が指摘した《テクノ》の進歩発展のなさを、逆に《方法》として正当化しているようでもある。
この世界にはまず個性ってものがほとんどないに等しいし、ヘンに人と違うことをする意味がない。そういう《世界》が、いつの間にかデキちゃっている。
そうして、もはやおなじみの奇妙な残響に包まれながら、ダブテクノの地下室のグルーヴが、延々と続き続ける。
そこには聞いて憶えるようなメロディも存在しないし、またアーティストやDJらの名前を憶える《必要》もない。そして長調でも短調でもないようなモノトーンの世界の、果てしない持続──。その持続を、なぜか自分は願ってしまう。