エッコ チェンバー 地下

─ €cco ₵hamber ฿asement, Vaporwave / Đésir đupłication répétition ─

Cluster: Sowiesoso (1976) - 古流独式電子音楽 3:恋はステキさ、いやそうでもない?

クラフトワークの結成メンバー、フローリアン・シュナイダー氏を追悼(1947-2020)。ということで、オールドスクール・ジャーマン・エレクトロニック特集を開催中。

そしてその第3回は、第2回の続き()。“K”のクラスター(Kluster)の解散後、2人組として再出発した“C”のクラスターこと、《Cluster》のお話()。

さて1971年、コンラート・シュニッツラーはバンド名の権利を持ったまま、“K”のクラスターを解散させてしまった。
そこで残されたハンス-ヨアヒム・ローデリウスとディーター・モービウスは、びみょうに名前を変えたバンドで活動の続行へ。──のような話が、伝わっており。

そうして発表された“C”の初期アルバムら、1stの“Cluster 71”と2ndの“Cluster II”は。……これが、また!
前回の記事で“K”のクラスターの音楽について、オドシ半分にその聞きづらさ(&ふしぎな魅力)を語っちゃったけれど。しかし実は、最初期の“C”のクラスターにしても、あまりそのスタイルが変わらないのだった。

すなわち。ドロォ〜リドロリと暗く混トンとした即興的エレクトロニック、メロディというようなメロディも聞こえず、また何分の何拍子であるのかもよく分からない。しかも楽曲らが、いちいち長い。
がしかし、人によってはその作っているヘンなふんいきを、“宇宙的”などと感じたりするもするらしい。いや、“宇宙”ってどういう意味で? そこがオレには分からないが、まあそういう音楽であるもよう。

ただし結果論だが、1stアルバムから2ndへの移行のうちにも、カオスからコスモスへの“晴れ上がり”の過程があった。“K”に始まり“C”の最初期までの、グチャ〜リとした混トンのサウンド、そこから何か、カタチあるものの生まれる気配。

そうして“C”のコンビがついに生み出したのが、3rdアルバム“Zuckerzeit”(Sugar Time)および4thの“Sowiesoso”(Anyway)という、クラスター式の超独自なポップ音楽。
とにかくもそこには明快なリズムとメロディがあり、かつ構造もかなりシンプル。最初期の“C”までの、ワケが分からんという感じは、かなり薄まった。

で、それらの評価がやたらに高いんだよね。ズッカーにしろソヴィゾゾにしろ、海外メディアの記事の「歴史的名作アルバム」の常連という地位を、長きにわたって守り続けており。
そこにまでいたったクラスターのポップ化について、《Neu!》のメンバーのミヒャエル・ローター(Michael Rother)および、かのブライアン・イーノの影響を言う声もある。たぶんそれも、根拠のありそうな話。とくにわれらのイーノさまは、このあともクラスターと深く関わっていく。

けれどまあ、これはいったいどういう《ポップ》なのだろう?

だいたいこのテのバンドらを、いにしえのニホンではジャーマン・プログレ(ッシブ・ロック)と呼び、のちにはクラウトロックKrautrock)などと呼んでいるけれど。しかし恐ろしいのは、根本的にはぜんぜん《ロックンロール》じゃないということ。

ロックのルーツはR&Bであり、そのまたルーツは原初的なブルースだと考えられる。それらの根底にあるフィーリングはないまぜの哀歓であり、そしてその操作するサインとシグナルたちは、直または暗に指している──「セックスおよびその享楽」という対象を。
別にロックンロールだけでなく、R&Bから派生し発展した《ポップ》らは、すべてその性格を持つ。これは断言できる。
しかしそういうまっとうなポップの流れに、意図的または天然で、背を向けていたのが初期ジャーマン・エレクトロニックなんだよね。ゆえに、ヘン。

よってクラスター式のチン妙なおポップ音楽は、〈恋はステキさ、キスしよォ〜、ヘイヘイヘイ〉みたいな通常の、《シリアスなポップ》とはぜんぜん違う。象徴的にさえも、セックスとその享楽を指している感じがしない。
では何なのかというと、レゴや電子ブロックみたいな玩具らで遊んでいる子どもたちの童心……そういうナイーヴな驚きや探求の感覚を、伝えているのだろうか?

つまり初期ジャーマン・エレクトロニックの特徴のひとつ、幼児性というか童謡っぽさが、そこにある。これは同時期の、クラフトワークやノイ!らにも、色濃く存在する。
それが全面的にいいものかどうかは、ちょっと意見を保留にしておくけれど。ともあれ、他にはめったにないものとして、オレらを愉しませ続けているのだった。