エッコ チェンバー 地下

─ €cco ₵hamber ฿asement, Vaporwave / Đésir đupłication répétition ─

ClearVisionDream Productions: Mangled Rot (2018) - ヘイスト&スロウ…望遠鏡と、顕微鏡

1. 汝の《運命》を、ハイパースピードで駆け抜けよ!

まあどうにも、かの文豪・ウィリアム・バロウズの著作らはボクたちのポップらのインスピレーション源であり続けている感じだけど、その中に確かこんな話があったはず。

<テープレコーダの再生速度をムチャに速くすれば、ベートーヴェン《運命》(約30分間)でも、たったの1分とか1秒とかで聞き通すことができるんでない?>

えーとこれは、「ノヴァ急報」だったか違ったか。じっさいに出てた例は《運命》じゃなかったかも知れないけど、しかしとんでもねーこと考えやがるぜ…と、初読のときはショックを受け、かつ苦笑したものだった。

てのも。当時はオーディオ技術がアナログのみだったので、仮にテープとレコーダがスピード30倍への労働強化に耐えたとしても、同時に音程が30倍に上がるので、信号はほとんど超音波になってしまうはず。つまり聞こえる成分が、ほとんど残らないのでは…。
とはいえ、こうやって情報や人の体験らを、テクノロジーで圧縮していくって発想は面白い、さすが。…と、そのていどの話に自分は受けとめていたのだった。

いや、そのころは「どうせできない」と考えていたから、ろくに計算もしなかったのは遺憾なところだ。いま考えたら、たとえばベースギターのいちばん低い音は約40Hzだから、仮に100倍しても約4kHzとなり、これはふつうに聞こえる音だとも言える。ただし時間的にも100分の1に圧縮されるから、音楽には聞こえないかなと。

いやいや、いまはデジタル技術があるからムチャできるので、じっさいにやってみるのがいちばん分かりみがよい。何かてきとうな《運命》の音声ファイルを用意し、パソコンのプレーヤの機能で、再生速度をどんどん上げていく…アゲアゲ…!
するともう速度10倍を超えたあたりから、スピーカに悪そうな音しか出て来なくなる。何だかイヤで、思わず音量をズズッと下げてしまう。
さらに20倍とすると、《運命》全曲を90秒くらいで再生してしまうことになるわけだが、ここまでくると、元がよっぽど低い音しか可聴帯域には残らないっぽい。もうさすがに、これは…界王拳20倍》って何のことだったっけ…。

なお現在の技術では、再生速度を変えても音程を変えない“ピッチコレクション”ということもできるのだが、しかしそれは、5倍を超えたあたりから効果が怪しくなってくる。もともとそういうアルゴリズムなのだろうか、跳び跳びのチョンチョンで再生してるようにしか聞こえず、“再生”に対する誠意が疑われる。
ただし、テストの手段がプレーヤの簡易機能だから、そのていどの精度なのかも知れない。オーディオ関係で定評あるソフト《Audacity》あたりでちゃんと処理すると、また違うかも。

…さてなのだ。驚くべきで恐るべきは、こうして20倍の世界までを体験したあとでは、「2〜3倍くらいなら、いたって“ふつう”だなァ」という感じ方になってしまうことだ。
いやー、ベトベンもいいけどさー、まともに30分もきーてんのタリぃし〜、10分くらいで終わらせちゃってよくない? それでも別に分かるし(!)。…のだめちゃんでもここまでヒドいことは、たぶん言ってない。がしかし、そういう感性もありうると知って、ついにわれわれはポスト・バロウズの世界に到達したのか。

それととうぜん、うちらヴェイパーウェイヴの人だから〜、逆に「遅くしてみる」という基本技法にもレッツトライ。これがまた意外といい感じで、とくに第2楽章アンダンテを半速で再生するとググッとキちゃう。
とは、天国のシェーンベルクにも教えてあげたいオトク情報! いや、シェーンベルクの著書なるものを読んだら、意外にも「ベトベンの運命は何があんなにスゴイのか!」ということを力説してたので。で、そのまた別のスゴさと愉しさを…。

2. ツッパリ小僧の秘められた意外な優しさに胸キュン!?

ところで。この《運命》圧縮のバロウズ提案は、ずっと頭に引っかかってたことではあるんだが。でもなぜいま想い出したかというと、それは「ClearVisionDream Productions: Mangled Rot」(2018)というヴェイパー作品を聞いたせい。
アルバムタイトルは、「腐肉メッタ斬り」くらいの意味か(イヤだな)。これ聞いたら、サンプルの再生速度を爆アゲしちゃってるのかな、と思えるパートがけっこうあったので、それで。

これはサブジャンルでいうとヴェイパーノイズになりそうだが、しかしたんじゅんに「ノイズです」と言いきれるような作品でもない。約41分1トラックのみのアルバムで、まずそのさいしょのパートが、シッポに火のついたネコがシンセの鍵盤の上で暴れているような、バビバビブビューン!といった音の繰り返しで始まる。
「…こういうのもいいけどさ、しかし40分これが続いちゃうの?」…とこちらが思っていると、やがてシンセの音色が変わりながら、ネコの暴れようが激しくなっていく。ていうか、もはやネコのしわざと思えなくなってくる。そんな大暴れのパートらと、その間の経過的なドローン風パートらとの交替。全体的には、7〜8コのパートらの組み合わせで構成されていそう。

さて楽曲も後半に入ると方向性が遅み、「遅くしてみる」という向きに大きく傾く。意外にここらは、何か《祈り》のフィーリングをたたえているように聞こえなくもない。
そして、ラストの約6分間ほどは…これ、アレなんじゃない? ギャビン・ブライアーズトム・ウェイツのコラボレーションで、確かジーザスがどうこうっていう宗教くさい楽曲があったが、それを半速よりもやや遅く再生してるみたいな? ギャビンの関わった曲とは違うような気もするが、しかしトム・ウェイツの声であることは…いや、自分にはそう聞こえちゃうんだけど。

で、半速くらいに落とされたウェイツらしき人(?)のノド声の、拡大され誇張されたトランジェント(音色の推移)のすさまじさ。もともとがヴェイパーみたいな「ボヘェ〜」って声なのに、それをさらにキツく処理。
しかもここらで、さきからちらほらと感じられていた祈りの感覚、何かを希求する心の高まり、それがピークにまで運ばれる。バックグラウンドには何だか分からないノイジーなドローン音が流れていて、それと前景との対照性もよい。
そしてさいごは、静謐へと向かって…感銘を残しながら、全曲が終わる、前半のやみくもな大暴れとの対照で考えると、ダンテ「神曲ばりの地獄編→天上編みたいな構成か、とも言えそう。

まとめて特筆しておきたいのは。この約41分間の楽曲に、ゆるいところが全然ないとも思わないのだけど、しかしなぜだかトム・ウェイツ(らしき人)の声が遠くから入ってきて、遠近さまざまの距離感を保ちながら、また遠くへとフェイドアウトして終わる、この間の構成が完ぺき。
おぼろな感じで入ってくるところもいいし、またフェイドアウトのところが実にいい。しかもさいごの切れるところでは、意外にブッツリと切れる、その思いきりがまたいい。

いや、前半を聞いていたときにこういう終わり方はとても予想できなかったので、これは意外性の勝利でもあるか。これはあのときめきトゥナイトの、不良っぽいと思われた真壁くんの、意外な優しさナイーヴさのご披露、みたいなことだろうか。
そう、この曲もまた、さいしょは乱暴者のしわざみたく聞こえていたので――曲タイトルもオドシ風だし――、その分だけ、ラストふきんの繊細さ細心さに、自分は過剰に感じ入っている気味がなくはなさそう。にしても、よかったのだ。

赤い薔薇の花ことばは、「美」「情熱」そして「愛」…

でまあ。このところの記事で、「遅くしてみた」だけみたいなヴェイパー(もどき?)らに、文句を言ってるようなところがあったようだが、しかしもちろん遅くすることは悪くない。顕微鏡でしか視えない世界があるのと似たようなことで、ベトベンにしろ、トム・ウェイツ(らしき人)にしろ、遅くして初めて聞こえてくるよさはある…そういうのを、われわれは探している。
ただし顕微鏡や望遠鏡を使っても、ろくに何ひとつ発見できないやつはいる、というかそっちがほとんどかも知れないけど。でもまあ、いまはあまりネガティブなことは考えず。

さて。それなら逆に、このアルバム「Mangled Rot」でも使われていた、「速くする」という手法には何かの意味、というか功用があるのだろうか?
について、いま確かに言明できることは、「遅さを引き立てる」。さもなくば、せっかちな現代人向けの時短効果? 現在はそんな結論になってしまうけれど、まあこれらのことは今後も考えていくので。