エッコ チェンバー 地下

─ €cco ₵hamber ฿asement, Vaporwave / Đésir đupłication répétition ─

「vaporwave芸術大学」@東京藝術大学・千住キャンパス 2018/12/15 - そのイベントリポートであることを志向する記事 (1)

前記事で予告いたしたお話。まずは(コピペを含め、)催しの概要の確認。

【1】 研究発表会「vaporwave芸術大学」の概要

12月15日16-18時、東京藝術大学・千住キャンパスの制作・研究展「千住 Art Path 2018」の一環として、Vaporwaveをテーマとした研究発表が行われた。その発表のタイトルが、「vaporwave芸術大学」。
そのリポーター兼司会者は、学部3年生の根本駿介さん。そしてゲストは、「obakeweb」()を運営するブロガーであり、東京大学大学院で美学を専攻されている銭清弘さん。

会場のもよう。一般のオーディエンスは30人ほどかと見受けられたが、スタッフ側の口からは「まさかこんなに多くの人が」といったことばが聞こえ、予想以上の盛会であった気配。発表の第2部のために用意されていたレジュメが参加者の数に対してまったく足りず、あわてて刷り増しに及ぶという場面も。

発表は2部構成で行われ、それぞれ約1時間。その間に約10分間の休憩時間がもうけられた。
1部と2部の各テーマ等は、ほぼ以下のごとし。

第1部: 《Vaporwaveの発生(ルーツ)と、各サブジャンルへの分化プロセス》
 リポーターは根本駿介さん。
第2部: 《「カテゴリー」としてのVaporwave、または「Vaporwave美学を美学する」、もしくはVaporwave批評の前提をなすべきパースペクティブの探求》
 リポーターは銭清弘さん。

というそれぞれの報告の《内容》が重要ではあるのだが、しかし先廻りして催しの結末を述べてしまうと…。
愉しい時間の経過は、あまりにもすみやかすぎた。ヴェイパーとその周辺に関する話題はまったく尽きることなく、やがて予定終了時間が過ぎて、会場運営側からストップが。
よってなごりはつきないが、あえなくそこで散会へ。しかしヴェイパーというネット上をただよう蒸気や泡のような文化につき、実空間にて生身の人々が語り合うというこの催し、かなりの成功を収めたと見られるのでは。

【2】 「vaporwave芸術大学」各リポートとディスカッション

この重要なお話になる前に、筆者から少々泣き言めいたことを述べさせていただくと…。

120分弱にもわたって行われた、きわめて充実したリポートとディスカッション。そこで出た内容の《すべて》を拾い集めてここに再構成するなどということは、さいしょからあからさまに無理。
また、発表の第1部「Vaporwaveの発生と、各サブジャンルへの分化」については、失敬ながら、すでにウェブの各地に出ている話の確認、と言えなくもない部分が少なからず。順序としては大切だが、しかしヴェイパー通の各位に対してはいまさらという感じも?
かつ、各リポーターの見解やご主張について今後、ご本人らから正当なまとめが出てくることも考えられる、というかそうなることを希望。そして、もしそうなったさいに、拙文ごときの価値がひじょうにない感じ。

…よってここは割りきって、ひとさまのご主張らをあまりにもねじ曲げない限りで、筆者なりに興味深いと思われた論点、議題のまとめを以下に記述させていただきたい。

【2-a】 「vaporwave芸術大学」第1部で語られたことより抽出

○発生期のVaporwave

根本「Vektroidがさまざまな偽名・変名であちこちから作品をリリースし、一種の自作自演により、Vaporwaveムーブメントの勃興と隆盛を演出したという説」
銭「話としてはひじょうに面白いが、それは伝説であり、事実ではない。初期のVektroidは、Vaporwaveムーブメントなるものを意識していなかったもよう。Vaporwaveという語を意図的に流通させたのは、Internet Clubのしわざだとされている」

○Vaporwaveにおける「アーティスト主義」(?)の台頭

銭「もともとVaporwaveは匿名性の強い文化。また、元のサンプルらをちょっと加工しただけのサウンドを作品として押し通すということも、匿名性のあらわれ。しかしこの数年のシーンでは、名の通ったアーティストらが堂々と顔を出してインタビュー記事に登場し、いっぽうではサンプリングを使わない“ちゃんとした制作”が目立ってくるなど、原初の状態から脱皮していく動きが目立っている。このように通常のポピュラーミュージックのあり方に近づいていくことは、ヴェイパーをいっそう面白くしていくだろうか? 自分はやや懐疑的」

アブストラクト・ヒップホップとの関連性

根本「Vaporwaveのサウンド的ルーツのひとつとして、あまり言われていないのがのアブストラクト・ヒップホップの影響。トリップホップとも呼ばれて1990年代後半に盛んだったものだが、これはあるのではないか」
(筆者は同感。ヒップホップ楽曲らの平均的テンポが1980年代から90年代にかけてぐっと低下していくさい、必然的に元サンプルらを“遅くしていく”というプロセスが目立ったわけで、そのさいに生じるジャギジャギとした響きにVapor的感触あり)

○Future Funkの「まま子扱い」

この論点は、筆者のことばでまとめさせていただく。Vaporwaveの派生ジャンルと見られるFuture Funkが社会的に大きな成功を収めているのは事実だとしても、しかしヴェイパーをシリアスに考えようとする方面からは、あまりそれを擁護する意見が出ていない。自分もそうだし。そしてこの会場の空気もまた同様であったことが、自分には興味深かった。

○「サンプリング系」ヴェイパーと「シンセ系」ヴェイパー

論の概要。EccojamsやClassic Vaporらのルーツ的ヴェイパーらは明らかにサンプリング中心の音楽だが、しかしちゃんと全部をシンセで作る、という手法がこの数年に目立ってきている。最重要な例はもちろん、2814「新しい日の誕生」(2015)であり、いっぽうで日本のパソコン音楽クラブなど。こういうものもVaporwaveである、とは言い切れるのだろうか? またはそれらをPost Vaporwaveと呼ぶとしても、それと本来のヴェイパーとの距離や包摂関係あたりを、いかに考えるべき?

○Vaporwaveなるジャンルのエッセンス、本質、譲れぬ特徴なるものは?

論の概要。Vaporwaveの主要な手法、特徴、また目立っているモチーフらを列挙することは大いに可能。またいっぽうで、その拡散が目につくという現状。ここにおいて、しかしヴェイパーとはどうしてもこういうものだ、と言える何かがあるのだろうか?
(申しわけないがこれについては、お許しを得て、筆者の私見を会場にて述べさせていただいた。それは過去的なもの、ノスタルジー、喪われた過去の快楽をいま現在に呼び戻そうとして必ず失敗し続ける、そのジェスチュア、あたりなのではないかと…
と、こうしてこの部分についてやや強く思うところが存ずるがゆえ、同ポイントについて根本氏・銭氏らもまたいいことを述べておられたはずが、それらをあまり記憶していないことをおわびいたす)

○《ポスト・ヒューマン》の思潮とVaporwave

銭「Vaporwaveの描き出している、“人間のいない世界”。無人のショッピングモールという、その原風景。サウンド的にもイメージ的にも、直接に生身の人間が登場しない。一部で言われている、ヴェイパーと《加速主義》の関連ということもそう。もはや人間の介在を必要としない、資本主義システムの《シンギュラリティ》への到達。こうしてヴェイパーが描き出している《ポスト・ヒューマン》のサウンドスケイプが、いま現代思想の先端で語られている《ポスト・ヒューマンの哲学》と、内容的にも時期的にもシンクロしているのが興味深い」

…以上、イベントの第1部について、筆者があれしたことの独断的なまとめ。

さて、ここでいったんこのご報告に区切りを入れて(自分内での〆切りの関係!)、「vaporwave芸術大学」第2部については次の記事にてリポートいたしたい。ではまた!