エッコ チェンバー 地下

─ €cco ₵hamber ฿asement, Vaporwave / Đésir đupłication répétition ─

$αї 玉 Jκ's: Ꚍαkε セーラーふく Aωαy (2021) - 月曜日なのにきげんがワルい

少し懐かしい感じかも知れないアニメとかのヴェイパーウェイヴです。
ネタがネタなので、埼玉的な風合いを意識してヤリました。イェイッ。

It's an Vaporwave track 'bout anime that may feel a little nostalgic.
I was conscious of the Saitama-like texture according to the material, yeah!

ところで、これにつきまして。16小節のまとまりをリピートさせているかと思い込んでいましたが……。
しかし。聞いた感じはともかく、作成ソフト(LMMS)の表示が何かヘンだと思って確かめたら、どうも15小節でしているようです?

数字としたら、ちょっとはんぱな感じですが。しかしもとの楽曲に沿って何かをしたつもりなので、たぶんもともとイカれた曲なのだと考えます!

それはそうと、お正月のようです。
この2021年もどうかよろしくお願いいたします!

LOMA: Don't Shy Away (2020) - ゲタ箱の上で微笑むモダニスム美人

《LOMA》──ロマは、米テキサスがベースとしているポストロックのバンドです()。そして“Don't Shy Away”は、その2020年10月に発表された2ndフルアルバムです。

このロマというバンドさんは、要するに……。

その楽曲らのテンポが全般的に、快いスローさを有します。そして女性ボーカリストでマルチインスト奏者のエミリー・クロスさん、その眠たい声が、実に眠くてよい。
という、私がこの場で推しつづけている、眠みを大フィーチャーしたドリームポップみたいな系統。その、また新たなるスターだと言えるでしょう。

しかも、この2ndは、セルフタイトルの1stアルバムに比べ、感情表現(エモさ)みたいなものが引っ込んで、さらなる眠さへと内容が傾いている。歓迎できる傾向です!

と、そこまで言いましたら必要なお話は、ほぼすんでいるのですが。しかし何となく、あとふたことばかり……。

さいしょ私が、この“Don't Shy Away”のカバーイラストを見たとき、〈ああっ、東郷青児画伯!〉、と思いました。
同じでないとは分かっていましたが、すばらしく画風が似ているのでは、と。

ですがしかし、あらためて見比べてみたら、そんなでもないからちくしょう!

けれどまあ。これをよい機会として、東郷青児先生の──何かのまんがに書かれていた評言によれば、〈ひところ中産階級の家のゲタ箱の上によく飾られていた絵画〉──画業に対する認識を、深められてもよいと思います!

それと。このアルバム“Don't Shy Away”のラスト曲である“Homing”には、かのブライアン・イーノが、ちょっこりと参加しておられます。われらの師父が、ロマの1stを聞いて気に入ったから、のようなお話です。
かといって師が、ものすごいきわだったことをそこで、なさっているわけでもないのですが。けれどもアルバムの中でも、それがひときわ甘やかに、眠みの濃いトラックになっている。やはり、さすがだと感じてしまうのです!

Brad Mehldau Trio: Hey Joe (2012) - 下降の愉しみ、《死の欲動》。

ブラッド・メルドーBrad Mehldau)は1970年生まれ、米フロリダ州ジャクソンビル出身のジャズピアニストです。おそらくきわめて有名であり、全世界で評価が高い人です()。

ただし《ここ》的には、そんな名声がどうとかは関係ありません。

単に、何となく私がてきとうなおジャズのコンピレーションを聞いていて、まあとくに集中してもなく、BGMとして。
しかし、はたと、ものすごくいい演奏が耳に入ってきました。
それが、メルドーさんによる「ヘイ・ジョー」でした。ジミ・ヘンドリックス等で知られる、あのおなじみのレパートリーです。

どちらかというと私が、ピアノのジャズをあまり聞きたくない中で──奇妙ですが、おジャズはギターが中心でなければならぬと信じます──、〈とはいえこれはアリだ〉と考えざるを得ないようにしむける、そういう当代のピアニストたちが、何人かいます。
そのひとりがメルドーさんですから、そうも大きな意外性はなかったのですが、それにしてもすばらしい演奏です。

他に、そのレベルのピアニストといえば、ええと。アーロン・パークス(Aaron Parks)、ジュリア・ヒュルスマン(Julia Hülsmann)、シャイ・マエストロ(Shai Maestro)、そしてゴーゴーペンギン(GoGoPenguin)の中の人……。
まあとっさには、そのくらいしか思い出せませんが。そもそも私は、ジャズピアニストらの名前を憶えようとは、努力していません(!)。この容量に乏しい脳で、どうせ憶えるのであれば、ギタリストらの名前です。

いや、そういうことは、ともかくとしまして。なぜ、このメルドーさんによる「ヘイ・ジョー」が、とくべつ心に響くように聞こえるのでしょうか?
それを分析でもできると楽しいのですが、しかしまず、分かっていることたちから語りますと。

──このレパートリー「ヘイ・ジョー」は、作者が誰なのかもはっきりしていない、まるで人々の《無意識》からプカリと浮いて出てきたような、実に奇妙な楽曲です()。
それは現在まで、100組以上のアーティストらによってカバーされるポピュラリティを誇っているそうです。それというのもこの楽曲が、何か表面的な意味などを超えて、人の《無意識》へと届くような含みを、隠し持っているからだと考えられます。

さてこの「ヘイ・ジョー」が、初めてレコード盤として世に出たのは、1965年のことだそうです。
そしてたちまちのうちに、いま言われる《ガレージ/サイケ》ロックの定番曲となりました。高名なバンドであるザ・バーズやラヴなども、その時期にこれの録音を残しています。

が、そういう初期の演奏らを、いま聞いてみますと……。
はっきり言えば、〈楽曲の“意味”も分からず、ただ音にしているだけ〉、という印象です。そのように感じられるのは、のちのジミ・ヘンさんやメルドーさんらの演奏にひき比べて、の話であるにしろ。

そして、この楽曲のこんにち的な解釈──ジミ・ヘンさんやメルドーさんらが示しているような──を切り拓いたのが、ティム・ローズというフォーク歌手でした。そのバージョンの登場が、1966年のことです。
最大の変化は、テンポを大幅に落とし、そしてボーカルなどの随所に粘りや緩急を効かせていることです。ジミ・ヘンさんのアレンジは、ほとんどこれにならっているもののようです。

で、そうしてローズさんやジミ・ヘンさんらが、この楽曲から掘り起こした《意味》。ことばにはなりきらない、無意識の意味。それはいったい、どういう意味なのでしょうか。

ご存じとは思いますが「ヘイ・ジョー」は、こういった内容の唄です。

おそらくアメリカの南部のほうで、ジョーという男が、浮気した自分の妻を射殺する。そして官憲の追及を避けるため、国境を越えてメキシコへ逃れていこうとする。

そしてその逃亡の目的地であるメキシコを、〈オレが自由になれる場所〉とジョーさんが呼んでいる──、そのことが印象的です。
ですが、《自由》とは何なのでしょうか? そしてアメリカに比べてメキシコは、どういう《自由》のある国なのでしょうか?

偶然ですけれど近ごろ私は、そのメキシコで生活されているニホンの方のブログを、楽しく拝読しています()。
そして、その方のご紹介されているメキシコという国は……。いや、いいところもたくさんあるようではあるのですが……。

けれども、とりあえず治安が最悪。司法当局が無能と腐敗のきわまりで、多発している殺人・強盗・スリかっぱらいなどの事件らが、まったく解決されない。麻薬シンジケートやギャング団らがほとんど野放し、何かとやりたい放題だとか。
そのあたりばかりを見てみますと、まるで北斗の拳的な、世紀末世界か修羅の国かであるようです。それがまた、ひとつの《自由》のあり方なのでしょうか。

そして、そんなところへ《自由》を求めていったジョーさんは、妻殺しのお尋ね者として、そこで自由に楽しく生きることができるのでしょうか。

──まとめてしまえばこれは下降のプロセスであり、文明からの逃避であり、またエントロピーの増大であり、そして死への接近です。
そして楽曲「ヘイ・ジョー」で印象的なこともまた、下降していく音形らです。とくにバックコーラス等に現れる、〈アー・アー・アー〉という3つの音による下降。

そうして楽曲「ヘイ・ジョー」は、事情はともあれ妻を殺すにいたってしまった男のカラ元気、その背後にきざしている非業の死の予感を描写しています。
ですけれど、そのまがまがしいものの中に、何かふしぎな甘やかさを無意識に、私たちは感じているのです。それが、このレパートリーの人気の秘密です。

そして、われらがメルドーさんの名演にしても。そのような下降の禁断の甘みを、和声の大胆な拡大解釈やアクセントの分割らをともないながら、深くまた繊細に表現しているものと、いまは言えるでしょう。
下降の愉しみフロイトさんが《死の欲動》と名づけた、無機物であることへの郷愁。そういった部分が、私たちの中で、この楽曲を愉しんでいるのでしょうか。

ヴェイパーウェイヴは無意識の生産物である

フロイト全集 - 岩波書店

ジークムント・フロイト(1856-1939)
〈ヴェイパーウェイヴは無意識の生産物である〉

……もちろん、そんなことをのたもうてはおられませんが!

このあいだ数時間ほど、《ミーム》画像作成にハマったときに、ちょっとやりました。
実に申しわけありません。

secretflowers: mirage (2020) - フェイク疑惑のかたわらで、なごむ

《secretflowers》──シークレットフラワーズは、米フロリダ州オーランドに在住を申し立てているヴェイパーウェイヴ・クリエイターです。2019年から活躍中のようです()。

2020年末までに、このセク・フラさんは、5作のアルバム(EPを含む)を発表しています。
その作風は、あわやシリアスなアンビエントなのでもあろうか──と理解してしまいそうな、静ひつなドローン系です。

《ドローン系アンビエント》のようなものを、わりに聞きこんでいるつもりの私には、セク・フラさんによるトラックらが、かなりまっとうに聞こえてしまうのがふしぎです。
たとえば、ニッポンの誇るチヘイ・ハタケヤマ氏の諸作品に対しても()、そう劣ったものではないように聞こえています。ふしぎにも。

ところで。

数日ほど前、移動中に空き時間があったので図書館に寄って、そこで私は雑誌『ユリイカ』のヴェイパーウェイヴ特集号(2019年12月)を、ななめ読みしました。
200ページくらいのものを約15分間で眺めきったのですが、その中で印象的だったのは、〈偽アンビエントの告発〉というトピックの存在でした。いや、正しい言い方は、〈擬似アンビエント〉だったかも知れません。

それは、こういうことです。半分くらいは私の意見がまぎれ込んでいそうですが──。

本来の正しい《アンビエント・ミュージック》とは、ブライアン・イーノ師の提唱による、崇高さをきわめたコンセプトである()。それは、それ以前からあるBGMやイージーリスニングらに、対抗しているものである。
しかるに現今、というか1980年代末くらいからずっと、アンビエントのふんいきだけをなぞったイージーリスニングらが、ニューエイジ/ヒーリング/メディテーション/チルアウト等々々として、一緒くたに流通をキメくさっている。実にけしからぬ。

これはまさしくわが意を得たり的で、〈もっと言ってください、どうか!〉と、私は心で叫びました。図書館の椅子の上で。
ただし私は(おそらくご存じのように)、《スーパーのBGMみたいな音楽》を愛し、そして大いに振興していく立場です。ですから、フェイクであるというだけで、その作品らの価値を否定することはいたしませんです。

かつ。そうだとしたらどうすべきか、またそのお話とヴェイパーウェイヴとの関係は──、といった論点に、そのテクストが、およんでいたのかどうかを思い出せないことが、いまひじょうに遺憾です。

そうして私たちのヴェイパーウェイヴは、フェイクでありキッチュであることを隠していないどころか、I字開脚くらいのいきおいでそのことに、大きく開きなおっています。実にけしからぬ悪ですね。

ところでセク・フラさんの作品らを聞いていると、これもまたその《偽アンビエント》なのか、あるいは意外とそうでもないのか、という疑問がわき起こってきます。

しかし、ちょっとそれは分かりません(!)。

かなりちゃんとしたアンビエントのように聞こえなくもないが、しかしセク・フラさんは、どう見てもみずからヴェイパーのシーンの中に身を置いている。先日お伝えしたヴェイパーのオンライン・フェスティバル《Late Night Lights》にも参加()、ライブ出演しています()。

はっきりしていることは、そこまでです。

ことによったらセク・フラさんによるトラックたちは、意外とひどい恥ずべき手法で作られているのかも、知れません。たとえばまっとうなドローン系作品たちの、スピードを単に落としているだけ、のような。
そうでもなければ《ヴェ〜イパァ〜》という感じがしないのですが、〈まあそれならそれでもいいし〉と私が考えているのは、言うまでもなさそうなことでしょう。

[sum-up in ԑngłiꙅℏ]
secretflowers is a Vaporwave creator who claims to live in Orlando, Florida. It seems to be active from 2019.
By the end of 2020, Sec-Flo has released five albums (including EPs). The style is a quiet-tranquil-calm Drone that seems to be understood as if it's a serious Ambient music. It's very pleasant music.

And for me, who intends to listen to music like "Drone Ambient" rather enthusiastically, it's strange that the tracks by Mr. Sec-Flo sound pretty straightforward.
In other words, it sounds like not so inferior to the works of Chihei Hatakeyama, who is proud of Japan, for example, mysteriously.

Why is this part of our evil-vicious-perverted Vaporwave?

Perhaps the tracks by Sec-Flo are made in a surprisingly terrible and shameful way. For example, it's just slowing down the decent Drone works.
Otherwise, it doesn't feel like "Vaaapoorrr", but it goes without saying that I think "Well, that's fine!".