エッコ チェンバー 地下

─ €cco ₵hamber ฿asement, Vaporwave / Đésir đupłication répétition ─

American Football: LP3 (2019) - おウチにいてくさい、出かけずに

イリノイ州出身のポストロックのバンド、アメリカンフットボール。1998年にデビューして以後、きわめて断続的に活動中()。彼らのペースからしてみれば、昨2019年にその3rdアルバムが、発表された“ばかり”で直後、とも言えそう。

そしてそのアメフトさんの、20年6月に予定されていた来日公演の中止というニュースを、ついさっき聞いたんだ。
やっぱコロナのせいなのかよ、つれェなァ……。というわけで、いまちょっとなぐさめの記事を書いてみるよ!

ここでヘンテコな符合というかタイムリーさを感じるんだけれど、アメフトさんの1stアルバム(1999)に、“Stay Home”という曲が入っていた。別に伝染病の用心ではないようだが、とにかくもウチにいよう、と呼びかける唄。
それがまた、ごく短い歌詞を繰り返しているだけなのに、いつの間にか8分間も聞き入っているという、みょうに魔術的なトラックだったんだけど。
そして現在、世界の情勢がアメフトさんに追いついてしまったせいなのか、“Stay Home, American Football”と刺しゅうされたソックスが、グッズ販売されているんだ()。アナタも一足、いかがっスか?

グッズはともかく、アメフトの音楽の話。そのサウンドは、クリーントーンエレキギターとささやき風のボーカル、そして複雑精妙なアンサンブルが、とても印象的。
またその楽曲らのテンポが、じっさいのBPMよりも遅く聞こえる、というのが面白いところ。これはアクセントの置き方や音符の詰め込み方で、そうなっていると考えられる。

そしてアメフトについて、ジャンル的にはポストロックでありかつ、《Emo》、エモの系統に属する、というのが世間一般の見方らしい。
これがちょっと分かんなくて──そもそもエモって“何”なのか、サパーリ分かんねっス──、むしろご近所であるシカゴのポストロック、トータスTortoise)とかに構えが近い、そんな気がするんだけど()。
だがしかし、そんなことを考えているのはオレひとり。いわゆる《シカゴ音響派》とアメフトの、サウンド面のつながりを言う声は、ほとんどないようだ。

いっぽうアメフトさんのBandcampページを見ると、そのすべての音楽作品に、“jazz”というタグが打たれている。とうぜんながら、“emo”ではなく。
狭い意味での《ジャズ》とは違うだろうが、しかし自分にはその主張が、きわめてフに落ちる。アメフトのもっともジャズっぽいところは、ドラムの人がいちいちキメ細かく“エモーショナル”な表現をしていて、型にハマったビートをタレ流しているのではない、そのあたり。

ちな自分的に、まっとうなおジャズに対するフュージョンスムースジャズ、その識別法を編み出している。注目点は、上モノらより、ドラムスが何をしているのか。有機的なアンサンブルをなしているか、または無機的でメカニカルなパターン反復なのか。
そんなことをほとんど毎日ジャッジしているんだけれど、そういう聞き方だとアメフトは、りっぱなおジャズだと言えるんだよね。イエイッ。

全般的なアメフトのサウンドの話に戻ると、エレキのトーンをめったに歪ませていないどころか、エフェクト全般をほとんど使ってないような印象、すっぴんの感触がショッキング。ただ楽器らを鳴らすだけで、実に奥行きのある響きを作っていたっぽい。
それがとくに初期までの特徴で、しかし2019年の3rdアルバム“LP3”では、ワリとふつうにリバーブ等を使って音場を拡げている。オレとしてはこのほうが親しみのあるサウンドで、よりリラックスできる気も。

ただし、初期のストイックなサウンド作りのもたらしていたふしぎなテンション、そちらのほうがユニークであり、かつスゴかったのかも知れない。アメフトはぜんぶそうだが、表面のユルっとした感じに対する内包された緊張感、そのアンバランスが面白い。そこに、深く引き込まれる。

……と、いうわけで急きょの記事作りだったので、ひとまずこのような感じで……。
ステイホームということが求められている現在、たぶん“内省的”とも言えそうなアメフトのサウンドに、各おうちでひたってみてはいかがっスか?

Mall Music Muzak: Mall Of 1974 (2018) - あばよモール文明……記憶の中で輝き続ける商品たち

ヴェイパーウェイヴの関連で、もっとも親しみやすく聞きやすいサブジャンル──、それがボクらの《モールソフト》)。
それは、うちらが毎日のように無意識に愉しんでいるスーパーのBGMたちを、擬態し模造していく趣向だよ。そういう〈無意識のお愉しみを意識化していく〉、というところに、ヴェイパーならではの仕掛けがあるんだ。

だがその方法的な面白みの研究とは別に、その素材でありお手本である《スーパーのBGM》、これのルーツと発展史を探っていく必要もある。たとえばの探索キーワードは《Muzak》、ミューザック()。
そんな感じで調べていたら、Archive.orgで見つかってしまったものが、いまご紹介いたします、“Mall Music Muzak: Mall Of 1974”。1974年のショッピングモールを賑わせていたミューザックであるはず、と考えられるだろう。

ところが、じっさい聞いてみると……。

楽曲らはいかにもソレ風のライトミュージックなんだけど(全14トラック・約38分間)、しかしフに落ちないところがある。自然すぎて不自然だ、と思える。
というのは、全曲に深いリバーブイコライザーの処理がなされており、われわれに親しい《モールソフト》のサウンド、ほとんどそのものなんだ。いくら何でも1974年に、これはないのでは?

そこでよくよく説明文を読み直すと、〈ふんいきを出すためリバーブとEQの処理を施した〉、のような話。大もとの音源は1974年のアナログLPだと言われているが、しかしあまり詳しいデータは出されていない。

サウンド処理の点について、これをポストしたご本人《CURTIS8516》氏の主張を、もう少しちゃんと聞いておこう。

私はこれらを少しリミックスして、アメリカのショッピングモールを閉鎖してその結果を撮影するDan Bellのようなさまざまな人々のおかげで人々が開発した最近のモールの魅力に合わせて決定しました。ほとんどのビデオにはバックグラウンドにモールmuzakが含まれており、EQとリバーブが適用されています。

(グーグル翻訳の出力)

ダン・ベルというと1990年代のテクノ・クリエイターかと思ったが、おそらく別の人。そういう名前のユーチューバーが、廃墟化したモールを探索する動画のシリーズをうpしているらしい。
そしてそこに含まれる音楽が、モールソフト風に処理されたものなので、その響きをカーティス氏はマネしてみた。……という流れなのだろうか。

という話なのでダンさんの動画の方をもチェキしてみた、たとえばこれ()。
そのライセンス欄を見てみたら、使用されている楽曲らの中に、《Nmesh》のものがある。
ヌメッシュといえば、けっこう名の通ったヴェイパー・クリエイター。が、モール系のアーティストだという印象は、あまりなかったけれども。

つまり。〈ヴェイパーウェイヴ、それは放棄されたモールに最適化された音楽〉、というオレらのスローガン(Redditのヴェイパー板の標語)……。
そこらをダンさんは意識した上で、廃墟モール動画を制作していそう。そしてその、間接的な影響を、カーティス氏はこうむってしまったのだろうか。

ともあれ。このようにモールというものが廃墟化していく必然性、商業文明のたそがれということを、意識しながらうちらのヴェイパーは、ここまで来たワケだけど。
そして2020年という、いま現在。“新型肺炎”の流行とそれにともなう外出制限やら何やらのせいで、購買意欲にフィーバーする人々によるモールの賑わい──なんてェものは、ほんとうに遠い過去の温かな想い出に、なりつつあるのかな?

Cluster: Sowiesoso (1976) - 古流独式電子音楽 3:恋はステキさ、いやそうでもない?

クラフトワークの結成メンバー、フローリアン・シュナイダー氏を追悼(1947-2020)。ということで、オールドスクール・ジャーマン・エレクトロニック特集を開催中。

そしてその第3回は、第2回の続き()。“K”のクラスター(Kluster)の解散後、2人組として再出発した“C”のクラスターこと、《Cluster》のお話()。

さて1971年、コンラート・シュニッツラーはバンド名の権利を持ったまま、“K”のクラスターを解散させてしまった。
そこで残されたハンス-ヨアヒム・ローデリウスとディーター・モービウスは、びみょうに名前を変えたバンドで活動の続行へ。──のような話が、伝わっており。

そうして発表された“C”の初期アルバムら、1stの“Cluster 71”と2ndの“Cluster II”は。……これが、また!
前回の記事で“K”のクラスターの音楽について、オドシ半分にその聞きづらさ(&ふしぎな魅力)を語っちゃったけれど。しかし実は、最初期の“C”のクラスターにしても、あまりそのスタイルが変わらないのだった。

すなわち。ドロォ〜リドロリと暗く混トンとした即興的エレクトロニック、メロディというようなメロディも聞こえず、また何分の何拍子であるのかもよく分からない。しかも楽曲らが、いちいち長い。
がしかし、人によってはその作っているヘンなふんいきを、“宇宙的”などと感じたりするもするらしい。いや、“宇宙”ってどういう意味で? そこがオレには分からないが、まあそういう音楽であるもよう。

ただし結果論だが、1stアルバムから2ndへの移行のうちにも、カオスからコスモスへの“晴れ上がり”の過程があった。“K”に始まり“C”の最初期までの、グチャ〜リとした混トンのサウンド、そこから何か、カタチあるものの生まれる気配。

そうして“C”のコンビがついに生み出したのが、3rdアルバム“Zuckerzeit”(Sugar Time)および4thの“Sowiesoso”(Anyway)という、クラスター式の超独自なポップ音楽。
とにかくもそこには明快なリズムとメロディがあり、かつ構造もかなりシンプル。最初期の“C”までの、ワケが分からんという感じは、かなり薄まった。

で、それらの評価がやたらに高いんだよね。ズッカーにしろソヴィゾゾにしろ、海外メディアの記事の「歴史的名作アルバム」の常連という地位を、長きにわたって守り続けており。
そこにまでいたったクラスターのポップ化について、《Neu!》のメンバーのミヒャエル・ローター(Michael Rother)および、かのブライアン・イーノの影響を言う声もある。たぶんそれも、根拠のありそうな話。とくにわれらのイーノさまは、このあともクラスターと深く関わっていく。

けれどまあ、これはいったいどういう《ポップ》なのだろう?

だいたいこのテのバンドらを、いにしえのニホンではジャーマン・プログレ(ッシブ・ロック)と呼び、のちにはクラウトロックKrautrock)などと呼んでいるけれど。しかし恐ろしいのは、根本的にはぜんぜん《ロックンロール》じゃないということ。

ロックのルーツはR&Bであり、そのまたルーツは原初的なブルースだと考えられる。それらの根底にあるフィーリングはないまぜの哀歓であり、そしてその操作するサインとシグナルたちは、直または暗に指している──「セックスおよびその享楽」という対象を。
別にロックンロールだけでなく、R&Bから派生し発展した《ポップ》らは、すべてその性格を持つ。これは断言できる。
しかしそういうまっとうなポップの流れに、意図的または天然で、背を向けていたのが初期ジャーマン・エレクトロニックなんだよね。ゆえに、ヘン。

よってクラスター式のチン妙なおポップ音楽は、〈恋はステキさ、キスしよォ〜、ヘイヘイヘイ〉みたいな通常の、《シリアスなポップ》とはぜんぜん違う。象徴的にさえも、セックスとその享楽を指している感じがしない。
では何なのかというと、レゴや電子ブロックみたいな玩具らで遊んでいる子どもたちの童心……そういうナイーヴな驚きや探求の感覚を、伝えているのだろうか?

つまり初期ジャーマン・エレクトロニックの特徴のひとつ、幼児性というか童謡っぽさが、そこにある。これは同時期の、クラフトワークやノイ!らにも、色濃く存在する。
それが全面的にいいものかどうかは、ちょっと意見を保留にしておくけれど。ともあれ、他にはめったにないものとして、オレらを愉しませ続けているのだった。

レディーフィンガー: かなり奇妙なロマンスを失った (2019) - 海の怖さを、思い知りましょう。

2017年から活動中の《レディーフィンガー》は、素性がまったく不明なヴェイパーウェイヴ・クリエイター。その既発アルバム13コはすべて、《B O G U S // COLLECTIVE》からリリース。

この人についてはサンブリーチに紹介記事がけっこう出てるけれど、しかしそちらにも、〈完全に匿名のアーティスト〉とあるのみ()。だがその評価は高いようで、〈BOGUSレーベルを代表するプロジェクトのひとつ〉と呼ばれている。

で、自分がこの人に興味をいだいたのは、スラッシュウェイヴ()の有力クリエイターのような説を風聞したからなんだけど。じっさい一部のアルバムには、スラッシュのタグが打たれているんだけど。
しかし聞いてみたら、かなり違っげェ〜! ただ、各楽曲の長さが、短くて10分強、長ければ70分以上(!)というムヤミな長大さに、スラッシュ臭がなくはないにしろ。

では、レディーフィンガーは何なのかというと。オレの聞いている感じでは、とりあえずダークアンビエントに近いんだよね。
その楽曲らの多くが重ぅ〜いドローン系で、ふんいきが怖い。また、すなおにシンセ等を鳴らすだけでなく、何らかのサンプルをグチャメチャに加工してドローン風にしているふしもある。ウラで何か、ヤバい処理をしてそうな気がして怖い。

ここで再び、サンブリーチさんを参照すると。このサウンドは、ダークアンビエントにも近い《Vaporgoth》であり、かつ《Oceangrunge》の影響を強く受けていそう、とか。
「ゴスっぽいヴェイパー」と言われたらほとんどそのままで、まあ分かったような気にもなる。だがしかし、「オーシャングランジ」とは、いったい何っ!?

……いまはそれほど流行っていないようだが、ダークアンビエントと陰気なヘヴィメタルとのはざまから出てきたサウンド、それがオーシャングランジであるらしい。また、《Seapunk》の憂うつなバージョン、という説明もあるようだ。
で、それは、海洋のあまりな茫漠ぶりと広大さ、そして船舶を襲う嵐、難破、遭難……といったことらをモチーフとする音楽であるらしい。たぶん、E.A.ポーの「アーサー・ゴードン・ピムの物語」を、音楽でつづったようなもの?

そして、ヴェイパーウェイヴの分野でこのオーシャングランジを代表しているアーティストが、《§E▲ ▓F D▓G§》こと、シー・オブ・ドッグスを名のる人であるもよう()。2014年から現在まで活躍中だが、とくにその、初期作品らについて。
で、試しにそのシーさんの音をもちょっと聞いてみたら、なるほどふんいきがレディーフィンガーに似てなくはない。……海の怖さを、切に思い知ることができるのだった。

さてレディーフィンガーなんだけど、その最新アルバムである「かなり奇妙なロマンスを失った」。これは少し、トーンを変えてきている感じもある。
人がすなおに思うようなドローン作品ではなく、何らかのサンプルらをヘンに処理することで、どんよりと不気味な響きを作る──。そういう手法に、不要な洗練がきわまりつつあるのかも知れない。

このアルバム、全6曲で計60分あまり。そのいずれのトラックも、まず〈何らかの既成の楽曲をきょくたんにスローダウン〉、という処理からできていることは確かそう。
だがしかし、ピッチとテンポを復元した(つもり)くらいの分析では、もとがどういう音楽だったのか、さっぱ〜り見当がつかない。ウラでなされたヤバめの処理が、意外に高度なものなのだろうか。

とくに印象的な楽曲が、5番めのトラック「ロマンス5」。海の巨大なモンスター、その恐ろしくも哀愁味あるおたけびか遠吠えみたいなサウンドで、怖さもひとしおだが、しかし何か心ひかれる響きなんだ。

が、それにしても……。これもまあイイんですけれど、やっぱりオレらのヴェイパーウェイヴは、ワリに軽薄でバカっぽくて愉しいサウンドを希望かなっ?

E U P H O R I A 永遠の: 真夜中の招待状 (2019) - スラッシュウェイヴ、とこしえのドロ沼

《Slushwave》、スラッシュウェイヴとは何か? それはヴェイパーウェイヴのサブジャンルかのようであり、だいたいのところ、やたらに長くてモヤモヤ〜っとした音楽(もどき)が、そう呼ばれる。

その想像される作り方は、おおむねこのよう。何かてきとうに古びたJ-Pop・アニメソング・R&Bなどのサンプルら、それらをほどよくスローダウンした上で延々とループ、かつリバーブイコライザーで音質をモヤつかせる。気が向けば、フェイズシフター等をも併用。

その結果デキてしまうトラックたちは、短くても5分あまり、長ければ30分以上ものスケールを誇る大物に。この手法およびスタイルの創始者は、かの栄光に輝くヴェイパーヒーロー《t e l e p a t h テレパシー能力者》)だとされている。

ちなみにスラッシュの“slush”とは、雪解けのあとのグチャグチャ、ぬかるみ、泥土などのことを言うらしい。やおいの“slash”、メタルの“thrash”とは違う。

──といったことなんだが、けどオレは思いましたね。いやこの記事は、前に書いた「テレパシー疑惑の深まり」()うんぬんの、アフターケアというかあと始末なんスけど──。

どこの誰ともつかぬ連中が、安易な手法でデッチ上げた音楽(もどき)たち。たとえそのデキがイマイチでも、2分間くらいで終わってくれたなら、「まーいーか」とも思える。
がしかしそれらが、短くても5分あまり、長ければ30分以上もの雄大で壮大なるスケールを誇ってくれたひにはっ……!!

前の記事で名前を挙げた《テレパシー疑惑系》ヴェイパー者たち、その作品らをチェキしてて、スイマセンが、ほんとうにそう思っちゃったんだよね。〈いちいち長げェーよ!〉、とね。いやイイ部位も、なくはないんだけど。
かつまた、多少マジメに聞いてみたなら、このスラッシュのかいわいに、《テレパシー疑惑》もクソもねェ。ただ単にテレパシーさんという大スターにあやかりたい者が多いというだけで、品質的にはご本家と、だいぶ差がござるんでないかい、とも。

がしかし? こういう壮大なるしれモノであるスラッシュウェイヴ、だがそのウゾウムゾウらをも含め、びみょうに流行り気味であることに、一種の必然性があるのか、という気もするんだよね。

というのも。つべやニコ動らの動画サイトらには、「n時間耐久〜」とか称する、同じ楽曲を延々とリピートしまくりの音楽動画らが大量にうpられている。短くても1時間、長ければ10時間も、延々〜とヤッてるらしいモノたちが。
〈何ソレ分かんねェ〉と自分は思っちゃうんだけど、しかし動画それぞれの再生回数に、かなり多量のものがある。であれば、これがまた流行りなのかな、と考えざるをえない。

動いているけど停滞している、ぬかるみのドロドロ気分。なぜか現在、そういうフィーリングが好まれる傾向があるのだろうか? そして、われらのスラッシュウェイヴもまた。

と、いうところでご紹介いたしますのは、《E U P H O R I A 永遠の》)および《Infinite Love》)というスラッシュ系バンドたち。

このふたつは同じ人によるユニットで、2019年から活躍中。それぞれ手法はあまり変わらないが、しかしネタ選び(sample curation)の方向性が異なる。
ユーフォリアの使う素材はスムースジャズR&Bなどで、世俗性を志向してるふう。いっぽうインフィニットのほうは、ニューエイジっぽいチルアウトみたいなネタを用い、《宇宙的な愛》か何かを表現しているつもりのよう。

そうして〈同じ手法〉とは、まず素材らを、いきなり半速近くまでスローダウン。するとサンプルが何であれ《アンビエント》っぽい響きになるので(!?)、あとはおなじみのヴェイパー処理により、マイルドに調整。

で、そんな手法らでデキてしまった楽曲たちが、ひじょうにイイなどと強弁する気もないんだけど。しかし……。
でもこのような、〈動いているけど停滞しているぬかるみドロドロ〉の世界にひかれる気分が、自分の中にもなくはないな──と、確認させてくれるくらいの何かインパクト。それを悔しいが、つい感じさせられちゃったんだよね。イエイッ