ポ  サ  研

─ ポスト真実 のサウンド研究, ヴェィパーゥエィヴ と仲間たち, 欲望 複製 PØP ─

(青Tux): Guest List ゲストリスト (2018) - 憂愁のヴェイパー・ナイトクラブ

《青Tux》というバンド名は青いタキシードという意味らしいけど、これはヴェイパーウェイヴでありダークジャズでもあるという珍しい方向性のソレ。ダークジャズ(またはドゥームジャズ、ノワールジャズ)については過去記事をご参照されたし()。

Tuxの楽曲は平均2分間ほどの簡潔なものばかりで、それぞれがダークジャズとして果てしなき夜のふんいき、享楽と倦怠のあいまった感じを表現していると考えられる。たばこと酒と、そしてムスクみたいな異性の香りがたち込める音空間。湿り気の強さがまた印象的。

さてこのアルバムの4曲め“Dressed To Impress 濃紺”が、イヤハヤどうにも実によく知っている感じの楽曲。「何だったっけ?」とけっこう考えてしまったが手短に申せば、これは八ービー・八ンコックの大名曲「力ン夕ループ・アイランド」(1964, )の冒頭パート、そのサンプルにスローダウン等のヴェイパー処理を施したもの。
まったくもって大ネタもいいところだ。そしてそこまでの大モノを、パッとすぐには思い出せないオレはどうなのだろうか。
まあそれはいいとして。自分にはそこしか分からなかったが、そのような感じで全編がサンプリング+αで作られているのやも知れず。

かくして、まっとうなダークジャズならいちおう作曲したり演奏したりで作り出す効果を、青Tuxはお手軽省エネでクリエイト成功している、とホメてしまっていいのだろうか。八ンコックの元曲のびみょうなテンションの高さを青Tuxは完全に棄却し、まったくのユルさと憂いの中に落とし込んで、新たな表情をそこに見出させている。これもまたひとつの創造っぽい行為では……と述べるのは強弁なのだろうか。

Pat Metheny: From This Place (2020) - そして、このトーンから始まる

恐縮なんだけど今回は比較的まっとうな音楽、何か真実味ありげなサウンドのご紹介。
で、パット・メセニーというお人はもちろん現代ジャズギターの第一人者で、1970年代中盤くらいからずっと質の高いアルバムを大量に出していて……みたいなことは、オレごときが説明するまでもないんだけど。
しかしこの最新アルバム“From This Place”はBandcampにも出てるってのが新しいところで、たぶんメセニーさんとしてはお初だと考えられる。という、“こちら側”へのご参入を歓迎し祝しつつ。

いっとうさいしょの“America Undefined”がひじょうに造り込んだ壮大な楽曲で、これに比すると通常のおジャズってあんまり“造って”ないな、ということを素直に感じた。ピアノ中心の序奏に始まり、そしてメセニーさんのギターの鳴り始めるところがいきなり圧巻。
近ごろ自分は考えがものぐさになってきて、「音楽なんてのは最初に《キメのトーン》をバーンと鳴らさなきゃダメじゃないか? そこでもう決まりじゃないのか?」なんて雑なことを思うんだけど。そのような肝心の《キメのトーン》をメセニーさんは、しっかりと持っていてタイミングよく行使してくるんだよね。まあ当然なんだけど。

……とは言いながら。その壮大な楽曲らの壮麗さに、心撃たれはするんだが、実はことばの意味の分からない名演説を聞いてるような感じもあり。つまりテーマ性みたいな部分が、自分にはあまり伝わっていない。おそらくはリテラシー不足のせい。
そうしてアルバムのラスト2曲は比較的平明でメロディックできれいな曲で、自分的にはそこらがいちばん愉しめた。かくて終りよければすべてよし、と余裕で考えられる。

S O A R E R: 別の人生で (2019) - そして、またこれを

ヴェイパーウェイヴとかいうアレにけっこうツキあってキた人ならば、このソアラか何かを名のる新人アーティストが、かの名高きヴェイパースター《テレパシー能力者》のまた別の変名であることを見抜けないハズはない、のでは?
いや別に、確証や確信はないんだけど。しかしこのBandcampページのたたずまい&音楽そのものから、どうしようもないテレパシー臭がプンプンとねェ。
で、その近作アルバム「別の人生で」の冒頭タイトル曲は、以下みたいなニホン語の歌詞の唄を、ヴェイパー流サウンド加工術でぞんぶんにヨゴシながら22分半もの長尺へと編集したもの。

  セツナイ……ムネノイタミ……ホホエンダ……ネガイノ……
  アイサレルヨリ……アイシタホウガ……シンジツ……

いやネットって実にべんりなもので、たったこれだけの歌詞の断片から元曲が、禾ロ田カロ奈子「サノレビアの花のよラ1こ」(1987, アニメ「さまぐね才しソヅ☆口-ド」挿人歌)だと分かってしまう。とまあ元ネタが1980'sのアニメソングだということは、いちおう頭に入れておいて。

そしてその真情あるような空疎でもあるようなメッセージを、またキャッチーでもあり凡庸でもあるようなメロディを、それから30年間も脳裡で転がし続け、かつカセットテープで1万回も廻し続けたら、しまいにはこういうサウンドになってしまうのだろうか、という気がしてくる。
べつに80'sモノには限らずとも、喪われた過去の夢、値段がついていた売り物の夢たちを、無惨に廃墟化したカタチで反復し続ける。ポップカルチャーとその商業主義に対する、これは批判や復讐なのか、または渇仰であり礼賛なのだろうか。どちらであるかは知らないが、これこそがヴェイパーウェイヴとか呼ばれるアレであることだけはマチガイない。

(以上の記事は、2019年8月にマストドンへポストしたテキストの加筆修正版)

Brian Eno: Ambient 1 - Music for Airports (1978) - イーノ《アンビエント宣言》の私訳 と、《ミューザック》

ブライアン・イーノアンビエント1:ミュージック・フォー・エアポーツ」(1978)。それは《アンビエント・ミュージック》の第一号でありかつ、いまだ超えるもののない、そのジャンルの最高傑作。……ここまではいいね?
そしてそのアルバムの、本人によるライナーノーツは、このジャンルの創始者によるアンビエント宣言》というべきもの。いや、ずっと前から「何か言ってるな」とは思っていたが、それをこのたび初めてちゃんと読もうとしてみた。

アンビエント・ミュージック》


“ある環境の背景として特にデザインされた音楽”というコンセプトは、1950年代にMuzak社によってさきがけられたもので、それからそういう音楽一般が《ミューザック》と呼ばれるにいたっている。
このミューザックと呼ばれる音楽のイメージはというと、おなじみの楽曲らが、ライトでありきたりなオーケストラ編曲をこうむったようなもの。
そのようだからそれは、大部分の識別力あるリスナーたち(そして大部分の作曲家たち)を、「環境的音楽のコンセプトなどは注目に値しないアイデア」という考えに導いた。


過去3年の間、私は環境(ambience)としての音楽の使用に興味を持つようになった。そして、妥協なくしてそのように用いられるものを創ることは可能だと考えるにいたった。
私は、この領域の私自身の実験と、缶詰めみたいな音楽のさまざまな業者による製品らとの区別をつけるために、《アンビエント・ミュージック》という用語を使い始めた。


環境(ambience)とは、ふんいきであり、取り囲む影響源だと言える。また、ひとつの色合い(a tint)だとも言いうる。私の目的は、表面上は特定の時と状況のためのオリジナルの作品を制作しつつ、そして多種多様なムードとふんいきに適している環境的音楽の、小さいが多用途に使用できるカタログを作ることだ。


缶詰め音楽の会社らが、彼らの音響とふんいきの独自性を覆い隠すことによって環境らを整えようとしているのに対し、《アンビエント・ミュージック》は、それらを強化することを目的とする。
従来のバックグラウンドミュージックが、音楽からすべての疑いと不確実性の感覚(そしてすべての本物の関心)をはぎ取ることによって生産されるのに対し、《アンビエント・ミュージック》はそれらの性質を保ち続ける。
そして、彼ら業者たちの意図が、刺激を環境に加えることによって、それを“輝かせる”こと(おそらく日常的作業らの退屈さを軽減し、生体リズムの自然な上昇下降をフラットにする)であるのに対し、《アンビエント・ミュージック》は落ちつき(calm)と考えるためのスペースを導き出すことを目的とする。


アンビエント・ミュージック》は、特に人を強いることなしに、多様な聴取のレベルらを受けいれることが可能でなければならない。それは興味深く、しかも無視することが可能なものでなければならない。


ブライアン・イーノ 1978年9月

英語の原文は、ハイパーリアルに掲載されているものを参照した()。

そして以下……まず、付帯説明(言いわけ)。

イーノによる英語原文、何とか意味は取れても構文がむげに複雑で、和訳がすごくむずかしいと思った。よってスマンが、意訳に逃げているところもある。一部は、機械翻訳の出力をイキにしている。また、日本語にすると逆に分かりにくいので、せめてもと改行等を追加している。
訳文中の<環境(的)>という語らは、基本的には“environment”およびその派生語らの訳。そうでない“ambience”の<環境>については、カッコ内に補った。
なお、《アンビエント・ミュージック》としてカッコでくくっているのは、《Ambient Music》という大文字入りの表記への対応。

そして、自分の感想。

イーノが《アンビエント・ミュージック》の創始にあたり、既存既成のBGMやミューザックらに対し、こうしてかなりの対抗意識を燃やしていたとは意外だった。自分なんかはゆるいリスナーなので、あまりそこらを意識していなかった。
というか、《スーパーのBGMみたいな音楽》をかなり愛しちゃっている自分としては、イーノの宣言について、少々カチンとくるところもある。だがしかし、ここまでの意識の高さ強さがあったからこそ、あの崇高さをきわめた「ミュージック・フォー・エアポーツ」などの創造が可能となったのだろうか。

ちなみにイーノさんがこき下ろしているミューザックの、それらしいものがちらほらとネットに存在している()。そのアルバムらのタイトルが“Muzak - Stimulus Progression”とあるあたりは、<刺激を環境に加える>というイーノの指摘の裏付けなのだろうか。
こういうのも、ちょっとイイと思っちゃうんだよなァ……弱い自分は。

ふだん缶詰めの食品を平気で喰っているんだから、缶詰め音楽もまたよし、くらいに考えてしまうのは、芸術家気質のなさゆえなのだろうか。また、むりにカッコつければ、缶詰めといえども《キャンベルスープ缶》くらいになればアートに向かってのワンチャンあり、という見方は安易なのだろうか。
いや考えていったらこれは、キッチュに対する態度、方法としての向かい方、ということだろうか。キッチュが必ずしも悪ではなかったとしても、ひとまずイーノは《方法》としてそれを排除し、そして人類史的大勝利を果たしたということか。

非可逆音声ファイルフォーマット関連のおさらいメモメモ

◇まず、固定ビットレートのMP3について。192kbps以上のMP3とロスレスの音声、それらを聞き分けできる人間は、“原理的に”存在しない、とか。もしそれが存在したとしたら、一種のエスパーなのだろうか。
いっぽう常人らの大部分は、128kbpsとロスレスの判別さえできない。自分がモニタ用ヘッドホンで真剣にテストしたときも、160とロスレスの判別はできなかった。
ただし、同じ実験を以前の古いPCで実行したさいには、128とロスレスの違いさえ分からなかった。マザボが変わって、オンボードの音声用チップが少しよくなった、そのせいで差が出たか。

◇128kbpsのMP3は、高音あたりの特性がよくはない。グラフで見ると、16kHzあたりからダラ下がりになっている。
ただし自分は、それを見て「逆にツボだな」と思う。むかしのオーディオ用カセットと似たような特性になっているからで、するとあの、耳にやさしく親しみやすい出音が想像される。
だから、まれによくあるネットの意見、「ロスレスの音声は逆に耳にきつくて」…そういう声が出てくることにも、意外とふしぎはないのだった。もとの音声が、ヘンなレンジ感や過剰なデテールらを強調したものだったりすれば、そうもなるだろう。

赤い薔薇の花ことばは、「美」「情熱」そして「愛」…

◇音声ファイルらの音質は、フォーマットとビットレートだけでは決まらない。1990年代から現在までに、MP3コーデックらの性能はかなり向上し、出てくる音もまた少し質が上がっている。
かなりなむかしに「午後のこ〜だ」の音がいいと言われたけれど、2004年で開発が止まっているそうで。それでエンコードすると、現在のLameに比べてキレに乏しい、やや甘い音になる。かといって聞きづらい音にまではならないが、しかし一般的にはLameの音が好まれそう。

◇可変ビットレートVBR)のMP3は、固定ビットレート(CBR)よりも、同程度の圧縮率において、基本的にはすぐれている。それは、Lameの開発者側から推奨されていることによっても明らか。
ただし問題がなくはなくて、一部のハードウェアプレーヤらは、VBRのMP3を正確に再生できない。自分が使っているiPod Shuffleが、まさにそう。音質に問題が生じるのではないが、曲のさいごあたりで再生がブチ切れ、お次の曲に進んでしまう。前に使っていたメモリーウォークマンでは、そんなことはなかったのに。
またカーステレオなんかにも、それと近いトラブルがあるらしい。まったくなってないが、しかしどうしようもない。これを断じて避けようとするなら、CBRでエンコードしてしまうのが無難。

◇ゆかいなことだが、PCオーディオの音質向上をギチギチと追求している人々から、「システム改善の結果、YouTubeの音声がきわめてきれいになった!」、などという報告が出てくる。
つべの音声って、せいぜい160kbpsくらいのAACOGGであるはず。そんなレートの非可逆フォーマットでさえも、安い装置ではぜんぜん鳴らせていない、ということになるのか。
だからいい音を聞きたければ、フォーマット以前に何とかするべき点が、多々あるはず。

◇MP3に代わるべき新しいフォーマットであるAACOGGは、ともにまず低ビットレートでの音質のよさが印象的。96kbpsでMP3とはかなりの差が出るし、48ともなると圧倒的!
いや48kbpsの音なんてふつうは聞かないだろうけれど、しかし、とあるロシアのネットラジオ局が、そんなレートのAACで音楽を送ってくるのだった()。それがけっこう聞ける音なのが驚異的で、FM放送くらいの音質にはなっている感じ、すごい。

Ogg Vorbisというフリーでオープンなフォーマットのすばらしいところ、フリーでオープンなDAWであるLMMS()で直接の読み込みができる。いや「DAWって何?」と思った方は、こんな話を気にしなくてオッケー。
ただし? 大むかしのバージョンのプロペラヘッド“Reason”内蔵サンプラーは、無圧縮のWaveしか読み込めなかったことを憶えているが、でも現在はMP3も読めている気配。逆にLMMSがMP3非対応という不便さがあるのだろうか、しかしフリーでオープンであることこそベスト!